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騎士団は恋が好き  作者: 葵翠
【疑惑】ユスカ
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疑惑の騎士

ようやく新騎士の話となります。

楽しんでいただけると嬉しいです。

 どうしてこうも人は平等ではないのだろうか。

 容姿、能力、性格、環境。

 良いものばかりを手にしている人もいれば、悪いものばかりの人もいる。

 人はいつだって不平等で、不条理で、その中でもがいている――


 ……いや、決して自分自身の境遇が悪劣なわけではない。

 頭脳も運動神経も体格も平均よりは遥かに上で、見た目だってそこそこ良いほうだと自覚している。更に言うなら騎士団に入って四年で叙任できたのだから、エリート中のエリートとまではいかなくとも今年叙任したての騎士の中ではそれなりに優秀であることは間違いようもない。


 だというのに、己を嘆いている理由は今目の前に立つ可愛らしい女の子にある。


「あの……わたしっ」


 両手を胸の前で組んで、うるうるとした瞳で見上げてくる様は一人の男として込み上げてくるものがあるだろう。

 顔を赤らめ言葉を詰まらせて、そうして異性に告げる内容なんて胸をときめかせるようなものの筈だ。

 俺も最初は胸を高鳴らせて言葉を待ったものだ。


 だが――繰り返されるほどに、遠い目をして乾いた笑いしか出てこなくなった。

 期待などは既にしていない。何故ならこれは、


「応援しています!トゥーレ騎士のことは残念だったけど、いつか、絶対素敵な男性と分かり合えます!だから諦めないで頑張ってください!」


 だよな。

 もじもじとしていた女の子が意を決して放った言葉に、俺はやはり乾いた笑いが起こる。

 叙任直前の数ヶ月間、俺の教育担当を担ってくれていた今王都で一番人気を誇る騎士トゥーレさん。そのトゥーレさんが結婚して半年、俺はどういうわけかトゥーレさんに横恋慕し、そして女性に負けた敗北者として扱われていた。――一部女性に。

 そしてそんな女性達からこういった声かけがされるようになったのだ。


「あー、うん、ありがとう」


 否定しないのかって?

 俺も最初はしたさ。自分が好きなのは異性であって同性は対象外だと。トゥーレさんのことは勘違いだと。

 だがその度に不憫そうな目を向けられて「分かってます!」とか「隠さなくても大丈夫ですから!」とか言われて彼女達の心が更に炎上してしまうのだから、どうしようもない。

 目も心も諦めモードで適当に頷くのが一番、損害が少ないのだ。


「本当に、応援してますから!」


 俺の心境を知らず、女の子はそういうと恥ずかしそうに走り去っていった。

 これがまた悔しいことに、こうやって声をかけてくる女の子は軒並み可愛い。顔もだが服装もセンスが良くて、これでどうして腐った妄想をするのかと嘆かずにはいられない。

 その中の一人でも俺の事が好きだといってくれるなら、ここまで心が疲弊することはないだろうに。


 こっそりとため息をついて踵を返したその時、


「女性に声をかけられてため息というのは感心できませんよ?」


 他の誰にも聞こえないような小さな声で窘められた。


「……トゥーレさん」


 そこには元教育担当であり、この一件の元凶であるトゥーレさんがいた。

 容姿端麗、文武両道、人望厚く、性格は極めて紳士――の皮を被った腹黒騎士。


「確かに新人騎士にとって女性からの声かけは洗礼のようなものですが、そのような態度を表に出してはいけませんよ」


 なんて涼しげな笑みで言われて思わず恨みがましい目を向ける。


「愛の告白ならいくらでも喜んで受けますよ」


 確かに叙任したての騎士は最上の夫を求めた肉食女子の恰好の的である。あの手この手で気を引く為にと声かけが多いのは有名な話なわけだが、俺のは全く内容が違うのだ。

 あまりにも異様な女の子達からの声かけに、通常の肉食女子は俺から手を引いているのではとすら思う。


「好意は好意です。有り難く受け入れるべきですよ」


 いけしゃあしゃあというトゥーレさんにやや怒りが湧いてくる。


「誰のせいでこんなことになってると思ってるんですか」


 そう、全ての元凶はトゥーレさんなのだ。

 愛する人を手に入れんと張った罠――トゥーレさんを主役にした騎士の同性愛を綴った本――が世間を賑わせ、その甲斐あってトゥーレさんは意中の女性との結婚を果たした。結婚をすれば瞬く間に同性愛の噂は鳴りを潜めた訳だが、これには裏があった。

 本が広まった時期に俺はトゥーレさんから教育を受けており、よく一緒にいたことが原因なのか、その手の話が好きな女の子達が俺とトゥーレさんの恋仲説を燃やしまくり、その果てに俺が振られたことになったのである。


 そう、鳴りを潜めたのはトゥーレさんの同性愛疑惑であり、俺の同性愛疑惑だけが残ってしまったのだ。

 なんというとばっちりだ。やりきれない。


「きっかけは私ですね」


 苦笑しているトゥーレさんは自覚はしているらしい。


「まさかこのような被害が現れるとは思ってもみませんでした。すみません」


「……いえ」


 腹黒ではあるがトゥーレさんは列記とした騎士であり根は紳士であるのだ。一応。

 真正面から謝られれば、悪意があってのことではないのは重々承知している事もあり、責める事も憚られる。

 とはいえ憂鬱である。ため息が出てしまうのも仕方がないというものだ。……まぁ、人前でするのはよくなかったから、そこは気をつけるとしても。


「それでトゥーレさんが一人でここにいるということは、何かあったという事ですか?」


 基本、広報部の騎士は二人一組での行動となる。俺は帰宅途中であるから一人としても、トゥーレさんはまだ勤務中の時間帯であり騎士服の着用もしている。


「ええ。突然の呼び出しがありましてね」


 突然の呼び出し。その言葉に気を引き締める。


「ユスカと私、二人で本部にくるようにと騎士長からのお達しです」


 一体なんの用だろうか。最近は忙しくもなく平穏な日々だったと思うが、なんらかの情報がもたらされたのだろうか。


「了解しました。このまま向かいましょう」


「ではいきましょうか」


 返事をする俺の肩を叩くと、トゥーレさんは颯爽と踵を返した。

 その動作がまたも一部女の子を炎上させているわけだが――もう考えないでおこう。

 輝く視線や憐憫の眼差しにため息を飲み込むと、俺はトゥーレさんの後を追った。


 + + +


 それから数日後、俺はとある一軒家へと向かっていた。

 このあたりは中層の中でも比較的ゆったりとした雰囲気の区画で、叙任して初めての特殊任務をこなしに来たのだ。


 ――魔女との接触役を命ずる。

 数日前、騎士長に呼ばれて行くとそう言い渡されたのだ。


 今からひと月ほど前、死病を患う子供の元に突如として女が現れた。

 その女は余命いくばくかという医師すらも投げ出す死病の子供に問答無用で手にしていた薬を飲ませたという。

 その時既に子供の意識は朦朧としており、子供の親は大いに戸惑ったようだが、そんな戸惑いなどさも知らないかのように女は朝晩欠かさずやってきては子供に同じものを服用させた。

 そうして四日。子供の意識は戻り、更に二日後には起き上がり、今では元気に走り回るようになったという。


 最先端の医療を学ぶ医師ですらお手上げだった病をたったの数日で治してしまうというのは、魔女以外には考えられない。

 その話を聞いて騎士団は調査騎士を派遣――結果その女は魔女であると断定された。


 魔女、というのは馴染みのない不思議な存在として見習い時代に習ったひとつである。

 自然と語らい、その恩恵を一身に受けて不思議な力を使いこなす稀有な存在。

 血筋に眠る力を発現させた女性の事で、遠い昔から連なるいくつかの家系で先祖返り的にごく稀に生まれるが、その数は国内広しといえど十人いるかどうかといったところだという。

 そんな魔女の力は、力を持たない者にとっては脅威にしかならない。その力の使い方次第で多くの人が生き永らえ、または死に絶えるのだから無理もないだろう。


 そんな魔女は騎士団としても放置はできない。

 騎士団では直接魔女と接触する騎士と、外部から内密に周囲警戒にあたる騎士との二人一組で魔女への対応を行う。

 ――危険思考の魔女であれば監視を、そうでなければ魔女を利用せんとする者からの守護を。

 そのうち外部警戒役にトゥーレさんが、接触役に俺が任されたのである。


 それらの事を頭の中で反芻し、俺は辿り着いた一軒家で足を止めた。

 ここに、件の魔女が住んでいる。


 ロヴィーサ・アークラ。

 年齢不詳、出身地不明なのは調査騎士があくまで魔女か否かを優先させたからである。

 容姿、住居、職業は聞き及んでいるものの、それ以外の情報はこれから自分達でなんとかしろという事だ。


 とりあえず訪問までの間に魔女に関する文献は読み漁り確認済みだ。

 あとは失礼のないよう、細心の注意を払って対応するのみである。


「よしっ」


 気合いを入れて玄関の戸を叩く。

 だが返答がない。留守にしているということももちろん考えられるが、どうなのか。


「すみません、アークラさんはいらっしゃいますか?」


 何度か戸口で声をかけていると――不意に戸が開けられた。

 誰何を訪ねることもなく徐ろに、である。

 その無用心さに驚いていると中から一人の女性が顔を出した。


「誰だ?」


 そこにある金の瞳に俺は目を見開いた。

 光り輝く力強いその瞳は濃紺の髪と相俟って夜空に浮かぶ星の様な煌めきを放っていた。

 その神秘的な瞳に心奪われしばし言葉を失う。


「いったい私に何の用だ?」


 と、訝しむように腕を組むその人に俺は我に帰った。


「失礼しました。こちらはロヴィーサ・アークラさんのお宅でいらっしゃいますか?」


「ああ、間違いない。ヴィーは私だ。――そういえば騎士が来ると連絡をもらっていたか。お前がそうなんだな」


 女性とは思えない言葉遣いに違和感を感じながらも肯定すると、アークラさんは玄関戸を大きく開け放った。


「確か内容は挨拶だったか。大したもてなしはできないが入るといい」


「ありがとうございます」


 騎士との対面にどんな感情を抱かれるか緊張していたが、取り敢えずは屋内に招かれたことに安心を覚えたものの――中に通された俺はすぐに異変に気付いた。

 異変、というか異臭だ。どこかからか悪臭がしている。


「そこへ座っておいてくれ。今茶を淹れる」


「どうぞお構いなく」


 悪臭が気になりつつも片手で制するが、アークラさんは「気にするな」とすぐさま台所へと姿を消した。

 家の主がいないのをいいことにざっと部屋の中を見回す。ソファにテーブル、チェストはごく一般的なものだろう。ぱっと見たところ異常はないが、やはり臭いが気になる。何処からしているのか、と思考を巡らせていると台所から盛大な物音が響いた。


「どうかしましたか?」


 まるで積み重なったもの全てがひっくり返ったかのような物音に、声をかけないわけにはいかない。


「大丈夫だ。気にすることはない」


 少しむっとしたような声がすぐに返ってきて、気になりつつも待つことしばし。

 程なくしてアークラさんがティーセットを手にやって来た。


「すみません、ありがとうございます」


 あまり追求されたくなさそうな雰囲気を感じて今一度大丈夫なのかと尋ねることを控え、出された紅茶を口に含む。


「――っ」


 不味い。なんだこの劇的な不味さは。渋い、苦いを通り越したその先にはこんな味が広がるものなのか。

 思わず吹き出しそうになるそれを飲み込むが、流石に険しい表情になってしまった。


「やはり不味いか」


 俺の顔を見てアークラさんは自らも口に含み顔を顰め「何がいけないんだ」と呟いて首を傾げた。

 と、その時頭頂部から細かい何かが床へと落ちた。


「?」


 なんだ、と視線を落とすとそれは茶葉のように見えた。

 この恐ろしく不味い紅茶を淹れる時に髪にでもついたのかと思うが、毛先ならともかく頭頂部というのは不可解だ。

 もう一度濃紺の髪に視線をやると、まだ茶葉が付いているを見つけてしまった。


「失礼します」


 立ち上がって向かいに腰を下ろしていたアークラさんの横に立つと、その髪から茶葉を払い落としていく。

 アークラさんの濃紺の髪は四方八方へと毛先が思うままに跳ねており、全く艶がなく痛みきっていた。


「茶葉か?」


「ええ。たくさん付いています」


 アークラさんは俺にされるがままで大人しくしていたが、そこで大きく頷いた。


「さっき蓋を開ける時に失敗してな。ぶち撒いてしまったんだ」


 なるほど。蓋を開ける時に開かずに頑張りすぎて、その反動でということか。

 だがそんなにばら撒いたのなら、さっきの短時間ではとてもじゃないが掃除することはできていないだろう。


「お掃除は良いのですか?」


 こうった家事に関することを女性に促すのは失礼かと思いつつも、細かい性分の俺はつい聞いてしまった。


「ああ。最近どうにも台所が臭くてな。しばらく茶葉をそのままにしておけば臭いも取れるのではと放置してきた」


「…………」


 信じられん。

 思わずアークラさんを見下ろすものの、本心は至って真面目な顔をしている。

 これは放置してはいけないだろう。いくら茶葉を撒こうが元を絶たなければ意味がない。

 とは言え、流石にそれを指摘するのは――


「まぁそんな瑣末ごとはどうでもいい」


 茶葉を髪から取り払う手を止めていると、アークラさんはそう言ってのけた。

 俺を見上げてアークラさんは尋ねた。


「挨拶と言っていたが、お前が私の担当騎士になるということか?」


 どうでもよくない、と思う前に金色の瞳が俺を射た。

 きらりと光る双眸に俺は本来の目的を思い出す。確かに俺にとって悪臭は瑣末な事である。アークラさんとは今後の為にも円滑な関係を築くのが最優先なのだ。

 俺は自らの使命に表情を引き締めた。


「ご挨拶が遅れました。私は騎士団広報部所属のユスカ・ヘルレヴィと申します。――貴女方と我々騎士団との関係はご存じでしたか」


「ああ。師匠から聞いたことがある。師匠自体は騎士を煙に巻いていたが、私が自立した暁には騎士とは密な関係を紡いだほうがいいと言っていた」


 煙に巻いていた部分で不味いなと思ったものの、続く言葉に密かに安堵する。そんな師匠の元にいたというアークラさん自身はどう思っているのか。


「師匠が完全に騎士との接触を絶っていたから、私は騎士について正直わからない。だがお前達騎士は私達を護ってくれると聞いている。違いないか?」


 そう問いかけるアークラさんの瞳はまるで品定めをしているかのようだ。

 だがそんな目にも屈することがないのが騎士である。


「勿論です。貴女方を悪用せんとする者達から、護り抜く所存です」


 胸に手を当てて真摯に向き合えば、アークラさんはその厳しそうな瞳の色を見る間に安堵に変えた。


「そうか。それを聞いて安心した。私からお前達に何かしてやれることは少ないかもしれないが、できることなら協力をしよう。よろしく頼む――ユスカ」


 あまりにも無防備に微笑むアークラさんに、僅かに罪悪感が生まれる。

 騎士が魔女を護るのは魔女が周囲に災いを起こさぬようにというのが大部分を占める。魔の手への誘いを断つ為に、魔女がそうと知らず悪事に手を貸さぬ為に、魔女自らが破滅の心を持たぬよう、或いはその前兆を見逃さぬ為の騎士派遣は、どう言い換えたって監視なのだ。


「こちらこそ、よろしくお願いします。何か些細なことでも、困り事がありましたらお気軽にお声をかけてください」


 せめて俺に出来ることはしようとこっそりと胸に誓い微笑んでみせると、アークラさんは途端に身を乗り出した。


「そうか。護るだけではなく、助けてもくれるのか騎士は」


 どこか感心した様子に気押されながら、とりあえず頷く。


「できる範囲ではありますが」


「なら相談がある!ずっと気になっているんだが私では解決ができないのだ」


 興奮した様子のアークラさんの髪からまたも茶葉が落ちる。


「畏まりました。とりあえず……茶葉を払いながらお伺いしましょう」


「すまないな。助かる」


 そうして濃紺の髪を手に取る。

 それにしても随分痛んでいるが、生活が苦しくて手入れできないということではないだろう。多忙による時間不足だろうか。


「困っていることはたくさんあるのだが、一番頭を悩ませているのが臭いだ」


「臭いですか」


 それはこの悪臭で間違いないだろう。

 粗方の茶葉がとれただろう髪を手放すと、アークラさんは眉を顰めた。


「ああ、この不快な臭いだ。最初は台所と風呂場のみだったんだがな、原因がわからずにいるといつしか部屋中に充満してしまったのだ」


 それで茶葉をばら捲いたままとか……

 水回りの悪臭といえば排水関係が真っ先に思い浮かぶわけだが、そんな簡単なことは男はともかく家事を担う女であればすぐに思いつくものだろう。となると別の何かなんだろうが。

 一通りの家事は見習い時代に叩き込まれているが、俺で解決できるだろうか。


「とりあえず、一度台所を見せていただいても?」


「ああ。勿論だ」


 鷹揚に頷くアークラさんに先導されて足を踏み入れたそこは……魔窟だった。

 作業台に積み重ねられた食器の数々。

 貯蔵庫のまわりに無造作に置かれたよくわからない草花。

 床には茶葉の他にも先程の音の原因と思われる食器や調理器具が崩れ落ち、戸棚という戸棚は開け放たれ、よく分からないものがぶら下がっている。


「……これは」


 思わず呆然と声を漏らす。

 この状態で悪臭がしてもむしろ当然だろう。


「食器は全て洗っている。薬草も転がってはいるがダメになっているものはない。――一体何が原因なのかさっぱりわからないのだ」


 やれやれ、と頭を振るアークラさんに俺は低い声で唸るように言った。


「まずは片付けましょう」


「片付ける?だが高い棚に収めていると取り出すのに大変だし、いずれ使うものならば出しておいた方が」


「片付けましょう」


 俺がやりますから、と念を押すとアークラさんは勢いに負けて頷いたのだった。


 + + +


 結局のところ、悪臭の原因は排水管からの臭いだった。

 食器や調理器具は洗われているものの、洗い台を磨く事がなく、排水管については言わずもがなといった状態だったのだ。風呂場もまた同様である。

 換気をし、散乱しているものをまとめて片付け、床掃除をし、排水管に薬剤を流し込み全てを磨き上げると臭いなどなかったかのように清涼な風が室内へと入ってきた。


「すごい、すごいぞユスカ!見違えるほどに綺麗だ!」


 と、興奮した様子のアークラさんだったが、なぜ洗い台と排水管の掃除をしていなかったのか不思議でたまらない。女であればこれくらいは常識の範囲内だろう。


「そうか、皿や浴槽を洗うだけでなく排水管にも掃除が必要だったのだな」


 心の底から疑問に思ったものの、アークラさんはすっかり感心して俺を見上げた。


「まさかこんなに簡単に解決するとは思ってもなかったぞ。ユスカは凄いな」


 予想外の尊敬の眼差しに思わず押される。


「いえ、これくらいは」


「そうだ、なにか礼をしなければな。何がいいだろうか」


 興奮しきったアークラさんはあまりにも純粋だった。

 辺りを見回し、視界に入ったのだろうチェストの中を慌ただしく探り出す。


「昨日薬を卸したばかりで碌な物が残っていないな」


 やがて肩を落としてため息をついたアークラさんが振り返った。


「ユスカは何か困りごとはないか?」


 縋るように見上げられ、咄嗟に思ったのは同性愛疑惑である。

 そんなもの解決できるわけがないというのに思いつくとは、俺も結構末期かもしれない。

 内心乾いた笑いを浮かべながらも、穏やかな笑みを貼り付け首を振る。


「これくらい大したことでもありませんから。どうかお気になさらずに」


 本気で大したことではないし、と心の中で付け足すとアークラさんは頬を膨らませつつも諦めたようだった。


「そうか。では何かあればすぐに言ってくれ。特に体調に関する事では相当に力になれるはずだ」


 子供のような分かりやすい表情の移り変わりは、その神秘的な見た目とは裏腹なものではあったが、ちぐはぐな印象を受けないのがなんとも不思議だった。

 それよりも、と。


「ここでは薬師をしているんでしたね」


「ああ。魔女ということを隠してはいるものの、私にはそれくらいしか職にできるものはないからな」


 調査騎士の報告書にも近隣の薬屋に薬を卸しているとあった。

 その薬の内容は魔女としての劇的な効果のあるものではなく、割と一般的なもののようだ。

 アークラさん自身も正体を秘匿にしており、だからこそあの子供の死病での対応は目立った。あれさえなければアークラさんはまだ騎士団でも知られる事はなかっただろう。


「一ヶ月前にアークラさんは子どもの命を救いましたね?」


「うん?ああ、カーポのことか。そろそろ学校に通えるようになると言っていた。そうか、それが原因で騎士団が私に気づいたのか」


 アークラさんは手を叩いた。


「そうです。その一件でアークラさんを知りました。ですが、何故魔女である事を隠しているのに子供を救ったんですか?」


 子供の元を訪れる時アークラさんはフードを目深に被り、声もほぼ出さなかったという。自宅までの道も目眩しや魔法による隠蔽のお陰でその後魔女の薬を求める人がこの家までやってくることはなかったものの、それでもあまりに目立つ行為であり、自らを危険に晒すようなものだった。

 疑問をそのままに尋ねてみればアークラさんは少し居心地が悪そうに苦笑した。


「子供の歳を聞いてな。居ても立ってもいられなくなったんだ」


 十歳という年齢はあまりにも若い。これから広がるはずの未来が断たれることに憐憫を覚えたというところだろうか。


「アークラさんは優しいんですね」


 思わずそう言って笑うとアークラさんは首を傾げて「そうか?」と返してきた。

 今日までに魔女についての文献を漁ったが、魔女は基本的に情が深いらしい。

 きっとアークラさんもそうなのだろう。その優しさに漬け込むような輩から守らなければ、と密かに気を引き締める。


「ところでユスカは何歳なんだ?見たところ騎士としては若いようだが」


 と、アークラさんが俺を見つめた。

 若いどころか騎士になりたての新人中の新人である。


「二十歳ですよ」


 年齢だけを伝えると、アークラさんは少しだけ考えるそぶりを見せた。

 嘘を伝えるわけにもいかないとはいえ、若過ぎると不安を与えてしまっただろうかと危惧する。

 だがアークラさんが気にかけたのは違う部分だったらしい。


「そうか。私とはちょうど十歳離れているのか」


 一つ頷いたアークラさんはそう言った。

 その台詞にこっそりとアークラさんの容姿を確認する。

 見たところ俺よりもほんの少し年上かといったところだが、どうやら三十路らしい。

 ……魔女は若作りが多いとも書かれていたが、本当なのかもしれない。


「若輩者ではありますが、アークラさんの信頼を得られるよう精一杯努めます」


 改まって礼をとるとアークラさんは慌てて首を振った。


「ユスカが若輩者というのなら私などひよっこに過ぎない。まして守ってもらう立場なのだから、そのように頭を下げられては困る」


 次いで俺のジャケットの裾を掴んで訴えた。


「それにアークラなどとよそよそしく呼ばないでくれ。私もユスカの事はユスカと呼ぶから、同じように呼んでもらいたい」


 とはいえ年上の女性を呼び捨てにするのはいただけない。

 俺は瞬時に考えて返答した。


「ではロヴィーサさんとお呼びしますね」


 するとアークラさん不満そうな顔をした。


「ヴィーでいいぞ?」


「いえ、それは流石に」


 即座に辞退すればアークラさんは少しだけ寂しげに瞳を揺らした。


「そうか……仕方がないな。改めて、よろしく頼む」


 こうして俺はアークラさん改めロヴィーサさんとの初対面を果たしたのだった。

読んでいただきありがとうございます。

これよりユスカ本編の完了までは連日投稿となります。

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