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騎士団は恋が好き  作者: 葵翠
【諦観】アントン
30/79

奏でる音律は別れを告げ

楽しんでいただければと思います。

 空が透明感を増し、月の輝きがより一層冴えわたる秋。

 それは唐突に起こった。


「いや、放して!」


 非番の日に合わせて友人と王宮内で顔を合わせ、のんびりと会話を楽しんでいたところに聞き慣れた彼女の声が、悲鳴が飛び込んだ。


「やっ……やめて!誰かっ」


 私は血相を変えて声のする方へと視線を巡らせた。

 聞こえるのは外――あの場所か。

 友人へは何も告げずに駆け出し、ついた廊下の窓から迷わず飛び降りる。


 両手と髪を拘束する二人の男。

 馬乗りになる一人の男。

 ブラウスを引き裂かれ、顔を蒼白にさせた――彼女。


「君達は何をしているのかな?」


 着地と同時に尋ねる声は、自分でも聞いたことがないほどに冷えていた。

 ゆっくりと着地の姿勢から立ち上がれば、三人の男はその動きを止めた。


「嫌がる女性を三人がかりで押し倒して、これはどういうことだい?」


 足首まで覆うスカートは膝まで捲れあがり、彼女は恐怖に歪んでいた。


「平民の分際で貴族に楯突くつもりか?黙ってみていろ!」


 馬乗りになっている男が言い放ち、振り返った。その苛立ちの露わな目と視線があうや否や男は見る間に顔色を失った。


「まずい、騎士だ」


 一人が呟き、三人は脱兎のごとく駆け出した。

 私の横をすり抜けようとした一人の足を払い、一人を投げ飛ばす。

 最後に駆け出した男はその隙に逆方向へと逃げ出したものの、


「逃げるくらいなら最初からやらなければいいものを」


 私の後を追ってきたらしい友人が捕らえて戻ってきた。


「すまないね、テーム」


「いや、気にすることはない」


 槍の名手である友人、テーム・リスティラ伯はもがく男を難なく取り押さえたまま肩を竦めた。


「アントン、様……?」


 か弱い声に私は恐怖に歪む彼女を起こし、すぐに上着をかけて抱きしめる。


「もう大丈夫だ」


 いとも簡単に胸に収まる彼女から震えを感じて、間に合ったことに深く息をつく。


「衛兵!」


 背後でテームが腹の底から響く声で兵を呼んだ。

 すぐに駆けつけた数人の兵の顔は明らかに青い。


「王宮内で犯罪を見て見ぬ振りとはいい度胸だな」


「も、もうしわけ、ありません……」


「金でも握らされたか?それとも身分に怯んだか?どちらにせよ、職務怠慢だな」


 それから更にやって来た衛兵に、三人の男と顔の青い衛兵達を捕縛させたテームは最後にこちらを振り返った。


「こっちのことは任せておけ」


「ああ。頼むよ」


 早くしなければ衛兵だけでなく城の多くの者が見物にきてしまう。

 私は彼女を抱き上げるのだった。


 + + +


「――以上が報告です」


 夕刻、取り調べを終えた兵士長がそう私に告げた。

 こういった問題は全て私たち騎士団ではなく軍が行なっているため、取り調べに参加することはできなかったのだ。

 辛うじて関係者として報告は受けられたものの、似た役割を担う軍の領分を侵すことはできなかった。


「わかりました。ご報告ありがとうございます」


 眩暈を覚える中で私は丁寧な報告を行ってくれた兵士長に頭を下げた。


「では失礼します」


「ご苦労様でした」


 そうして兵士長を見送り、私は王宮内の騎士団詰所にて盛大なため息をついた。

 あの不届き者は彼女のヴァイオリンを壊した者達だった。

 動機はただの妬みである。選民意識の強い貴族の楽師は平民でありながら才能をもつ彼女の事が許せなかったという。

 初めは新しいヴァイオリンを与えられた事に怯んだものの、嫉妬心は燻り続け、やがてそれはヴァイオリンを与えた者の名が明らかにされないことから、彼女が高名な貴族を体で誑かせたのだという歪んだ認識となったようだ。

 そしてそんな彼女が暴行を受ければ彼女も宮廷を去らずにはいられず、ひいては入れ込んでいるであろう貴族も醜聞を恐れて手を離すと踏んだらしい。


 とんだ思い込みである。

 けれども――彼女に私の名を決して口にしないよういい含めていたのがそもそもの原因。

 私自身は関係がないとはいえ、宮廷楽師でありながらハーヴィスト楽団と繋がっていると判断する者は決して少なくはない。それ故に言い聞かせていたのだけれども。


 ふと別れ際に心配そうに私を見上げた彼女を思い出す。

 あの時彼女はなんと言っていたか。


『これは私の問題です。だから、あの……気にしないでくだいさい』


『アントン様の、せいではないので』


 ぎゅっと私の袖を握る彼女は心配に瞳を揺らしていた。

 彼女の心配は、私に向けられていたのだ。


「なんてことだ」


 自らの過ちに後悔の念が渦巻く。

 こめかみに手を当てて息をつく。


「あの、大丈夫ですか?」


 それまで様子を見守っていたらしい、詰所に控えていた騎士が控えめに声をかけてくる。

 詰所の奥の応接で対応していた為に話の内容は彼には聞かれてはいなかったけれども、今の私の様子はやはり看過できるものではなかったらしい。


「ああ、問題ないよ。すまないね、場所を借りて」


 今日は非番だった。けれどもこの報告を待つ場所にと選んだのが職場の控え室だった。


「いえ、とんでもありません。お茶でも淹れましょうか?」


 彼は非常時に備えた人員だったのだけど、私用で使うことがなんだか申し訳ない。

 せっかくの申し出だったけれども断ろうと口を開けた時、詰所の入り口がノックされた。


「はい」


 先に反応した騎士がドアを開け、そこで目にした人物に瞠目して固まった。


「おっおう――」


「ノエル様。どうかされましたか?」


 咄嗟に騎士の口を塞ぎ、私は珍客に笑顔を浮かべた。

 そのまま身体をずらして入り口を開け、中へとご案内する。

 静かにドアを閉め、そのまま先ほどまで兵士長と話をするために使っていた応接室へとお通しする。


「よかった。アントンいたのね」


 来客は頭にヴェールを被った侍女の姿をしていた。けれども黒い髪にサファイアのような瞳に強い意志を宿すその顔は、間違いようもなく高貴な人物であった。


「私に何か御用でしたか――王妃殿下」


 未だに目を見開いたままの騎士を余所に尋ねれば、王妃殿下はヴェールを取り払われた。


「随分お急ぎのようですが」


 変装上手の王妃殿下は、通常であれば特殊とも言える驚異的な化粧技術で顔立ちすらも変えてしまうのだけれど、今日の容姿はいつもの王妃殿下のままであられた。

 ちなみにノエルというのは王妃殿下が変装をしている間に使う名前である。


「ええ、急ぎよ。どうしてもアントンと話がしたかったの」


 王妃殿下はそう仰ってソファに腰を下ろされた。

 私は騎士の肩を叩いてお茶の用意を頼んだ。彼はこくこくと無言のまま何度も頷き、応接を後にした。


「どのような件でしょうか?」


 王妃殿下に訪ねられるような事をした覚えはまるでなかった。

 促されるままに向かいに座り、彼女のことを隅に追いやり頭を切り替えようとして、


「お昼過ぎにあった暴行事件、貴方その場にいたのよね?」


 口早に仰る王妃殿下の内容ににぴたりと動きを止めた。


「はい。不届きものを取り押さえたのは私と友人ですが」


「そのことを聞きたいの。被害者はエリサで間違いないの?エリサはどこ?無事なの?」


 矢継ぎ早に問う王妃殿下の表情は真剣そのものだった。


「被害にあった女性は宮廷楽師のエリサ・ペルトマーさんです。彼女とは見知った仲でしたので、未遂ということもあり私の家へ保護しました」


「……知り合い?」


 順に回答していけば、王妃殿下がぴたりと動きを止められた。

 折良くお茶を淹れた騎士がやって来て、その耳元で指示を出す。


「私が責任をもってお部屋までお連れすると陛下に伝えて貰えるかな?」


「了解です」


 騎士は短く返答すると王妃殿下にお茶を差し出し退室していった。

 ドアの閉まる音からしばし、王妃殿下は一つ息をつかれた。


「じゃあエリサは無事なのね?」


「もちろん襲われたショックはあるでしょうが、うちの使用人達とは仲も良いので、少しは心も落ち着いているのではと思われます」


「……どういう仲なの?」


 さらりとした回答に王妃殿下は首をかしげられた。

 あまり広めたい話ではないけれど、相手は王妃殿下。そう関係を言いふらすような方ではないこともよくわかっていた私は、静かに彼女との出会いからこれまでの経緯を説明させていただくのだった。


「なるほど。アントンが気に入っていた楽師は彼女の事だったのね」


 言われて苦笑する。ここまで話せば嫌が応にもばれてしまうのは仕方のない事だった。

 おそらく私がとある楽師を気に入っているというのは陛下からお聞きになられていたのだろう。

 王妃殿下は暫く考えるそぶりをお見せになられた。


「エリサは楽しそうに弾いてくれるし、結構好きだったの。だけど彼女、貴族でもなければ影響力のあるような裕福な家庭でもないから、目立つと嫌がらせを受けるんじゃないかって思ってあまり呼ぶこともできなかったのよ。それなのに今回のことがあって、居ても立ってもいられなくて」


 それで私の名前を聞きつけて駆けつけられたというわけだ。

 そういえば彼女からも何度か王妃殿下の茶会で演奏をしたと聞いていた。あの時の彼女は満面の笑みだった。


「申し訳ありません、もっと違う方法でヴァイオリンを渡せばよかったのですが」


「それは仕方がないことよ。今言ってもしょうがないわ。だけど――問題は今後のことね」


 王妃殿下は口元に手を当てながら腕を組まれた。


「はい。おそらくこの事件でヴァイオリンを与えた者へ関心が集まります。そうなればさらに一悶着湧くのは間違いないでしょう。せっかく落ち着いて来た彼女の宮廷楽師という地位が揺らぎかねません」


「そうよね」


 そうして暫く、私も王妃殿下も口を噤んだ。

 私の代わりに名乗り出てくれる人物、それも色事とは無縁だと分かるように女性がいればいいのだけど――

 と、そこで王妃殿下と目があった。


「私が後ろ盾になるわ」


 王妃様に目は真っ直ぐで、決断を決めると曲げる事のない人だった。

 私はその瞳を見返し、頷く。


「彼女の才能はとても素晴らしい。そうしてくださるなら、私も嬉しいです」


 王妃殿下のお抱えともなれば、今度こそ下手な手立ては打てないはずである。

 もちろんあの不届き者は罪に問われ一生王宮に出入りすることはないのだけど、他にも彼女を妬む者はいるはずだ。

 それから――

 私は胸中で覚悟を決めた。


「できるなら、彼女にヴァイオリンを与えたのも王妃殿下だということにしては頂けませんか?」


 そうする事によって全ては丸く収まるのだと、王妃殿下に願い出た。

 王妃殿下はその申し出に驚きつつも考えるそぶりをお見せになられた。


「確かにそれが一番いいとは思うけど、アントンはそれでいいの?」


「私は彼女が素晴らしい音色を響かせてくれるなら、それでいいのですよ」


 彼女の音を聴けるなら、それで幸せだった。

 それだけでよかったはずなのだ。

 もう少し、もう少しと先延ばしにしてしまっていた別れ。

 今、彼女を断ち切らなければ、きっと私は手を伸ばし続け、距離を詰めてしまう。

 これはいい機会なのだ。


「わかったわ。そうしましょう」


 私の中にある確固とした意志を感じてか、王妃殿下はやがて私の申し出を受け入れてくださるのだった。


「ありがとうございます」


 私はそうして、王妃殿下に跪くのだった。


 + + +


 そうして帰ってきた我が家。

 彼女は心配そうに私を見上げてきた。


「心は少し落ち着いたかな?」


 尋ねれば、彼女は頷きながらもどこか心配そうな表情をしていた。


「遅くなってすまないね。今後の君の立ち位置について、話し合う必要があって」


「わたしの、ですか?」


「ああ。家へ送ろう。その道中で話すよ」


 帰って早々だったけれど、致し方ない。

 これ以上彼女と接するのは好ましくない。――私はきっと、決断を揺らがせてしまうから。


「アントン様、これを」


 彼女を馬車へと乗せたところでサカリが声をかけてきた。

 振り返れば、なんとも言い難い、悲しみを湛えた表情で一つの箱を手にしていた。

 今日起こった話を聞いたサカリは、おそらく今後の展開を理解しているのだろう。


「ダン様から完成したと、お届けがありました」


 それはばらばらになった彼女の宮廷楽師としての証のヴァイオリンを元にして作られたミニチュアのヴァイオリンだった。

 刻まれた証の部分を必ず使用して、きちんと音が出るようにと注文をした為に長く時間が掛かってしまったけれど、ちょうどいい。


「……すまない。私はやっぱり、伴侶を迎え入れる事はできない」


 サカリもマイラも、キーアも。

 みなが私と彼女が結ばれることを望んでいた。

 箱を受け取った私はきっとサカリと同じような表情をしていたことだろう。

 キーアがここにいなくてよかった。いれば騒ぎ立てられてしまいかねない。


「私どもが、ずっとついて参ります」


「――ありがとう」


 そうして私は顔を上げた。

 これから惜しむ姿を見せることなく、彼女に別れを告げなくては。

 感情を抑え、私は彼女の待つ馬車へと乗り込んだ。


「待たせたね」


 いつもの穏やかな笑みを浮かべれば、少し安心したよう彼女が首を振った。


「明日からはおそらく、君にヴァイオリンを与えたのが誰なのかという話題で持ちきりになるだろう」


 ゆっくりと進み始めた馬車の中、私は説明を始めた。


「もちろん私はハーヴィスト楽団とは関係がないけれど、最初に君が思ったように、関係者と思う者も少なくはない」


 彼女は静かに私の言葉に耳を傾けていた。


「違うと話しても、信じない者も多いはずだ。――だから君にヴァイオリンを与えたのは別の人物だという事に決まった」


「そんな……」


「王妃殿下が事件を聞きつけてね、君の事をいたく心配していた。そして私の話を聞いて、今後は君の後ろ盾になると仰ってくれた。ヴァイオリンも内密に王妃殿下が与えたものだったとすることで、ハーヴィスト楽団とは全く縁がないと示す事ができる」


「王妃殿下、が」


 突然出た大物の人物に、彼女は思わず反芻した。

 けれども、と首を振り直す。


「でも、それでもこのヴァイオリンを譲ってくださったのはアントン様です。それを、変えるなんて」


「いいんだよ。君が安全な場所で音を奏でられるなら、私はそれ以上は望まない」


「そんな」


「――ペルトマーさん」


 首を振る彼女に私は静かに頭を下げた。


「私がもう少し違ったやり方でヴァイオリンを君に譲れたなら、きっと、今回のことは起こらなかったはずだ。――すまなかった」


 彼女がはっと息を飲んだ。


「アントン様のせいではありません!私が、うまく立ち回れなかったのが原因なんです」


 慌てて否定する彼女に、けれども私は頭を上げない。


「君がさる貴族の御仁を身体でたらし込んでヴァイオリンを得たんだろうと、あの暴行犯は言ったそうだ。――ヴァイオリンを与えた者の名を公開していたら、きっとそんな判断はされなかっただろう」


「それでも!元はと言えば恨みや妬みをうまく躱せなかった私が、悪いんです」


「君は何も悪くない。ただ美しくヴァイオリンを奏でていただけだ。……ヴァイオリンを与えたのが王妃殿下ともなれば、貴族の御仁を誑かして得たなどと言う者はいなくなる。私との関係は、なかった事にするんだ」


「そんな、いやです」


「申し訳ないけれど、すでに王妃殿下とは打ち合わせ済みだ。今後はうちの屋敷に来てはいけないよ」


 聞き分けのない子のように何度も首を振り、彼女は目に涙を浮かべた。

 そんな彼女に私はサカリから受け取った箱を手渡した。


「これを君に返そう」


「これは?」


「君の宮廷楽師としての証だよ。別れまでに間に合ってよかった」


 箱を受け取り戸惑っていた彼女が、別れという言葉にびくりと震える。


「君とのひと時はとても楽しいものだったよ。これからは影ながら君の活躍を応援している」


 いつもの笑みを、私は完璧に浮かべ上げた。

 そして馬車の壁をノックし、御者に合図を送る。


「そろそろお別れだ。これから先、君の歩む道が眩いものであることを祈っているよ」


 動きを止めた馬車を降りようとドアを開けた瞬間、私は彼女に腕を取られた。


「待ってください!」


 右腕を両手で引かれ、動きを止める。


「お別れなんて嫌です!ヴァイオリンの件はわかりました。だけど、お別れなんてっ言わないで、ください。私はっ」


 震える声で私を押しとどめようと、彼女は必死に私の腕を掴んでいた。


「――アントン様の事が、好きなんです」


 鼓動が跳ねた。

 ともすれば浮かれてしまいそうな心を押しやり、私は背を向けたままひっそりと息をはいた。

 目を閉じ、自らの想いを断ち切る。


「すまないね。君の想いを受け取ることはできない」


 そっと彼女の手を離し、私は馬車を降りた。


「アントン様っ」


 悲痛な声を上げる彼女の目の前で、私はゆっくりとドアを閉めた。


「後は頼んだよ」


 怪訝そうにする御者に声をかけ、私は歩き出した。

 すっかり日の落ちた夜空の下、冷たい風が私を通り過ぎていった。


 + + +


 暴行未遂事件は、翌日には王宮内を騒然とさせる結果となった。

 打ち合わせ通りに王妃殿下は動いてくださり、大勢の前で彼女は密かにお気に入りだったのだと大太刀振る舞いをされたようだ。

 あのヴァイオリンも自分が贈ったものであり、今後彼女を傷つけるものは誰であろうと許さないと高らかに宣言されたと聞いている。

 更には王妃殿下の登場で軍も再度取り調べを行い、宮廷楽師長すらも関与していた事がわかったりと私も知らなかったことも明らかにされていった。

 噂の的として暫くは居心地が悪いかもしれないけれど、新しく楽師長となった男性は誠実な人でもあるし、王妃殿下もいろいろと取り測っていらっしゃるようだから、きっとなんとかなるだろう。


 そう思っていた数日後。


「アントンはいる!?」


 王宮の詰所内に背の低い庭師が乗り込んできた。

 作業用の日よけの帽子からはみ出た髪は真っ青で、日に焼けた色黒の肌をしているけれど、声はどう聞いても王妃殿下である。


「どうかされましたか、王妃殿下?」


 しっかりと閉ざされたドアを確認しながら進みでると王妃殿下は力一杯帽子を脱ぎ捨てられた。

 さらり、と艶やかな黒髪が背に流れる。


「一体どういうことなの!」


 王妃殿下は憤慨した様子で詰め寄ってこられた。

 目は釣り上がり、非常に気迫がある。

 同じく控えていた数人の騎士がハラハラした状態で見守る中で、王妃殿下は私の胸倉を掴まれた。


「なんでエリサを切り離したの!?」


 思い切り睨みあげる王妃殿下の手をそっと外し、私は先日も居合わせた騎士に目くばせした。

 心得たとばかりに退室する騎士を確認して、私は王妃殿下に微笑んだ。


「先日お話したとおりですよ。宮廷楽師がハーヴィスト家と繋がっているなんて、あまりいい印象ではないではありませんから」


 言いながら応接へとご案内する。

 最近私事で応接を使ってばかりいる。気をつけなければ。

 そんなことを思いながらソファを進めるけれど、王妃殿下は立ったまま動かれない。


「それはヴァイオリンの話でしょう?家にも来るなと言ったそうじゃないの!」


「どこに人の目があるかは分かりませんので」


 もちろん全てはただの口実である。いや、本当のことも混じってはいるけれど、半分は私の事情だ。


「っ今まで、招いていた癖によく言うわ」


「これまでは一宮廷楽師でしたので。――今の立場ではとても」


 入口付近に王妃殿下が立たれていることからドアを閉めることもできずに、残りの騎士達が戸惑い様子を窺っているのがわかった。

 あまり聞かれたくはない話だけれど、しょうがない。


「あの子、泣きそうな顔をしてたわ」


「そうでしょうね」


 別れ際もそうだった。内心、胸の中に寂寥が積もっていく。

 けれども今、表に出してはいけないと静かに王妃殿下を見返す。


「アントンのことを好きなのを知っていて、よくもぬけぬけと!」


「だからこそ、ですよ」


 と、ふと王妃殿下の後ろに一人の影が差す。

 紺色の騎士服に、胸には三つの記章がつけられている。


「貴方だって、エリサのことが――むぐっ」


「そこまでだよ、ノア」


 王妃殿下の口を塞いだのは、騎士団長の装いをされた陛下だった。

 いつもの銀髪を赤く染め、つけ髭で顔の輪郭をごまかされている。

 ――エンシオ団長。陛下のもう一つの顔である。

 陛下は後ろから王妃殿下を抱きかかえられた。


「全く、君はどうしてこうお転婆なのかな。私に一言も告げずに抜け出すのは駄目だと教えたばかりなのにね?」


 どこか楽しそうな声に、王妃殿下が目を見開き震えられた。


「羽を伸ばすのが悪いとは言わないけど、断りがないのはいただけないね。……帰ってお仕置きだよ」


 王妃殿下の顔色が心なしか悪い。

 けれども、それでも王妃殿下は自分を奮い立たせたようだった。


「お待ちください陛下!私は今、大事な話をっ」


「へぇ?私の話よりも大事なものがあると?」


 色気をだだ漏れにさせながら楽しそうに笑う陛下に、今度こそ王妃殿下は動きを止められた。

 そんな王妃殿下の背を押し、陛下はそこにいた騎士達を見回された。


「妻がお騒がせしたね。報告ありがとう」


 そうして最後に私に向き直られた。


「ノアには私から君の事情を話しておくよ。いいね?」


「申し訳ございません。よろしくお願いいたします」


 サカリとマイラ。そして陛下だけは、私の心づもりを知っていた。

 私が頭を下げると、陛下は首を振られた。


「いや、いいんだよ。だけど今一度確認させてほしい。――まだ、心は変わらないかい?」


「ええ」


 陛下の目をしっかりと見て、私は肯定した。

 迷いはないと、そう示す為に。

 陛下はそんな私に一瞬寂しげな表情を見せたけれど、なにも追及はされなかった。

「わかったよ。けれども心変わりしたらいつでも教えてほしい」


 そうして陛下は未だ固まる王妃殿下に帽子をかぶせられた。

 王妃殿下から涙目で助けを求めるような視線を向けられるも、すぐに視線を反らせることで対応する。


「ほら、行くよノエル君?」


 すっかり庭師に戻った王妃殿下の肩を叩くと、陛下は詰所を後にされた。


「……なんで団長の姿だったんだ?」


 残された我々騎士は閉ざされたドアを見つめながら、ぽつりと漏らされた呟きに反応した。


「時間が開いているから、自分で迎えに行くと仰られて」


 答えたのは報告へ走ってくれた騎士だった。


「庭師と陛下が並んでる姿は違和感しかないからね。それなら騎士団長の方がまだ、というところじゃないかな?」


「なるほど」


 おそらくこの後、説教とお仕置きがなされるのだろう。

 王妃殿下を溺愛している陛下の事だから無体なことはしないけれども、王妃殿下が泣きを見るのは確かだろう。

 私は心の中で王妃殿下に手を合わせた。


「最近私情ばかり持ちこんでいてすまないね」


「いえ、アントンさんはむしろ圧倒的に少ないですよ。いつも助けてもらってばかりですし」


「そうですよ。急な休みにもいつも対応してもらって、逆にこっちが申し訳ないくらいです」


「そこは独身だから予定も好きに出来るしね。気にしなくていいよ」


 そうして遠慮がちに尋ねられる。


「あの、ペルトマーさんとは……?」


「なに、親子みたいな関係だよ」


 二十も離れていれば何ら不自然ではない。

 さらりと答えれば、それ以上の追及がなされることはなかった。きっと思うところもあったのだろうけれど、みな察してくれたのだろう。



 それ以来、陛下のお仕置きの効果か、それとも私の話に納得したのかは分からないけれど王妃殿下が訪ねられてくることはなかった。

 エリサ自身はというと――日々屋敷を訪ねているようだったけれど、いずれもサカリとマイラが断っているようだ。


「どうしてエリサお姉ちゃん来ないの?」


 キーアはしばらく元気をなくして項垂れていた。


「すまないね。私の事情でペルトマーさんとは会うことができないんだ」


 そう言って抱きしめると、キーアは私の頭を優しく撫でた。


「大丈夫?アントン様」


 どうやら私も弱っているらしい。

 サカリはいつも以上に日々起きたことを笑いを交えて話してくれたし、マイラは私の好物ばかりを食卓に並べ、家に花を飾ってくれた。


 そうして私が彼女と出会う前の自分を取り戻した頃には、サカリから日々報告される来訪者名の中にエリサが載ることはなくなっていたのだった。

読んでいただきありがとうございます。

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