9、冬ごもりに警官がご馳走を奪いに来るイベントってナニ。
家族や恋人と家に2日間こもって新年を迎える「冬ごもり」。
誰も相手がいないままそれをするのが誰が言い出したか「一人ごもり」。
そして、家で「一人ごもり」のご馳走を作るむなしさよ。
まあ自分が食べるためだけに作るよりはマシだけど。
そう言えば去年もそうだった。
夏樹が帰ってくるかもしれないからちゃんと作ったけど、結局帰って来なかったんだよね。
……思い出したけど、意外と腹は立たないな。
なんか若気の至りって感じ。
今回はちゃんと食べる奴がいるし、二人分作る方が材料使いきれていいわ。
よし、シチューもいいカンジ。
あとはこれを容器に入れて。
ああ、鍋預かっとけばよかったナ。って、こんな日に誰だろ。
玄関のドアが叩かれて、来客時はいつもそうするように奥の部屋のドアを閉めてから玄関を開けると、そこには後で尋ねる予定だった背の高い、目つきのきつい男。
当然持って行くもんだと思ってたのに、取りに来たのか。
「奈々ントコ寄ってきた」
そう言って渡される、この町唯一のパン屋「クサカベーカリー」の大きな袋。
意外と気が利くじゃん!
ワシザキんトコ行った帰りに寄って帰るつもりだったんだよね。
ワタシのお気に入りの煮リンゴが入った白パンと、冬ごもり用にいつもより日持ちするタイプのハード系ブレッド。
この量は2人分か。カットして分けっこって事ね、はいはい。
意外と堅実だな。元カノの影響か、それとも奈々からのアドバイスか。
「奈々ンとこも今日までお店開けるなんてすごいよネー。忙しそうだった?」
冬ごもりの日に仕事する奴なんていない。
犯罪を起こすやつもいないから警官だって完全休業だと言うのに。ちょっとしたトラブルはあっても主に家族間や恋人という関係で、警官も休みと分かってるからみんな自己責任で切り抜ける。
当然店舗なんかも全部しまっちゃうから、みんなそれまでに買い出しを完璧にこなすというのが通例。
それなのにあの『しっぽのないお客さん』の一家は毎年お昼まではお店を開けていると聞いた時は愕然としたもんだ。
「すげえ混んでたけど『競合店がいないから儲かり時だ』って張り切ってたぞ」
「冬ごもり」限定パンとかいつもより単価上げて作るって言ってたもんな。
やっぱ違う世界から身一つで送られてきたヒトは商魂たくましくなっても仕方ないヨネ。
って。
「なんで足、拭いてんの……」
玄関の壁に手をついて足を拭いているワシザキに、戦慄が走る。
ワシザキの足はオジロワシの太くて爪のある足で、裸足派。
裸足派はよそのお宅を訪問する時はぞうきんを持参するのがマナーではあるけども。
まさか、コイツ部屋に上がる気か!
「ちょ、たんま! すぐ料理分けるからちょっとだけ待って!!」
「じゃあ鍋ごと寄越せ」
……なん、だと?
「アンタ……まさか全部持って行く気? 半分はワタシの分なんだケド」
普段から険しい顔なのに、ますます凄みを増した顔で見降ろされる。
ええぇ!? 本気!?
本気で全部奪っていく気? それで取りに来たの!? ちょ、コイツ警官なのにひどくね!?
「お前も来るんだよ。酒、飲むだろ?」
片手に下げてる細い紙袋、やっぱり酒か。
ワシザキの「一人ごもり」用アイテムかと思ってた。
「……アンタ、懲りないワネ。この間もう飲むなって言ってたじゃん」
でも飲む権利が無い者にとってそのお誘いは果てしなく甘美で。
「外では、って言っただろうが。なんか、物少なくね?」」
ワシザキは無遠慮に室内を見回して、怪訝そうに自分の事を棚に上げた発言をした後━━
「それなのにサンドバッグ設置って」
そう、首を傾げるように言った。
━━は?
「なんで、アンタそれ知って……」
ワタシの声は情けないかな震えていたとも。
それは奥の部屋に設置してあって、こちらからは見えない筈なのに。
「警官なめんなよ。夜勤のやつらが『不審な音がする』って相談受けてこの辺りパトロールしてんだよ。ちょうどお前が帰って来た頃」
気が遠くなる気がした。
夜のパトロールって……夜の狩人、無音の王者フクロウのおじさんか。
そりゃ気付かないわ。
せっかく人里から少し離れた、上も左右も空き室の古いアパートメントにしたのに。
「え、でも何も言われてナイんだケド」
「ストレスたまってんだろうからそっとしとこう、という周辺の住民のみなさんのお気遣いで様子見状態」
え、ソレってみんな知ってるノ!?
温かく見守られてるってコト!?
街にいた頃に使ってたサンドバッグはこっちで新しいのを買うのと変わらないくらい輸送費がかかるし、知り合いが欲しいって言ってくれたから元カレの家に置いてきた。
「いっそ厳重注意とかで済ませてくれた方が良かった……ッ!」
「まぁひどくなるようならそうしたんだけど、最近は減ってんだろ? 昨日の年末報告会でもそう報告上がってたし」
……引っ越したい。
この町は大好きだけど、もうここにはいられない気がする!
ここで再就職する気だったのに。
「そもそも見せたくないならカーテンちゃんとひいとけよ。陽当たりがいいって事は俺らからしたら丸見えなんだよ」
こっちに帰ってきたのは6月。
あの頃まだちょっと肌寒い日もあって、そういう日はカーテン、フルオープンだったな。
夏はガッチリ閉めてたけど、最近もフルオープンだよ。
だって、昼間は開けとくと滅茶苦茶あったかいんだもん。
暖房いらずなくらいで、塀があるから大丈夫だと思ってたんだよ。
そうだよ、空が良く見えるって事はコイツからも見えて、しかもコイツおそろしく視力良かったハズ。
……確かに二人分×二日の液状物がなみなみ入った鍋を持って移動するのは大変だしな。
ここまで完全にバレてんだ、諦めよう。
「上がりなヨ」
「おう。やっぱ持って来て正解だったな。俺来る想定じゃなかった割に綺麗にしてるじゃねぇか」
「……そりゃドーモ」
街じゃずっと主婦みたいな生活してきたモンで。
あの部屋にあったのを持ち込むのも気分が乗らずほとんど持って来なかったし。
「━━おい。これ夏樹のか」
いつも以上に険のある声でローテーブルに目を落としているワシザキ。
あぁ、煮込み料理しながら書いてたから出しっぱなしだった。しまったな。だって誰か来るなんて想定して無かったし。
「そーだよ。どうせ書き方分かんないだろうから手数料くれるなら今年だけ書いてやるって言ったの」
「冬ごもり」明けに役所に提出する納税用の書類は、いつもワタシが書いていた。
来年からは自分で出来るように、どこの数字を見て、どう計算するか、数字は何を基にして記載するか、全部分かるようにテキスト化して返送する予定。
「どう? 分かりにくいトコとかある?」
「いや、スゲェな」
そう言いつつ書類を伏せる。
さすが警察官。
個人情報、というか収入関係がメインの書類だからな。そういう遠慮が出来る男だったか。
「前の会社でそういう仕事もしてたからネ。手数料と指導料で2万」
ワシザキはそれを聞いて吹き出した。
うん、ぼったくってやったからね。
それにしても、そんな大笑いしたりするんだ。
「オマエ、ホントすげぇな」
「夏樹、生活能力ゼロだから。金銭感覚がイマイチおかしくて、高いとか思わないッテ」
街での生活能力がゼロなだけで、僻地で研究調査とかサバイバル能力には長けてたから心配して無いけど。
「今年だけで済むか?」
「次回から分からない時は職場の事務所に聞けって書いて送るわヨ。ホントは今年だってそれで済むハナシなんだけどサ」
ちょっとした意趣返し、的な?
いつもワタシがやってたんだぞ、って知らしめたいというか。
「新しい男の前で書く気なのかと思った」
「まっさかー、そんな事しないッテ。そんな女いないでショ」
しばらく恋愛モードになれる気はしないけど、前の男を匂わすような事はしないッテ。
ケラケラ笑っていたら。
「へぇ」
対犯罪者モードかよ、みたいな探りを入れるような、含みのある声に違和感を感じてそっと振り返れば心なしかいつもより深い皺を眉間に入れて真っ直ぐこちらを見ている金色の目の中の小さめの黒い瞳孔。
……うん、見なかった事にしよう。
パン切って、って!
お皿ほとんど自分の分しかないじゃん!
セットで買うのが嫌で、自分のしか買わなかったんだよね。
この間、天然お子ちゃま娘な奈々が「恋人と過ごす初めての冬ごもりの仕方」の相談に来るんでマグカップと平皿だけは買い足したけど。
うわ、これ絶対足りな……
「無視すんなや」
ガラわっる!
室内に凶悪犯みたいな顔のチンピラがいるからお巡りさん呼びたいんだけど、そのチンピラが警官だった場合、どこに相談すればいいノヨ。
ソイツの上司のポメラニアン署長くらいしか思い付かない。
ワシザキは、テキストの表紙に「次から自分で何とかしろ」と男らしい筆跡で一筆書いた。
頑張って丁寧にまとめたのに勝手になんて事を。
でもまぁ、妙な説得力はあるか。
「ね、まさかとは思うけど、ここで冬ごもりする気、とか……?」
「責任取れっていっただろうが」
いや、分かんないって、ソレ。
あれか。
警察官の経験を駆使した巧妙な言い回し的なやつか?
なんでもかんでも超ど直球タイプかと思ってたワ。
「メシ作れって、冬ごもりの常套句だろうが」
「ソウダッケ?」
「ばーか」
ホントばか。そう繰り返されて━━
持っていたレードルを押しつける。
チェストの上のグローブをはめて無言でサンドバッグを殴った。
ごく軽いジャブから、渾身のアッパー、右フック。
おかしそうに喉を鳴らしたいけすかない男は、チチチッと舌を鳴らした。
「それヤメテ!」
右ストレートを入れると同時に叫んだ。
ほんと、嫌な男。
でも、低く笑いながらちゃんと鍋を混ぜに行ったのは意外だった。
「あ、うまい」
「直接口つけんなや!」
レードルで勝手にシチューの味見をする男に思わず吠える。
「さすが頑張って食わしてきただけあるな。あいつ偏食すごかっただろ」
そう、夏樹はコイツが覚えてるくらいに結構な偏食家だった。
成人してさすがに多少はまともになったけど、小学校くらいまでは給食で苦労してた。というか屁理屈を言って食べない夏樹に先生方が苦労してたんだよネ。夏樹はヒトの血が強いからか賢かったから。
「頑張ってなんかないワヨ。割と普通に楽しかったノヨ。そりゃ一緒に住んでんだから色々あったけど」
そう。
ちゃんと恋愛から始まって、何だかんだありながらもずっと一緒に暮らせてたんだ。
時間を無駄にしたとか、人生の汚点だ、とか。
そんな風に思われてるんじゃないかって、勝手に周りの目を気にして卑屈になってた。
「じゃあ良かったじゃねぇか」
立てた両膝を抱えて床の上の空間を見詰めてぼんやりそんな事を考えていたら、何の抑揚もない声でそれは発せられた。
ワイングラスなんて無くて、ガラスのコップに入れたワインを傾けながら「お前の4年は無駄じゃない」的な事をあっさりと言った男。
ああ━━もう。
ホントに嫌な男。