*** 一番難しいメニューって?
この料理ともいえない例のあれ。
うーん、意外と奥が深い(・ω・;)
モグモグモグ(いらっしゃいませ、お客様)!
モグモッグモグモグモグ(少々お待ち下さいませ)!
ゴクゴクゴク※(給水中)……ぷはぁ、お待たせしましたお客様。大変お見苦しいところをお見せしてしまって申し訳ありません。
いえ、お客様がおられる間はお昼を食べられないものですから、今までおられたお客様がついさっき帰られたので――これはチャンスだな、と。
思っていたところにお客様がご来店下さったものですから、ちょっと焦りました。
へ? “口の横に黄色いのが付いてる”ですか? いやだなぁ、いくら何でもそんな間抜けな……ことしてましたね、はい。
“何食べてたの”ですか。モーニングの余ったゆで卵ですよ。当店のゆで卵は半熟ですから食べてる間にこぼしちゃったようですね。
ちなみにお客様、ここで唐突に店主から出題です。
それでは問題・喫茶店を始めるに当たって一番最初にマスターしなければならないメニューとは一体なんでしょうか?
店主がコーヒー淹れてる間にでも考えてみて下さい――って、もう答え決まっちゃいましたか。せっかちですねー……お客様。
“いや、今の話の流れ的にゆで卵だろ”とは鋭いですね。まさにその通り、ご明察ですよ。
ゆで卵の黄身の堅さの好みって結構モーニングを食べる上で大切だと思いませんか? 少なくとも店主はそう思うんですよ。
だって名古屋だとかのサービス精神旺盛な土地以外でモーニングメニューの内容なんてそうそう大きく変わらないでしょう?
大体のところがトースト、ゆで卵、コーヒーですよね。トーストの厚さだとか、小さいサラダか果物がつく程度の違いはあるでしょうけど。
それでたぶん値段も三百円後半から四百円くらいですよね?
“サービスどころかぼったくりじゃない?”とは……喫茶店泣かせですねお客様。ではこう考えてみて下さい。良いですか?
ゆで卵をわざわざ一つだけ作る労力。
コーヒーをわざわざ一杯分の豆を挽いてまで淹れる労力。
トーストをわざわざ――あ、トーストくらいはすぐに焼けますね。ですのでトースト分の労力は換算しないで結構です。
しいてあげるなら五枚も六枚も一人暮らしの場合食べないから、無駄のないようにできるくらいに感じて下さい。
で、その全てが冷めないうちに新聞なり雑誌なりを読みながら座っているだけで出てくるんですよ。
勿論後片付けもしないでいいので朝慌ただしく仕事に出て、疲れて帰ってきたのにシンクの中に朝の食器が浸かっている……なんてこともないわけですよ。
テーブルの上に広げっぱなしの新聞も雑誌もないし、食べこぼしもゼロ。
―――ね、どうです?
以上の観点から意外と喫茶店でとるモーニングタイムって、精神的なゆとりを保つのに貴重な時間なんですよ。
と、話がそれましたね。話の軌道を戻しますので、このコーヒーを飲みながら聞いて下さい。
しかし確かにお客様の仰るように割高な一面はあります。内容的にもね?
そこで、店主のさっきの持論を思い出して下さい。
“え? 何だっけ?”じゃありませんよ、酷いお客様ですね……。
店主の持論【ゆで卵の黄身の堅さって意外と重要じゃね?】ですよ。
だってちょっと考えてもみて下さい。最盛期よりはだいぶ減ったとはいえ、この日本にいったいどれだけの喫茶店があると思います?
“規模がでかい。時間がかかりそうだから風呂敷は小さくしろ”ですか。
………まぁ、ごもっともですね。ではハンカチサイズにします。
町内でも大抵は二、三軒昔からやってる喫茶店とかあるじゃないですか。そこの常連さん達って大抵の場合、決まった一軒に通い詰めますよね?
あれって何でなのかな~って思ったことありませんか? はい、ない場合は無視しますね。時間がかかりそうだから。
同じ職種で同じようなモーニングメニュー。なのに常連さんはかぶらない不思議。
考えられるのは使っているパンの種類、コーヒーの味、置いてある雑誌の種類や喫煙の可・不可が上げられますが――ここに意外なことにゆで卵の黄身の堅さが加わるんですよ。
というのも、このお店を始めたばかりのころの店主が作るゆで卵は、毎日出来が全然違いました。酷いときは殻が白身ごと剥けるような日もあって。今考えればとんでもない店ですよね……。
だってこのメニューでゆで卵が駄目だったら何にお金払ってるんだって感じですよ。栄養価的にも色味的にもね?
それにたかがゆで卵、されどゆで卵ってなものでして、結構出来を毎日同じようにするのが難しいんです。開店する前にもっと練習しとけば良かったと今なら思います。
ゆで卵くらい簡単簡単、とか思っているなら大間違い。毎回綺麗に殻が剥けるようになるまではかなり険しい道のりがあります。
百円均一の玉子穴開け器なんて役に立ちません。あれをあてにして酷い目にあいましたよ……。今は室温に戻した卵のお尻を机で叩いて小さなヒビをいれてます。
――おっと、ゆで卵の黄身の堅さの話でしたね。
当時はゆで卵の黄身の堅さがまちまちだったので二種類のお客様がいらしていました。それが【固ゆで派】と【半熟派】ですね。
しかしいつの間にかゆで卵のコツを掴んだ店主は、自分の好みの堅さにゆで卵の黄身をキープ出来るようになったんです。ちなみに店主は半熟派。
ところがある日、それまで何の文句も言わずに食べていてくれたお客様の数人からこんな声が上がりました。
「何で最近この真ん中が生っぽいゆで卵ばっかりなの? 前みたいに固ゆでにしてよ!」と。
しかしその頃には半熟派のお客様が大半を占めていた当店。しかもゆで卵を二種類作るほどうちはモーニングが出ません。それにいつそのお客様がいらっしゃるかも分かりませんし。
結局、 その後も数回いらして下さっていたそのお客様に半熟をお出しすることになり――その後ぱったりいらっしゃらなくなりました。
かくも悲しきゆで卵戦争の幕引き……って何です、その呆れきった表情。
お帰りですね、分かっておりますよ。ポイントカードをおぉ? 今日で一杯になりましたので次回ご利用頂けますね。毎度ありがとうございます。
それではお客様、またのご来店をお待ちしております。
固ゆではハードボイルド。格好良い。
じゃあ、半熟は何て言うんでしょう?
誰か教えてくれないものだろうか……。




