その2
楽しんでいただければと思います。
オスク視点です。
情報部所属、残すところあと半年。最後の任地は花の都と呼ばれる街だった。
とにかく花がそこかしこに飾られ、花畑の広がる街は彩美しく観光客が来るほどのものらしい。
詳しい任務内容を聞くために近隣の街を担当している巡回騎士と落ち合う場所も、そんな花畑が見渡せる展望台の一つだった。
その場所へ予定時刻よりも早くに来ていた俺は花畑を眺めながら、今後の流れを思い浮かべていた。
――この任務を成し遂げればひとまず王都へ戻り、残った期間は本部で過ごすことになる。
それも終われば次は広報部へ異動して駐在か、あるいは巡回騎士として三年勤める。
その後は騎士長試験を受けて合格をもらい、護衛部へ戻り騎士長のもとで仕事に励む事になるだろう。
次期騎士長として声がかかっている俺は早々に条件を満たしておき、騎士長の補佐に回るというのが理想的だった。
次々に聞き及ぶ同期達の結婚に憧れを抱かないといえば嘘になるだろうが、今はまだ仕事に励む時だと考えていた。
「お姉ちゃんありがとう!」
「どういたしまして」
と、ふと嬉しそうな子供の声がして視線を向けると、花畑に一人の女と数人の子供達がいた。
子供は皆花冠を頭につけて喜び、互いを見て笑顔を浮かべていた。
どうやら女が編んであげたのだろう。女は花畑に埋もれるように座り込み、子供に負けず劣らず元気な笑顔を浮かべていた。
艶やかなチョコレートブラウンの髪、輝くチェリーピンクの瞳。歳は俺の五つほど下といったところか。
同様に自分の花冠を頭に乗せると子供たちの手をとって走り、踊り、とにかく明るく溌剌としていて、見ていると自然と顔が綻ぶ様な女だった。
そんな娘を眺めていると一人の男が展望台の階段を登って来た。待ち合わせていた騎士、モーゼスさんである。
「お疲れさまです」
「おつかれさま」
そうしてモーゼスさんは今回の任務内容を説明、最後に資料を手渡した。
「大変かもしれないけど、頼んだよ」
「了解です」
そうして話が終わるとモーゼスさんは足早に去っていった。言っていたように人数が少ない中での大捕物に忙しいのだろう。
俺は手元の資料を鞄に詰め、もう一度花畑を見る。
だがそこにはすでに娘や子供達の姿はなくなっていて、一つの花冠だけが残されていた。
+ + +
今回の任務内容は雑多にあったが、主には山向こうの街に住む侯爵の調査だった。
すでに騎士団ではマークしている人物であり、人身売買や殺人を犯している疑いが大いにあった。
その侯爵が山を越えてこの街でも活動しているらしく、その内容を調査、ゆくゆくは捕縛に向けての手伝いを行うという。
この街はひと月ほどで花祭りという年に一度の大きな祭りが開催される。
当然近隣、さらには遠方からも祭りを見やって来る者が多く、俺もそれに乗じて宿をとることにした。
モーゼスさんから手渡された資料は全て頭に叩き込み早々に燃やしてしまったが、安い宿では荷物を荒らされる事も少なくない。俺はそれなりの値段の宿を選んで宿泊する事に決めた。
そうして二日。今日は時間を変えて夕方から調査に乗り込もうと部屋を出たところで、目の前にいた女が突然よろめいた。
慌てて腕を伸ばして支えると、さらりとチョコレートブラウンの髪が流れた。
ひょっとして――
体勢を直してやり顔を見れば、やはりあの時花畑にいた娘だった。
「す、すみま、せん。ありがとう、ございます」
娘の顔色は非常に悪かった。足元もおぼつず、身体は僅かに震えている。あの時の溌剌とした印象は影も形もなく、眉間に力が入る。
「随分顔色が悪い。休んだ方がいいんじゃないのか」
このままでは倒れてしまうのではないか、そんな不安が沸き起こり顔を覗きこんでいると娘の目から涙が流れた。
一筋だったが光に煌めいたそれは見間違いではなかった。
「何かあったのか」
体調不良で涙を流すことはあまり考えられなかった。
一体この娘に何があったのか。勢いをつけて怖がらせないように落ち着いて問い掛けてみるが、娘は首を振った。
強張った顔はおそらく涙を堪えているのだろう。
「すみません、ちょっと、辛いことがあったので」
やはり何かがあったのだろう。
だが無理やりに笑みを作った所を見るに、これ以上の深入りはすべきではないと判断する。
それでも、なにかできないか。
そう思考を巡らせたところで、いつも常備している甘味の存在を思い出した。
「落ち着いたら食べるといい」
ポケットから取り出したキャンディを差し出せば、娘は一瞬ぽかんと口を開け、何度も俺の手と顔を見比べた。
……何を考えているかは理解できる。
大の男がキャンディを持ち歩いているなど違和感でしかない。
あまりにもまじまじと見られ、羞恥心が顔をもたげてつい視線を反らす。
「あ、ありがとうございます」
ややあって娘はそう言ってキャンディを手に取った。
視線だけを向ければ、ほんの僅かに血色のよくなった娘がそこにいた。
俺はそんな娘を一階の休憩室に座らせると女将に声をかけて外出するのだった。
+ + +
調査は難航していた。
例の侯爵の部下と思しき人間の姿絵は見たが、祭りで人が多くなりつつあるこの街でそれを探すというのはなかなかに骨が折れる。
だがやらないわけにもいかない。
捕える侯爵の悪行を思い出して自分を奮い立たせた。
侯爵は人身売買を繰り返す外道であり、この街の住民もその犠牲者として命を散らせているのだ。
――そういえば、まだ犠牲者への墓参りに行ってなかったな。
俺はふとそのことに気づいて墓参りに行くことに決めた。
まずは当然、花の用意である。
宿泊している宿の近くの花屋へ行けば、そこで三度娘と出会った。
真っ先に思い出すのは当然ながらあの涙である。心配しつつも娘の元へと向かう。
「あ――いらっしゃませ」
どうやら娘は俺のことを覚えていたらしい。一瞬驚きの顔をして、それから笑みを浮かべた。
その笑みに内心ほっとする。あんな血の気を失うほどの様子を見ていたのだから無理もない。
そうして墓前に捧げる花を頼めば娘は次々と花を選んでいった。
時折束になっていく花に別の花をあてがい笑顔を見せる様は、花が好きなのだと全身で表しているようだった。
「どの花を添えますか?」
娘に手元には三種類の花が並べられていた。
選べ、ということなんだろう。
俺は娘の作った花束を見つめ、それから一番雰囲気を壊さないだろう花を掴んだ。
途端――娘の目から大粒の涙が溢れた。
「――あれ?」
目を見張る中で、娘は自身の変化に驚いているようだった。次から次へと涙は流れ、目があちこちに泳ぎ困惑している。
思考が感情に追いついていないのだろう。
「ご、ごめんなさい、わたし」
慌てて涙を拭く娘を見て思い出す。先日辛いことがあったと蒼白な顔をしていた娘。
そして俺が今頼んだ墓前に捧げる花に思い至る。
――娘は近しい者を失くしたのかもしれない。
「いや、すまないな」
まだ処理しきれていない身に死者に手向ける花など、辛い以外の何者でもない。俺は咄嗟にそう言って首を振った。
どうしたものか。
そう悩んでいると、奥から夫人がやってきた。
娘の様子に目を丸くさせたものの、すぐに気持ちを取り直したらしい夫人は娘を奥に下がらせると途中になっていた花束を完成させた。
「うちの店員が、申し訳ありません」
最後にそう頭を下げる夫人はどうやら店主――いや、店主の妻のようだった。
「いや」
すぐには受け止められない問題が起こる事は誰にだってある。
そう思っていたが、次の言葉は思いもよらないものだった。
「あの子、半年後に結婚するんですよ。この花束を見て、いろいろと思うことがあったのかもしれません」
夫人はそう言いながらも花束をまとめ上げていった。
「結婚直前で、いろいろと敏感になってしまってるのかもしれませんね。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
墓前の花に婚約者を失った時のことでも考えてしまったのだろうか。
だが数日前のあの様子は明らかにそれ以上のことがあったようにも見えたが……
「気にするほどのことでもない。これを渡してくれ」
俺は夫人に鞄に入れてあったキャラメルを取り出し渡した。
夫人は驚いているようではあったが、娘ほどの驚愕は見せることがなかった。
+ + +
花祭りが終わり、人の動きが緩やかになってきたこの頃、俺はようやく隠れ家を見つけた。
人気のない場所に集まる、明らかに戦闘を生業としている複数の男と細やかな指示を出す一人の男。
絵姿の通りの容姿ではあったが念の為に正体を確定させようと張り込みをしていた、その帰り道で俺は娘を見かけた。
――四度目に見かけた娘は、階段から落下しているところだった。
頭よりも先に体が反応して駆けつける。
腕を伸ばして抱え込むと、その小さな身体は軽い衝撃と共に腕の中に納まってその落下を止めた。
「間に合ったか」
つい口を割って言葉が漏れる。
だがそれでもと念のために身体を少し放して顔を覗き込む。
「怪我はないか?」
「ありま、せん」
驚きか、それとも恐怖か。
声は小さくチェリーピンクの瞳はやや焦点が定まらないようだったが、それでも返事はきちんと聞こえた。
「良かった」
心底安堵して思わず娘を抱きしめた。
あんな所から落ちれば、ただでは済まなかっただろう。
なぜこんな人気の少ない場所にいるのかはわからないが、本当に見かけてよかったと思う。
だが、
「っう……うわああぁぁぁっ」
突然娘が声を上げて泣き出した。
助かったことを安心したところで、後になって恐怖が襲って来ているのかもしれない。
突然のことに多少驚きはしたものの落ち着かせるようにその背を撫でる。
そして、黙って俺に身を任せていた娘が泣きながら言葉を発した。
「ディックが……」
泣いている理由が、恐怖ではない?
疑問が沸いた俺はそっと顔を覗き込む。
「うっ、う……ディックの、ばかあぁっ」
これはどういうことだ。
しばらく悩んだが、結局俺は近くのベンチに誘導させて座らせると静かに話を聞くのだった。
「――なるほどな」
婚約者が不貞を犯している。
端的にいうならそういった話だった。
二度目に会った時の涙は口づけを目撃した時だったらしく、今回は睦み合っていたとのこと。
さすがに結婚まであと半年を切ったこの時期にされれば娘の気持ちも十分に理解できる。
娘はそれまで溜め込んでいただろう感情を爆発させ、今の状況になっていた。
話から察するに婚約者というのは俺の泊まっている宿の息子のことだろう。
娘は青果店の売り子と、と言ってはいたがあの宿の息子は手広くやっているようだった。
俺が宿泊を始めて一月弱、知る限りでも三名の女の影があったと記憶している。
なんとも愚かな男である。
思考に沈みかけていると、娘が顔を上げて一つ息をついた。
「何度もご迷惑をおかけして、すみません」
まだ内心複雑だろうに、なんとか一つ区切りをつけたようだった。
娘は立ち上がると少し離れたところに座っていた俺の前までやってきて頭を下げた。
「でもおかげですっきりしました。ありがとうございます」
娘ははにかむように小さく笑顔を浮かべた。
「たいしたことはしていない」
すぐにそう返すが、それでも娘の中では納得はいかなかったのだろう。
チェリーピンクの目を真っ直ぐに向けて娘はとんでもないことを口にした。
「この前のお菓子も、ありがとうございます。お礼に何かさせて下さい。わたしに出来ることなら、何でもしますから!」
こんな数度会っただけの、ほとんど会話もしたことのないような素性の知れない男に言う台詞ではない。何とも危ない言葉である。
ぐっと眉間に力が入ると、娘は頼りない表情を浮かべた。
男に騙されたり、ほぼ見ず知らずの男に無防備な言葉をかけたり。危なっかしいにもほどがある。
だが――ちょうどいい。
「エルヴィーラという店に付き合ってくれないか」
それは有名な菓子店だった。近隣の街からも人がやってくるほどに美味いと評判で、非常に興味があった。
持ち帰りの対応をしていない店であり、俺が一人で入るには思いとどまらざるを得ない店だった為に、未だその店の菓子を口にしたことはなかった。
「え?」
男一人であの店に入る度胸は流石になかったが、連れがいるならばまだ気も紛れる。
それにこの娘には二度甘味を渡している。今さら隠すのもおかしな話だった。
「甘いものが好きなんだ」
「あ……」
はっきりと告げると、娘は納得したように何度も頷いて、そして笑い声を上げた。
「たしかに、あのお店に男の人が一人で入るのは勇気が要りますよね」
楽しそうな、鈴を転がすような声はあの花畑で見た時と同じものだった。明るく、ついこちらも笑ってしまうような不思議な力がある。
「わかりました。お付き合いしますね」
ひとしきり笑った娘は、その笑いをおさめると俺に手を差し出した。
「わたし、レニタって言います。おじ様は?」
「オスクだ。――ちなみにまだ二十八だがな」
よく間違われるから普段は大して気にしてはいなかったが、妙に複雑な気分になり訂正する。
すると娘、レニタは両手を振って慌て始めた。
「ご、ごめんなさい。わたしてっきり」
「いい。慣れている」
あまりにもわかりやすい言動に思わず笑みを浮かべ、レニタの手を握った。
「よろしく頼む」
「はい。よろしくお願いします」
そうして向かった菓子店。そこに入ると予想通りに驚く人の姿が見受けられた。
視線が痛い。が、その横にいるレニタを見ていく分か和らいだものになるのがわかる。
「……おちつかないな」
「っそ、そうでしょうね」
ピンクとレースで飾り立てられた店内を見てぼそりと呟くと、レニタは小さく肩を震わせて笑っていた。
「ごめんなさい。その……甘いものが好きというのはともかく、オスクさん違和感が半端ないです」
ただ笑う姿には侮蔑や悪気も感じられず、純粋に可笑しいと笑っているようだ。
裏表のなさそうなその姿勢に好感をもつ。
「あ、あそこにしましょう」
そうしているとやがて気を取り直したらしいレニタは店内を見回し、一番目立たない奥側の席に向かった。
「えっと、どんなのが好きですか?」
メニュー表を開いて差し出すとレニタは小声で問い掛けてきた。
その意図がわからないながらも、俺も倣って声を小さくさせる。
「チョコレートが一番好きだ。あとはケーキ全般だな」
「食べられないものとか苦手なものは?」
「ないな」
好き嫌いなどしては護衛部としての身体は成り立たない。
即答すれば、やや感心したような目で見られた。それから暫くレニタは真剣な表情でメニューを見つめ、
「ちなみにどれ位、食べられます?」
更にそう問いかけてきた。
腹が好いているわけではないが、正直ここの店のものはどれもひとつが小さい。全種類食べきれるだろうことは想像に難くない。
「いくらでも食べられるが」
「わかりました」
と、レニタはそれだけでにっこりと微笑んでメニュー表を閉じた。
そして店員を呼びいざ注文を、というところにきてレニタはやや大きな声で言った。
「それじゃあお言葉に甘えて、全品制覇させていただきますね。食べきれない分、よろしくお願いします!」
それは俺に対する配慮だったのだろう。
一緒に来てくれるだけでも有難いのにレニタは気を利かせてくれたのだ。そんなことまでしてくれるとは思わず驚くと同時、レニタへの興味が湧いた。
そうして厳選だという五品を皮切りに、俺達は菓子を食べ始めた。
「どうです?これなんか特にお勧めなんですけど」
「……美味いな」
という会話は小声のまま、俺達は数種類ずつ注文しては完食してというのを繰り返す。
次々に無くなっていく菓子を目の前に、レニタは引くどころか楽しそうに目を輝かせ、更には負けじと菓子を頬張った。
その姿は初めてレニタを見た時の様に輝いていて、俺はいつしか周りの目など気にすることなく菓子とレニタとの会話を堪能した。
「本当に制覇できるとは思ってなかったです」
そうして全種類を食べきり店を出ると、レニタはそう感想を述べた。
花の街なだけあって見た目は花をかたどるものが多く、色鮮やかなそれは婦女子にはそれは人気だろうと頷けるものだったが、何よりも味がよかった。
「まさかここまで食えるとは思わなかった。礼を言う」
「せっかくなら心ゆくまで堪能しないとですしね!」
せいぜいが三つくらいかと思われたが、レニタの配慮のおかげで悔いがないほどに堪能できた。
小さく頭を下げる俺にレニタは惜しみない笑顔を浮かべた。
穏やかな日差しの中で微笑むレニタは、そこだけ夏の様な眩しいほどの光を放っている様だった。
「今日はありがとうございました。お礼と言いながらお金も払ってもらってしまいましたし、とても楽しかったです!なんだかわたしが元気づけられちゃって、本末転倒な感じがしないでもないですが」
「いや、半ば諦めていただけにありがたかった。店につきあってくれるだけで十分だ。金も俺がほとんど食ったわけだしな」
別れ際に向き合うと、レニタは少しだけその笑顔に憂いを見せた。
「ディックのことは、凄く悲しいけど。結局わたしはディックのことが好きなんです。一時の迷いだったんだろうって信じます」
「そうか」
頷きながらも内心苦虫を噛み潰す思いだった。
短時間ではあったがレニタとの時間はあまりに楽しく、惹かれずにはいられなかったのだ。
菓子を食いに付き合ってもらうだけだったのだが、まさか――既に婚約中のみである女に恋心を抱くとは。
静かにゆっくりと息を吐いて、やりきれない感情をそっと逃す。
「本人には聞かないのか?」
「実は付き合い始めの頃もこういうことって結構あって。でも戻ってきてくれてますし。聞いてぎくしゃくするのも嫌なんです」
浮気性の男、そしてレニタを傷つけているということに静かに怒りが沸く。
とはいえレニタがそれでもいいと決めたのなら、それを尊重するよりない。
――だが、そうだな。
夏の太陽の様なこの娘は笑っている方がよく似合う。
この街で仕事に当たっている間くらいは、見守っていよう。
「なにか思い悩むことがあったら声をかけてくれ。相談に乗ろう」
「ありがとうございます!」
俺の申し出に、レニタは再び憂いをなくした笑顔を向けるのだった。
+ + +
それから三日ほどが経った頃か。
外出から宿に帰った時に宿屋の息子、ディックから声をかけられた。
「ニュカネンさん、少しいいでしょうか」
その声は堅く、どことなく睨まれている感じがしないでもない。
俺はディックに促されるままに建物の裏手側へと足を運んだ。
「先日、レニタとエルヴィーラに行ったと人づてに聞きました。……間違いないですか?」
人気のないその場所で、ディックは通常よりもやや低い声で尋ねてきた。
どこからか話を聞いたのだろう。
「間違いないな」
一体何を話すつもりか。
俺は慎重にディックの表情を探った。
「レニタは僕の婚約者です。もう結婚まで半年をきっています」
結婚間近だという自覚はディックにもあったらしい。
そう思いながらも無言で先を促す。
「そんな中で見知らぬ男とレニタが二人きりで食事をしたと言うじゃないですか。――正直驚きました。レニタがそんなことをするはずはない、と」
ディックは表面上困惑を取り繕ってはいるものの、その目の奥には敵意と焦りの色が窺えた。
「どんな事情でそのようなことになったのかは分かりませんが、これ以上レニタに近づくのはやめていただけないでしょうか」
なるほど。どうやらディックという男はレニタとの結婚は進めたいようだ。
だが結婚はしたとして、己の行いはどうするつもりか。自らを改めレニタに尽くすか、それとも欲望のままにつき進むのか。
「彼女には事情を聞いてないのか?」
ディックの言葉に対する返答はせずに問い返せば、ディックは頷いた。
「ええ。お互い忙しくしているので、なかなか顔を合わせることもできずにいます」
「なるほど」
他の女との逢瀬を重ねておきながらよく言ったものだ。その時間を使えばレニタとも会えるだろうに。
どうしたものか。
少しつついてやるのも良いかもしれない。改心するのならば、レニタにとっては越したことはない。
「そうか。だがおかしなものだな。彼女には男と会うなと言うのに、君は彼女の他にも随分と親しい女性がいるようだ。それも数名」
あえて淡々とした口調で言えば、ディックは息をのみ瞠目した。
ちらりとそれを見やり、密会に使っている場所を延べ連ねればディックは徐々に苦い顔をした。
「どうしてそれを」
「仕事柄そういう場所をよく見回っているからな」
やましいことをしている人間の調査ともなれば、人目につきにくい場所を利用するディックは自然と目に入るものだった。
ディックはかぶりを振るとため息をついた。
「たった一人を愛するなんて人生損だとは思わないかい?男なら複数の女性を渡り歩いたって、女性と違って石を投げられるわけでもないし」
やがて観念したらしいこの男は肩を竦めてそう宣った。
「その点レニタは丁度いいんですよ。あいつは僕のことが好きすぎてなにも言ってこない。普段は気が強いのに、僕のこととなれば途端に弱くなる。――実際、浮気現場を見ても何も言ってきませんしね」
「レニタがどう思っているかは、関係がないと?」
「もちろん大切にはしますよ?なにせ宿の女将になってもらわないといけませんしね。それに――レニタと破談なんてことになれば跡を継げなくなる」
すっと目が細くなり、静かにディックを睨みつけた。
レニタと結婚するのは宿を継ぐため。
よく――わかった。
「とんだ下衆だな」
自然と声が低くなる。
この男はレニタを傷つけるだけだ。傷つけることになんの罪悪感もなく、ただ欲しいものを貪るだけ。
レニタの意思に沿わない可能性は重々承知で、それでも我慢の限界というものがあった。
「結婚を止めさせる」
「たった一度食事をしただけのあなたの言うことをレニタが聞くとでも?」
断言する俺を小馬鹿にするようにディックは腕を組んで笑った。
「このことを話したところで、結局僕のことが好きなレニタには破談なんて考えはないでしょう。ただ傷つかせるだけですよ」
「そんなものは理解している」
レニタも言っていた。結局はこの男が好きなんだと。
だから傷つかせるのは本意ではない。
だったらどうするかなんて、ひとつしかない。
「宣戦布告だ。――結婚までに振り向かせてみせる」
こんなクズが相手なら手加減はしない。真っ向からレニタを奪うまでだ。
「っはは、浮気をしても僕に好意を寄せ続けているレニタが、ごく最近出会った男になびくとでも?面白い。やれるものならどうぞ」
愉快そうにしているディックは話はそれまでだと手を振って去っていった。
その背中を、俺は目を細めて見送るのだった。
読んでいただきありがとうございます。
次回更新は7日の予定です。




