自覚と罠
楽しんでいただければと思います。
(※2018.9.5誤字修正、一部表現訂正など行っています)
「トゥーレ様よ!」
「今日も素敵」
「本当に格好いいわ」
訓練場に入ると、観覧席の女性たちが黄色い声をあげた。
ある女性は頬を赤らめ、ある女性は席を立って大きくこちらに手を振っている。
毎日、入れ替わり立ち替わりやってくる女性達に、私はにこやかに手を振った。
ここは騎士団所有の第二訓練場。
第一訓練場は関係者以外立ち入り禁止の騎士団敷地内にあるのだけど、この第二訓練場は王都内の公開訓練場であった。
時間帯によっては体を鍛えたい男性や騎士に憧れる少年達が参加できるようになっていて、設けられた観覧席は女性でも入ることができた。
出会いの少ない騎士の為に作られたと一部では噂されているここは、もちろんそのような意図で作られたわけではないのだけれども、確かに騎士の出会いに一役かっていた。
そこで気になる騎士を見つけて出待ち、付き合い、結婚を目指す女性は少なくなかったからである。
けれども、ほんの三年前からその結婚成約率は下がっているらしい。
「いまこっちを見たわ」
「一度だけでもいいからお相手してほしいわ」
原因はただひとつ。
私がたいがいの女性の目をさらってしまったのだ。
自分で言うのもなんだけれど、私は騎士団の中でもかなりの人気を誇っている。
背は割と高い方で、体格はいい方ではないけれども騎士としてはそれなりに強いと自負している。
五年前に騎士として昇格、二年ほど広報部の駐在として遠方の街にいたのだけれど三年前から王都付き勤務になった。
「さすがだなトゥーレ」
後からきたルーカスがそう言って私の横に並んだ。
「騎士団一の美男子、颯爽としたその言動は男女問わず人気の今をときめく若手騎士ってか」
冷やかすように言う彼は数年先輩の情報部の調査騎士だった。
駐在していた街にルーカスが調査で乗り込んだ時からの付き合いになる。
「本当は腹黒鬼畜騎士なのにな」
ルーカスはにやりと笑うと早々に対峙した。
そう。
私は一般的には王都内の問題解決のために日々奔走する、どこからどう見ても爽やかな紳士なのだけど、腹には一モツも二モツも抱えた黒い性格をしている。
「黒くても下衆ではないから問題ないですね」
私も肩をすくめると、打ち込んできたルーカスの剣を弾いた。
ひときわ大きく黄色い声が上がる。
「んで、そろそろ話してくれるか?」
手合わせをしながらも、ルーカスは口を開いた。
「まさか。何度聞かれても答えは同じですよ。仕事上得た個人情報は話せません」
「んな堅えこと言わずに頼むよ。本気で困ってんだからよ」
言いながらルーカスが蹴りを放つ。
僅かに上体を反らせてかわすと、お返しにと剣を薙ぐ。
「それが困っている人の態度ですか」
「鍛錬は鍛錬だろ」
ルーカスは飄々と言ってのけると剣と蹴りを混合させた独特の戦術で攻め入ってくる。
「全く……」
それを落ち着いて捌ききると、今度はこちらが切り込む。
ルーカスが頼んでいるのは、とある女性の情報だった。
私の勤めていた駐在の街に住む学校職員で、ルーカス曰く「運命の女」。
ルーカスは調査にやってきた際にその女性に惚れ込んだものの、ルーカス自身は国中を回る仕事の為になかなか会う事もできずに足踏み状態が続いていた。
そこで目を付けられたのが私。
駐在騎士として街にいた私は職務上、例の彼女とはよく顔を合わせていたし、複数人を交えての食事などで同席した事も少なくなかった。
「出来る限り街によって声はかけてるんだけどよ、歯牙にもかけてもらえねぇ」
「そもそも、彼女のどこがいいんですか?」
公開訓練では流血沙汰はご法度。
その為正真正銘の本気というわけでもなく、私たちはある程度の力量で抑えていた。
故に会話も楽にこなす。
「騎士を賊と間違えてフライパンで殴るような女性、私ならごめんですけどね」
「そこがいいんじゃねえか」
「理解しかねます」
深夜校舎に侵入したルーカスを賊と間違ったのは仕方のないことかもしれない。
けれどもそれを男性も呼ばずにフライパンを握り締めて殴りかかるなんて、女性のすることではない。
「あの時は全身に衝撃が走ったね。運命の女だ!ってな」
「殴られた衝撃では?」
半眼になる私に、ルーカスはにやりと笑う。
「ガキのお前にゃまだわからんだろうな」
「どうぞお好きに言っていて下さい」
「ま、そのうちお前にもわかる日が来るだろうよ」
ちなみに私は二十五、ルーカスは今年で三十路になる。
見習いや準騎士期間は重なることもなく顔を知っているだけの存在だったのだけど、あの調査の一件で私の性格を知ったルーカスはなにかと絡むようになっていた。
私も気兼ねなく話せる相手としてそれなりに楽しくやっている。
「で、どうだ。親友として協力してくれる気にはなったか?」
「なりません」
広報部は仕事上、個人情報の取り扱いには特に注意をしていた。
職務内容上必要な情報は開示するけれども、それ以外の情報は同僚にも口を割らないのが鉄則。それが個人情報ともなれば尚更だ。
けれども情報部は全くの正反対だった。
情報が命のこの部署はどんな些細な情報でも共有することで仕事を円滑にまわしている。
それ故に仕事に関わらず私情もなにもかもがだだ漏れ状態なのだ。
結果、この押し問答になる。
ふぅと一息ついて踏み出そうとした時、突然背後から殺気を感じた。
とっさに体を反転させて斬り込んできた剣を受け止める。
「ぬぉ」
背後でルーカスが間の抜けた声を出した。
「お前ら、もう少し真面目にやれ」
私とルーカスを同時に襲ったのは、すぐ近くで手合わせをしていたベテラン騎士の二人だった。
「会話の内容は観覧席までは聞こえないが、不真面目なのは伝わるぞ」
「――すみません」
「集団戦に切り替えだ」
そうして、今度は私とルーカスが手を組みベテラン騎士との手合わせが始まる。
ベテラン騎士の乱入に観覧席の女性から歓声が沸いた。
「うっしゃあ、やるぞ!」
時期を同じくしてルーカスのやる気が増したのは、もちろん女性の歓声が原因ではない。
「オレ、あの人らと手合わせしたかったんだよなぁ。そろそろ勝てんだろ」
「同感ですね。――本気でいきますよ」
さっと互いの背中を守るように位置を狭めると、そこからは互いに無言になった。
相手は騎士団一の戦闘特化、護衛部の騎士だった。
公開訓練だけれども、この機会は逃せない。
私たちは全力で二人を倒しにかかるのだった。
+ + +
「ありがとうございました」
訓練終了の鐘がなり、私は息を荒くさせながらもベテラン騎士に頭を下げた。
「お前たちは護衛部に来たほうがいいんじゃないか?歓迎するぞ」
結果として言うと、ベテラン騎士を出し抜くことはできなかった。
けれどもこちらが負けたわけでもなく――そのような言葉をかけてもらった。
「いえ、私は広報部が好きなので」
「オレも情報部で満足してるんで」
そんな返事を返すと、二人は苦笑して訓練場を後にした。
あたりを見回すとそれぞれに訓練をやめて控え室へと戻っていっている。
「あー、疲れたっ」
「まだまだ力量不足でしたか」
残ったルーカスと私は肩で息をしながら顔を見合わせた。
第二訓練場でこれほど激しい戦闘を行ったことはなかった。
「でも課題はわかった。次こそは勝つ」
「ええ。私もです」
互いに笑みを浮かべる。
額から垂れてきた汗を袖口で拭う。
するとそれまで耳から完全に遮断されていた観覧席の女性達から歓声が戻ってきた。
「今まで見た中で一番激しかったわ」
「今日ここに来れたのは幸せ以外のなにものでもないわ」
きゃあきゃあと興奮している女性達に、ルーカスが苦笑した。
「全力でやったからなー。これでまた人気が上がるんじゃねえのか?」
「支援してもらえるのは嬉しいことですがね」
肩をすくめ、そして私は今一度観覧席を見まわした。
最前線に並ぶ女性達、その後ろに騎士に憧れる少年や暇つぶしに来た男性がちらほらと座り、最後列のさらに後ろ、通路わきに佇む一人の女性。
――来ていたのか。
通路わきのカーテンに半ば身を隠すように、けれどもしっかりとこちらを見つめている女性がいた。
両手を胸の前で組んで、頬を紅潮させている。
ともすれば魂が抜けているのではと思うような恍惚の表情を浮かべ、その瞳はやや潤んでいる。
私はしばらくその女性を見つめた。
よく訓練場に来ているのだけれども、いつも通路わきで隠れるようにしているのは何故だろうか。
そんなことを考えていると、見られていることに気付いた彼女がはっとしてカーテンに身を隠した。
私は小さく笑うとそんな彼女から視線を外した。
「そろそろ戻りましょうか」
「……おう」
何かを考えていたのか、ルーカスの返事が遅れる。
けれどもそれに特に気にすることもなく――私は訓練場を後にしながら思考を巡らせた。
あの女性が姿を見せるようになったのは半年前の事。
最前列の女性のように熱のある視線でこちらを見ていて、はじめは他の女性同様に私のファンなのだろうと思っていた。
けれども一ヶ月が経つ頃にはそんな女性の視線に違和感を感じていた。
何かが違う。
最前列の女性と通路わきの女性の視線には何らかの差があるようだった。
ひょっとしたら彼女は自分を見ているのではなく、他の騎士の誰かを見ているのかもしれない。
そう思って二ヶ月様子を見たものの、そんな彼女の視線はほとんどが私を向いていた。
時折別の騎士も見ているようだったけれども、どうにも目が合う回数が多い。
これはどういうことだろうか。
何度も彼女を見ては考えを巡らせた。
けれども何が違うのか分からず、いつしか私はその女性に対して小さな苛立ちを覚えた。
彼女は何を見て、何を思っているのか理解できず、それでもなお熱のこもった視線で見つめられる日々。
そうして一ヶ月ほど前、私は唐突に理解してしまった。
彼女の瞳の中には私に対する恋愛感情が抜け落ちている、と。
なぜ熱のこもった視線を送られるのかはわからなかったけれども、とにかく彼女の中に私に対する恋情がないことを悟り――愕然とした。
なにも全員が私の事を見ていて当然などと思ったことはない。
少ないながらも他の騎士に想いを寄せる女性は確かにいるし、それについて怒りを覚えたこともない。
それでも愕然としてしまったのは、他でもない。
私が彼女を好きになっていたからだった。
彼女の視線の違和感に対する苛立ちは、無意識に恋情がないことを感じとっていたがためだろう。
それからの一ヶ月、私は彼女についてできうる限りの事を調べた。
アマリア・プルック。
年齢は私の四つ下の二十歳。
父は木工職人、母はパン職人、兄は建築士といった職人一家で、彼女は有名な仕立屋のお針子だった。
仕事は繊細で彼女を指名して服を仕立てる貴族もいるという。
好奇心旺盛で表情豊か、常に一生懸命で明るく元気な彼女はさながら小動物といったところか。
どうやって彼女に振り向いてもらおうか。
実際に店に行って服の仕立てを頼むのを口実に近寄ろうか。何度か頼むうちにそれとなく彼女を指名すればいいだろう。
それとも訓練場の入口で彼女を待ち伏せする?――いや、小動物のような彼女なら私を見た瞬間逃げてしまいかねない。
けれどもそれもいいかもしれない。それを追うのはひどく魅力的だ。必死で逃げる彼女を追いかけるのはさぞ楽しい事だろう。
そんなことを考えていると、並んで歩くルーカスが突然立ち止まった。
「どうかしましたか?」
数歩先で足を止めて振り返る。
「悪い、ちょっと用事思い出したわ」
にぃとよからぬ笑みを浮かべルーカスは脱兎のごとく駆け出した。
一体なんだというのか。
私は呆れたようにその背を見送るのだった。
+ + +
それから数日後。
騎士団敷地内の食堂で夕飯を食べていると、鼻歌交じりにルーカスがやってきた。
「おう、おつかれ」
「おつかれさまです」
なにやら上機嫌な様子で私の向かいに座るが、その手には料理のトレーはなかった。
かわりに一冊の冊子を手にしている。
「なあ、すっげえ面白い情報手に入れたんだけどよ、聞かねえか?」
わくわくした目がとても胡散臭い。
「仕事上得た情報なら結構です。必要最低限は騎士長たちから下りてきますから」
にべもなく言い、食事を口に運ぶ。
けれどもルーカスはしっかりと首を横に振った。
「仕事は一切関係ねえ。オレが個人的に調べたもんなんだけどよ」
それなら耳に入れても問題はない。
そう思いつつも口の中のものを飲み込むと、待っていたかのようにルーカスは身を乗り出した。
「アマリア嬢の情報、聞くか?」
潜められた声と内容にすっと目が細まる。
この男、感づいたか?
次いで眉間にしわが寄り、深く息をついた。
「どうやって気づいたんです?」
アマリアさんの名前まで出ているという事は隠し立てしても無意味だった。
「この前、訓練場で見つめてたろ」
「それだけですか?」
「まさか。その後お前すっげえ鬼畜な笑み浮かべてたから、そこで確信した」
鬼畜とは失礼な。
とはいえ、ルーカスは情報部でもかなり優秀な男だ。
これを逃さない手はない。
「――聞きましょうか」
ちょうど夕飯も食べ終えた事だし、話に集中する事にしよう。
姿勢を正すとルーカスも笑みを消した。
「アマリア嬢が人気のお針子なのは知ってるな?」
「ええ」
「快活で、好奇心旺盛でくるくると表情の変わるお嬢さんだ」
「そうですね」
「そんな彼女の趣味について面白い話を聞いた」
ほう。アマリアさんの趣味。
それは非常に気になる。趣味がわかれば接触の手段が増えるというもの。
「アマリア嬢は執筆活動をしている」
執筆?
というと、何か本を書いていると。
ちらりとルーカスの手元を見る。
「それを彼女が?」
「ああ。友人たちの間で人気があってな。彼女の書き綴ったものを回し読みして、気に入ったものは各自で書き写しているらしい」
これは僥倖といっていい。
彼女への話題にこれ以上のものはない。
「――見返りはなんですか?」
ルーカスがわざわざ私の為に調べてきたとは到底思わない。
おそらくは意中の女性の情報と交換か。
「想像通りだ。ヒルダのことを知りうる限り教えてほしい」
陛下に対する忠誠、職務に対して忠実であることを誓っている私としては、唸らざるを得なかった。
もちろん情報を漏らす事が規則に反するわけではない。
罰されるような事でもないのはわかる。
実際情報部はその辺りはオープンだ。
けれども、広報部の騎士としては肯首しがたいわけで。
「いいか、よく聞けよ」
思い悩む私にルーカスはこれ以上ないほどに真剣な顔をした。
「これを読んだら今の状況は覆る。絶対にだ。今のまま変わらないなんて事はありえない」
はっきりと断言するその姿には嘘偽りは感じられなかった。
「もしなにも覆らなかったら、ヒルダの情報は出さなくていい」
それほどに、ルーカスの表情は真面目そのものだった。
「……わかりました。そこまで言うのなら、この話が終わったら教えます」
「助かる」
ルーカスは表情はそのままに、冊子を差し出した。
「とにかく、読んでみてくれ」
冊子はそれほど厚みのあるものではなかったが、少し丸い可愛らしい字がたくさん並んでいた。
* * *
――そう。
茶色の柔らかな髪、深い葉のような瞳をもつその騎士は、誰もを魅了していた。
そしてそれは同僚にも言えることであった。
「君は本当に美しい。できるなら、その瞳に映るのは俺だけであってほしい」
白く穢れのない騎士服に、体格のいい同僚が手を這わせる。
金の房飾りが揺れ、ひとつ、またひとつと釦が外される。
「お待ち、ください」
新緑の瞳の騎士がその目を潤ませながら、同僚を見上げた。
けれども同僚の手は止まることなく動き続け――胸がはだけられた。
鍛え抜かれた胸板と、その下の割れた腹筋がバラ園の中、月明かりの下に晒される。
そのあまりの美しさに、同僚の騎士がはっと息を飲んだ。
「愛している――トゥーレ」
* * *
「何ですかこれは!」
私は叩き潰すように冊子を閉じた。
まわりの騎士や見習いたちが丸い目をしてこちらに注目するも、それどころではない。
目の前ではルーカスが腹を抱えて笑い転げている。
「やべっ、まじ……うける……っ」
ルーカスのその反応に怒りで硬く拳を握る。
テーブルを挟んでいなければ殴っているところだ。
「う、っく、く」
ルーカスの笑い声を耳に自問自答する。
一体これはなんだ?
美形の騎士とその同僚の恋物語。
いや待つんだ、互いに騎士な時点で同性だ。
しかも片方は茶色の髪に新緑の瞳で名前がトゥーレ?
――私じゃないか。
「はっ……息が、できねっ」
涙を浮かべるルーカスにひときわ冷たい視線を放つ。
「そのまま一度死んでしまってください」
ルーカスがこれを書いて揶揄った?書類仕事の大嫌いなルーカスが?
それはさすがにありえない。
では誰がこれを?
真相を聞こうにも、ルーカスは未だ笑いが収まらずにひーひーと言っている。
私は深く息を吐くと、空になった料理のトレーを下げに行く。
ついでにカップにお茶を入れる。
ルーカスの分は当然ない。
「あー、楽しかった」
戻ってくると、なんとか笑いを収めたらしいルーカスが腹部を撫でさすっていた。
再び私は向かいに腰を下ろし、じろりとルーカスを睨んだ。
「一体これはなんなんですか」
「騎士トゥーレと同僚騎士の禁断の恋ものが――」
「そこは説明しなくていいです」
ルーカスの言葉を冷たく切り捨てる。
「誰がこんなものを」
私が男性と恋愛?
想像して思わず鳥肌が立つ。
「だから、アマリア嬢だって」
ルーカスは目尻に残る涙を拭う。
「本当に言ってるんですか?」
「オレは今まで嘘偽りは言ったことがねえ」
嘘くさい。
けれども確かにルーカスは嘘を言わない。
それが情報の撹乱になることがよくわかっているからだ。
「………………」
私は深呼吸を繰り返し、話をまとめる。
アマリアさんが私を題材に同性愛の話を書いている。
アマリアさんが。
体内に衝撃が駆け巡った。
つまり彼女の訓練場での熱い視線は私をもとに同性の色恋沙汰を妄想して興奮したものだったと。
なぜ私が男性と恋愛しなければならない?
しかもあの流れでいうなら私は女性の立ち位置ではないか。
それはつまり彼女の認識の中では私は想い人でないだけではなく、男性ですらないということだ。
――やりきれない。
「ちなみに借りられたのは一冊だが、複数の騎士に寄ってたかって押し倒される話もあったぞ。かなりディープな描写でな」
「……読んだんですか」
「ばっちり二冊とも読み切ったぜ」
脱力して怒る気さえ起きない。
「次回は騎士トゥーレと黒髪鳶色の目の頼れる年上騎士の超大作になるらしい」
それってルーカスの事じゃないか。
頼れるかどうかは兎も角、容姿は間違いなくルーカスだ。
「いやー、この前訓練場で本気出したのがあたったな」
あたった?まずかったの間違いでは?
というかどうしてそれで少し嬉しくも恥ずかしそうに頭をかく事ができる。
はぁと深くため息をついて額に手をやる。
さっぱり理解ができない。
「で、状況は変わったか?」
そんな私を楽しんでいたルーカスは頭の後ろで手を組んで尋ねてきた。
言われて少し落ち着いてみる。
アマリアさんの恋情のない熱視線の理由がわかった。彼女が私に何を見て、何を思っているのかも。
けれども改めて彼女を思い起こすと、私の恋情は変わることがなかった。むしろこれをもとに彼女に近づかない手はない。
「そうですね。状況は確かに変わりました」
口の端があがっていくのがわかった。これをネタに揶揄うのはさぞ楽しいだろう。表情豊かな彼女はきっと焦ったり泣いたりしてくれるはずだ。
「ルーカス、この本を借りても?」
私はにっこりと微笑み聞いた。
「いいぜ。二週間後には返す予定になってるからそのつもりで」
「わかりました」
「手加減してやれよ?」
ルーカスはそう言ってにやにやと笑った。
「ええ、もちろんですよ。これで評判を落としては元も子もありませんからね」
そうして黒い気配を噴き出しながら、私は交換条件の情報――ヒルダさんについてを語るのだった。
+ + +
それから私はゆっくりと罠を仕掛けた。
最初に行ったのは弟のもとへ本を持ち込むこと。
本好きな弟はいかにしていい本を世に広めるかを考え、印刷技術に手を伸ばしている所だった。
「これと同じものを二十冊ほど用意して下さい」
「ちょっとこれ、際どくない?兄さんまさか……」
「激しい誤解ですね。意中の女性を落とす為の道具ですよ」
「うわぁ、かわいそう」
「いつぐらいまでに用意できそうですか?」
「うまくいけば一週間。余裕を見て十日くらいもらえると嬉しいけど」
「わかりました。十日後に取りに来ます」
次に向かったのは母の所。
これは罠ではないけれども、母を安心させるためだ。
「母さん少し話があります」
「なあに、ひょっとして気になる子でも見つけたの?」
「ええ。非常に気になる女性がいます」
「まあ!うちの子たちはみんな結婚しないから心配してたのよ!」
「それで、その関係でもしこの先私が同性愛者だと噂がでても信じないでほしいんです」
「……どういうこと?」
「いろいろとありまして。その女性と接触するためにどうしてもその噂が必要なんですよ」
「お相手は女性で間違いないのね?」
「もちろんです」
「そう。それならいいわ。あなたのことを信じましょう」
「ありがとうございます」
そうして十日後。
原本をルーカスに返すと、弟から受け取ったアマリアさん作の本を半分ほどばら撒いた。
本は水面下で話題を呼び、静かに――静かにその手の話を好む女性に浸透していった。
「おいトゥーレ。最近訓練場に来る女性の目が怪しくないか?」
「おそらくは、あの本のせいでしょうね」
「本?」
「ええ、なんでも、私をモデルに同性愛者の物語が出まわっているようで」
「なんだそれ。そんな事までされてるのか」
「まあ、私は好きな女性を射止められれば問題ないのでいいんですけどね」
「本当にお前、心が広いな」
といった感じにじわじわと広める事二週間。
ついに私はアマリアさんとの対面へと踏み込む事にした。
彼女の良心に訴えて全ての本を回収させるのだ。
おそらくアマリアさんは友人数人しか本を持っていないと思っているだろうけれど、私がばら撒いた本を合わせると十数冊。
友人相手については簡単に回収することができるだろう。
けれども私の撒いた十冊は完全に彼女の知らない人物が手にしているわけで、とてもじゃないけれども回収はできないだろう。
そして静かに本が浸透していき、回収しきるまでの間に私が男性であるということを意識させる。できるなら恋情をもってもらえるように仕向ける。
そして最終的には回収不能であることを理由に責任をとって貰えばいい。
訓練をほんの少し早く切り上げると、私は上機嫌で訓練着から騎士服に着替えるのだった。
読んでいただきありがとうございます。