知りゆくうちに
楽しんでいただければと思います。
(2019.1.20※誤字修正しました)
クルトは基本的に優しくて穏やかな人だった。
ぱっと見た印象では頼りなさそうに見えるけど、芯はしっかりとしている。
仕立てはそこそこいい服だけど、内側は結構継ぎが多い。手にしている鞄も補強がされてたりしていて、そこそこいいものを買った方が全体的に長持ちするから選ぶけど、その後は使えなくなるまでがんばるんだと本人も言っていた。
多分貧乏性なんだと思う。そんなクルトは収入も悪くはないかもしれないけど、決してよくもないのはなんとなく雰囲気的に察した。
そんな中で相場の四割増しのうちのお弁当だけは、初めて食べたその日から毎日買っていた。
よほど気に入ったんだろう。結構な負担がかかっているに違いないけどあんまりにも美味しいと喜ぶ姿につい、私はクルトがお弁当を受け取りに来る前にこっそり温め直してあげたりしていた。
そんな日々を送っていたんだけど――
「今日もありがとう。いってきます!」
普通なら弁当箱を預かるだけで済ませる朝、弁当箱に昼ご飯を詰めて渡すとクルトは満面の笑みで手を振って職場へと向かった。
数日前までは弁当箱を預け、昼に受け取りに来ていたのに、今では朝持ってきて朝詰めて、そして昼に受け取りに来ることはなくなっていた。
「……配達でもいいのに」
その背を見送りぼそりと呟く。
今までせっかくあっためて用意してあげていたのに、これじゃあ毎食冷めた弁当になる。
「まぁまぁ、クルト君がそれでいいっていうんならしょうがないさ」
女将さんが笑って肩を叩く。
「あったかい方が美味しいのに」
あんなに毎日美味しいと言ってくれるクルトには、一番美味しい物を食べてほしかった。
「配達か朝詰めるかで、後者を選んだのはクルト君だしねぇ」
数日前のあの日、しつこい変態を追い払う為にクルトは私の恋人役を買って出てくれた。
それでは申し訳ないという私との間で女将さんが出した妥協案は、昼は本当は忙しくて弁当を取りに来るのも一苦労なクルトに対して弁当の配達を無料提供するか、弁当箱の預かりしかしていない朝の時間帯に特別に弁当を詰めてあげるかだったのだ。
「僕一人の為にお金かけなきゃいけない配達を頼むなんてできないよ」
というクルトはやっぱり貧乏性だと思う。
いいって言ってるんだから、素直にあったかい弁当を受け取ってくれればいいのに。
口をとがらせつつ、私は来店した客の予約注文と支払いを済ませた。
「ところで明日はどこに行くんだい?」
客が引いたところでおかずの量産を手伝っていると、女将さんがそう聞いてきた。
明日はクルトが恋人役を引き受けてくれてから初めての安息日だった。この日も恋人役としてどこかに出かけることになっているのは、しつこい変態が私の家を知っていて本当にクルトが恋人なのか確かめようと張り込むことが予想されているからである。
「場所は聞いてません。待ち合わせはしてますけど」
休みの日まで恋人役なんて引き受けてくれるクルトは人がよすぎる。
だからなにかお金を使って遊ぼうとか、ご飯を奢ってくれるとか、そんなことが万にひとつでもあったら怒ってやる、と心に決めている。私が巻き込んだのだから金なんか出さなくていい、と。
「あ、そっか。お昼御飯は作っていけば浮くのか」
そもそも用意さえしていればお金を出す余地はない。
そう思い至って呟けば、にやにやと笑う女将さんの顔が見えた。
「いいねぇ。クルト君大喜びするんじゃないかい?ここの弁当の味付けとか、今となっちゃほとんどスティーナの考案なんだし」
「でも作ってるのは女将さん達ですし、やっぱり焼き加減とかの絶妙さが違いますよ」
「いーや、クルト君なら泣いて喜ぶに違いない」
「ですかねえ」
女将さんはクルトのことがすごく気に入っているらしい。
高収入の独身男に狙いをつけて始めた商売とはいえ、その収入と自分の優秀さを鼻にかけている男どもばかりが相手のこの店ではクルトのような正直で素直な人はそういない。
なんていうか、癒し的な存在になりつつあるようだ。
もちろん高収入な男の中にもたまに好印象な人もいる。私なんかはそういう人との出会いを求めていて、そんな人との結婚を目指している。
高収入で優しい次男以下。あと王都勤務。結婚相手はこれに限る。
……今まで失敗続きだけど。
「いい男、どこかに転がってないかなぁ」
これまでの付き合いを思い出してため息とともに願望を口にする。
「しばらくはクルト君に癒されなさいな」
対する女将さんは笑っている。
「求める条件に当てはまらない、だけどやさしーい男と接してさ、ちょっと休憩したらいいんだよ」
「たしかにクルトは優しいですけど」
「だろう?裏表のないあの兄ちゃんと一緒にいたら、新しい何かが生まれるかもよ?」
「何かってなんですか」
「それはあたしにゃ分らないけど」
そうして売りっぱなしの弁当箱に具を詰めていく。
用意できれば今度は大口のお客さんのところへ配達に向かわなくてはいけない。
「ま、とにかく明日は何にも考えずに、狙いも駆け引きもない恋愛を楽しむといいよ」
「……まあ、フリなんですけどね」
どこか認識を違えてる気がする女将さんに身も蓋もない現実を無気力に投げつけ、私はせっせと次の作業へと移るのだった。
+ + +
やってきた安息日。
いつもよりちょっと早起きして家の台所で弁当を作った。
「なになにデート?振られたんじゃなかったっけ」
肩越しに弁当を見つめる母さんはちょっと下衆い。
あの日、クルトに送られてたどり着いた家で散々泣きわめいたのを知っていて傷を抉るのは親としてどうなんだろう。
「デート。どこ行くか知らないけど」
「なるほど。今度は身体じゃなく胃袋で掴むわけか」
「……味見」
にやにやと笑う母さんの相手をするのはなんだか疲れそうで、その口にまだ切り揃えていない残りのローストチキンを突っ込む。
母さんは途端に大人しくなって一生懸命咀嚼しつつ、親指を立てた。
美味しいらしい。
きっとすぐ食べるだろうし、片づけは任せよう。
「んじゃあそろそろ行ってきます。残り適当によろしく」
「あいよ」
兄ちゃんと同じ色の鳶色の目を輝かせて、母さんは大きく手を振った。
弁当をバスケットに入れて、いざ出発。
「やぁ、スティーナ」
……玄関から出て一歩目で変態から声がかかったのは、なんていうか、心が折れるよね。
こっそりとため息をつきつつ、負けないという意思の元ぐっと声のかかった方に顔を向ける。
「どうも。こんなところで何してるんです?」
半眼になるのは当たり前だろう。
だけど私の仏頂面もなんのその、無駄に仕事のできるらしい変態はキラキラとした笑顔を振りまいた。
「そりゃあスティーナに俺の女王様になってもらうためじゃないか」
「無駄ですよ。諦めてください」
この前キスされそうになったこともあり、足を止めることなく進みながら相手をする。
ていうか女王様って。
「この前のあの貧相な男、恋人じゃないんでしょう?スティーナがあんな男を相手にするはずがない」
「恋人ですよ」
「まさかそんな。君は高給取りにしか興味がないんじゃなかったのか?俺みたいな」
「夢か何か見てるんですかね」
まあ、高収入については事実なんだけども。
でもたとえ高収入でも変態はごめんだ。
「そんなに疑うんならついて来てくれてかまいませんよ。これからデートなので」
ちなみにこの男、しつこいけど瞬間的なものには打たれ弱い。
本当にクルトと待ち合わせをしていると知ったらその場でうずくまって衝撃にうち震えるのは目に見えている。その間に逃げればいい。
そんなことを考えていると、約束の噴水が見えてきた。遠目からでも既にそこにクルトが立っているのがわかる。
「ほらそこ。今日は初デートなので、邪魔しないでくださいね」
そんなクルトを指さして、私は小走りにクルトへと駆けよった。
「う、嘘だ……」
と変態が大きく身体を震わせるのが気配でわかる。振り向かないけど。
「あれ、早かったねスティーナ」
「クルトこそ」
時間はまだもう少し先だったけど、お互い早めに来たらしい。
「ところでごめん、アイツいるから場所移動しよう」
「えっ、本当に家に張ってたの?」
「そう」
驚くクルトの袖を引っ張り、物影を利用してぐるっと公園の反対側まで移動すれば、もう大丈夫だろう。頭はいいんだろうけど感は鈍そうだし。
足を止めて今一度クルトの顔を見上げる。
「おはよう」
「ん、おはよう」
いつもと変わらない笑顔は確かに心が癒される。
ちなみに今日のクルトの服装と言えば――
「普通ね」
「いつも私服だからね。変わりようがないよ」
クルトはそう言って笑い、そして今度はクルトが私を見た。
「スティーナはいつもより可愛いね。アクセサリーなんて仕事の時付けてないし」
「まあ、弁当づくりには邪魔だし、服も動きやすくて汚れてもいいものが一番だしね」
「だよねー。ところでそれ、美味しそうな匂いがしてるんだけど」
と、クルトは早速見つけた弁当の入ったバスケットに釘づけになった。
私の服装よりやっぱりこっちだよね。
「昼ご飯作ってきた。店のじゃないから味の保証はしないけど」
言った傍から目が輝いた。
「ありがとう!スティーナの手作りなんて嬉しすぎる」
「大げさよ」
肩をすくめるとクルトは大事そうにバスケットを私の手からすくい上げた。
「朝食べてきたけど、もう昼が楽しみ」
ご機嫌なクルトは見ていて楽しい。心が明るくなる。
ついつられて笑みを浮かべると、クルトが小さく首を傾げた。
「ところでごめん、スティーナが何好きかわかんなくってさ。行き先何にも考えてないんだ。どこか行きたいところある?」
気取ったところのない言葉はとても新鮮で、なんだか心を和ませる。
いつもなら小洒落た店に連れて行ってくれたり、劇を見に行ったりと何かとお高く止まった感じだったけど、クルトはなんだか気安い感じで親しみがある。
「特に何もないけど、付き合わせてるのは私だしね。クルトは何かやりたい事とか買い物とかないの?」
「ないかなぁ。休みの日って基本掃除洗濯したら終わりだし。あとはなんか繕い物あったらするくらい?」
のんびりとしたクルトに少し笑いがこみ上げる。
買い物じゃなくて繕い物なところがいかにもクルトらしい。
「えっと、また追ってきた時用に恋人らしくするとして、その場合はやっぱり買い物とか?」
「んー……いや、仲よさそうにしてたらなんでもいいんじゃない?」
無駄にお金を使わせない事を目指す私はしばらく行き先を考えて、そして思いついた。
クルトなら多分楽しめる。楽しめなくても懐かしいって喜んでくれるような場所。
「川辺に行かない?」
「いいね!お弁当も作ってくれてるし、ピクニックだね」
嫌な顔をされることはないと思った。だけど満面の笑みで応えてもらえるとなんとなく心が軽くなる。
「じゃあ行こっか。はい」
にこにこと空いている方の手を差し出されて、握り返す。
大きくて温かい手は――意外にもところどころ硬くて使い込まれたものだった。
「クルトってなんの仕事してるの?」
そう言えば今まで聞いたことはなかった。
何となく勝手に事務系の仕事だろうと思ってたけど、この手はひょっとして作業系なんだろうか。
「事務関係だよ。集められた情報を元に統計をとったり、対策を練ったりとか」
「ふうん。やっぱり事務なんだ」
「うん」
手を繋いで街中を歩く中で気づくのは、歩調を合わせてくれてること。
「でもその手、なんかタコみたいなのがあるけど、ペンダコではないよね」
どちらかというと指の付け根とかにあって、手のひら自体も硬い。
なんだろう。ちょっと兄ちゃんの手のひらと似ている気がしなくもない。
「あー、これ?」
と、クルトは反対の手を握ったり開いたりした。
「これは、いろいろやってたからじゃないかな?」
「いろいろ?」
「うん。たとえばさ、家具の修理とか。子供の頃からいろいろやってたんだよね。あとは薬の調合とかですりこぎもたされたりもしてたし」
「薬って、子供なのにそんな物作ってたの?」
子供がやるようなことではない。むしろ失敗して危険な気がするんだけど。
そう思って見上げた先のクルトはなんだか遠く、だけど楽しそうでもあった。
「ばあちゃんに言われてね。僕、ばあちゃんと森で二人暮らしだったんだよ」
「王都育ちじゃないんだ」
「うん。王都に来たのは十六でね。それまでは南の森に住んでた」
ほとんど毎日顔を合わせてはいたけど、簡単な世間話くらいしかしたことがなかったことに、今さらながらに気付いた。
クルトは一体どんな生活をしていたんだろう。
「本当に森の中でさ、近くの街には月に一回くらいしか行かなくて。だから壊れた物とか壊れそうな物は大事に何度も繕って使ってたんだ」
それがクルトの今の姿になるということか。
納得しつつ、私はクルトの話に耳をすませた。
「で、ばあちゃんの仕事っていくつかあったんだけど薬の調合とかもあってね。大量だったりすると手伝わされたんだよ。最初は遊びみたいな感覚でさ。いろんな薬草すりつぶしたりしてたんだけど、そのうち徐々に作業も増えてって、王都に来る直前にはほとんど一人で作ってたかな。まぁ、そういうのもあって、手は使いこまれてる方だと思うよ」
「ふうん。森で育つって、想像できないわね」
「ここにいるとそうだろうね。僕、王都に来て本当にびっくりしたんだから。人も物もあふれててさ、こんな世界があったんだって口あけてぽかんとしてたよ」
「それは見てみたかったかもね」
驚いているクルトの表情はなんとなく想像ができる。
くすくすと笑っていると、今度はクルトが尋ねてきた。
「スティーナは生まれも育ちも王都?」
「そう。ずーっと母さんと兄ちゃんと三人で暮らしてる。っていっても兄ちゃんはほとんど王都にはいないんだけどね」
「えっと、お父さんは?」
「私が一歳になるかならないかくらいの時に事故でね」
「そっか」
それからずっと三人暮らし。
母さんはまわりから再婚するように勧められてたし、言い寄ってくる男の人も多かったんだけど全部突っぱねて朝から晩まで働いた。
兄ちゃんは十も離れた私の面倒と家事の一切合財を請け負った。きっと友達と遊びたかっただろうに、常に私を優先させて傍にいてくれた。
二人ともとっても家族想いで、自慢の家族だった。
特に兄ちゃんは私と母さんの為に身を削ってくれている。
私達により良い生活を、楽な生活をと騎士になった兄ちゃんだけど、その当初かなり無理をしていた。合わない職場での日々はいつも明るく陽気だった兄ちゃんを鎮痛の面持ちへと変えていった。
三年耐えたけど見ているこっちが限界だった。必死に訴えて、最終的には同じく兄ちゃんを心配してくれた護衛部の先輩の力を借りて今の情報部へと転属してもらった。
兄ちゃんは私達と一緒に住める王都勤務として護衛部にしがみついてたけど、あんな兄ちゃんは見ていられなくて、各地を飛び回る情報部に異動してもらったのだ。
それから兄ちゃんは本来の明るさを取り戻してくれたんだけど、今度は王都で一緒に暮らせないのが――男手のない家庭になってしまっているのが――心配でたまらないらしくって、結局は負担にさせていてそれが悔しかった。
だから。
兄ちゃんを自由にさせてあげたくて、せめて私と母さんの心配をしなくてもいいようなものを目指して足掻いた。
――平たく言うと、高収入で母さんもまるごと面倒を見てくれる懐の広い男をとっ捕まえて結婚しようと目論んでいるのだ。
「見えてきたね。水の音が涼しげだなぁ」
と、自分の身の上を思い出していると私にそんな声が降りかかった。
ぎゅっと握られた手を引かれる。
「今日はたくさん楽しもうね」
あの変態も条件だけを見ればいい男である。
嫌だなんだと言ってないで、本当は付き合ってみるべきなのかもしれない。
けど――
「そうね」
今は目の前にいるクルトと一緒に過ごしたいと、何故だか思ってしまうのだった。
+ + +
それからというもの平日は毎朝クルトの弁当を詰めて、安息日はデートを繰り返した。
変態は四回目のデートで心がぽっきりと折れたらしく、それきり姿を見せなくなった。
だからそろそろ別れる――いや、正確には恋人役を降りてもらう――のがいいんだと思う。クルトだって毎回の安息日ごとに出かけていては、きっとやりたいことはたまっていっているはずなのだ。
わかっている。
私だってそろそろ次の男を見繕わなければいけない。
それなのに――
「今日はいろいろ付き合わせてごめんね」
「たまには買い物もいいわよ。楽しかったし」
デートを繰り返して十数回、終わりを告げられない私がいた。
クルトとのデートの行き先はほとんどは川を始めに花畑や公園などお金を使わない場所だった。そこで行われるのは虫捕りであり、草笛でありと小さい頃兄ちゃんが遊んでくれた様な内容ばっかりで色気も何もあったものじゃない。
だけどそこで行われる些細なクルトの言動が兄ちゃんには全くなかったものであり、そこに――大変不本意ながらときめきを覚えてしまったのだ。
たとえば歩調を合わせくれるところ。
たとえばお昼御飯を広げようとして、敷布を忘れてしまった私にさらりと上着を広げて座らせてくれるところ。
苔むしている岩を渡る時に手を差し出してくれたり、
「女の子なんだから危ないよ。僕がやるから今度からは言って」
屋根に登ったところを偶然近くを通りかかったクルトが見つけて大慌てで駆け寄ってきて、屋根の修繕をしてくれたこともあった。
自分以外にする人がいないからと言えば眉根を寄せて心底心配そうにして、そして私が渋々頼めば上機嫌に屋根へと登るクルトは私の心の中に静かに、だけど確実にその面積を広げていった。
冷静に考えれば、今まで付き合ってきた高収入の元恋人達もそうだったんだけど。
だけどいかにも気障ったらしい言動でやられるのと、子供のように遊ぶ傍らでごく自然に女の子扱いされるのとでは全然違う。
結果、どうにも話を切り出せないというのを繰り返していた。
「おかげでいいものが見つかったよ」
「よかったわね」
「うん」
今日は珍しく買い物をした。
クルトも私も基本的に買い物をしない。だけど今日買い物をしたのは、珍しくもクルトの部屋に飾る雑貨だった。何でも物が少なすぎて家の中が殺風景な気がするとのことだったのだ。
長い時間をかけて選び抜いたのは大きめの瓶の中にミニチュアの帆船が入った置物だった。
海を見たことがないらしいクルトは満足のいくものを見つけられたとほくほく顔である。
そんな帰路につく中で、私は今日こそはと自分に言い聞かせていた。
クルトは私の理想には届かないから。
優しいけど恋人の条件には入らないから。
だいたい本当に付き合ってたわけじゃない。
だから別れたって、仲が悪くなるわけでもなんでもない。
私達は友達なんだから。
大丈夫。
ちゃんとお礼を言って頭を下げて、笑顔で家に入ればいい。
大丈夫、いける。
家の前までに心づもりを済ませ、玄関前で振り返るとすっと息を吸った。
「スティーナ。あのね、これ」
口を開いたところで、先にクルトが声を発した。
これ、と言われて視線を落とすとその手元には花柄の小さな紙袋があった。
――買い物途中で何故か立ち寄ったリボンとレースの雑貨店のマークが入っている。
意図が見えずに顔を上げるとクルトは笑っていた。
「いつも美味しいお弁当ありがとう。よかったら使って」
言われて開けてみると、薄青の花の形に派手すぎないけどとても精緻で綺麗なレースがあしらわれている髪留めが入っていた。
――私があの店で密かに目を奪われていた髪留めだ。
思わず目を見張ればクルトはそっと髪留めを私の手から取り上げ髪に添えた。
「うん、よく似合う」
「そんな、わけ」
惹かれてはいたけど、欲しいとは思っていなかった。
可愛らしいものが似合うような女じゃないことはよくわかってるから、見るだけでいいやって、思って、たのに。
「スティーナは大人っぽいものが多いけどさ、こういうものも似合うんじゃないかって思ってたんだよね。すごく可愛いよ」
はい、と手に髪留めを返されて思わずぎゅっと握りこむ。
可愛い。可愛いだなんて。
「っ――」
思わず赤面してしまい、俯く。
恥ずかしい。
だけど、嬉しい。
「それじゃ、また明日」
私の様子なんてなんのその。
いつものように半歩身を引いて踵を返そうとするクルトをがしっと掴んだ。
「どうしたの?」
「あのっ」
きっと顔が赤いのがバレてしまう。
だけどお礼はちゃんと言わなきゃ。
「……ありがとう」
私らしくもなく蚊の鳴くような声になってしまったけど、クルトは聞き取ってくれたらしい。
私の手を優しく握って撫でてくれた。
――ダメだ、言えない。
嬉しいのに苦しい。
そんな気持ちが、私の中に溜まっていくのだった。
読んでいただきありがとうございます。




