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騎士団は恋が好き  作者: 葵翠
【堅物】オスク
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その4

楽しんでいただければと思います。

 それからの数日は、なんだか魂が抜けたような感じだった。

 亡くした人をずっと愛し続けている一途な人だと思っていたオスクさんが、実はそうじゃなかった。

 それだけでもびっくりしたのに、まさかわたしのことを好きだったなんて。


『見事に魂が抜けてるわね』


 呆けているわたしをドリスさんは感心したように見ていた。


『まぁ、無理もないわね。まさか白いカーネーションの君がいなかっただなんて』


 あまりにもびっくりして動かないわたしに再び説明を求めた為、ドリスさんは既に事情を知っている。

 オスクさんが初めてこの店に来た時、わたしは観光客かどうかを確認を怠ってしまい当然のように花を選んでもらった。

 だけどオスクさんはこの街の人ではなくて深い意味もなく選んでいたらしい。

 よく考えればオスクさんと初めて会った時はディックの宿の中でだった。明らかに――この街の人ではなったのに、それにも気づかなかった。

 ディックとのことにあまりにも悩み過ぎていて、仕事を疎かにしてしまっていたと気づいて気を引き締めなきゃいけないんだけど、わたしの胸中は大騒ぎしていてどうにもならない。


 ディックがオスクさんのことを知っていたのは、宿のお客さんだったからで。


「……………………」


 ぐるぐる回る思考の中でテーブルに突っ伏していると、玄関がノックされた。


「はい?」


 一体誰だろう。

 そう思ってドアを開けると、そこに立っていたのはディックだった。


「あれ、どうしたの?」


 瞬きをして尋ねるとディックは苦笑した。


「どうって、今日店は休みでしょ?デートでもと思ってね」


「お仕事は?」


 花屋と違って、宿にはお休みがない。

 だからデートなんてほとんどなかったんだけど。


「挽回するって言ったでしょ?しばらくはレニタの休みに合わせてもらうことにしたから大丈夫」


「そ……っか。ありがとう」


 なんだか申し訳ない気もしたけど、ほんの少し嬉しい気持ちもあった。


「ごめんね。わたしデートするような恰好じゃないから、少しだけ待っててもらえる?」


「うん。角のカフェで待ってるよ」


「すぐ行くわ」


 そうしてドアを閉めて、奥の部屋に引っ込む。

 大急ぎで服を選ぶと早々に袖を通して、普段はしないお化粧をして、靴も履きかえてバッグを手に取る。

 最後に変なところはないかどうか鏡を見る。


「変なところ、ないわね」


 よし、と意気込んだところで、鏡の奥にアネモネが映っているのが目に入った。

 昨日オスクさんがくれた紫のアネモネ。


『愛している。――少しでも俺に好意があるというなら、考えてみてほしい』


 びくんと体が飛び跳ねて、顔が赤くなる。

 真っ直ぐな目。挿された真っ赤なバラが思い出される。

 あれからも毎日やってくるオスクさんは、見事に緊張で固まるわたしに苦笑を洩らしながらも花を選んでくれた。そして必ず何かを褒め――髪型だったり、仕草だったり――最後に「愛している」と囁いて帰っていく。

 それがもう、あんまりにも甘い雰囲気なものだから。


 思わず片手で顔を覆って悶える。

 落ち着いて、としばらく自分に言い聞かせて深呼吸する。

 これからディックとデート。

 自分に言い聞かせて、そうしてディックの待っているカフェへと向かった。


「おまたせ」


 のんびりとお茶を飲んでいたディックは顔を上げて、目が合うと口の端を上げた。


「それじゃあ行こうか」


「うん」


 手を握って店を出る。

 公園に行ったり、お店を冷やかしたり。

 のんびりとディックと過ごすデートだったけど、ふとあることに気付いたわたしは落ち着かなくなった。


 これって、二股になるのかな。

 ディックのようにキスしたとかそういうのはないけど、オスクさんがわたしのことを好きでいてくれて、それを知っても花を受け取り続けるのは、浮気、なのかな。

 わたしはディックの婚約者なのに。


「なんだか上の空だけど」


 休憩に入ったカフェで言われて、はっとして顔をあげる。

 とっさに謝ろうと口を開くよりも先にディックは続けた。


「ニュカネンさんから告白でもされた?」


 思わず目を見開く。どうしてそれを知ってるの?

 するとディックは苦笑を浮かべた。


「実はこの前、ニュカネンさんから直接宣言されたんだ。レニタを口説くって」


 ――オスクさん、そんな事までしていたの?

 固まってしまったわたしの手をディックは優しく握り込んだ。


「ちょっとびっくりしたけど、今日のレニタを見て安心したよ」


「え?」


「化粧もして、可愛い服着てくれて。僕のこと好きでいてくれてるんだって、わかるから」


 そう言われて心が痛む。

 そうよね。わたしだって苦しかった。ディックに同じ思いをさせるなんて絶対にいけない。


「ごめんなさい。なんとなくで花をもらい続けてたけど、これって二股よね。ディックのこと言ってられないわ。明日ちゃんと、お断りする」


「ありがとう。大好きだよ、レニタ」


 そうしているうちに紅茶が運ばれてきて、お互い口に含んで一息つく。


「この前のことは、ごめんね。僕が悩ませたせいで花をもらうことになったんだよね」


 と、ディックは複雑そうな顔をした。


「レニタはニュカネンさんがどう思ってるのか知らなかったんでしょ?」


「うん……」


 本当にびっくりした。

 視線を落としながら頷けば、ディックは苦笑を浮かべた。


「だったらしょうがないよね」


「ごめんね、ディック」


「いいよ。だけど少し悩みがあってね」


「え?」


 どこか考える素振りのあるディックに、思わずカップを置いて見上げる。


「最近街で女の子が髪に花を飾るの人気だけど、あれってレニタが発祥なんでしょ?」


「あ、うん。おかげでいつもこの時期は暇なんだけど、お客さんが結構きてくれるの」


「悔しいけどニュカネンさんのおかげだよね」


「それは、そうね……」


 するとディックはちょっとだけ拗ねたように息をついて、そうして何かを思いついたらしい。


「ね、明日からは僕が花を贈るよ。いきなりレニタが花を飾らなくなったらみんな気になるだろうし、ニュカネンさんへの牽制にもなるだろうし」


 牽制だなんて。

 そう思ったもののディックは自分の言ったことにいい考えだと大きく頷いていた。


「ありがとう」


 わたしはそんなディックを見て、オスクさんにははっきりとお断りをしようと心に決めた。


 + + +


 そうしてやってきた翌日。

 いつもオスクさんは朝にやって来る。まず最初に店に来てくれて、それから仕事に出るようだった。

 だから朝からちょっと身構えていたんだけど、先にお客さんがやってきてちょっとだけ肩の力が抜けていた。


「ありがとうございました」


 お客さんに花束を渡したところでドアベルが鳴って、顔を上げるとオスクさんが店へと入ってきた。

 ちょうどお客さんがお帰りの時でよかった。お断りするのにお客さんがいるのは、ってちょっとだけ心配だったから。


「――あのっ」


 お客さんが帰る為に開けたドアの音を確認してオスクさんが花を選びきる前にと声をかけると、オスクさんはガーベラに伸ばしかけた手をぴたりと止めた。

 手を下ろし、わたしに向き直るオスクさんの目の前まで行って、そうして頭を下げる。


「ごめんなさいっ。オスクさんの気持ちに応えることはできません」


 二股になる様なことはやってはいけない。

 精一杯頭を下げる。


「いつも心配して来てくれて、嬉しかったです。本当にありがとうございます」


 言いながら少しだけ胸が痛む。

 心配してくれていたのは紛れない事実で、それをこういう形でお断りするのは、という気ももちろんする。だけど恋愛感情はまた別のもので。

 ひょっとしたらオスクさんとはもう会えなくなるかもしれないけど。だけど二股はいけない。

 オスクさんにもディックにも誠意を見せなければ。


「だけど想いを受け取ることは、できません」


 潔く引くと、オスクさんは言ってくれていた。

 だからこれで終わるはず――だった。


「そうか」


 下げたままの頭でオスクさんの返事を待つと、どこか考えている様子の声音が響いた。

 ゆっくりと頭をあげると、やっぱりオスクさんは思案顔でわたしを見つめていた。


「それは俺の事は男として見れない、ということか?」


 怒りもなく、悲しみもなく淡々と聞かれて戸惑う。

 ただ純粋な疑問を問いかけてきているようだった。


「えっと……」


「嫌われている印象はどう考えてもなくてな。ならなにが理由かと」


 言われて瞬きを繰り返す。

 オスクさんを断る理由。それは。


「わたしにはディックがいます。お伝えしていたように婚約者です。なのにプロポーズを受けたまま返事をしないなんて、二股だと思うんです」


 見上げて伝えると、オスクさんは納得したようにひとつ頷いた。


「君が俺に対して何かを思っての返事ではなく、筋を通すという点で難しいということだな?」


「はい」


 するとオスクさんはさっき伸ばしかけていたガーベラを一輪手に取った。

 黄色の、一番きれいに咲いているガーベラ。


「あのっ、なので、お花も受け取れません」


 その行動に慌てて付け足す。


「今度からディックが用意してくれるとも、言われていますし」


「そうか」


 その言葉にほっとする。

 だけどオスクさんがガーベラを戻すそぶりはなかった。それどころか、


「だが俺個人に対しての断りでないのなら、諦めることはできない」


「――え?」


「君の意思は理解した。だからそれを圧して俺は勝手に迫ることにしよう」


 言いながらオスクさんはわたしの耳元にガーベラを添えた。


「愛している」


 そっと耳元で囁かれて、見る間に顔が熱くなる。

 とっさに囁かれた耳を片手で覆って、慌てて目で追えばオスクさんはお代をカウンターの上にのせていた。


「ここに置いておく。――また明日来る」


 うああぁぁぁぁ。

 それ以上オスクさんを見ることができなくて、両手で顔を覆ってへたりこむ。

 困惑よりもなによりも、恥ずかしくてたまらなかった。

 こ、断ったのに、そんな、迫るって……!


「情熱的ねぇ」


「だっ、ダリスさん!?」


 背後からうっとりとした声が聞こえて振り返ると、ダリスさんが店のドアに目を向けたままほぅ、と息をついた。


「断られたのに、だったら勝手に迫るって堂々と宣言するなんて男らしいわ。それにレニタちゃんに口説く前にディックさんに宣言してたっていうし、あんなに真っ直ぐに愛されるなんて物語みたいだわ」


「いや、そのっ」


 そんなことを言われてますます顔が熱くなる。

 どうしていいのかわからなくて視線をさまよわせていると、ドリスさんは床に座り込んだままのわたしを起こしてイスに座らせた。


「いいわねぇ」


 向かいに座るドリスさんは明らかににやにやしていて楽しそうだった。


「よ、よくないですよ!わたしお断りしたのに」


 ごめんなさいと言って、それで終わりのはずだった。なのに蓋を開けてみれば『勝手に迫る』だなんて。


「潔く引くって言ったのに……」


 困り果てて眉が下がる。


「それは仕方ないんじゃないかしら?オスクさんのこと嫌いじゃないけど筋を通す為ですって言われたら諦めるに諦められないでしょう。まぁ、それで引き下がらずにいられるかというと大半の人は内心はどうあれ一旦は引くでしょうけど」


 それってつまり、わたしが正直に理由を話したのがいけなかったってこと?

 で、でもオスクさんのことは嫌いなんて口が裂けても言えない。

 何度も助けてくれて、元気付けてくれたのはオスクさんに他ならない。


「……どうしよう」


 まさかこんなことになるなんて思ってもみなかった。

 両手を頬に当てて息をつくと、ドリスさんはわたしに頭をぽんぽんと叩いた。


「いいんじゃない?レニタちゃんは断ったんだから。あとはそれこそ勝手に迫ってこようがレニタちゃんの責任じゃないわ」


「でも」


「もちろんそれだけじゃ心配だから、断りの姿勢を周りに印象付けることもしないとだけどね」


「印象、ですか?」


 オスクさんに諦めてもらうのではなく?

 そう思って瞬きしながら見ると、ドリスさんは大きく頷いた。


「そう。『婚約者がいます。貴方のことは受け入れられません』ってね。あの様子だとオスクさんは人目も憚らずに迫って来そうだから、そのたびに断っていれば周りの人もレニタちゃんが断っているのは分かるでしょうし、そうなればディックさんの耳にも入るだろうから安心してもらえるでしょう?」


「それは、確かにそうかもしれませんけど」


 ドリスさんのいうこともわかる。だけど何だか落ち着かない。筋が通っているようで、通っていないような。

 そう思っているとドリスさんはこう続けた。


「一番いいのはオスクさんにはっきりと諦めてもらうことだけど、諦めてもらうのに全身全霊をかけて大っ嫌いって罵ったり冷たい態度とり続けたり出来る?」


「無理です!」


 即答だった。

 いつも辛い時に心を軽くしてくれたのはオスクさんだった。そんなオスクさんを無碍にするなんてとんでもない。


「だったらもうやんわりとでも他人の前で断り続けるしかないわよ」


 がんばりなさい、とドリスさんは言うのだった。


 + + +


 翌日、わたしはひどく緊張していた。

 昨日は意気込みだけだったんだけど、今日はどうしていいのかという戦々恐々とした状態ですごく落ち着かなかった。

 だけど――


「そんなに堅くならなくても強引に迫ったりはしない」


 あんまりにも強張っていたのか、わたしの顔を見たオスクさんは挨拶よりも先にそう言って苦笑を浮かべた。


「とはいえ、花くらいは贈らせてもらうがな」


 その声には強引さがなくて、むしろどことなく柔らかさがあって少し緊張感がほぐれる。

 ほっとしているとオスクさんはいつものように花とわたしに視線を行き来させ始めた。


「あの」


 しばらくそれを見ていたわたしはカウンター越しに声をかけた。

 ちょうどその時花を決めたらしいオスクさんが手を伸ばしてピンクのローダンセを選んだ。


「どうした?」


 ローダンセをもってわたしの元までやってくるオスクさんに、素直に伝える。


「お花、昨日も言ったように受け取れません」


 オスクさんの手にしているローダンセはその中では一番きれいに咲いているもので、よく選んでくれている心遣いはすっごく嬉しい。

 もう本当に嬉しくて受け取りたいんだけど、それでも受け取っちゃいけない。

 内心こっそりとため息をつく。


「ああ、気にしなくていい。君がいらないというのなら捨ててくれてかまわない」


 そんなもったいない!

 なんて言葉はかろうじて呑み込む。拒否、拒否しなければいけないのよと自分に言い聞かせていると、オスクさんはカウンターの上にローダンセを置いたままわたしの方へと差し出した。


「ただ一つ言うなら、これが俺の気持ちだ」


 手を出さなくてもいいと言わんばかりの、迫っているにも関わらずどこか逃げ道を作ってくれているような行動にさらに安心感を覚えてしまう。

 そうしてオスクさんはローダンセを手から離すと、お財布を取り出して――鞄の中から小さな缶が転がり落ちた。


「あっ」


 慌てて手を伸ばして掴みとる前に、オスクさんがその缶を受け止めた。

 ちょっと鈍い音でからからという音のしたその缶をカウンターに置いて、オスクさんは先にお代を取り出そうとした。


「この缶、なんですか?」


 わたしはカウンターに置かれた缶は手の平サイズのものだった。


「それは常備菓子入れだ」


 お代をわたしに手渡すオスクさんがさも当然のように言った内容に、思わずそれを反芻する。

 そしておかしくなったわたしはくすくすと笑ってしまい、オスクさんが不思議そうにした。


「どうした?」


「だって……本当にお菓子が好きなんだなぁって思って」


 見た目にそぐわない甘いもの好きなオスクさん。

 そこが親しみやすくって、嫌いになれない理由の一つなんだろうなって思った。


「そうだな。初めはただの疲労回復の為だったんだが」


 どこか感慨深げな声に思わずオスクさんを見上げる。


「そうなんですか?」


「ああ。それまで菓子なんかほとんど口にしたこともなかったからな」


 確かに男の人だとそういう人ばかりかもしれない。

 オスクさんはお菓子を食べ始めた時のことを思い出したのか、懐かしむように遠くを見た。


「前は護衛職だったんだが、今は頭ばかり使う仕事でな。正直頭を使うのは性に合わない。最初の頃は頭を使いすぎて頭痛を覚えたもんだ」


 小さく頭を振る姿は心底うんざりした様子はなんだかすごく意外だった。

 いつも眉間にしわを寄せているから、なんとなく頭脳派な気がしてたけどどうやら違ったらしい。

 いわれてみればオスクさんの身体はただ大きいだけじゃなくて鍛え抜かれているようにも見えた。


「そんな時に試しに口に入れたのがきっかけだ。まさかここまで嵌るとは思っていなかった」


 オスクさんは肩をすくめるとそう締めくくった。

 経緯が男の人らしいと思う半面、常備するほど好きになってしまったことにちょっとだけ愛しさが生まれる。

 オスクさんに微笑みかけて、はっとして首を振る。


 って、愛しいってちょっと待って。

 ちょっと絆されてない!?


 ――まずい。

 そう思ったわたしはあわてて会話を逸らせるのだった。


 + + +


 それからもオスクさんは変わらず通い続けた。

 顔を合わせない日はお店がお休みの時くらいのもので、毎朝花を贈ってくれて、時間がある時はそれ以外にもお店に立ち寄ってくれる。

 親しく話をするのもよくないかなと思っているんだけど、意外と話し上手の聞き上手なオスクさんを相手にすると気がついたらいろんな話をしていたりする。


「だから、わたしにはディックがいるのでって言ってるじゃないですか!」


 今日もちょっとだけムッとして見上げればオスクさんは目元を和らげて笑った。


「知っている。毎日断られてるからな」


「だったら――」


 なおも抗議するわたしに、オスクさんは身を屈めて頭にキスを落とした。


「愛している」


「だから、不意打ちは……!」


 眉間にしわのない蕩けるような甘い顔につい顔が赤くなる。

 それを見たオスクさんは満足そうに身体を離した。


「もう~~っ」


 ぎゅっと眉根を寄せるわたしにいつもなら「また明日」と去っていくんだけど、今日のオスクさんはちょっと違った。

 どういうわけか毎朝、花を選んでくれる時のように店内を見回し始めたのだ。

 今まで花を選ぶのは毎朝のことだけで最初の白いカーネーション以外に花を求めることは一切なかったんだけど……。

 しばらく様子を見ていると、やがてオスクさんは観念したかのようにため息をついた。


「すまない、これらの中で明日見頃を迎える花はどれだ?」


 指されたいくつかの花はどれも花が開ききる前のもので、意図がわからないながらも絞り込む。


「えっと、これとこれ……こっちも良さそうですね」


「ならこれだな」


 するとオスクさんは迷いなくコーンフラワーを抜き取った。


「それは?」


 一輪だけ手に取ったオスクさんはやっぱり毎朝の時と同じような光景で首を傾げる。


「明日のレニタに」


「えっ?」


「これから隣街に行くことになった。帰りはどう足掻いても明日の夜か、明後日になるだろうからな」


「今から街の外に出るんですか?」


「ああ。急な呼び出しがあってな」


 さも当然のように頷くオスクさんに心配がよぎる。


「夜ですよ?危ないんじゃ」


「問題ない。野営も幾度となくこなしているし、この辺りは治安も悪くない」


「でも」


「護衛職だったのは知ってるだろ?」


 さらに言い募ろうとするわたしの頭を撫でて、オスクさんは笑った。


「大丈夫だ」


 そんな風にされては、黙るしかない。

 口を尖らせて息をつくと、オスクさんは手にとっていたコーンフラワーをわたしのエプロンの胸ポケットに差し込んだ。


「ともかくこれは明日の分だ。自分で最後まで選びたかったが、さすがに明日の花の咲き具合を予想するのは難しいな」


 ため息をついて少しだけ悔しそうにしていたのは、そういう理由だったらしい。

 明日は会えないから、前もって見ごろを迎える花をわたしに。

 その事実がじわじわとわたしの心に喜びとして沸き起こる。


 ――どうしよう。すごく、嬉しい。


 ポケットのコーンフラワーを眺めて、自然と顔が綻ぶ。


「ありがとうございます。すごく嬉しいです」


 それは自然と溢れた言葉だった。満面の笑みでオスクさんを見上げると、


「レニタが喜んでくれるなら、俺も嬉しい」


 オスクさんはちょっとだけ目元を赤くして視線を逸らすのだった。


「レニタこそ不意打ちでその笑顔はないだろう」


 ぼそりと呟かれた言葉に我に帰る。

 受け取った挙句に喜んでお礼まで言っちゃった!


「あのっ、これはそのっ」


 慌てて両手を振り回す。


「聞かなかったことにしてもいいが」


「どうかそのように!」


 切実に見上げればオスクさんはさっと身を屈めた。


「――交換条件だ」


 という言葉が耳に届くと同時、唇に何かが触れた。

 ちょっと硬くてカサついたそれはすぐに離れていったけど、わたしはただ呆然とした。


「明後日は朝ではないかもしれないが必ず顔を出す」


 行ってくる。

 そう言ってお店を後にするオスクさんに、わたしは何の反応もできなかった。


 キス、された。

 それもからかい半分のようなおでこや頬にするものじゃなくって、唇に。


「う……うわあぁぁ」


 思わずへたりこんだわたしは、しょうがないと思う。

 な、なんてことを……っ。


「今日も熱愛されてるわねぇ」


 顔を真っ赤にさせるわたしに、後ろからドリスさんの声がかかった。

 慌てて振り返ればにやにやとした笑みをうかべるドリスさんが立っていた。


「これはそのっ」


「若いっていいわねぇ」


 言いながら私の元までやって来て、手をとって起こされる。そのまま近くのイスを引いて、そこに座るように肩を押された。なんだかオスクさんと会ってからこうやって起こされることが増えた気がする。


「ほんっと、オスクさんって真っ直ぐよね」


「……はい」


 まだ顔が熱くって、なかなか熱が下がらない。真っ直ぐなオスクさんはいつも帰り際にはわたしの心をかき乱していた。

 カウンターをはさんで座るドリスさんは頬づえをついてそんなわたしを見上げた。


「ね、本当はもう好きなんでしょ?」


「っ……」


 ぎゅうっとスカートを握りしめて俯いてしまう。


 好き。あんなに一途に迫られたら、そりゃあときめいてしまうし、惹かれてしまう。

 だけど、だけどわたしにはディックがいて、結婚は目前で、だから断ってはいるけど。


「わたし、悪い女ですよね。浮気されて辛い思いをしたのに、おんなじことをするなんて」


 ドリスさんしかいないのをいいことに、ぽろりと内情を零す。

 この街に来て数年経つけど、ドリスさんはわたしにとっては雇い主であり、ちょっと年の離れたお姉さんのような存在でもあった。


「浮気になるのかしら?」


「え?」


 思わず顔を上げると、ドリスさんは首を傾げていた。


「だってずっと断り続けてるわよね?」


「ええ、形式上は」


「デートしたわけでもないし、キスは、まぁ不意打ちでされることもあるけどそれって不可抗力よね」


「そう、なの、かな……?」


「そうよ。レニタは心はともかくちゃんと義理は果たしてると思うわよ」


「義理、ですけどね」


 そこが問題なのでは、と思うんだけど。

 力なく笑うとドリスさんは「じゃあ問題ないわよ」と軽快に笑った。


「それに、ディックさんの態度も問題よ」


「どういうことですか?」


 ドリスさんは渋い顔をして、それからわたしの髪に手を伸ばした。


「あんなに毎日毎日熱愛されてるのに、ここ最近ディックさんは全然来ないじゃない。普通だったら心配して負けじと来るものじゃないの?」


 茶色の髪には花は挿されていなかった。

 ディックは最初こそオスクさんと張るように毎日来てくれたけど、日が経つにつれて数日おきになり、今では一週間に一、二度に留まっていた。

 それも、来たとしても会話もそこそこに慌ただしく帰っていく。


「忙しいんですよ、きっと」


 最初は悲しいなんて思ってたけど、今では諦めの境地に至っているように思う。


「それに髪に挿す花っていう話だったのにどうしてヒヤシンスとか選ぶのかしら。あの形状の花をどうやって髪に挿せばいいのかしら」


 と、ドリスさんはカウンター横に飾られたオレンジ色のヒヤシンスを一瞥してため息をついた。

 それは昨日閉店ぎりぎりにかけ込んできたディックがお店の入口すぐに置かれていたのを無造作に掴んで渡してきたものだった。


「この前は終わりかけに近いアマリリスだったし、選んでるようには見えないわよね」


 ちょっと憤慨しているドリスさんの言うことはもっともだった。

 わたしから見ても、それこそ形式上送っているだけとしかとれなかった。


「愛されてるって、感じる?」


 感じるわけがない。

 ふるふると視線を落として首を振れば、ドリスさんは今度はカウンターの奥に飾られた白いイベリスを手に取った。


「それに対してオスクさんは毎日毎朝その日一番見ごろの花を選んでくれて、しかも今日なんて明日来れないからなんてわざわざ夕方にも来てくれて。レニタちゃんじゃなくたって、こんなに大事にされれば好きになるのは当然よ」


 そうして差し出されたイベリスは紛れもなく今日の朝、オスクさんから渡されたものだった。

 捨ててもいいなんて言われて、最初は申し訳なさすぎて捨てなかったけど、今では絶対捨てたくないと思うようになっていた。


「レニタちゃんは悪くないわ。そろそろ、心に区切りをつけてオスクさんの元に行ったら?」


 ドリスさんはあくまでも優しくて、それを理由にするのは間違っているけど、つい考えてしまった。


 オスクさんと結婚できれば、どんなに大切にしてもらえるか。どんなに幸せになれるか。

 もちろん結婚直前のこの時期に婚約破棄なんてしたら、ディックはもちろんのこと、女将さんの失望や街の人からの冷たい目を向けられることも予想がつく。

 だけど、だけど、それでも――


 思い悩んだまま数日が経った時、オスクさんは仕事で街を旅立っていった。

 一週間で帰ってくるって言っていたけど、荒事だって聞いて不安でたまらなかった。

 どうか無事に帰ってきますように。


 出立の日、オスクさんからもらったひまわりのペンダントを抱き締めて静かに祈り、そしてわたしは覚悟を決めるのだった。

読んでいただきありがとうございます。

次回更新は金曜日の予定です。

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