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騎士団は恋が好き  作者: 葵翠
【強引】クラウス
51/79

勝負3

 前〜中盤ロッタ視点、終盤クラウス視点になります。

 楽しんでいただければと思います。

「はー、終わった終わった」


 今日は一日中ずっと座学で、あたしは教育担当の騎士がいなくなったのを見計らって大きく伸びをした。

 勉強自体はいいんだが、大人しく座ってるってのが性に合わない。


「今日は座学だけだったから、少し肩がこっちゃうわね」


「大規模訓練で訓練場も教官騎士も空いていませんでしたからね」


 ダリアとアヤメも席を立ち、自然と顔を見合わせる。

 いつもなら座学と実技が半々ってとこなんだが今日は護衛部と広報部合同の強襲訓練があったらしい。おかげであたし達はあぶれてずっと座学を受けていたというわけだ。


「身体動かしたいな」


「家の前で三人で手合わせでもと思いましたが、ロッタには暴れたりなさそうですね」


 すでにお互いの性格を分かっているだけあって、アヤメもダリアもどうしたものかと首を傾げていた。

 三人の中では断トツにあたしが強い。アヤメもダリアもそこそこには強いんだが、まだ準騎士レベルだもんな。全力で身体を動かしたい今日みたいな日は二人が相手だと物足りなくなっちまう。


 さて、どうしたもんか。

 そう三人で考え込んでいると、そっと部屋のドアが開いた。


「お疲れさまでした」


 顔を覗かせたのはリュリュである。

 女騎士に関する担当というだけあって、リュリュは事あるごとに顔を出してきた。

 何か問題はないか、というこっちの心配事や相談事を聞くってのも勿論あるが、今後女を騎士団に迎え入れるための準備として必要なことはなにか、ってなリュリュからの相談ってのも意外と多かった。


「今日はどうしたんだ?」


 何気なく尋ねると、リュリュはにっこりとした笑顔でこう返してきた。


「丁寧に言うと?」


「『本日はどのようなご用件ですか?』」


 あたしの騎士教育の一番の難問は言動の荒さだった。故にこうして不意打ちで確認をさせられる。

 ちなみに言葉遣いだけでなく笑みも浮かべて見せている。もとは紳士集団と呼ばれる騎士になるのにガサツ過ぎちゃいけないらしい。

 すぐさま対応するあたしに満足そうに頷いたリュリュはそこでようやく答えを告げた。


「明日はお休みですし、ガス抜きでもどうかと思いまして」


 ガス抜き、という言葉に瞬間的に笑みが浮かぶ。

 よく気の利くリュリュはたまにガス抜きと称して飲み会を開いてくれるのだ。

 通常の見習いや準騎士は休みの日には仲間同士で遊んだり出かけたりしているが、あたし達はたったの三人。それも非公式な試験運用中とあって騎士団の出入りも多少気を使わないといけなかったりするもんだから、思うようにストレス発散できないだろうという気遣いなのだ。


「わぁ、ありがとうございます」


「ご配慮傷み入ります」


 素直に喜ぶアヤメと堅い返事のダリア。性格が出るな、と思いながらあたしも手短に礼を言う。


「レーヴィとライノに食事の手配をお願いしましたので、このまま家に向かいましょうか」


「流石だなリュリュ」


 どうやらリュリュは飲食物だけの提供ではなくストレス発散相手すらも確保してくれていたようだ。

 ライノって男は知らないが、レーヴィは騎士団最強と呼ばれる若手騎士でありアヤメの恋人でもある。アヤメにとっては心落ち着く相手で、あたしにとっては全力で手合わせできる相手。特に今日みたいな一日中大人しくしていた日には願ったりかなったりの男なのだ。

 機嫌良く歩みを進めていると、見えてきた一軒家の前にはレーヴィと背の高い男が待機していた。


「へぇ、あいつも騎士なんだ」


「あの方は……」


 背の高い男を見て、あたしとダリアが同時に声を上げた。

 見上げればダリアはやや苦い表情をしている。


「なんだ、会ったことあんのかダリア」


 やや眉間に力が入っているところを見るといい相手ではなさそうだが。


「ええ。初めて騎士団と接触をした時に会った騎士です」


「そういえばそうでしたね。あの時は誘拐とも言える強引さでここまで連れてきてしまいましたし、ダリアさんにはいい思いはないかもしれませんが……ライノは情報部ではいま一番の若手なんですよ。すでに騎士長候補として名が挙がってますし、レーヴィと並んで優秀な騎士ですよ」


 ダリアの声を受けて言ったのはリュリュだ。

 そんなリュリュの説明にあたしは口笛をひとつ吹く。


「ロッタさんも会ったことがありましたか?」


 記録にはなかったはずだけど、というリュリュにあたしは首を振った。


「こっちが見かけたことがあるくらいで会ったわけじゃないな。けど有名だろあの男。メリカントの放蕩息子って」


 するとリュリュは肯定ともとれる苦笑した。


「表向きはそうなってますね」


「だよな」


 国内有数の大商会の跡継ぎだったくせに、いきなりそれを弟に押し付けた放蕩息子。各地をふらふらと旅してまわって、王都にいる時はユハナ男爵……レーヴィの家に入り浸って自由に生活している男だと聞いてたが、成程。放蕩息子を隠れ蓑に暗躍する騎士だったのか。


「やぁ、おつかれさま」


 そうこうしているうちに家の前までたどり着くと、メリカントの放蕩息子こと、ライノが片手を上げて微笑んだ。


「今日はよろしくね」


 穏やかな口調で片目を閉じて見せるライノはまさしく金持ちのぼんぼんといった体である。

 あたし達はそれぞれに挨拶を交わしたが、どうにもダリアは緊張した面持ちだった。だいぶ強引に連れてこられたのか?

 ダリアの様子に気を取られていると、アヤメが家の鍵を開けてくれた。

 それぞれに足元に置かれていた食品やらなんやらを持ち上げて中へと入る。


「すぐに準備するわ」


「座ってお待ちください」


「あ、いいですよ。せっかくのガス抜きなんですから僕達がやりますよ」


 なんてせっせと動く数人を横目に、あたしはテーブルに食材を置くとレーヴィに声をかけた。


「待ってる間、手合わせ頼んでいいか?」


 大人数で一軒家の台所で動いたって邪魔になるだけだしな。

 それだったら手際のいい奴に任せて用をたすのが効率的ってもんだろ?


「ああ」


 レーヴィはぴくりとも表情を変えなかったが、あたしと同じくテーブルに荷物を置いた所であたしに向き直った。

 こいつは無表情だし口数も少ないが、付き合いのいい奴だったりする。


「外行ってくるわ。先飲んでて」


「いってらっしゃい」


 心得ているとばかりのアヤメの反応に二人で家の外へと出る。

 互いに愛剣を抜き放って、構えをとる。

 呼吸を意識してレーヴィを見据えれば、レーヴィもまた長剣を構えて視線を鋭くさせていた。


 心の中でタイミングを計り――先に動いたのはあたしだった。


 大きく足を踏み出し、挨拶とばかりに剣を横へとなぎ払う。

 きぃんと甲高い音がして剣を受け止められたと認識する間もなく更に踏み込み懐を目指すが、レーヴィも素早く対応して二合目を防がれる。

 レーヴィと剣を交えると初めてクラウスと勝負した時と似たような感覚になる。

 圧倒的な力量の差を感じてしまうのだ。

 とはいえあたしもただ萎縮してるだけじゃない。なんとか出し抜けないかとレーヴィの行動パターンを読み、勝機を求め探り、迫りくる剣を短剣で受けては長剣でいなし、隙を見ては反撃する。


 どれくらい経ったか、息を荒くさせながらあたしはレーヴィから後退して間合いを取った。


「あーっ、すっきりした」


 大きく息を吸って、手の甲で汗を拭う。


「さすが騎士団最強だな」


 結局あたしはレーヴィを一度も出しぬけず、むしろレーヴィに隙を何度も見逃してもらった感が否めない。騎士団最強は伊達じゃないなと息をつく。

 だが身体を動かし全力で当たることで悔しさはなく、いい感じに心身ともに清々しい気持ちになる。

 満足げに大きく深呼吸していると、剣を収めたレーヴィがふと口を開いた。


「前から思ってたんだが」


「ん?」


 自分からあまり話を振らないレーヴィの言葉ともなれば自然と注目する。

 剣を収めて視線を向ければ、レーヴィは真っ直ぐにこっちを見ていた。


「ロッタは教育上の鍛錬中よりも今みたいな時の方が格段に動きがいい」


 一瞬なにを言われたかわからず、頭の中で反芻する。

 いつもはどうしたら強くなれるか、何を、どこを変えればって感じでやってたわけだが、対して今回はとにかく体を動かしたいってことで頭は空っぽだった。


「……脳筋って言いたいのか?」


 ざっくりいえばそんな感じか?

 怒りはなかったが顔を顰めてみればレーヴィは顔を振った。


「逆だ。考えすぎてて動きを邪魔してるように見える」


 思考が動きを阻害してるってことか?

 あんまり気にしたことなかったが、そんなに違うもんか?

 いまいちよくはわからなかったが、強者からの貴重な助言だ。あたしはひとつ頷いた。


「自覚はしてなかったんだけど、ちょいいろいろ試してみるわ」


 分からないなりにも試してみなければ上は目指せないしな。


「ああ」


 そうして息を整えたところで家に入れば、いい感じに酒が進んでいた。


「おかえりなさい」


「おつかれさまです」


 アヤメがあたし達に気づいてタオルを手渡してくれて、リュリュが水を差し出す。至れり尽くせりだな。

 とりあえず両方ともありがたく受け取る。


「それにしても、ライノは本当にすごいよ。よくもあれだけの短時間で次から次へと調査を進められるね」


 元の席に戻ったリュリュが飲み物を片手に話の続きをし始めた。

 どうやらライノの仕事の話らしい。


「そうでもないよ。難航している調査があってね。これがまた、なかなか突き止められなくてね」


「へぇ?仕事ではきれいさっぱり調査し尽くして帰ってくるってもっぱらの評判だよ。一体何の調査だい?」


 若手でありながら騎士長候補とまで言われているらしいライノを横目にあたしもイスに座って肴に手を伸ばし始めた。


「騎士団七不思議の一つさ」


 肩をすくめるライノの口から出たのは、任務とは全く違ったジャンルのものだった。

 七不思議?

 その単語に全員がライノに注目する。

 どんな内容かと気になってライノを見ていると、横からアヤメが酒を注いでくれた。


「ほら、副団長の奥方の正体だよ」


「!?」


「ぶっ」


 あまりにも唐突な言葉だった。

 あたしは目を大きく見開き、そして斜め向かいのリュリュが酒を吹きだした。


「わぁ、大丈夫かいリュリュ」


「大変」


 盛大に咳き込むリュリュに全員が驚き、慌てて布巾を差し出したりその背をさすっている。


「ぐっ、ごほっ……いや。……ら、ライノ、それは」


 ――クラウスの嫁さん?

 まさかこの数年で、クラウスはあたし以外の誰かと結婚したってのか?


 一瞬で手合わせでほてった身体が冷たくなっていくのがわかった。


「副団長は既婚者だって話だけど、誰も奥方を見たことがないそうじゃないか。あれが気になって調べているのだけど、その様子だと知っているってことかな?」


 ライノの期待に満ちた声にリュリュは明らかに動揺して、そしてこっちを見た。


「ぼ、僕は、立場上……言えないんだけど、その……」


 何度も何度もあたしを見てしどろもどろになっているリュリュに、冷めた心が自分を嘲笑った。

 ああ、リュリュはあたしとクラウスの間にあったことを知っているのかもしれない。でもって、遠慮しているんだろう。

 だってクラウスの嫁さんがあたしの筈はない。クラウスと再会する少し前だったか傭兵ギルドの登録更新をしたわけだが、あたしの名前は何一つ変わっていなかったんだから。


 ロッティリア・ローズ。

 ローズがシーカヴィルタに変わってるなんてことはなかった。


 そもそも婚姻届は署名させられたが結婚自体を迫られたこともなく、二度目の勝負で言い渡されたのは騎士になることで。


「へぇ、アイツ結婚してたんだ」


 あたしは無理矢理に口に笑みを浮かべ何でもないことのように「知らなかった」と言い放つとアヤメが注いでくれた酒を一気飲みした。

 するとリュリュの表情は見る間に驚愕に変わった。


「え……?あれ……え、でも」


 それは動揺ではなく、困惑した様子だったがどうでもいい。

 そうか。あたしはからかわれていたんだ、と冷たくなった指先を静かに握りしめる。


「ちょっと待って……まさか。まさか、嘘でしょう――!?」


 さっと顔色を失うリュリュに全員が注目してくれてるおかげで、誰もあたしの心が冷めていくのに気付かなかった。

 よかった、と心底思う。こんな弱々しい姿なんざ、とてもじゃないが見せられねぇからな。

 こっそりと深呼吸をすると、今度は自分の気分を吹き払うように大きめの声で言い放った。


「なーにぶつぶつ言ってんだよ。それより飲もう。せっかくなんだから今日は食って飲んで騒がなきゃな」


 幸いなことに明日は久々に一日まるっと休みなのだ。

 食って飲んで寝て……そんでいつの間にかに大きく膨れ上がったあたしの乙女心に、蓋をしよう。


「お、この肉美味そう」


 目の前にあるオードブルの中の肉を頬張り、あたしは満面の笑みを浮かべるのだった。


 + + +


 クラウス・シーカヴィルタ。

 騎士団副団長。既婚者。

 騎士団の誰もがその嫁さんの姿を見たことがなく、それどころか名前すら知られていないという。

 あまりにも謎すぎてその存在は騎士団七不思議に加わったほどのものらしい。

 リュリュはどうやら知っているらしいが、管理部ってところはかなり厳しい部署らしく如何に騎士団内であっても各騎士の個人情報を漏らしてはいけないと厳命されていると聞いた。


 クラウスが既に結婚していた。

 ――あたしではない誰かと。


 婚姻届の意味。予め教育を施されていた意図。騎士になることへの命令。

 多少なりとも気にはなってはいたが、それでもクラウスが必要だと思ったことだからだと受け入れている部分もあった。

 クラウスとあたしは信頼している中で、切っても切れない縁で繋がってて。

 そう思ってたんだが……


「あー、もうダメだ!もやもやする!」


 一人誰もいない訓練場のど真ん中で頭を抱えて暴れたてる。

 クラウスが結婚していたという事実を知って数日、あたしは乙女心に完全に蓋をすることができないままに過ごしていた。

 気になって仕方がないのにこういう時に限ってクラウスは王都を離れていて、あたしはこの心の靄を取り払うのに深夜一人で剣術の鍛錬をしていたんだが、どうにも身が入らない。

 何だってあたしがこんなことになってんだ。


「くっそ……クラウスの馬鹿野郎……」


 大の字になって転がっていた身体を起こし、膝を抱えて息をつく。

 あたしは『赤い野薔薇』だよ?男勝りで豪快で、こんな色恋沙汰なんか似合わない筈なのに。なのになんでこんな。

 気持ちがどんどん沈みこもうとしたその時、背後に気配がした。


「――馬鹿とは随分だな」


「うっさい!馬鹿だから馬鹿って言ったんだろうが」


 一瞬身体が震えるかと思ったが、何とか抑え込む。

 不意打ちで来られるとどうしていいのか分からなくなる。

 だがそんな心境を悟られたくなくて、膝を抱えたまま振り返ることもしない。


「馬鹿はロッティリアだろうが。お前は昔から鈍くて察しが悪い」


 ゆっくりと近づいてくる気配に忙しなく視線をさまよわせる。

 どんな表情で顔を合わせればいいんだ?

 胸ぐら掴んで怒り狂えばいいのか?普通の女みたいに泣いてみればいいのか?それとも……何でもなかったように振る舞うのがいいのか?

 背後までやってきた気配にぎゅっと目をつぶる。


「どうかしたか?」


 いつもの淡々とした声は、それなのになぜだか少しだけ心配そうに感じた。

 こんなタイミングで優しくするな。あたしは、この乙女心に蓋をしないといけないんだから。


 この心に終止符を打つんだ。それにはどうしたらいい?

 あの婚姻届の理由を聞くか?

 聞いて冗談だったと言われて笑い飛ばせるか?万が一にもあの時は本気だったなんて言われたら目も当てられないし、逆に本気だったのに捨てられたとか思うとキツイか。

 それよりもいっその事嫁さんの惚気話でも聞いてみれば諦めが付くか?


 ……いや、それよりも。


 あたしは心を決めてゆっくりと立ち上がった。


「勝負しようぜ。いつもの通り、負けた方が勝った方の言うことを聞く」


 まだクラウスを超えられたとも思っていないし、それ以前にクラウスと同等の力を手に入れたとも思っていない。

 だがそれでも、今やらなければいけないと思った。

 ここでクラウスを打ち負かすことでこそ、あたしは先に進めると。


 そんなあたしの気迫を感じたのか、クラウスは嘆息して剣を抜き放った。


「仕方ない。受けて立とう」


 そこにはいつもの余裕のある笑みはなく、真剣な表情にあたしも安堵して数歩離れて剣を構える。

 技量も駆け引きもまだまだだが、それだけで全ての勝負が決まるわけじゃない。

 あたしは勝つんだと自分に言い聞かせて、気持ちでは誰にも負けないとクラウスを睨みつける。


「いつでもかかってきな」


 やる気全開で低い声で声をかければ、クラウスが即座に斬り込んできた。


 重い剣は受け流すのが重要。

 両手に剣を持つあたしは手数で勝負。

 速さで押せ。

 誘導されるな。

 相手のペースに持ち込まれるな。


 これまでずっとクラウスを打ち負かせるために考えていたそれらの事を頭から消し去る。

 試行錯誤する間も無くクラウスと相対することになった今、レーヴィが言っていた、何も考えていな方が強いという言葉を信じてみるしかない。

 あたしはほとんど勢いと勘だけで動いていた。

 するとどうだろう。

 いつもよりも動きにキレがあるような気がした。迷いもなく、ただひたすらに研ぎ澄まされた感覚の中で踊るように攻め入る。

 それはかつてない、互角とでも言えるような状況だった。


 そうして――やがてクラウスの剣があたしの防御の短剣をくぐり抜けた。


 首元に近づく剣を感知しながら、それでもあたしは歯を食いしばって回避すると同時に長剣を捨てた。

 負けてたまるか。

 その一心でさらに踏み込んで、密着するほど接近する。


「負けるかあぁっ」


 気合を入れて思い切り体当たりを食らわせて、そのまま二人揃って体勢を崩して地面に転がりこむ。

 上に乗っかるように転がったあたしはそのままクラウスの首の真横の地面に短剣を突きさした。


 それまでの激しい金属音はなりを潜め、しん、とあたりに静寂が生まれる。

 何の抵抗もないクラウスの紅い目と間近で視線を合わせることしばし。


「気合いで勝ちをとるとは、ロッティリアらしいな」


 やがて静かにクラウスが口を開いた。


「勝たなきゃ、先に進めない、からな」


 クラウスが負けを認めたことにより緊張が解け、激しい呼吸を繰り返して途切れ途切れに告げる。

 ここで負けたら目も当てられない。絶対に勝たなきゃ、自分がどうにかなってしまいそうな気さえもした。


「俺の負けだな」


 改めて宣告されたそれに、じわじわとその事実が実感に変わっていく。

 勝ち。あたしの勝ち。

 ずっと勝てなくてクラウスには散々心を乱されてたのに、そんなあたしが勝った。


 ようやく勝てた。

 勝ったんだ。


 喜びと、だが同時に少しだけ寂しい気持ちも生まれる。

 きっとあたしの乙女心が別れの挨拶に揺らめいてるんだろう。


「命令は?」


 僅かに苦笑を洩らすと、クラウスはあたしを射抜くようにまっすぐに見つめてきた。

 命令。

 勝ったことで心に区切りをつけられそうだが――せっかくなら完全に想いを断ち切ろう。

 これできれいに全てを終わらせるのだ。


 * * *


「あたしが署名した書類を返してくれ」


 俺の上に乗ったままロッティリアが言い放ったのはそんな事だった。

 その目に揺らぐのは寂しさと、決意。


 ――全く。俺が結婚しているとライノから聞いたようだが、なぜその相手が自身だと気づかない?


 その目を見ながら内心ため息をつく。


 婚姻届に署名させてからの数年間、ロッティリアは自分が結婚した事に全く気付いていなかった。

 確かに気付きにくい状況ではあったかもしれないが、それにしても署名済みの書類を提出しない馬鹿がどこにいるというのか。

 気づくまで好きにさせようと様子を見てみれば、俺と再会した後ですら気づく気配はなかったことには驚きだった。

 他人から漏れる事はつまらないとリュリュに口止めしたにはしたが、まさかここまで来てもわからないとは予想だにしなかった。

 

「あの書類か」


 俺の返事を待つロッティリアにゆっくりと口を開く。


「あんな危うい状態のものをいつまでも手元に残しておくと思うか?」


 勝負は技量だけで決まるものではない。

 すぐに再戦を申し込まれ万が一にも負けてしまえば婚姻を果たすことができなくなる状況を俺が許すはずはないだろうに。

 だが言われたロッティリアはまるで虚をつかれたようだった。


「――え?」


 いまいち理解していない様子に俺はしっかりと首を振った。


「あの婚姻届は手元にはない。どう足掻いたって返すことはできない。不履行は許されないといえど、不可能なものは不可能だ」


 反芻しやすいようにややゆっくりと言えば一生懸命に頭を働かせていることが窺えた。

 俺が見守る中で翠の目がせわしなく行き来し、やがて傷ついたように唇を噛み締めた。


 今度は何を勘違いしている?


 さっきの勝負の威勢はどこへ行ったか、今のロッティリアはこれ以上ないほどに小さく見えた。

 ――好きにさせるのはいいが、傷つかせるのは本意ではない。

 傷つき悲しそうなその表情に、自分で気づくまで、もしくは叙任するまで黙っていようと思っていたが、俺は口を割ることを決めた。


「ライノから俺の話を聞いたらしいな」


「ああ。結婚してたんだってな。ったく、それくらい連絡よこせよ」


 無理に出される明るい声。だが顔色が良くないことがバレていないとでも思っているのか。


「俺としては逆に気づかない方が驚きだがな」


 嘆息混じりに感想を述べれば、むっとした表情が広がった。


「クラウスとはここに来るまでの数年、手紙のやりとりしかしてなかったんだから知らなくて当然だろうがろうが」


 自分が署名した婚姻届は心当たりではないらしい。


「ならこの際だ、教えてやる」


 射抜くように見上げれば、ロッティリアは僅かに身じろぎした。


「俺の嫁は真っ直ぐで凛としていて美しい。そして同時に棘を孕んで強く自らの道を突き進む。豪奢な赤を撒き散らしてとにかく人目を惹く女でな。棘と赤で、まさに薔薇とでも言うような存在だ」


 最初から眩しい赤だった。

 本名を知って、まぎれもない薔薇だと思ったものだ。

 だからこそ俺は剣をたかられた時にあえて薔薇の剣の作成を依頼し渡したのだ。周りからロッティリアと呼ばれずとも、異名に薔薇をと。

 勿論ただ薔薇の剣を渡したところでその装飾に難色を示すことは予想済みだった俺は王都でも有数の名匠に依頼をしたわけだが、案の定ロッティリアは名剣とも言えるその剣に顔を顰めつつも愛用するようになった。


「とはいえ薔薇の名がついているというのに、まさか野がつけられて名が通るとは思わなかった。そこが唯一の誤算だな」


 ロッティリアの二つ名を思い出し苦笑する。

 まさかの野薔薇だった。


「……は?」


 と、そこでようやく何か息づいたらしいロッティリアが苦しそうだった表情から一転、目も口も開けて固まった。


「俺の妻は名をロッティリアという」


 何度も瞬きを落とす様子は、はっきりと理解をしていないということだろう。

 俺は口早に妻である女の性格を告げた。


「これと決めたら後は何も考えずに爆走して、口も早ければ手も早い。考えなさすぎて危ういのにいつも最後には周囲を巻き込んで笑ってる。全く、こちらの心配などお構いなしときたもんだ」


 ここまで言えばさすがに分かるだろう。

 そう一息にまくし立てたが、はっきりとした反応が返ってこない。


「人の話を聞いてるか」


「え、だって意味が、わかんねぇし」


 それほどまでに婚姻届を提出していた可能性を考えていなかったということか。

 呆れを通り越して小さな怒りが湧いてくる。


 だが黙ってロッティリアを見ていると、一つ一つの言葉を整理しているのか、その表情がゆっくりと変化していった。

 理解不能から、驚愕、そして喜悦へと。

 その目が時折俺を見ては恥ずかしそうに逸らされて、ようやくかと胸中で呟く。

 鈍いにもほどがあるだろう。


「けど、名前が」


 と、最後のとっかかりをロッティリアは口にした。

 そう。ロッティリアが、自分が結婚をしたことに気付かなかった最大の要因。


「それは俺が婿入りしたからだ」


 ロッティリアが署名した後、俺は婿養子になることを記入した上で提出をしたのだ。

 家名が変わればそのうち傭兵ギルドの登録が変わるわけだが、ロッティリア自身の家名は何も変わらなかったのだ。


「……シーカヴィルタは?」


 ぽつりと疑問が落とされ、即答する。


「捨てた」


「っはあぁぁぁ!?」


 途端に今までのふわふわとした様子が嘘のようにロッティリアの言動に力が帯びた。


「は、なんで、どうして」


「俺はお前の名を気にっている。赤薔薇(ロッティリア・ローズ)これを変えるくらいなら俺が名を変える」


「けど公爵家は?国王の親友だし、そのうち爵位だって何かしらもらえるはずだったんだろ?」


「騎士団副団長の肩書きだけあれば十分だろう。親友は名で変わるようなものでもないしな」


 両親も兄も呆れてはいたが、もともと騎士団に入るということは身分の壁がなくなるということでもあるのだから、異論があれば入団すること自体止められていた筈だ。特に婿入りにあたって問題はない。


「勿論婿入りを公表しては周囲がうるさく騒ぎ立てるから、表向きはシーカヴィルタを名乗ってはいるがな」


 その辺りもシーカヴィルタ家、騎士団双方了承済みだ。


「は、え……」


 ロッティリアの驚きも分からなくはないが、俺としてはすでに数年前の話だ。心底今更である。

 ロッティリアはしばらく口を開け閉めしていたが、とりあえず事実を飲み込んだのか深く息をついた。


「いつから結婚してることになってたんだ」


「婚姻届が受諾されたのはロッティリアが署名した三日後だな」


「ちょっ」


 早すぎないか!?とありありと顔に出ている中で俺は口の端をあげた。


「好きな女を手に入れるのに手加減などするわけがない」


「っ」


 ロッティリアは目を見開き、見る間に顔を赤くさせた。

 恥ずかしさに身悶え力が抜けたところを抱きかかえ、体を反転させる。

 上下が逆になった俺はロッティリアの顔の両横に手をつき、至近距離でその顔を見つめた。


「いつ気づくかと待ってみれば、まさか数年も経つとはな。――これ以上は待たない。叙任したら俺の屋敷へ来い。分かったな?」


「う……あ」


 真っ直ぐに告げればロッティリアは目を泳がせ、口元を震わせた。

 明らかに喜んでいる癖に視線を彷徨わせたまま返事をしない。


「拒否は認めない。もし抵抗するならこの場で押し倒す」


「待て待て待て!」


大慌てで首を振るロッティリアに体重をかける。


「誰が待つか」


言い終えると同時、素早く口づけを落とす。

抵抗するロッティリアを押さえつけてしばし、そっと口を離すともう一度問うた。


「俺の元に来るな?」


 明らかに喜んでいるのに言い澱むのは、羞恥から。

 言わずとも伝わってはいるが、これほど待たされたのだからはっきりとした返事を聞きたいところである。

 俺はロッティリアの服を引っ張り低い声で唸るように告げた。


「剥ぐぞ」


「っわかった!クラウスのとこに行くから!」


 弾けるように頷いたロッティリアの目から僅かに涙が散る。

 ――薔薇を濡らす朝露のように光り輝くそれに、俺は満足げに目を細めるのだった。

 読んでいただきありがとうございます。

 短いですがこれにてクラウス本編終了です。

 水曜日に番外編更新します。

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