表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
騎士団は恋が好き  作者: 葵翠
【腹黒】トゥーレ
5/79

罠にかけられた小動物

 視点が変わります。

 楽んでいただけると嬉しいです。

(※2018.9.5 誤字修正と幼馴染みに名前がつきました)

 今日も騎士様たちは素敵な訓練を見せてくれた。

 華麗な剣さばき、踊るような身のこなし、交錯する視線。

 わたしはそれらを思い出してうっとりと手を握っていた。


「トゥーレ様、今日はどうされたのかしら」


「いつもは最後までいらっしゃるのに、残念だわ」


 と、最前列で訓練を見ていた女の人たちがそんな会話をしながら通り抜けていった。


「体調が悪いのかしら?」


「それは大変!看病が必要なのでは?」


 かんびょう。

 その言葉に電撃が走る。

 病に伏せる麗しの騎士とそれを甲斐甲斐しく世話する騎士。


 ああ、いいわ。

 今書いている話の次はこれで行こうかしら。


 つい先ほどまで見ていた騎士様たちの訓練の熱が冷めぬうちに、わたしはうっとりと妄想を膨らませながらも足を踏み出した。


「きゃ」


「おっと」


 誰かにぶつかってしまった。

 そのまま弾かれるように後ろへよろめいたけど、とっさに腰を支えられて勢いが止まる。

 思わずふぅと安堵の息が漏れてしまう。危うく転ぶところだった。


「大丈夫ですか?」


 そんなわたしに穏やかな低い声が降る。

 そうよ。ぶつかった上に支えてもらったのだわ。

 慌てて顔を上げる。

 あら、でもこの声って――


「どこか怪我などしていませんか?」


 上げた視線の先に見つけた顔に、わたしは固まった。

 柔らかそうな茶色の髪。生い繁る木々の葉のような深い緑の瞳。声と同じ穏やかで優しげな雰囲気をまとったその人は。


 ――嘘でしょ?


 半ば悲鳴のような声が心の中で木霊する。

 だって。

 だってついさっきまで妄想していた話の主人公がそこにいたんだもの。

 体は驚きに固まったまま、ただただ見つめてしまう。

 緑の瞳を縁取る長いまつ毛。

 ちょっと薄い、けれどもはっきりとした形の唇。


 ――ものすごく、かっこいい。


 近くで見る騎士様に目が離せなかった。

 そしてこんな神がかった人を妄想の世界であれこれさせてしまっていることに強い危機感が襲った。

 こんな素敵な人を汚していたなんて知られたらどんな事になるのか。


 ……絶対に知られてはいけない。


「どうかされましたか?」


 背中にひやりとしたものを感じているわたしに、騎士様は心配そうに顔を覗き込んできた。


「は、はいっ。ぶつかってしまって申し訳ございませんっ」


 とにかくここは全力で逃げなければ。

 関わりがなければ、ばれることはない、はず。


「いえ、こちらの前方不注意でした。申し訳ありません」


 ようやく返事をしたわたしに騎士様はそっと腰に添えた手を離した。

 近すぎた距離からの解放に少し安心する。


「助けていただいてありがとうございます」


「いいえ、これくらいは当然のことです。貴女に怪我がなくてよかった」


 そんな台詞をさらりと言われて、一瞬妄想の世界に飛びそうになる。


 だめよ、今はだめ!


 心の中で全力で首を振る。

 とにかく怪しいそぶりを見せずに早くこの場を離れなければ。

 わたしは自分を奮い立たせた。


「それではその、失礼いたします」


 わたしはなんとかそう言い切ると頭を下げ、足早に騎士様の横を通り過ぎた。

 あとはあの廊下の曲がり角まで行ったら走って家に帰ろう。


「お待ちください」


「っ!」


 騎士様の脇を抜けて数歩したところで、声がかけられた。

 思わず身が竦む。


 すでにばれているの!?


「貴女に相談したいことがあります」


 どうしよう、どうしようと鼓動が早まる。

 相談……相談?

 ということはあの本がばれているっていうことではないのかしら。

 静かに深呼吸して、わたしはぎこちないながらも振り返った。


「なんでしょうか?」


 おちついて、おちついてと心の中で言い聞かせながら尋ねると騎士様が顔を歪めた。

 ほんの一瞬だったから、それがどんな感情を含んでいたのかはわからなかった。


「……少し長い話になるので、もし良ければ夕方、食事でもしながらと思うのですが」


「わ、わたしとですか!?」


 突然の申し出に声が裏返ってしまった。

 本のことがあるだけに、出来る限り接触を断ちたいのに。

 それにいままで遠目でしか見たことのなかった騎士様と食事?

 無理よ、とてもじゃないけど心がもたないわ。


「ええ。突然の申し出で申し訳ないのですが、この後も職務がありまして。……もしご迷惑でしたらはっきりと言ってくださって、かまいませんので」


 心配そうな表情で下から窺うような言い方に、ぶんぶんと頭を振る。

 反射的に口から言葉が紡がれる。


「そんなっ。迷惑だなんて」


 迷惑なことをしているのはわたしですから。

 という言葉はさすがに思い留まる。

 そんなわたしの様子に騎士様の顔に笑みが浮かんだ。


「それはよかった」


 くぅ、格好いい。

 遠目からでも素敵なのに、近くで見るとより一層騎士様のかっこよさが際立っていた。

 つい騎士様の間近な笑みにどきどきとしてしまい、よく考えずに返答をする。

 そして、


「では夕刻の鐘のなる時に、広場の噴水で」


 気がつけばわたしは騎士様と食事をとることを約束してしまったのだった。


 + + +


「どうしようっ!?」


「知らないわよそんなの」


 わたしの問いかけに、幼馴染みのキラがにべもなく言い放った。

 キラはわたしの趣味に賛同こそしなかったものの、それを受け入れてくれている数少ない親友だった。


「よく話も聞かずに返事をしたのはあんた。やましいことしてるのもあんた。腹くくって行きなさい」


 訓練場を後にしたわたしは、半ばパニックを起こしながらキラのもとへと泣きついたのだけど、そんなわたしにキラは料理の手を止めることなく告げた。


「それはそうなんだけど……」


「だいたい、実存する人をモデルに書くのがいけないのよ。なんだって名前も外見もそのまんまで描いたのよ」


「だって、本当にかっこういいんだもの。あの見た目も、立ち居振る舞いも、颯爽とした雰囲気も、名前も何もかも」


 キラの言葉に両手を握りしめて訴える。


「何もかもって、かっこよかったのはわかったけど、だからってなにもそのままで書く意味はないでしょって言ってるの」


「あんな素敵な人を少しでも変えてしまうなんて、そんなの冒涜だわ!」


 つい感情的にはっきりと言いきると、キラはようやく手を止めてこちらを見た。


「……あんた、もしかしてその騎士様のこと好きなの?」


 言われてつい顔を赤くしてしまう。

 けれども顔を赤くしたくらいではわたしの思いは留まらない。


「大好きよ。あの方が殿方に翻弄されるところを想像するとたまらないわ!」


「あー……いや、自覚がないならいいんだ、うん」


 けれどもキラからは目を逸らされた。

 そうだった。そっちの趣味はないのだった。


「とにかく、一度約束したんだったらきちんと行かないと」


「でもわたしの趣味が、本がばれたらどうしよう」


 困り果てたわたしはきっと眉がものすごく下がっているだろうと思う。

 縋るように幼馴染みを見るけれどキラはため息をつくばかりだった。


「そこはあんたが黙っときゃわかんない話でしょ?だいたい本なんて言ったって友達うち何人かで回し読みしてるくらいのもの、騎士様の目に入るわけがないじゃない」


 冷静なキラは呆れたようにそう指摘してくれる。

 言われてみればそうかもしれない。

 それにあの本にはわたしの名前なんて書いていないのだし。


「そう、よね」


「それに想像してもみなさいよ。あんたがもしすっぽかしたらどうなると思う?騎士様が噴水前で待ち惚けよ?」


 言われてつい想像する。

 背筋のまっすぐ伸びた、堂々とした騎士様が来ないわたしを待って立ち尽くす。


「だめ!それは絶対にだめよ」


 そんな騎士様の姿、目もあてられない。


「だったら行くしかないでしょうが」


 とどめのように言われて、わたしは頷くしかなかった。

 そうよね。

 ばれたらどうしよう、とか。素敵な騎士様を前に心がもたないとか。

 そんなことを言っている場合ではない。約束は約束なのだし。


「相談ってのがどんな内容なのかはわからないけど、素敵な人なら近づくチャンスと思って気楽に構えたら?」


 確かに騎士様は相談って言っていた。

 内容を推し量ることは出来ないけれど、もし本がばれたのなら相談なんて言い方はしないはずだし。


「ちゃんと、会って話を聞いてくるわ」


 自分に言い聞かせるように、わたしはしっかりと断言した。

 それからのわたしの行動はというと、落ち着いたものだった。

 自宅に帰りクローゼットを開け放ち、そこから数ある服を目に今日の装いにふさわしいものを見定める。

 食事をしながら相談をしたいと言った。

 ということはただ可愛いだけではいけない。困っている人を相手にただ着飾るのは不謹慎。

 やや控えめに、けれどもあの騎士様と並んでも恥ずかしくないようなものでなければ。


「これはだめ。これも……飾りが多く付きすぎよね」


 幸いにして服はたくさんある。

 お客様に仕立てた生地の切れ端や、仕入れたものの使うあての無くなってしまった生地を安く譲り受けて、それを自分好みの服に仕立てているから。


「生地は上質なものを使って、色は少し暗めの方がいいかしら」


 頭の中を整理するように呟いて、わたしは服を絞り込んでいく。

 隣に並んで騎士様が恥ずかしくないように。

 その一心で、わたしは慎重に服装を選んでいくのだった。


 + + +


 最終的にわたしの選んだ服は紺色のワンピースだった。

 ビーズなどの光りものは避けて、代わりに同色のリボンが華美にならない程度にあしらわれている。

 ふわりと広がる袖や裾からは白のレースが見え隠れして異性の目線を誘うようになっているけれども、胸はしっかりと覆い隠して清楚さを保っている。

 わたしの自信作の一つだった。


「お待たせしてすみません」


 髪も紺色のリボンで結って噴水へ行くと、騎士様はすでにそこで待っていた。

 約束の鐘はまだなっていないのだけど、待たせたことにはかわりないと頭を下げる。


「いいえ、私のためにおめかしをして下さっているのですから、男冥利に尽きるというものですよ。――とてもよく似合っています」


 なんて言って騎士様がわたしの手をとるものだから、つい顔を赤くさせてしまった。

 そんな騎士様はストライプのシャツに黒のスラックス姿と仕事を終えた騎士様は私服だった。

 ただそれだけなのに様になっているのが騎士様らしい。


「それでは行きましょうか――と言いたいところなのですが」


 と、騎士様は一度言葉をきる。

 なにかあったのかしら?


「よく考えてみると相談の内容的には店というのはあまりふさわしくないかなと思いまして」


 少しだけ困ったような笑みを向けられて、私も曖昧な笑みを返した。

 一体どんな内容なのだろう。


「それで勝手かとは思いましたが、自宅に店の料理を用意しました……貴女にとって不名誉なことは絶対に致しません。どうか私の家でのディナーを過ごしてはいただけませんか?」


 騎士時の自宅で食事。

 その言葉にわたしはぽかんと口を開けてしまった。

 今日まで話したこともなかった騎士様からの相談と食事のお誘い。それだけでも驚きなのに自宅にお呼ばれなんて、誰が想像できるかしら?


「お嫌でしたら、個室のある店へと向かいますが」


 あまりの展開にしばし立ち尽くしていると、そんな申し出をされる。

 個室のあるお店。それはお貴族様御用達を示しているわけで、そんな高級なところに連れて行けなんて、とても言えるはずがない。


「いえ、ご自宅がいいです。ぜひご自宅でお願いします」


 思わずこちらから自宅の希望を出してしまい、騎士様が小さく吹き出した。

 ん?わたしおかしなこと言ったかしら。

 首を傾げて返答を反芻してみる。

 わたし、自分から男性の家に行きたいって言ったわ!


「そういう意味ではなくてですねっ」


 理解した瞬間顔に一気に熱が噴き出た。誰がどう見ても真っ赤な顔で首を振る。


「いえ、わかっています。先ほども申し上げたとおり、貴女の不名誉になるようなことは一切致しません」


 くくくと喉の奥で笑いを噛み締め、騎士様が言った。

 そんな見たこともない騎士様の様子に、少しだけ恥ずかしさが薄れる。

 こんな表情するのね。


「でもよかった。せっかく用意した料理が無駄になるのは忍びないですからね。――それではご案内します」


 騎士様はすぐに笑いをおさめると、わたしの腰に腕を回した。

 は、恥ずかしい。

 恋に恋するだけだったわたしが騎士様にエスコートされている。その事実に一度引いたはずの熱が再びわたしを襲った。

 腰と左半身に感じる騎士様の体温にどぎまぎしてしまう。


 騎士様の自宅までの道中、わたしはやや顔をうつむいて羞恥心をやり過ごすのだった。


「どうぞ」


 そういって招かれたのは、白くて新しそうな建物の二階だった。

 中は落ち着いた雰囲気の部屋が広がっていて、奥にはドアが一つ。


「おかえりなさいませ」


 と、台所へ続く通路から一人の年配の女の人が出てきた。


「ただいま戻りました。すみません、急にいろいろと頼んでしまって」


「いえいえ、これくらいはなんともありませんよ」


 騎士様と女の人は笑顔で会話するのを見守っていると、やがて二人の視線がわたしを向いた。


「幼い頃からよくしてもらっているモントさんです。今日は特別に彼女に料理の手配をしてもらっていたのですよ」


 騎士様がそう紹介すると、女の人は頭を下げた。

 わたしもそれにならって会釈する。


「あとは配膳だけですので、お二人ともお座りになってお待ちくださいませ」


 モントさんににっこりとした笑顔を向けられて、騎士様はダイニングテーブルのイスを引いた。


「どうぞこちらへ」


「ありがとうございます」


 言われてイスに腰を下ろすと、騎士様はその向かいに座った。間もなくモントさんが料理を運んでくる。

 その盛り方のきれいなこと。

 まるでおしゃれな料理店で出されるようなそれに、つい口が綻ぶ。


「モントさんは去年まで実家の料理店に勤めていたんですよ」


 わたしが彩り鮮やかな料理たちを見て楽しんでいると、騎士様はそう説明してくれた。

 騎士様の実家は人気の料理店だと聞いたことがあった。


「料理人の方だったんですね。こんなに素敵な盛り付け、初めて見ました」


「あらあら、そういってもらえると嬉しいわ」


 モントさんは最後に紅茶を注いでくれた。

 ありがとうございます、と告げるとモントさんは小さく微笑んだ。


「後片付けなどは私がやりますので、そのままで」


 全ての料理が出揃ったところで騎士様が言った。


「急に呼び出してしまって、本当にすみません」


「これくらいはなんてこともありませんよ。――ではお言葉に甘えて、今日はこれで失礼しますね」


「とても助かりました。ありがとうございます」


 騎士様はモントさんを玄関まで見送りに席を立った。

 幼い頃から知っているとあって、二人はとても親しげだった。


「お待たせしました」


 少しして戻ってきた騎士様は、わたしの向かいに座ると柔和な笑みを浮かべた。


「まずは温かいうちにいただきましょう」


「いただきます」


 料理はどれもが舌鼓をうつようなものだった。

 カボチャのポタージュに色とりどりのマリネ、魚のソテー。

 パンはほのかに甘くて、いくつかの木の実が入っている。


「美味しいです」


 口に運ぶたびに幸せな気分になって、わたしは満面の笑みで完食した。

 そしてはたと気づく。


 ……相談、聞いてなかった。


 食後の紅茶を手にぴしりという音が聞こえるかのように、わたしは固まった。

 料理の話やご実家の話は聞いた。わたしの仕事についても聞かれて答えたけど。

 全ての料理を食べきってなお、相談の内容を聞いていなかった。


 え、あれ?


 内心冷や汗が落ちる。


「どうかしましたか?」


 突然不自然に固まったわたしを騎士様が不思議そうに見ていた。


「いえ、とても美味しかったんですが……その、相談は……」


 ひょっとして、料理に夢中で聞き流してたかしら。

 恐る恐る上目遣いで騎士様を見上げると、騎士様は一瞬きょとんとした。それから小さく吹き出す。


「あんまり美味しそうに食べるものだから、相談は食後でいいかなと思いまして。まだ話していないので、心配しなくても大丈夫ですよ」


 わたしの言わんとすることを正しく理解した騎士様は言いながら立ち上がった。

 空になったお皿を積み重ねていく。


「あ、やります」


 慌てて腰を浮かせたのだけど、騎士様は「座っていてください」と肩を押してわたしを再びイスに戻した。

 なんだか至れり尽くせりな感じが申し訳なく思う。


 わたし、まだ相談にのっていないのに。

 というか、そもそもどうしてわたしに相談を?

 だって初対面だったはずなのに。


 そんな今更な疑問が浮かび上がったところで、騎士様が新しい紅茶を運んでくれた。


「さて、ここからが本題なのですが」


「はい」


 わたしは気を取り直して騎士様の顔を見つめた。

 騎士様はテーブルに両肘をついて手を組んでいた。


「アマリア・プルックさんに折り入って相談したいことがあります」


 名前を呼ばれて、はっとする。名乗った覚えはなかった。

 というか、名乗ってないとかどうなのわたし。

 いや、ともかく今はそれよりも……


 騎士様はわたしのことを知っていて、その上で相談をしたいと言っていることに気がつく。

 わたしは緊張した面持ちで次の言葉を待った。


「相談……というか、お願いのようなものですが」


 そう言って騎士様はひとつの冊子をテーブルに置いた。

 一見なんてことのない冊子がそのままテーブルの上を滑って差し出される。


「これは?」


 とくに見覚えのあるものではなかったけど、わたしはその冊子を捲りあげ、今度こそ完全に動きが止まった。


 これは……まさか。


 静かに静かに文面に目を走らせる。

 間違いない。わたしの作った話の書かれた本だった。


 どうして騎士様がこれを持っているの!?

 しかもこれ、騎士様が主役の話じゃない。

 他にも本はあるのに、よりにもよってこの本だなんて。


「これは貴女が書かれたものですね?」


 さーっと血の気が引いていく音が聞こえた。かたかたと本を持つ手が震える。


「一部若い女性たちにこういった話が好まれているのは理解しているつもりです。それについてはなにも申し上げることはありません」


 騎士様の言葉が嫌にはっきりと聞こえる。

 その声色にわたしを責めるようなものは混じっていない。


「ですが、この本の登場人物は些か許容しかねるといいますか」


 いつもの穏やかで優しい騎士様の声に、困惑の色が含まれていた。


「す、すみませんっ」


 わたしは慌てて頭を下げた。

 本人からしてみれば最悪この上ない物よね。


「これはさすがに、男としては不名誉な事だなと思いましてね」


「仰る通りです……っ」


 こくこくと頷くことしかできない。これはもうとにかく素直に謝り倒さなければ。


「聞くとこによると、この本は一冊ではないとか」


「友人が何人か書き写したものを持っています」


 騎士様の問いに即答する。

 この本もわたしの字ではないし、書き写されたものの一つのようだった。


「せっかく書き写されたものを申し訳ないのですが、もしよろしければ、本を回収してはくださいませんか?」


 声を荒げる事もなくあくまで下手に申し出る騎士様。

 なんて心の広い人なんだろう。

 わたしなら怒っているわ、なんて思いつつ今の自分の状況をよそにときめいてしまう。

 うっとりとして騎士様を見つめ、そこではっとする。


 いやいや、いまは真摯に受け止めて誠心誠意謝るところ!


「ほ、本当に、申し訳ありません。騎士様には不快な思いをさせてしまいました」


 すると騎士様は慌てたように首を振った。


「もちろん想像して楽しむ事は問題ありません。誰だっていろいろな想像をしているものですから。ただ、形として目に入るのは少し……狭量で申し訳ないです」


 騎士様は誰にも下手に出てしまうのかしら。

 そんなに優しかったら、非道な同僚たちに弄ばれてしまうのでは?

 ぐっと手を握りしめ、一瞬妄想の世界に旅立つ。

 この美しくて心優しい騎士様を押し倒して、キスをして、抵抗しようと動く手を押さえ込んで――


「……アマリアさん?」


 はっ。

 まずいまずい。


「責任を持って回収します!」


 慌てて首を振ると、わたしはそう宣言した。

 騎士様に顔も見たくないなんて言われたら死んでしまうかもしれない。そんなの辛すぎる。


「本当に、すみませんでした!――いっ」


 騎士様を見ていたい。嫌われたくない。

 その一心でわたしは勢いよく頭を下げ、勢いよくおでこをテーブルにぶつけてしまった。

 とっさにおでこをさする。

 瞬間、小さく吹き出すような吐息が聞こえたような気がして顔を上げずにちらりと騎士様を見やる。


 ……気のせいかな?


「どうか頭を上げてください」


 騎士様は先ほどとは変わらず穏やかな声だった。

 おでこから手を離し、そっと顔を上げると騎士様は立ち上がった。

 そしてわたしの横までやってくると、なんと!

 顎に手をかけ、わたしを上向かせた。さらに反対の手で前髪をかきあげる。


 えっ、なに?


 男の人にこんなことされたこともなくて目を白黒させるわたしをよそに、騎士様はそっとおでこを撫でた。


「よかった。少し赤くなっていますが、怪我はないようですね」


 心の底から安堵したかのような声が降ってくる。

 おでこを打ったわたしを心配して確認してくれたということにわたしも胸をなでおろす。

 そして、


「あ、ああああのっ!?」


 突然の騎士様の行動にびくりと仰け反った。

 一気に顔に熱が集中して、驚きに騎士様を見つめる。


 おでこにキスされた!?


「おや、顔全体が赤くなってきましたが……どうかされましたか?」


 見る間に赤くなったわたしから手を離すと、騎士様は不思議そうにこちらを見つめた。


 騎士様のせいですよ!

 ていうか、え、なんでキスされたの!?


 動揺にぱくぱくと口を開け閉めすることしかできずにいると、騎士様はやがて身をひいた。

 ゆったりと正面に座りお茶を飲むのをただただ見つめるものの、騎士様からの言葉はない。

 それどころか騎士様は自分が問題行動を起こしたとは露ほども思っていない様子。

 しばしの時を置いて、少し平静になったわたしは静かに考える。


 これ、どうしたらいいの?

 キスの理由を聞く?

 いや、そんな恥ずかしいこと聞けない。

 自分は何もしてないみたいな涼しい顔してるってことは、深い意味はない?


 じっと騎士様を見つめ、その唇に視線が向かう。

 ほんの一瞬だったけど柔らかくて少しひんやりしてて――


「と、とっ、とにかく!すみませんでした!」


 恥ずかしさを吹き飛ばすように思いっきり首を振ると、わたしはまくし立てるように言った。


「騎士様の素敵な姿にうっとりしてしまって。こうなったらいいな、なんて思っていたら、つい、気がついたら書いてしまっていたんです」


 威勢よく話し始めるわたしに騎士様は少し驚いたものの、静かに耳を傾けてくれる。


「嫌がらせじゃないんです!ただ騎士様のことが好きで好きでたまらなくって」


 ただ思ったことを口走る。


「あの、本は絶対に回収します!だから、だからっ、そのっ……嫌いにならないでください!」


 何を言っているのか特に考えることもなく、わたしはテーブルに両手をついてそう騎士様に懇願するのだった。

 読んで下さりありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ