覚悟の果てに得た決心
楽しんでいただければと思います。
(※2019.1.20誤字修正しました)
「あんれ、今日はまた随分張りきってるね?」
ある安息日、早起きして作るお弁当の品々に母さんは開けきらない目を向けて呟いた。
「まあね」
台所の作業台には既に七品が出来上がっていて、今はお弁当箱に詰め込む作業にうつっている。
「なになに、結婚でも迫るの?」
おかずのひとつをさっと摘まみあげて口に運ぶ母さんに、一瞬手を止める。
「……逆」
「ふうん?クルト君とはいい感じだと思ったんだけどなあ」
言われてちくりと胸が痛む。
クルトから髪留めをもらってからもデートは続いていた。
何度頭の中でシュミレーションをこなしても、結局別れを切り出すことはできなかった。
だけどいい加減先へ進まなければいけないのも分かっていて、私は数日前に女将さんに相談した。
『――どうすればいいでしょうね』
私の描く理想の旦那。高収入で優しい次男以下、王都勤務の男性。
対するクルトは優しくて王都勤務だけど決して高収入とはいえない。
兄ちゃんに安心してもらうには条件が足りなくて、だけどクルトのことが好きでたまらなく切ないと。
苦笑と涙混じりに呟けば、女将さんはそんな私の髪を撫でてくれた。
『そりゃあ、そのまま本物の恋人になってもらうしかないさ。あんたは最初からクルト君には優しかったじゃないか。無意識かもしれないけど、きっと一目惚れみたいなものだったんじゃないかい?そういう自分の素直な心に従ってみてもいいと思うよ』
何もかも見透かすように女将さんは微笑んでいた。
言われてみればクルトには再会した時から何かと手を掛けていた。だけどそれは常連客の中では珍しい毛色だったからで。
『ずっと思ってたんだけどね、スティーナ。あんたの兄さんは何よりスティーナの幸せを願ってる。高収入じゃなくたってスティーナが幸せだったら、それだけで十分安心できるんじゃないかな』
でも収入がよくないと、母さんを養ってもらえない。
女の私では収入はほんの僅かで、伴侶に求めなければいけないのはおかしいかもしれないけど。でもそれしか方法がないのなら……
兄ちゃんには安心してほしい。私達のことで心配はさせたくない。
『じゃあさ、こうしたら?』
思い悩む私に最終的に女将さんが出した決定方法は、簡単でいて、そして難しいものだった。
『次のデートでクルト君の好きなところを新しく発見できたら、クルト君に告白する。もし見つからなかったら、恋人役を終わらせて諦める』
その提案は私にとってはちょうどいい諦めの区切りになりそうだった。
クルトとはすでに――たとえむこうが友人としてであっても――精神的にも物理的にも距離は近くなっている。そんな今、新発見をするのはなかなかなさそうではあった。
だから、きっと今日が恋人として最後の日になるだろう。
そう思うと最高の一日を過ごしたいと、クルトに今までで一番笑ってほしいと思ったのだ。
それゆえの気合が、覚悟が、このお弁当には詰め込まれていた。
「別れるのかー。残念。クルト君いい子だったんだけどな」
「うるさいな。別にいいでしょ」
本当は本物の恋人になりたい。だけど。
苛立ちにきゅっと唇をかめば、母さんはそんな私の頭をそっと撫でた。
「ティナ、あんたは何でも考え過ぎ。もうちょっと楽に考えなさいな」
「母さんは何も考えなさすぎ」
「ルーカスは見事にわたしの性格を受け継いだんだけどねえ。ティナは父さん似だから。……ってことは考えるなっていっても無理か」
なんて言いながら母さんは残りのプチトマトを口に放った。
母さんはいつだってずけずけとものを言う。なのに。
「んじゃあれだ。辛くなったらいつでも胸を貸すから飛びこんどいで」
詳しく聞かない癖に母さんも兄ちゃんもこういう時だけは妙に察しがよくって、そして甘えさせてくれる。
「……そうする」
悔しい。悔しいけど言い返せない。
ちょっとむっとしながらも私はお弁当を包み、カトラリーも合わせてバスケットに詰め込んだ。
そうしてクルトが迎えに来るころには服装の確認もすっかり終えていた。
「今日のお昼は何?」
玄関のドアから顔を覗かせたクルトは、いつものように目を輝かせていた。
「豆だくさんのキッシュとスペアリブ。あとはポテトサラダと――」
「おおー。なんだか今日は豪華だね。どうしたの?」
「少し早く目が覚めたから、時間があったのよ」
なんて適当な理由を口にすると、いつものようにバスケットを手渡した。
「それじゃあ、行ってきます」
「スティーナさんをお借りしますね」
「はいよ。クルト君、うちのじゃじゃ馬をよろしくね」
そういう母さんはいつも通りのふてぶてしさで手を振った。
母さんも兄ちゃんも必要以上に笑って騒々しいのに、こういう時だけは顔に出ない。今は、ありがたいけど。
「今日はどこ行こうか?」
「時計台。あそこの裏の機械部分が公開されてて面白いらしい」
「へぇ。あの時計の裏側って見れるんだ。確かに楽しそうだね」
今日の行き先は前もって考えていた。
いつもより少しだけ大人しめな場所は、印象に残る思い出作りに。
もちろん恋人のフリが終わるだけで最後の別れじゃない。別れを告げてもクルトは変わらず弁当屋に顔を出して、私も変わらず相手をする。
ただの友達に戻るだけ。それだけのこと――
「到着っと」
あれこれ考えているうちに、気がつけばすっかり時計塔までやってきてしまっていた。
「今日はどうしたの、ちょっと悩んでるように見えるけど」
心配そうに顔を覗きこむクルトに私は首を振った。
「昨日ちょっと眠れなかっただけ」
「朝も早くに目が覚めたって言ってたけど、休んだ方がよかったんじゃないの?大丈夫?」
「平気。ほら登ろう」
握られた手を逆に引っ張って階段を上る。
クルトの手は相変わらず硬くて温かい。
滅多に登れない時計塔の螺旋階段をぐるぐると回って、そうして視界が開いたその瞬間、
「こら、走らないの!」
どこかの母親の叱り声がして、どん、と腰から下に衝撃が走った。
思わず身体がぐらついて宙を舞うような感覚に「あ、やばい」と冷静な自分が呟いた。
「スティーナ!」
嫌に音がゆっくり聞こえて、今度は反対方向へ引っ張られて階上のフロアへと転がる。
ぐきっと足が痛みを覚えたものの、それくらいだった。
だけど――
「うっわ」
私を引っ張り上げたクルトはその反動で階下へと落ちていった。
「クルトっ」
慌てて身を乗り出す中、クルトは数段転げ落ちたものの、なんとか手摺につかまり惨状は免れたようだった。
「大丈夫か!」
階上にいた数人が慌てて階段を駆け下りて、私もと立ちあがろうとした瞬間に足首に痛みが走り顔を顰める。
滅多に怪我をしないのに、どうしてこういう時に限って。
「いったたた」
自分に苛立つ中聞こえたのは、いつも通りのクルトの声だった。
「堪えきれなかったよ。……ちょっと体鍛え直さないと拙いなこれ」
いつものちょっとのんびりとした声が耳に届いて、知らず息をつく。
あのまま転がり落ちていたら最悪死んでいたかもしれないけど、機転の利くクルトは数段でそれを止めた挙句に、駆けつけた人の手を借りてすぐに立ち上がった。
「ありがとうございます」
そうしてすぐに顔を上げて、目があった。
「スティーナは怪我してない?」
口調はいつもどおりなのに、その目はすごく心配そうで。
「助けてくれてありがとう。クルトこそ大丈夫なの?」
できるだけ嘘はつきたくない。
だからお礼だけ言って尋ね返した。
「あちこち痛いけど、平気だよ。僕頑丈だしさ」
クルトはそう言うだけで、言及は免れたようだった。
「ひょっとしたらどこか痣になってるかもしれないけど、それくらいじゃないかな。手足も動くし、どこも問題はないよ」
更には手足を軽く動かしてみせてくれるクルトに、内心安堵する。
確かにぎこちなさはどこにもなくて、クルトはね?というように首を傾げた。
ならいいけど――そう口に出そうとした時、ひと組の親子が勢いよく頭を下げた。
「申し訳ありません!」
それは私にぶつかった男の子と、その母親だった。男の子はびっくりして泣きそうな顔をしていて、お母さんは顔が青い。
「大丈夫ですよ。特に怪我もしてませんし」
クルトは二人にすぐに笑顔を浮かべた。
何度も何度も頭を下げる二人に、私も加わって大丈夫だからと述べるとやがて親子は手を繋いで階段を下りていった。
「あー、びっくりした」
その背を見つめて何でもないことのように感想を述べるクルトの傍らでこっそりと足の状態を確かめる。――どうやら足首を捻ったらしい。
だけど、今日が最後なのだ。今日が終われば私はクルトにこれまでのお礼を伝えて、振り返らずに理想を求めて前を向く予定なのだ。
「じゃ、気を取り直して見学しよっか」
「そうね」
差し出される手を握って歩き出せばやっぱりちょっと痛いけど歩けないほどでもなくて、悟られないようにしながらも少し庇いながら進んだ。
せっかくの最後のデートを満足のいくものにしたい。
「……スティーナ、ちょっと座ろうか」
十歩も進んだだろうか、クルトはそんな私に渋い顔を向けた。
壁際に置かれたベンチに連れられて腰をおろせば、クルトはさっと私の向かいに片膝をついた。
「足痛めてるでしょう」
「なんのこと?」
「誤魔化さないの。ちょっと見せて」
はぐらかそうとしたものの、クルトは言うが早いか足を手に取った。
勢いよく触られることはなかったけど、それでも鈍く響く痛みになんとか表情を変えずに我慢すれば、かつてないほど深いため息が漏らされた。
「どうして言わないかな」
まっすぐに見つめるクルトの目が居た堪れなくて、そっと視線を外す。
「たいしたことじゃないわよ。それに痛いなんて言ったらすぐ帰るでしょ?せっかく来たんだから見学して帰りたいし」
なんて理由をつけてみるとクルトはしばらく私のことを見つめ、もう一度足の状態を確認し始めた。
「――見学したらすぐに帰るからね?いいね?」
「わかったわ」
強く念を押すように言われて頷く。
悟られたなら仕方がないか。
落胆して、だけどすぐに帰らずに済むことに安堵した自分は、馬鹿だった。
「ちょ、ちょっと!」
急に浮遊感がしたと思ったら、クルトに抱きかかえられていた。
「文句言わないの。これなら無理しなくていいでしょう?」
まだ少し怒っているようなクルトの声が、すぐ耳元から聞こえて熱が生まれる。
近い。近すぎる。
「や、あの、歩けるから」
「ダメ」
「階段から落ちたのに、こんなことさせるなんてありえないから!」
「僕はもうどこも痛くないから」
横抱きにされた私は恥ずかしさと緊張のあまり顔を俯かせることしかできなかった。
「下ろせっていうんなら今日の見学はなし」
いつもはのんびりと私に合わせてくれるのに、クルトはたまに強情だ。
それは私がちょっと危ないことをしている時がほとんどで、本気で心配しているが故なのも分かっていて強く出られない。
「せめて……おんぶにして」
蚊の鳴くような声でお願いしてみたら驚かれた。
「ええっ、女性にそれはないでしょう」
だって兄ちゃんはいつもおんぶしてくれてたから。だから少しは落ち着くかなって、閉じ込める予定だった心を無駄にときめかさなくて済むかもって、思ったのに。
それなのに、クルトは横抱きにしたまま下ろしてくれない。
ああ、どうしよう。
いつも握っている手が、その腕が実はかなり逞しいことを。
密着している胸板が見た目よりも厚いらしいことを。
私一人を抱き上げてもひとつも歩調のぶれることがない強さを。
――触れる温もりがこれ以上ないほどに心地よいことを。
幾つもの知らなかったクルトを知って、更に好きになってしまった。
見つけられない筈の新しい好きをたくさん見つけてしまった。
別れを、覚悟していたはずなのに。
もうダメだ。
理想なんてもう知らない。そんなものどうだっていい。
「クルト……」
「うん?」
「――好き」
心の内から溢れる感情を、思いのたけをこめて囁いた。
恥ずかしくて顔は見れなかったけど、きっと声音では真剣なことは伝わっているはず。
私は胸の鼓動が激しく脈打つ中でじっと返事を待った。
そして――
「うん、僕も好きだよ?」
返ってきたのは何を今さら、とでもいうような疑問形な言葉だった。
緊張感もときめきも欠片ほどもないその返事には色艶なんて全く含まれていないわけで、
「……知ってる」
思わず半眼になって声が低くなってしまったのは、しょうがないことだと思いたい。
+ + +
それから時計台を見学して、螺旋階段までもを抱えられた状態で降りた私はがりがりと精神力を削り取られていった。
通り過ぎる人みんなが振り返って恥ずかしいったらない。
なのに触れる部分の温もりは心地よくて、悶絶というのはこういうことかと強く学んだ気がする。
「ただいま戻りました」
家に着くなり外でさえも抱き抱え続けたクルトがそう声をかけた。
「随分早かったね」
珍しくもすぐに迎え出た母さんは、横抱きされている私を見て目を丸くした。
「すみません、僕がいながら怪我をさせてしまいまして」
肩を落とすクルトがそう言って時計台でのことを話し始めた。
「ふうん?」
どこか釈然としない様子の母さんを見ていると、急にその目があった。
瞬間――にやあ、と非常に嫌な笑みが浮かびあがった。
これは何かまずい気がする。
「別にクルト君は悪くないでしょ。むしろ娘を助けてくれてありがとう」
私が何かを言う前に、母さんは肩を竦めて家の中へと招き入れてくれた。
「冷やすもの持ってくるわ」
母さんの笑みに不安が残るものの、ようやくクルトから解放されソファに降ろされた私はつい安堵の息を漏らした。
「痛む?」
そんな私に勘違いしたクルトが心配そうに声をかけてきて、慌てて首を振る。
「そんなんじゃ、ないんだけど」
ここまで心配して連れて来てくれたクルトに横抱きが終わってよかったとは言えず、歯切れの悪い返事になってしまった。
「ほいさ」
そこへ水で冷やしたタオルをもった母さんが戻ってきて、受け取って足首に乗せる。
熱をもってるみたいで冷たさが気持ちいい。
「今日はあんまり動かしちゃダメだよ」
「わかった」
クルトに言われて素直に頷く。
母さんはそんなクルトの傍らに置かれたバスケットを見つけ、しばらくそれを眺めた。そして、
「お昼まだなんでしょ。せっかくスティーナが気合を入れて作った弁当なんだから、食べてきなさい」
何故強調した。
強く睨みつければ母さんは小さく舌を出して応えた。
「ありがとうございます」
私たち親子のやり取りには気づかなかったらしいクルトは、申し訳なさそうにしながらも母さんの言葉に甘えることにしたらしい。
「ま、まあもったいないしね」
腕を組んでふん、とそっぽを向けばクルトは早速とばかりにバスケットを開けた。
目の前のローテーブルにお弁当が並べられ、母さんは手早くお茶の用意を始めた。
「あ、これ。僕の好きなやつ」
お弁当を広げる中でクルトはその品々に顔をほころばせた。
その顔が好きな私はついじっと見つめて微かに笑ってしまった。
「いただきます」
そう言って初めに手に取ったのは大好物のおかず。
口に入れて満面の笑みを浮かべるのが何ともいえずに――愛しく感じる。
「ほんっとうにスティーナは料理が上手だよね。僕、お弁当屋さんのよりこっちの方がうんと好きなんだよね」
あ、これ女将さんには内緒だよ?なんて言われて、胸の奥がじんと沁みる。
しみじみとクルトを見ていると、母さんがそんなクルトに忍び寄り肘でぐいぐいと押した。
「どう?うちの子と結婚すれば毎日これが食べられるんだよ」
何を言ってるの!
再び目で威嚇するも、母さんのにやにや顔は止まらない。
一体何をたくらんでいるのか。足さえ痛くなければ問答無用で別の部屋に連れていくのに。
「スティーナの旦那さんになる人は幸せですよね」
「ぶっ」
「……クルト」
母さんは口元を手で覆って小刻みに震え、私は恐ろしく低い声で名前を呼んだ。
「えっ、なに?」
あまり聞いたこともないような私の声に純粋に驚くクルトにはため息しか出ない。
「美味しい?」
「もちろんだよ。――あ、ごめん。スティーナも食べたいよね」
催促したわけではないんだけど、どうやらそう取られたらしい。
クルトはあたりを見回してもうひとつ用意してあったカトラリーで器用にひと口分にまとめあげたおかずをスプーンに乗せた。
「はい」
あーんと口元まで運ばれて、怒りに任せて頬張る。
美味しい。そんなのは分かっている。だって頑張ったし。
面白くないこの憤りをそのままにかみ砕き飲み干す。
「……スティーナ、どうかしたの?」
「何でもない!次ちょうだい」
「あ、うん」
クルトは言われるがままに次の料理を運んでくれて、かぷりと食いつく。
あんなに悩んで、諦めようと覚悟してたのを覆したというのに。
それなのにいざ告白してみれば、断られるよりもある意味残酷な仕打ちをされた。
そういう目で全くもって見られていない。対象外。
ありえない。
これはもう。
絶対に好きだと言わせてやる。
何が何でも振り向かせて、クルトの方から告白させてやる!
「――今に見てなさいよ」
ふん、と鼻息荒く呼吸をすると私は半眼で呟いた。
ちなみにそれに対してクルトは何の脈絡もない台詞に目を白黒させ、母さんはというと「兄妹そろって相手にされないとか、ホント面白いわ」と爆笑していた。
読んでいただきありがとうございます。