その1
まさかの二ヶ月経過……。
オスク編になります。
楽しんでいただけたらと思います。
ここは花の都。街のあちこちに花が溢れる、色とりどりな街だった。
わたしは小さい頃からこの街に憧れていて、十六歳になった時に我儘を言って単身この街に引っ越してきた。知り合いなんて全然いなかったけど、街中が花で溢れているここはわたしにとってはそれだけで楽園のような場所だった。
念願の街に移り住んだだけじゃなくて、仕事も花屋の店員で、休みの日には花畑へと出かけて、そこに遊びにきた子供達に花冠を作ってあげたりしているほど花が大好きだった。
「レニタ、配達をお願いしてもいいかしら?」
店番をしていると、店の奥から店長の奥さんであるドリスさんが顔を出した。
「どこまでですか?」
重いこともあって配達は店長の仕事で、基本的には頼まれない。
珍しいなと思って振りかえれば、ひと抱えほどもある大きな籠に花を纏められているのが目に入った。
思ったよりも量があることに驚いていると、ドリスさんはわたしの肩を叩いた。
「ディックさんのところよ。配達が終わったらそのまま今日は休んでいいわ。籠も明日持ってきてもらえればいいから」
「ありがとうございます!」
配達先の名前に目を輝かせると、わたしは早速籠を持ち上げた。
ドリスさんが現金なほど分かりやすいわたしの反応に笑いながら手を振った。
「いってらっしゃい。気をつけてね」
「はいっ。行ってきます」
そうして店を出て歩き出す。
ディックはわたしの婚約者で、実家は街で一番立派な宿屋を営んでいた。
花祭りまであと一ヶ月。本当ならその準備に忙しくて休む暇もないはずなのに、ドリスさんの心遣いがすごく嬉しい。
――半年後、わたし達は結婚することになっていた。
ここまで来るのに、いろいろな苦労があった。
十六でこの街にやって来て、わたしが一目ぼれしたのが始まりだった。
だけどディックは女の子が大好きでいつもとっかえひっかえしては遊びまわっていた。それはもうひっきりなしで、わたしが付け入る隙なんて全くないほどだった。
何とかして近づけないか、そう思ったところに宿屋の女将さんが花を生けてほしいと頼んでくれて、時折宿屋に花を活けることになったのがきっかけで、ディックとも話をするようになった。
半年かけて仲良くなって、それから付き合うようになってからも何かと多難だった。
何せ浮気性の女の子好き。わたしも一時の相手として最初はふらふらされた。付き合っているのに他の子と平然とデートをしたり、軽いキスを交わしたり。
それを見かけるたびに口を引き結んで耐えた。女の子と別れるきっかけはいつも口論で、女の子が浮気を問い詰めたことが原因なのは知っていたから。
涙目になりながらも問い詰めることもなくいれば、ディックは必ずわたしの元に帰って来てくれた。だからそうやって、見てみないふりをして過ごしていたら――あるとき突然言ったのだ。
『今までごめん、レニタが一番だ』
ぎゅっと抱きしめてくれてディックはそれっきり他の女の子と遊ぶことはなくなった。
あれから二年と半年。結婚と同時に宿を継ぐんだって、今ではすっかり宿屋の跡取りとして仕事を頑張っていて、本当に格好いい。
「こんにちは。お花の配達です!」
裏口から入っていつもの場所に籠を置くと、女将さんが笑顔で迎えてくれた。
「お疲れさま。重かったでしょう」
「いえ、これくらいなんともありません」
ディックのお母さんとの仲も良好で、わたしは首を振ると腕をまくった。
「よかったらお花活けますよ」
「あら、でも忙しいんじゃない?」
「この配達で今日は休んでいいってことだったので、大丈夫です」
「じゃあお願いしちゃおうかしら。レニタちゃんが活けてくれると雰囲気が明るくなるのよね」
なんて嬉しいことを言ってもらえて、わたしはよりやる気を増す。
入口や廊下、食堂に一部の客室。すっかり宿を知り尽くしているわたしはその場に合った花を選んでは活けていった。
「終わりました」
カウンターの掃除をしていた女将さんに声をかける。
「ありがとう。ディックなら屋根裏部屋の整理をしているはずよ。ゆっくりしていってね」
「ありがとうございます」
ドリスさんと、そして女将さんの取り計らいに心があったかくなる。
結婚まであと少し。確実に近づいてくるその時を目前に確かな喜びが込み上げてくる。
早くお嫁さんになりたい。
そんな気持ちで階段を上がって、そしてたどり着いた屋根裏部屋の入り口。
ふと話し声が聞こえて、わたしはその足を止めた。
「いいだろ?」
「もちろん私は構わないけど」
聞こえてくるのはディックと女の人の声。
二人の声はどこか楽しげで、なんだかとても親密そうだった。
そっと入り口から部屋を覗いて、わたしは後悔した。
キス、していた。
相手の人は街でも美人と噂の青果店の売り子さんで、ディックはその人の腰を抱いていた。
女の人もそれにしなだれかかるようにしてて、そんな二人は誰がどう見ても恋人のようにしか見えなかった。
「……っ」
目を見開いて、後ろに数歩よろめく。
うそ、なんで?
結婚まであと半年のこの期間で、どうしてこんなことに。
さっと血の気が引いていく。
なんで、どうして。
ただそれだけが頭に浮かんで、目は二人から離れない。
否定したくても目の前の光景がそれをさせない。
そうして二人が体を離したその時、ふとディックが顔を上げて――目が、あった。
鼓動が跳ねて、ディックが一瞬驚いた表情をした。
否定してくれるはず。瞬間的にそう思ったのに、ディックはわたしと目を合わせたまま妖艶に微笑んだ。
「……もう一回」
再び重なり合う唇。
う、そ。
目の前で起こっていることがとても信じられなくて、愕然とした。
どうして。わたしに気づいているのに、目が合ってるのに。
震える身体でどれくらい立ち竦んでいたのか、わたしは気がつけば階段を降りていた。
うそ。うそうそ嘘嘘嘘嘘。
階段を降りた明るい廊下の中、わたしの目の前は真っ暗だった。
何が起こっているのか分からない。
よろめきながら、ただその場から遠ざかろうと足を踏み出す。
「あっ」
ふとバランスを崩して転びそうになって――誰かに支えられた。
「大丈夫か?」
低い声が耳に届いて身を起こされる。
ゆっくりと前を見ると、そこには驚いた顔の大柄な男の人が立っていた。
短く刈り込まれた赤銅色の髪と、同色の目。肩幅があって、どこからどう見てもがっしりとした体つきの男性。
委縮してしまってもおかしくないほどの体躯の男の人は、その容姿とは裏腹に心配そうな声色だった。
「す、すみ、ません。ありがとう、ございます」
まだ微かに震える身体で、わたしは辛うじてお礼の言葉を口にした。
すると男の人は眉間に寄せられていたしわを更に深くさせて、身を屈めて顔を覗きこんできた。
「随分顔色が悪い。休んだ方がいいんじゃないのか」
そこにある心配の色が、心に沁みた。
子供の頃に迷子になった時のような、どうしていいかわからなくなっている心に優しげな一言が落とされて、わたしは一筋の涙を流した。
「何かあったのか」
ぎょっとする男の人にぶんぶんと首を振って否定する。
「ごめ、なさ……だいじょ、ぶ、です」
初対面の人の前で泣くなんて。
そう思って、スカートの裾を握りしめてそれ以上の涙を堪える。
「すみません、ちょっと、辛いことがあったので」
無理やり口角を上げて見せると男の人は少しだけ逡巡して、それからポケットに手を入れた。
一体何をしているんだろう、と見ているとすぐに手が引き抜かれた。
「落ち着いたら食べるといい」
そうして差し出された手の平には、ひとつのキャンディがあった。
大きな手に転がるキャンディはなんだかとっても小さく見えて、その違和感に渦巻く暗い感情がぽろりと落ちていった。
眉間にしわの寄った、厳つい男の人。
思わず手と顔を何度も行き来していると、気まずそうに男の人は視線をそらせた。その目元がなんとなく赤い。
「あ、ありがとうございます」
あまりにも似合わないちぐはぐなそれらに、わたしはびっくりしながらも受け取るのだった。
+ + +
それからの数日。いよいよ花祭りも目前に迫った今日この頃、花屋のわたしも当然ながらせわしなく働いていた。
あまりにも忙しすぎて、ディックとは話どころか顔も合わせていない。
あんな現場を見られたというのに慌てて言い訳をしに来ることもないその様子に、ひょっとしてわたしの見間違いだったのだろうかとすら思えてくる。
――ううん、あれは確かにディックだった。
つきあった当初の浮気が思い出されて、胸が締め付けられる。
わたしが恋人のはずなのに、ディックは他の女の子たちと手をつなぎ、抱き合い、笑っていた姿が、屋根裏部屋での姿と重なる。
まさか、浮気を?
――そんなことない。だってわたし達は結婚するんだから。
花祭りに使うミニブーケを作る手を止めて深くため息をつく。単純作業をしているとどうしても考えてしまう。
気分を切り替えようと首を振ったところで、お店に一人のお客さんが入ってきた。
花屋にはあまり似つかわしくない、大柄な男の人。
「あ――」
赤銅色の目があって、お互いに気づく。それはあの時よろけたわたしを支えてくれた男の人だった。
「いらっしゃいませ」
男の人はわたしが笑ったことに少しだけほっとしているようだった。
真っ直ぐに目の前までやってきて、男の人は口を開いた。
「花を見繕ってほしい」
「はい。どのような用途ですか?」
自宅用、贈答用、その他にもシーンによって当然違ってくる。
尋ねるとすぐに答えが返ってきた。
「墓前に捧げたい」
「わかりました」
わたしは数ある中からいくつかの花を手にとっていく。
そんな動作をやや感心したように見ている男の人の前に、わたしは仕上げに三つの花を並べた。
「どの花を添えますか?」
添える花には意味があった。
お墓にお供えする場合は主に三つ。
ひとつは一般的な人へ。
ひとつは家族や友人などへ。
ひとつは、最愛の人へ。
主だった花はこっちで選ぶこともあるけど、これだけは送り主が決める習わしだった。
わたしの視線を受けて男の人は三つの花を見つめ、そして悩みながもその一つに手を伸ばした。
「これを」
白いカーネーションは、最愛の人へ贈る花。亡くなった今も変わらず愛しているというメッセージ。
どんなに仲が良くてもこの花を墓前に捧げる人は滅多にいなかった。
この人は恋人を――あるいは奥様を、死してなお愛しているのだろう。
そう思った瞬間、ぽろりと涙が落ちた。
「――あれ?」
男の人の目が大きく見開かれ、わたしも自分自身にびっくりする。
だけど涙は次々に溢れてきて止まってくれない。
「ご、ごめんなさい。わたし……」
慌てて目元を拭うのに全然止まってくれない。
どうしよう、花を完成させなきゃいけないのに。
焦るわたしに男の人は困ったふうでも怒ったふうでもなく首を振った。
「いや、すまなかったな」
何がすまない?
言われた言葉にきょとんとしたところで、奥からドリスさんがやってきた。
「いらっしゃ――どうしましたか?」
花を片手に涙を流すわたしと、目の前で驚く男の人。
そんな不思議な光景にドリスさんは瞬時に目の前までやってきて男の人にそう聞いた。
「すみません、急に涙が出ちゃって。あの、これ……」
と、作りかけの花束を手渡すとドリスさんは困惑しながらも受け取ってくれた。
「申し訳ございません。すぐにお作りいたしますね」
ドリスさんはすぐに男の人に頭を下げて、わたしの背を押した。
行きなさい、という合図にわたしは小さく会釈して下がる。
どうしていきなり涙なんか出たんだろう。
そう考えながらとぼとぼと裏の作業場兼休憩室に入って椅子に座る。
部屋の隅に置かれた棚に収まっている自分の鞄。そこから白いヴェールが覗いているのが目に入った。
結婚の宣誓式で身につけるヴェール。
これからを夢見てたくさんの花の刺繍を入れたいと、仕事の合間にも少しずつ挿しているところだった。
「っふ……」
さらに何かがこみ上げてきて、これか、と悟る。
わたしはディックに愛されているんだろうか。愛してもらえるんだろうか。
あの白いカーネーションを見て、無意識に感じたんだろう。しばらくの間、わたしはただ口をひき結んで涙を流すのだった。
どれくらい経った頃か、ドリスさんが遠慮がちに声をかけてきた。
その頃には涙は止まっていて元気がないながらも会話はできるくらいには復帰していた。
ドリルさんはそんなわたしの様子を確かめると、お茶の入ったトレイを持ってやってきた。
「大丈夫?」
「ごめんなさい。急に涙が出てきちゃって」
「仕方ないわよ。こんなこと言うのもなんだけど、レニタちゃんって結構繊細だったのね」
「え?」
思いもしない言葉に目を丸くすると、ドリスさんは机にお茶を置いた。
ドリスさんはちょっと楽しそうに笑っている。
「マリッジブルーでしょう?あのお客さん、白いカーネーションを選んでたからそうじゃないかと思ってね」
「……そう、ですね。そんな感じなのかもしれません」
単なる結婚の不安よりも重いものだったけど、白いカーネーションが引き金になったのは間違いない。
まだディックとも話し合っていないし、不確定な中で心配をさせるのはなんだか嫌だった。
へへ、と力なく笑うとドリスさんは空になったと思っていたトレイから何かを手に取った。
「それから、これ」
そう言って差し出されたのは薄い紙に包まれた小さな何か。
「……キャラメル?」
その匂いからあたりをつけて首をかしげる。
「さっきのお客さんが渡してくださいって。見た目は大っきくておっかなそうだったけど、心配してたわ。いい人みたいね」
お昼からはまた店番頼んだわよ、とドリスさんは言い残してお店へと戻っていった。
そうして手の平にのったキャラメルに視線を落とす。
またもらってしまった。
泣いているのを見られるのもお菓子をもらうのも、これで二度目。
はぁとため息を一つついてキャラメルを口に入れると、その甘味に落ち込んでいた気持ちが少しだけ上向きになるのだった。
+ + +
花祭りは盛大に行われた。
年に一度のこの日はいろんな所から観光客がやってきて、それはもう大賑わいになる。
わたしは裏方として花屋の組合のお手伝いで忙しくてあんまり見れなかったけど、いつもよりもさらに花の溢れる街は本当に素敵で、幸せな気分だった。
そして観光客の半数以上が去っていって、街が普段の様子を取り戻しつつある数日後。
わたしは覚悟を決めた。
一度ディックに会いに行こう。
この前見た事を話すのは怖いけど、顔を合わせたらディックから何か言ってくれるかもしれない。
ぎゅっと男の人にもらったままだったキャンディを握りしめる。
うちの花屋もディックの宿屋も今なら落ち着いてきているはず。
聞くなら、今しかない。
「花祭りの時はおつかれさま。ディックなら離れの掃除をしているはずよ」
花屋がお休みの日に気合を入れてやってきた宿屋で挨拶をすると、女将さんはそう教えてくれた。
中流から上流者向けのこの宿屋には建物の裏に庭があって、その奥にいくつかの離れが造られていた。
貴族や富裕層に向けられて作られているそこは人気が高くて、花祭りで泊まりに来たお金持ちが帰っていった後なんだろう。
庭を進んでいくと木々や緑の垣根に隠れていた建物が見えてきて、その大きく張り出された窓に動く人影を見つけた。
ディック――そう思ったのもつかの間、思わず足を止めた。
なぜなら、ディックが裸だったから。
思わず目を疑っていると、そこに同じく裸の青果店の売り子さんがやってきて……
――もうダメだ。
顔を背けて、わたしは踵を返した。凍りついたように表情が動かない。
宿屋を出て足の向くままに歩みを進める。
完全に黒である。
キスだけじゃなかった。どこをどう考えたって、もう浮気に他ならない。
――ううん、むしろわたしとのことが遊びで、売り子さんが本命だわ。
――だってわたし達はキスまでしかしたことがないもん。
そこまで考えたところで、止まっていた感情が弾けた。
唇をかみしめて駆け出す。
惨めだった。
ずっと好きだったのに、結婚を楽しみにしていたのに。
でもディックはわたしのことをなんとも思ってなくって。ひょっとしたらわたしが知らなかっただけで、これまでも女の子と付き合ってたのかもしれない。
『今までごめん。レニタが一番だ』
あの言葉は、嘘だったの……?
考えれば考えるほどに目元が熱くなって、進む足も早くなっていく。
一人になりたかった。
誰もいない場所に行きたかった。
がむしゃらに走って、坂を登って、階段を駆け降りる。
「あっ」
ずるりと足が滑って階段を踏み外した。
体が浮き上がって宙を舞う。
落ちる。
転がって擦りむいて、ひょっとしたらひどい怪我になるかも。
どうして。わたしのこと好きじゃなかったの?
結婚まであと少しなのに、どうなるの?
全てがゆっくりに動いているような感覚の中、いろいろな考えが頭を巡る。
怪我をしたらどうしよう。
そうしたら、ディックは心配してくれる?
ああ、でも。
――怪我でぼろぼろになるのは、今のわたしにはお似合いかも。
行き着いた自虐に心が沈む。
虚ろな目で近づく地面を見つめ、足掻くことなくぶつかるのを受け入れようとしたその時。
黒い影が目の前を覆った。
続いて、硬いけど痛くない軽い衝撃が全身に走って、何かに包まれる。
「間に合ったか」
頭上から声が降ってきてゆっくりと身体を押されて離れると、影の正体がわかった。
「怪我はないか?」
それはあの大柄な男の人だった。
「あり、ません」
覗き込まれ何も考えずに首を振れば、赤銅色の目が安堵の色を浮かべた。
「良かった」
そうしてそっと抱きしめらる。
辛くて激情を訴えていた体が優しいぬくもりに覆われて、自虐に嗤う心が溶けていった。
ぼろぼろにならなくてよかった。
怪我をしなくてよかった。
助けてくれて、よかった。
「っう……うわああぁぁぁっ」
心がはち切れたらしいわたしは、ただただ目の前の男の人にしがみついて泣きじゃくった。
驚く男の人は一瞬身じろいだものの、そんなわたしを抱きしめたまま背中を撫でてくれるのだった。
読んでいただきありがとうございます。
次回は明後日の更新予定になります。




