論文:メディアにおける戦略的利用についての考察
法と政治のディスクールに投稿した論文
1.問題の所在
二つの世界大戦を通して軍事史なるものが、それ以外のすべて、社会的、文化的、政治的、経済的環境を無視し、他の尽くの歴史から分離されることは、戦争を理解するうえで不可欠な様々な要素を無視することであるということを学んだ 。
事実、我々は様々なアクターを軍事の概念に密接に絡みつかねばならない時代となっている。直接的な武力を用いた「政治の継続としての戦争 」は、勿論、中国がマハンドクトリン を採用し、海洋進出に乗り出しつつあると言えども、帝国主義が渦巻いた世界と比べれば、姿を消しつつあるといえるだろう。しかしながら、我々は「政治」なるものが「価値の権威的配分」であることを意識しながらも同時に「権力闘争」であるということを知っているならば、戦争は闘争と名前を変えて、そして複雑性を増した状態で已然存在していることに気が付くだろう。もし仮に、我々が未だ、武力的な戦争を思い描いているとして、思えば、クラウゼヴィッツは戦争の三位一体説を取り上げたが、そのうちの「政府」と「国民」は実際直接連結しているといえるだろうか。また、考察されるべき国民は一重に開戦すれば敵国に対し憎悪を以てむき出しの野蛮なる熱情を開放するようになるだろうか。政府と国民だけでなく、政治間、国民間または相互の間接及び直接の作用・反作用関係を無視し得るだろうか。
もし我々がそのような複雑な関連性を無視するならば、現代における様々な政治的な場に見られる問題は説明することができなくなってしまうだろう。中国の「三戦」や、ロシアの「ハイブリッド戦争 」、若しくはノン・ステート・アクターの主権国家や国際社会に対する挑戦に関するドクトリンをどのように処理することができるだろうか。実際に、今回、アメリカの大統領選挙でロシアが関与したことは様々な調査によって指摘されてきたし、イスラミック・ステイトが様々なメディアを利用して世界の安全を脅かそうとしたことは、現在の世界の中で注目に値しよう。アメリカの戦略予算センターが2017年10月に陸海空のほかにインテリジェンスやサイバー、インターネットなどを含めた総合的な戦略である「マルチ・ドメイン・バトル 」の草案を提出したことは、我々が最早、主権国家とノン・ステート・アクターという垂直的な関係性においても、主権国家と主権国家という水平的な関係性においても、その政治的な戦略の手段において非対称な闘争を繰り広げざるを得なくなったといえるだろう。そして、同時に我々は、非正規戦と正規戦を複合的に利用する「ハイブリッド・ワー」や、若しくはイデオロギー的な対立の中で起こる主権国家とノン・ステート・アクター間で行われる非対称な「第四世代の戦争 」、「新しい戦争」におけるテロリズムが、フォーマル・インフォーマル問わず「メディア」を使い、そのバイパス的な性質を利用し国民及び政府というアクターに影響を及ぼしていることを無視してはならないといえるだろう。つまり、軍同士が交戦するような予定されたような戦場が存在しなかったり、すべての交戦者の中に必ずしも軍隊が含まれるわけでもない時代となっている 。我々は、すべての時間、場所に対し、政治闘争もしくは軍事戦略の視点から見直す必要に迫られている。
本稿では、まず、「政府」と「国民」、そしてそれらの複雑な作用・反作用関係、世論の形成、そしてその利用を「メディア」、そして作用・反作用関係を形成する構造という観点から戦略的な性質を考察し、そしてそこに現れた新たなメディア、ソーシャルネットワーキングサービス及びインターネットの空間を用いた戦略についてその性質及び構造の観点から考察する。
2.世論の次元、ベクトル及びメディア利用の歴史
A)国内世論
世論における3つの次元の中では、最も歴史が深い次元だと言えよう。我々が国内世論、戦時においては国内プロパガンダを考えるうえで、勿論、歴史的には古くから行われてきたことであり、最もそれを効率的に使用したのはビスマルクであるといえる。しかし、その理論は初めにルーデンドルフによって体系立てられたと考えてもよいだろう。ルーデンドルフは、国内世論における二つのベクトル、つまり、熱情的な国民と、非戦を訴える国民のうち、前者について、ルーデンドルフは『総力戦』の中で以下の様に述べている。
[引用]
来るべき総力戦でのプロパガンダは、似たように諸国民にとって耳あたりのよいことを語るであろう。敵国民の間に存在する風潮、希望、願望、政府にたいする精神的な態度を慎重に研究することは、プロパガンダが作用する前提である。国民の団結性が崩れ始めると、そのようなプロパガンダは、戦争の災難や、人間の精神と肉体に激しく襲いかかる困窮と結びついて深くまで作用する。まさに首尾よく行動しようとしている勝利軍は、国民のそのような精神状態の影響を一時的には受けずに済むが、それは深い困窮に身を置きながら戦っている軍にとってはできないことである。軍と国民の結びつきは、次のことによって、他のことが入り込む余地が全くないほど緊密なものとなっている。それは、補充兵の[軍への]流入、負傷兵の[後方への]送還、完治した者の軍への再編入、さらなる被害が引き起こされたり、不安を広く惹起させたりしないためにも一時的にしか途絶えさせてはならない野戦郵便、そして最後に、住民が持つ戦争との直接的接触である 。(ルーデンドルフ『総力戦』)
今現在、ルーデンドルフの総力戦におけるプロパガンダの理論は機能していない。何故ならば総力戦の行われる時代は終わったからである。プロパガンダが最後に成立した戦争はベトナム戦争におけるベトナム軍だろう。その後の湾岸戦争やイラク戦争、もしくは第四次中東戦争で総力戦のようなプロパガンダ理論は成立しなかった。
しかしながら、プロパガンダは新しい形でその命を吹き返すこととなった。その成立過程はイラク戦争の終結後に明らかとなった。アメリカ陸軍中央軍は、政権崩壊後に連合軍がそのネットワークを使用できるようにイラク国営放送を破壊しないという意思決定を作戦終盤まで維持した。戦闘が長引いても、中央軍はこの決定を再検討しようとしなかった。そのため、フセイン政権は強いプロパガンダ攻勢を続け、アラブ世界の共感を得た。イラク政権が戦争を切り抜けるかもしれないとみられていたうちは、反米憎悪感情を広め、アラブの若者を戦闘に参加させるという効果があった。最終的に中央軍が国営放送を破壊した後は、イラクのプロパガンダは弱まった 。
ビスマルクはリアルポリティクスに隷属し、そして、そのためにはあらゆる信条をも相対的なものであると考えた 。逆に、ビスマルクの後継者たちは、リアルポリティクスから外れて、自らの主観的な目論見や価値観に対し、ある信条がさも絶対的であるかのようにふるまったのである。ドイツ統一戦争においてビスマルクは、プロイセンの君主政の下での統一を求め、ナショナリスティックな感情を利用した 。
普仏戦争のきっかけは「エムス電報事件」であった。この事件の概要は次のようなものであった。1868年9月、スペインの革命で女王イザベラが亡命した。革命後スペインは、立憲君主制を採用し、プロイセン王族レオポルドに国王就任を要請したが、フランスはホーエンツォレルン家が王位に就くスペインとプロイセンに挟まれることを憂慮し、これに抗議し、レオポルドは辞退することとなった。
このとき、フランスの公使はプロイセン王ヴィルヘルム1世に、プロイセン王族をスペイン王にしないことを文章で請求した。ヴィルヘルム1世はこの要求を既にレオポルトの事態という形で譲歩していたため非礼な申し出であるとし、丁重に断った。ヴィルヘルム1世からその内容を記した電報を受け取ったビスマルクは、この要求を部分的に、故意に省略し、あたかも駐プロイセン公使の非礼に対し、国王が激怒して追い返したかのように編集し、新聞に載せたのである。この結果、プロイセン、フランスの両国の世論は硬化し、互いの国に対する憎悪を巻き起こし、戦争の機運が高まり、戦争となったのである。
ここまで世論を利用することの成功例を示したが、逆にどういった場合に失敗するか若しくは失敗しやすくなるかを述べておかねばならない。それは、第1に、世論に対し弱腰になった場合であろう。イギリスでは、ロイド=ジョージ失脚以降、ボナー・ローを始めとする幾人かの後継者たちはローザンヌ会議などでいかなるコストを払ってでも、世論を宥和の方向に導こうとした 。これは先ほどにも述べた通り、政府がリアルポリティークから視線をそらそうとした結果以外の何物でもないだろう。
反戦派に対して我々はどのように歴史上では取り扱ってきただろう。残念ながら、これについて我々がどのようにすればよいかという理論は見つけられない。しかしながら、歴史的には、多くの場合、それらの人物は人民の熱狂により、無視されて日陰に追いやられるか、若しくはより直接的に弾圧されてきたようである。一番古い歴史では、カッサンドラはトロイアの木馬をイオニアに運び込まないよう訴えたが、無視されたし、桐生悠々は反戦を訴えたがために新聞社を退社せざるを得なかった。
B)相手国の世論
相手国の世論に対しての理論は現在最も注目を集めているといえるだろう。それは、軍事的、政治的、経済的、文化的、様々な分野で相手の世論が対立を避けることを望むようにするアプローチであり、それは即ちスマート・パワーであるとも言えよう。
若しくは、リンドの理論を利用すれば相手国の世論は著しく変化することが望める。リンドによると、「第四世代戦」の1つの要素として、軍だけでなく国家も出し抜いて、相手国の文化を攻撃することができるという。例えば、麻薬を直接的に密輸したり、テレビのニュースメディアを操作して直接心理戦を仕掛けることができる。
例えば、世論において、残虐な写真や、自らが人権などの様々な価値観で劣っていることを示した場合、相手国の世論は沈静化することもありうる。事実、ベトナム戦争におけるソンミ村虐殺事件の結果が報道されたことは1968年の西側諸国にとってトラウマとなった。また、帰還兵のデモがテレビで中継されたことは、如何に自らの行っている戦争が無意味なものかアメリカの人民に認識させることとなった。
相手国の世論に訴えかける手段はラディカリストとリベラリストの時で大きく異なると考えてよい。リベラリストに関してはリベラリストの反戦感情や、時にはアプローチしている側の国に対する好意的な感情を煽り、それに力を与えるといった手段が歴史的に使われてきた。
中国の政治工作条例に記されている「三戦」は最も優れた政治的戦術であるといえる。中国の「三戦」は、世論戦、心理戦、法律戦から成る。このうちの世論戦、及び心理戦が自らと相手国の彼我関係を重視したものだといえる。世論戦とは、自軍の敢闘精神の鼓舞、敵戦闘意欲の減退を目的とする内外世論の醸成をいう。新聞、書籍、ラジオ、テレビ、インターネット、電子メディアなどのメディアと情報資源が総合的に運用されるのである。常用戦法には、敵指導者の判断に影響を与えようとする重点打撃や、味方にとって有利になる情報は広く散布するが、自らに不利な情報は制限する情報管理が存在する。また、心理戦とは、敵の意思の粉砕を目的とするもので、テレビやインターネットを用いて、相手の思考や態度を変化させようとする宣伝、軍事演習、有利な戦略態勢、先進兵器の孤児などによる威嚇、指導者と国民、指揮官と部下の間に猜疑心を生じさせ、自軍が乗じる機会を作る離間などといった戦術が常用される。
リベラリストは様々な形で登場する。ラディカリストとの対立関係や、イデオロギーから発生する。ベトナム戦争では、ベトナム反戦派がアメリカ国内ではデモ行進を行った。日本ではベトナムに平和を連合、通称べ平連がソ連の資金援助を受けながら、ベトナム戦争で脱走したアメリカ兵を保護し、反戦運動の象徴としたのである。戦略や戦術から発生することもある。イラクの自由化作戦の時のイラク国民がそうである。精密爆撃は、目標物以外を爆撃しないという点でも重要である。味方への誤爆を避けるだけでなく、非戦闘員やインフラ施設などを巻き添えにしないで済む。イラク国民は、米軍が巻き添え攻撃を避け難民をほとんど出さないという意思とそれを実現するための技術を持っていることを十分知っていた。普通のイラク人は、安全な自宅に待機していた。精密兵器は連合軍に"高い道徳基準"をもたらしただけでなく、悲惨な難民の誕生を未然に防ぐという効果もあった。往々にして道徳性の高さや人道というものは、それが周知される場合、アプローチをしている側にとって有利になるのだ 。
ラディカリストに対してはリベラリストと対立させること以外に、もし仮に軍事的にこちらが優勢であった場合、弾圧か懐柔が歴史的に使われてきた。スローンの議論を間接的に援用し、そこにメディアを内包して論じることがこの場合有益であろう。スローンは「対反乱ではまず日殺傷手段を使いながら現地の住民の安全を確保することに集中すべきであること。そしてそれと、バランスを取りつつ、常に反乱勢力に肩入れする少数派のグループを明確に区別して直接攻撃すること 」と論じている。一方でジョミニは、「敵国民衆の持つ激烈な敵愾心は、それ自体が侮り難い相手であるからして、政府も将帥もこれを鎮静するためにはその全力を尽くさなければならない。」と述べている 。しかしながら、両方を用いておくことが一番効果的に問題を解決することにつながるであろう。1945年にはアメリカのB29が日本全土で降伏を勧告するビラをばらまいた。同時に継戦意思を屈服すべく、広島、長崎の原子爆弾投下や、大都市における大規模な空襲を行ったのである。これらはとても合理的な作戦であったと言えよう。ラディカリストとリベラリストを対立させるという手法は2014年のロシアのウクライナ東部への軍事介入という形で利用された 。
C)国際世論
国際世論は国内世論、相手国の世論とは異なり、アクターで分析することになる。即ち主権国家とノン・ステート・アクターである 。ここで、主権国家における国際世論とは、ある国家の外交政策に直接・間接的に利害関係がある国家の賛成または反対、あるいは中立であると定義されてきたからである 。
しかしながら、現在、ノン・ステート・アクターは国民、非政府団体などが台頭していることを見逃してはならず、ノン・ステート・アクターが特定の領域において、自らが価値を置く分野にかけては、は相当の影響力を有している場合が存在する。例えば、国際NGOである世界自然保護基金や地球の友は、ブラジルのローカルなNGOと連携し、そこから得られた情報を活かし、アメリカ連邦議会を動かすことに成功した。結果、世界銀行はアメリカ連邦議会の圧力を以てポロノレステ計画への融資を断念させた 。
国際社会を味方につけんとする政治的な方法を考える場合、駐豪人民解放軍の「三戦」における法律戦を参考にするのが良いだろう。法律戦の目的は、自軍の武力行使、作戦行動に対し、合法性を獲得することで、敵の違法性を暴き、第三国の干渉を阻止することを目的としたものである 。更に、法律戦は国際法など、正義を自らに内包することに拠って国際世論の支持を獲得することも目的としている
((20)) 。
ノン・ステート・アクターの国際世論ベクトルは確かに第二次世界大戦後、様々なノン・ステート・アクターの活躍によって、そして脱国家社会と呼ばれるまでに至ったグローバリズムのなかで、年々その注目度を増していることは見逃せない。しかしながら、ノン・ステート・アクターがハード・パワーの面にまでその力を行使できるわけではないし、ハード・パワーの面で考えれば、アクターが主権国家である場合でさえ、国際世論として一定の力を持つ場合と持たない場合があり、それは政治力学で決定されているのである。
2014年のクリミア紛争や1956年のスエズ戦争、をみればそれが十分にわかるはずだ。2014年のクリミア紛争のきっかけは1994年のブタペスト覚書にある。ブタペスト覚書は、イギリス、フランス、ロシア、ウクライナによって結ばれたものであり、その内容は、ウクライナに対し、3国は領土保全を始めとする政治的独立を保障し、安全の供与を行ったうえで、ウクライナは核兵器を廃棄するというものであった。しかし、2014年、ロシアはウクライナの領土であるクリミアを併合し、さらにウクライナ東部にも侵攻したといわれる。勿論、NATOはロシアに抗議したが、NATOに加盟していないウクライナが直接的に守られることはなかった。
一方のスエズ戦争、これは第二次中東戦争とも呼ばれるが、この戦争は国際世論が機能した戦争であった。スエズ戦争は、1956年7月、エジプト大統領ナセルがエジプト革命4周年の式典で、スエズ運河国有化を宣言したことに始まる。これは、当時のエジプトは、第一次中東戦争の反省から、工業化が訴えられ、ダム工事が世界銀行の融資で行われると決まっていたが、アメリカの反対により撤回されたことが原因であった。当時スエズ運河はイギリス領であり、イギリスは、スエズ運河に対し大きな利害関係をもつフランス、そしてイスラエルと共同でスエズ運河を奪回しようとした。イギリス、フランス、イスラエルの軍勢は、エジプト軍を撃破し、ポートサイドなどの重要地点を侵攻、攻略した。国連は、これに対し即時訂正ン要求を行ったが、3カ国はその要求に当初従わなかった。しかし、アメリカの強い反対により、その後3カ国は停戦せざるを得なくなったのだ。これらは、ハード・パワーの側面での政治的な解決が、力学に基づくものであることの証拠であろう。
3.新しいメディアのコンテクスト
我々はより新しいメディアであるSNSについて分析するわけではあるが、それ以前にメディアの社会構造を、そしてその性質を読み解く必要があるだろう。第一に我々が再認識しておかねばならないことは、よくよく混同されがちではあるが、サイバー空間とインターネットはその領域が異なってくるということである。「マルチ・ドメイン・バトル」の草案では、サイバー、インテリジェンス、インターネットは別の分野として認識されている。勿論サイバー及びインターネットはサイバー空間で行われる政治的及び軍事的な闘争であるといえる上に、インターネットそのものは、サイバー攻撃に含まれうるが、インターネットは純軍事的なサイバーとは異なり、世論に対する攻撃要素も含まれていることを忘れてはならないといえるのだ。
原始的なメディア、つまり新聞が誕生した頃、世論というものが体系的に考えられるようになった。勿論、ラジオやテレビが登場したのちも、新聞は有力なマスメディアの一つであり、有力な世論形成手段の一つであった。角田や、柴中佐によって、日中戦争以降の日本が、世論について、当時の世論は官製であったこと、また、統制下には本当の世論が存在せず、自分の意見が跳ね返ってくるだけであり、流されてきた勢いに再び跳ね返り、指導者たちは再び流されていたことが指摘された 。
リップマンは世論が官製であるか否かを問わず、世論というものがステレオタイプに基づいた判断で事実を恣意的に選択すると指摘した 。
マクルーハンは、ラジオとテレビについて、「電光のように強力な反集中力、分散的な力 」であると表現した。つまり、ラジオやテレビの力は、どこの誰であっても、同じ情報、同じ空間、同じ便宜を得ることができると述べているのである。電子メディアの大きな特徴は、同時性にあることも見逃せない。マクルーハンは電子メディアが世界を「一つの村ないし部族に縮小」した、と論じ、あらゆるものが、あらゆる人に、同時に発生すると主張したのである。
さて、ここまで、旧メディアについて論じてきたが、より新しいメディア、ソーシャルネットワーキングサービスの特徴はこれを内包しながらも、新たな一面をも加えたことについて説明しておかねばならない。小寺によると、「mixi」の利用調査を行い、その利用目的が「既存関係の強化」「知識獲得」「新たな出会い」といった項目にあるとした。更に、SNSが自己表現の場として機能している、言うなれば、自己発信機能を自らが有している環境が存在するのだ。また、SNSでは、内閣府や、省庁といった政府機関や、朝日新聞や読売新聞といった各既存メディアの情報収集と情報発信が行われていることも見逃せない。ここにおいて、既存メディアと新しいメディアの特徴の違いがわかる。既存メディアは、能動、受動関係が固定化されており、世論はメディアの報道に大きく影響を受けてきた。
少数の発信者が、不特定多数の行動や態度に影響を与えている状況というものは、戦時下のプロパガンダとそれほど大差はない。また、発信者であるマスメディアが強大になればなるほどに、受信者、つまり国民というものは無力になってしまっていた 。
しかし、新しいメディアは、自ら、という存在に加えて、様々なアクターが場に存在し、それらは影響力に差異が生じれども、ほぼ平等なアクターである。一部では、一介の個人がマスメディアに情報発信する場合さえ存在する。つまり、ソーシャルネットワーキングサービスは、力学が著しく変化したために誰にとっても対称な空間でありながらも、そのアクターは様々に存在し、互いに作用・反作用の関係を、個人の作為を挟みながら築いているためにアナーキーである。また、それらは個人の自由を含みつつも、個人を非個人化させていることも事実であり 、両義性を含むこととなっており、その行動主体を特定できないこと、そして国際社会による規制や合意というものが存在していないこともまたインターネット空間を無秩序にしている 。
個人の作為性が持つ不確実性は大いに考慮すべきである。ポール・サイモンやカーネマンは様々な手段で人間の選択が不合理なものであることを説明した。トヴェルスキーとカーネマンは、ナイトの研究で触れられた不確実性の下では、部分的な知識のみを有していることが考えられねばならないという主張を受け継ぎ、不確実性下における判断を人間が、結果の事前確率の無視や標本サイズの無視を含む代表制ヒューリスティックスなどの数少ないヒューリスティックスとそれによって導かれるバイアスを用いて考察した 。
さらに、カーネマンは、部分的な知識をもっている状態の人間の判断力を、直感を司るシステム1、そしてその直感を確信に変える遅い思考であるシステム2の二つのシステムを有するものだと考え、多くの場合にはそれが効率的であることを説明した。しかしながら、それらヒューリスティックス及びバイアスに影響され、エラーを生じさせることにもなりかねないことを指摘した 。
一方でサイモンは、直感以外にも、進化過程や社会的制度を用いて人間の選択が不合理であることを説明しようとした。サイモンは『意思決定と合理性』のなかで、以下の様に述べている。
ある妥当な程度にまで、人間の理性の力はそれら自体を、とくに同時的な諸関係を処理する能力を発展させており、そしてわれわれの推論の用具に見られるこれらの新しい発展は、人間の思考における質的な変化を示すものだということができる。執筆の器材の発明によって、思考を論文に書き表し、新たな複雑性をもった問題に取り組む能力とまったく同じように、われわれは、自らの行為の結果を予測し、新たな選択肢を立てる能力を発達させてきたし、引き続き発達させている。これらの発達をもってしても、われわれは依然として、世界の複雑さのすべてを取り扱うことができるにはほど遠い状態にある 。
さらに複雑性はサイバー空間におけるメディアと我々の彼我関係が成立する時に一層深刻なものとなる。我々はサイバー空間のメディアが情報を分断して発信する能力にたけているために生じる作為性について考察せねばならない。例えば、フェイスブックでは、友人がシェアしたり、利用者が頻繁に読んでいるニュースサイトから、フェイスブックのアルゴリズムが個別にニュースを選択して表示する仕組みになっている 。つまり結果的に、利用者たちは、自分の意見に反する見解に接する可能性が低下し、自分の立場と共通する内容により多く接することになるのである。従って、自らの閉鎖性の中で有する意見は反響し、増幅するのである((31)) 。故にその思考は複雑な現状に対して単純なものとならざるを得ない。
4.戦略的な可能性
ここまで述べてきたことを再度、構造としてとらえなおしたうえで戦略的な可能性を探っていこう。クラウゼヴィッツの述べた三位一体は双方に存在することを前提として考えるならば、戦略的コミュニケーションは、パッションを司る国民及びその戦争において目的を定立する政府について、費用対効果の観点から、自国は士気旺盛であるが、相手国は厭戦的、反戦的状況になることが望ましい。故に、攻勢的であれ、守勢的であれ、心理的な戦争を行う場合、目的とそこに向かうためのモチヴェーションと力を混乱させることを必要とする。そこにおいて政府と国民双方の混乱や乖離を希求し、政府と国民のつなぎ目であるこれまでのマスメディアと、全てのアクターがアクセス可能な新しい空間が考慮される必要が存在するのだ。
A)政治的攻勢
新しいメディアの戦略は主に3通りに分かれる。それは、政治的に攻勢の場合と、軍事的攻勢の場合、そして守勢の場合である。何故このように分けられるかを述べるならば、それは主にサイバー空間の戦略的な価値は主に先制的な攻勢にあると考えられるからであり、故に、守勢はこれまで殆ど考えられることなかったために新しく考えられねばならない概念となるからである。また、政治的な状態と軍事的な状態はそもそも分けて考えられるからである。第一の説明として、軍事によって主流が占められるのは戦略の階層においてのみであり、政治とはその上位の大戦略の階層に当てはまるからである 。
政治的に攻勢な条件にある場合、それはそのまま平時において隠密な状態でサイバー空間における人間への間接的な攻撃を可能とすることに他ならない。ロシア政府が2016年のアメリカ大統領選挙の最中に行った政治的攻撃がこれに当てはまる。谷脇によると、ソーシャルメディア上の多数のボット の存在が、フェイクニュースの拡大の要素の一つであるとされている 。ロシア政府とつながりのある広告企業IRAがアメリカ大統領選挙中に使用したボットの数は49000にのぼる。また、アメリカ連邦議会下院は、大統領選挙中にIRAがフェイスブックで配信していたコピー3500件が公表されることとなった。ロシアのような世論操作、つまり政治的に攻撃するためのフェイクニュースの発信は三戦などの情報における攻撃を考えている中国などで積極的に取り入れられることが考えられる。
また、これを懸念せねばならないのは「第四の戦争」におけるテロリストによる政治的攻勢である。サイバー的な防衛を考える場合、ロシアのような主権国家が攻撃を仕掛けた場合、それは特定し易く、報復措置などが可能である。しかしながら、本当にどこに潜むか不明なテロリストがサイバー攻撃を行おうとする場合、報復すると脅すこともできないのであり、内密的、そして隠密的なアプローチは相手に対する情報操作や心理的な効果を発揮するうえで重要である 。テロリストが公の状態で政治的攻勢を仕掛けることも存在する。例えば、ISISによる死刑動画の配信がその中の一つに挙げられる。これは自らに手を出さないようにする脅迫の一手法である。
B)軍事的攻勢
軍事的な攻勢におけるSNSやサイバー空間の利用法は政治的攻勢の場合と少し異なる。中国の人民解放軍は軍事的なサイバー空間の利用として「網電一体戦」構想を掲げている。この戦略は、サイバー攻撃は紛争の開始時や初期で利用されるべきだという主張を行っており、敵の電子機器を早々に利用不可能にし、その間に火力を集中するという戦術的な利用と、敵の指揮、統制、通信、コンピュータ、情報、監視、偵察、そして兵站システムなどといった点の統合店に攻撃するという戦略的な一面を内包している 。当然、これらは、総力戦体制になった場合には国民と国家という、戦争の三位一体関係を構築している関係の構築の疎外にも積極的に利用されることになるだろう。軍事的な攻勢としての攻撃はクーデターなどが発生したというデマを流すことに拠って直接大衆を混乱させることもできるのだ。
C)政治的及び軍事的守勢
政治的及び軍事的に守勢である場合を考察せねばならないが、政治的に守勢である場合に如何に攻勢を凌ぐかということについて考察することは軍事的な考察を行うよりより有益であるだろう。これについては様々な手法が編み出されているが、傑出した方法があるとは言い難い。最もスタンダードな手段はファクト・チェックである。日本では、GoHooや朝日新聞デジタルの「ファクト・チェック」、ハフィントンポストの「ファクト・チェック・イニシアチブ」などが存在する。しかしながら、サイバー空間は拡散性が高い環境である。どのようにしてチェックによって正された内容をフェイクニュースの上に上書きすることができるだろうか。残念ながら、大衆が賢明であるとは誰も言えないのである。
次に、政府が情報を一部遮断するという方法が存在する。この手法は途上国でよく利用されている。特に、反政府活動が盛んになりかねない国家でこのようなことが行われているのである。しかしながら、これはジャーナリズムに対する弾圧につながりかねない。「プロパガンダ」を封ずるために「プロパガンダ」を彼らは利用しているのである。勿論、このような動きは欧州でも広がっている。欧州の場合は、ヘイトスピーチやホロコーストを肯定するような「明らかに違法な」投稿のみを規制の対象としているのである 。
アメリカのトランプ政権では「コスト賦課による抑止」戦略が採用されている。この戦略では、国家安全保障、エネルギー、経済、安全、通信、輸送の6つの分野で掲げられ、サイバー攻撃の拠点が発見された場合、その国にペナルティを与え、サイバー攻撃が「高くつく」ことを各国が意識するよう仕向けている。これはオバマ政権の時からとられていたようだが、ロシアはそのような脅しをものともせず、大統領選挙に介入しようとしたのである。
妥当な戦略としては、政治的なものの場合、MADと同様の考え方をすることが良いだろう。いつでも先制攻撃することが可能な状態で牽制を相互に行うことが理想である。しかしながら、これでもなお、隠密で非対称な攻撃を避けることはできない。精々可能なことは、特定技術を向上させることで、報復措置の実現性を上昇させることにあるだろう。
また、国際社会、可能な限り、多くの国々にとってサイバー空間は等しく重視される新たな世界であるから、協力体制を予め構築しておくべきであろう。共通の利益、共通の目的が存在する場合、相対的に敵対勢力にあれどもパートナーになりうると言え、特にテロリストに対する場合は、一層重要になると考えられる。政治的な彼我関係はサイバー空間の場合、非常に公になりにくいと言える。故に、守勢の国は、これをどのように公の世界に訴えていくか、そして、従来のメディアや、対抗措置としての彼我双方に個別のファクト・フェイク問わず都合がよくなるための対抗ニュースを、自作で流すことが有効な手段であり、そのためには、ありとあらゆるメディアを利用することが良いであろう。ソーシャルネットワーキングサービスの影響力は近年強化されてきたが、まだまだ微弱であり、公式非公式を問わない、つまり政府発表や民間のテレビ、ラジオ、新聞を利用し、かつサイバー空間においても一斉に反撃することが最も積極的な防御であり、かつ相手国にフェイクニュースを発信することである。
5.おわりに
本稿では、ソーシャルネットワーキングサービスの戦略的な利用価値と利用方法について、歴史的にメディアが及ぼしてきた有効性、そして、社会構造と、メディアとしての特徴から分析してきた。その中で、在来のメディアは政治的なるものに対し有効な影響を与えてきたといえるが、新たなマスメディアはその構造から既存のマスメディア同様、影響を与えるであろうが、それは根本的なアクセス性やフィールドの秩序の違い、その「アナーキー」という性質から、戦略的に新たな潜在的可能性を秘めていることがわかった。
この見えない空間を戦争の領域と考える基礎は、戦場と非戦場の区別が存在しなくなり、あらゆる社会空間もまた戦場となっていることを認識することである 。勿論、見えない世界を考えるこの分野は未だ安全保障分野としては新たな分野であり、あまりにも攻撃的な手段であるため、防御姿勢については未だ確立された理論が存在しない。
また、この論文の限界として、サイバー空間やマスメディアの利用は本来複合的な手段として利用される必要があるが、それがどのように、そしてそれがどれほど有効であるかについて言及することはできなかった。現在、我々ができることとして、サイバー空間には規範や国際ルールが一切存在せず、またアナーキーであるという現状の中で、より先制的に覇権確率を希望する国が存在する以上、我々は相互破壊的な手段を以て対抗する、若しくはそれによって脅迫し、情報の安全保障が確立されるような手段をとらざるを得ないということなのである。
参考文献
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ナイ,ジョセフ2011『国際紛争—理論と歴史[原書第8版]』田中明彦・村田晃嗣訳 有斐閣 2012
クレイグ,ゴードン.ジョージ,アレキサンダー1995『軍事力と現代外交—歴史と理論で学ぶ平和の条件』木村修三ほか訳 有斐閣1997
スローン,エリノア 2012『現代の軍事戦略入門-陸海空からサイバー、核、宇宙まで』奥山真司・関根大助訳 芙蓉書房出版2015
ジョミニ,アントワーヌ1838『戦争概論』佐藤徳太郎訳 中公文庫 2001
小泉悠2017「ウクライナ危機にみるロシアの介入戦略—ハイブリッド戦略とは何か」『国際問題』No.658
西谷真規子2004「国際世論の概念と能力」『国際協力論集』第11巻第3号
西谷真規子2001「国際世論と国内世論の連環」『国際政治』128号
大矢根聡・山田高敬2014『グローバル社会の国際関係論』有斐閣アルマ
戦略研究グループ2016「幹部学校研究メモ 中国による三戦の定義等およびエア・パワーに関する三戦の事例」『エア・パワー研究』第2号113頁以下折木良一2015『国を守る責任』PHP新書
NHKスペシャル取材班2015『日本人はなぜ戦争へと向かったのか』新潮文庫
リップマン,ウォルター 1922 『世論(上)』掛川トミ子訳 岩波文庫1987
マクルーハン,マーシャル 1960「メディアの文法」マクルーハン,マーシャル.カーペンター,エドマンド 『マクルーハン理論—電子メディアの可能性』大前正臣,後藤和彦訳平凡社ライブラリー 2001
畑中哲雄2017「ジャーナリズムと政府」菊池理夫ほか編『政府の政治理論』晃洋書房所収
Steven Metz 2012 “The Internet, New Media, and the Evolution of Insurgency” Parameters
片桐範之 2017「サイバー空間のグレーゾーン化にどう対応すべきか」航空自衛隊幹部学校航空研究センター『エア・パワー研究』所収
カーネマン,ダニエル.トヴェルスキー,エイモス2011「不確実性下におけるヒューリスティックとバイアス」『ファスト&スロー—あなたの意思はどのように決まるか?(下)』村井章子訳 ハヤカワノンフィクション文庫 2014 所収
カーネマン,ダニエル2011『ファスト&スロー—あなたの意思はどのように決まるか?(上)』村井章子訳 ハヤカワノンフィクション文庫 2014 193—327頁
サイモン,ハーバード1983『意思決定と合理性』佐々木恒夫,吉原正彦訳 ちくま学芸文庫2016
福田直子2018『デジタル・ポピュリズム—操作される世論と民主主義』集英社新書
谷脇康彦 2018『サイバーセキュリティ』岩波新書
ルトワック,エドワード2001『エドワード・ルトワックの戦略論—戦争と平和の論理』武田康弘・塚本勝也訳 毎日新聞出版2014
喬良・王湘穂1999『超限戦—21世紀の『新しい戦争』』坂井臣之助・劉琦訳 共同通信社2001
多田洋介 2014『行動経済学入門』日経文庫
和田重司 2015「フランク・ナイトの不確実性の経済学—イギリス経済学史の比較を念頭において」中央大学経済学会『中央大学経済研究年報』第46号所収
酒井泰弘 2012「フランク・ナイトの経済思想—リスクと不確実性の概念を中心として」滋賀大学経済学会『彦根論叢』No,394所収
総務省 国民のための情報セキュリティサイトhttp://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/security_previous/kiso/k04_bot.htm(2018.11.15確認)




