2、ぶん殴ってやった。一部反省はするけど後悔はない。
堪忍袋の緒が切れるとはこの事か、とばかりにぶち切れて4年同棲した相手を往来の真ん中で暴行してしまった。
相手に対しての懺悔とか後悔はない。
そりゃもう一切無い。
ただ、時と場所は選ぶべきだったという反省がある。
あーぁ。
田舎でこんな事やらかして、この町じゃもうワタシ貰い手ないだろうナー
そりゃまぁ、しばらく恋愛はいいやと思ってたけど。
都会に就職して同郷で黒獅子頭の夏樹と再会後すぐ同棲して、4年も一緒に暮らした結果、大切な人と過ごす「冬ごもり」も、恋の季節「春」も一切の連絡も寄越さず放置された。
春なんて発情期のおピンクシーズンで、みんなちょっとそわそわ、街はナンパ祭り&気移りカーニバルだというのに。
そこまでか。
そこまで放置するか。
さすがにこれはもうダメだと。
勤めていた会社がブラック気味だったから、「やめてやる!」と勢いに拍車がかかって失踪みたいに同棲していたアパートを出て郷里に戻った。
相方は仕事で長期不在だったとはいえワタシが田舎に帰った事に4か月も気付かず、連絡もなく。
それなのにふらっと現れたかともうと大衆の面前でプロポーズなんてしでかした相手。
そいつをその場で拒絶して。
こんな田舎じゃそんな話題まさに「美味しいネタ」でしかない。
この先いったいどうすりゃいいのよ。
実家に帰るのも風が悪くて一人暮らししてたのに、これじゃますます親不孝をしてしまったな、と自己嫌悪についため息が出た所でキャンキャン言う声に顔を上げる。
みっともな。
ずっと下向いて歩いてたか。
「署長さん、今日は騒がせてごめんネ」
この町の警察署長であるポメラニアンのおじさんの前にしゃがみ込む。
今日は署長さんに緊急出動させてしまった。
もとはと言えば、相方の弟である黒獅子の幼馴染が可愛い想い人にちょっかい出されたと思って本気の咆哮しちゃったことに始まるんけど。
「いいって事よ。久々に事件らしい事件に立ち会えたってもんだ。たまにこういう騒ぎが無いと俺らも勘が鈍っちまうからな」
ニヤリと歯茎まで見せて笑うニヒルな様子は相変わらずだけどさ。
これが事件って、どれだけ平和なんだろうね、この町は。
「見事なダッシュだったヨ。でもそろそろ無理しない方がいいんじゃないノ?」
年でしょ、とからかったらポメラニアン署長はこれまたニヒルな笑みを浮かべる。
「いつでも動けるよう、たまには体動かしとかねぇとな」
たまには、と言うけど華麗なダッシュだったヨ。
思い出してつられて笑って、ふと思い出す。
「ね、ワタシむこうでジム行ってたんだけど、経験者が素人殴るのってマズかった、よ、ネ?」
都会の方で勤めていた時、通っていたジムで結構な頻度でボクササイズをやっていた。
まぁ同棲相手も留守がちだったもんで。
そんなワタシが本気の暴行。
マズい気がする。
こんな事のためにやってたワケじゃないのになぁ。
「女を怒らせた男が殴られるなんざよくある話だろ、問題ないさ。夏樹だって本気で訴えるほど下種じゃないだろうし」
……ウン。
署長、やっぱカッコいいわ。
ちょっと泣きそうになったじゃんか。
確かにそんなヤツだったらあんなに同棲を続けたりしないもんね。
「まあ、もし揉めるような事になってもいざとなりゃアイツが説教してくれるだろうよ。あいつアレでフェミニストだから」
ククッと笑ってポメラニアン署長は空を見上げる。
ワタシは耳と手がネコで後はほぼヒトの身体だからヒト寄りに見えるけど能力的にはネコが強いようで、そして署長はまんまポメラニアンで、お互い耳がいい。
さっきから上にいるなとは思ってた。
バサリという大型とすぐ分かる羽音と、その羽がおこす風に顔を上げればキッツイ顔立ちの警官が着地したところだった。
遠目には黒っぽいマントにすっぽり入ったように見えるけど、茶色から黒へのグラデーションのある黒い大きな翼。
鋭い上にあんまり瞬きしない目を持つ同級生のワシザキ。
田舎に帰って、このえげつない目つきの同級生が警察官になったと知った時はちょっと笑った。
いや、アンタの方がよっぽど凶悪犯顔してると思うんだけど。
きっちり固めたオールバックに、常時睨むようなキッツイ目元の2メートル近い身長のこの男が警察官とか、みんな怯えるんじゃナイ?
ああ、でも純粋なヒトである『しっぽのないお客さん』の奈々はえらくなついてるんだよね。
「お前、拳大丈夫か?」
ライオンの頬骨を殴って無傷で済まされるはずが無いだろという態度。
……うん、言われると思い出すのよ。
確かにズキズキ痛かったりするんだけど。
「ヘイキ」
痛み分けとか、喧嘩両成敗で、自己責任とか自業自得ってやつなのでそこは甘んじて受ける気でいるのに。
「嘘つけ。あんなやり方したら絶対痛めてるだろ。テーピングしてやるから来いよ」
ほぼヒトの顔立ちのこの男は、細めの顎をしゃくって警察署を示した。
傷をえぐって来るなぁ。
さすが猛禽類。
「大丈夫だってバ」
「ニーニャ、ちゃんと冷やしたかい? 明日になって腫れてたら仕事キツいぞ。奈々ちゃんも心配するだろうし」
……おバカなあの子の事だから大騒ぎするだろうな。
さすが署長なだけある。
説得のプロにかなうワケがなかった。
ワタシの手はネコの手で、毛に覆われてるから一見赤みや腫れは分かりにくいだろうしいいかなと思ってたのに。
「お前、コレちょっと毛短くするぞ」
医務室の椅子に座らされるなり眉間をひそめたワシザキに呆れたように言われる。
……そんなにひどいのか。
「あんまり大ごとにしたくないんだケド」
職場の隣にあるパン屋の娘が大騒ぎしそうだし。
「女が拳でライオン殴るか? フツー」
「平手じゃ効かないの分かってんだから仕方ないじゃナイ」
これまでにも一度だけひっぱたいた事はある。
その時に大きな骨格がいかに丈夫か学んだけど、あの時に別れとくべきだったって事か。
今更だけど。
「言っとくけどコレ、オマエの方がダメージでかいぞ」
キッツイ顔立ちの男にさっきからおかしそうに言われ、ムカつく。
きっとそれは夏樹とワタシの肉体的ダメージの事を言ってるんだろうけど。
違う事を揶揄された気がして。
ワシザキは骨と太い筋が浮いたヒトに近い大きな猛禽類の手で器用に処置していく。
リクエストに応じてくれたのか最小限の範囲で毛を短くしたのは冷やしやすくするためだったらしい。
薄い保冷材を包帯で固定された。
救護室的な部署の担当者か、婦警さんとかがしてくれるのかと思ったんだけど。
「しばらく冷やしとけよ。ちゃんと真面目に冷やせば明日は何もしなくて大丈夫だろ」
「ドウモ」
奈々にも夏樹にも見られたくないからそれは助かるワ。
「お前、飲酒資格持ってるか?」
「2級だけど更新してない」
成人のお祝いでパーティーを開催してもらえるけど、その時にアルコールに対する耐性チェックが行われる。
飲んだ様子により飲酒のライセンスが付与されるけど━━細かい規制が多いわ、一緒に飲みに行く相手は見つけにくいわ、自己負担の更新料はバカ高いわで、更新しない派が多いし、ワタシも切れたまんまにしてる。
「お前強そうだもんな。俺1級持ってるからこれから飲み行くか」
鳥男は救護室を片付けながらおかしそうに喉で笑って、そんな事を言い出した。
「吐かない・絡まない・暴れない・自力で帰る」を大前提とした飲酒ライセンスは級が上がるほど酒に強くて、3級以下は上級者の同行が義務付けられていて2級は一人でも飲みに行ける。
1級は2級取得者が講習と追加チェックを受けたら取得可能だけど、酒場でしか飲めない2級以下とちがって「家で飲める」くらいしかいい事が一つもないんで誰も取ろうとしない超レアな存在。
更新切れでも1級の資格者と一緒なら飲めるから接待要員とかにされる事が多いし、更新切れを飲ませたら1級資格者がその全責任を負うと決まってるから、当然それをしたがる1級資格者はいない。
何のありがたみもない1級よりも、むしろ2級が一番いいというのが世間の本音。
だから。
馬鹿じゃないノ。
何を面白がってるのか知らないけど、そんなに馬鹿な女を酒の肴にしたいのかよ。
「行くわけないでショ」
元カレ殴って、痛々しい右手晒して他の男と飲みに行くなんて、いい笑いものじゃないの。
ワシザキはまた喉で笑っただけだった。
冗談だったの。
イヤな男。
ニーニャさん往来で黒獅子暴行騒動の詳細は「もふっとね!しっぽのないお客さんの恋愛事情」の17話に記載しておりますが……
簡単に申し上げますと「みぞおちへの飛び膝蹴り&右フック」です。