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騎士団は恋が好き  作者: 葵翠
【一途】ルーカス
24/79

迷走の先

 楽しんでいただければと思います。

 ※2018.8.6 タイトルを変更し末尾部分を削除、翌話に割り込みをしています。

 わたしには三人の弟がいる。


 一番上のアランはヘタレだった。

 小さい頃から気が弱くて怖がりで、同年代の男の子達はもとより、女の子にも言い募られては涙目になってわたしの後ろに隠れていた。

 大きくなった今、独立して女性ばかりの工房にまとめ役として勤めているんだけど、女性達に不平不満をぶつけられ、四、五ヶ月に一度は耐えられなくなって帰ってきては泣き付いてくる。

 とりあえず好物のご飯を作って宥めて、最終的には酔い潰れるまで相手をしてあげれば翌日頭痛まじりに、だけど妙にスッキリした顔で帰っていく。


 真ん中のカインはタラシだった。

 両親の顔のいいとこ取りで生まれてきた弟はとにかく女の子にモテていた。

 弟もそんな女の子が好きなんだろう。小さい頃から女の子に囲まれ、思春期になるとそれはもう来るもの拒まずの勢いで片っ端から女の子を戴いていた。

 大きくなった今、独立して商人ギルドの会計士をしているんだけど、どうやら来るもの拒まずどころか常に複数の女性と付き合っているらしく、三ヶ月に一度はバレてうちに避難してくる。

 いい加減にしなさいと叱り飛ばすものの、ほとぼりが冷めただろう一週間後にどこ吹く風で帰っていく。


 一番下のレオンはなんかもうとにかくダメだった。

 小さい頃から風が吹けば流されるようなところがあった弟は定職につくことなく街中をフラフラしてはお小遣い稼ぎのようなことをしてその日暮らしをしているらしいんだけど、いよいよ食うに困ってきたらうちに帰って来る。

 そして当然のようにご飯を食べて、寝て「やっぱりウチが一番だね〜」なんて言ってほっとくといつまで経ってもごろごろと居座り続ける。

 とりあえず半月くらいしたら家の外に叩き出しているけど、長くて二ヶ月、早いと一ヶ月で戻ってきてしまう。


 全く困った弟達である。

 いつ誰が帰ってくるかわからないような状況では結婚はおろか、おちおち風邪で寝込んでもいられない。


 そんなわたしに、どうやら四年前からもう一人弟が増えたようだ。

 黙って真面目な顔をしていれば精悍できりっとしたいい男である。

 なのにその口はだいたいは閉じられることがなくふざけた事ばかり言っているし、落ち着きがなくていたずら好きで、表裏がなくてまるで子供のようである。

 国中をまわる仕事をしているせいか血の繋がった弟たちよりもうちに来る回数は少なく、せいぜい半年に一度くらいだけど、ふらっと帰ってきては旅立っていく。

 平気で人前で脱ぐし、当然のようにご飯を搔っ食らって寝泊まりしていく様は三人の弟となんら変わりはなかった。


 そんなルーカスの事を思い出してるうちに、やがてわたしは目的地へと辿り着いた。

 人のいない寂れた街はずれ。

 たくさんの墓標の並ぶそこに足を踏みいれた。


 ――今日は両親の命日だった。

 毎年この日だけはお墓参りに来ている。

 昔は姉弟四人で来ていたけど、弟達が独立するにつれて一人、また一人と揃わなくなり今ではわたししか来ていない。

 にも関わらず。


「――あれ?」


 今年はその墓標の前に、既に花が供えられていた。

 白で統一されたきれいな花束は冷たい風に揺れながらも間違いなく、両親の墓標に置かれている。

 まさか誰かが思い出して来てくれたのだろうか。

 驚きながらも手にしていた花束を並べた。


 幼い頃母さんは病気で亡くなった。一番下の弟はまだ四歳の時だ。

 父さんは忙しい人で、家の事はわたしが一手に引き受けた。当然弟達の世話もだ。

 それからは目まぐるしい日々だった。

 泣きべそをかくアランを宥めつつ、女の子を追いかけ回すカインを窘め、ふわふわと流されるレオンを捕まえ、気がつけば十六歳。わたしは無事に厨房職員として学校に勤める事になった。


 そして――今度は父さんが倒れた。

 それまで必死に働いていた父さんは、母さんが亡くなってからどんどん窶れていて、わたしが成人すると同時に一気に体調を崩した。


「あいつらを頼む」


 数ヶ月後、父さんはそう言い残してこの世を去った。

 奇しくもそれは母さんの命日だった。

 きっと保護者がいなくなることを心配した父さんは、わたしが成人するまではと耐えていたんだろう。貯金も多く残っていて、弟達が独立するまではわたし一人のお給料でもやっていけるほどだった。ずっとがんばってきた父さんには感謝しかない。

 だけど、ふと思ってしまう。

 弟達を頼む。そう言って母さんの後を追った父さんを思い出して。


 ――寂しい。


 わたしが成人するまで待ってくれたのかもしれない。だけど、じゃあわたしはいったい誰を頼ればいいの?


「っくしゅ」


 冷たい風に晒されて、くしゃみが出た。

 どうしてもこの日は感傷的になってしまう。

 わたしは首を振ると無理やりに笑みをつくって踵を返した。

 成人したのに弟達は度々帰ってくる。

 がんばらなけらば。あの子達がしっかりするまで、支えてあげなければ。


 急ぎ足で帰れば、ふと家に明かりが灯されていることに気づいた。

 誰か帰ってきているのだろうか。

 そういえばお墓に花があったんだし、うちに寄ってくれたのかもしれない。

 そう思うとほんのりと心が温かくなった。

 年に一度のこの日は、できるだけ一人にはなりたくなかった。


「ただいま」


 ドアを開ければ、出迎えてくれたのは四人目の弟だった。


「おう、おかえり」


 一番居る可能性の低い存在に目を丸くする。


「寒かったろ。メシ作っといたぜ」


 ルーカスはごく当然のようにわたしの背を押して家へと迎え入れた。


「姉ちゃんっ」


「この男だれ!?」


「ついに姉ちゃんにも春かー」


 続いてアランとカインが駆けてきて、レオンがその後ろからのんびりとやってきた。

 まさか四人ともいるなんて思いもしなかった。

 そういえば三人ともルーカスには会ったことがなかったか。

 そんなことを考えながらわたしは久しぶりに揃った家族に笑顔を浮かべるのだった。


 + + +


 翌朝、いつもはすっきりと目覚めるのに今日はなんだか瞼が重かった。

 気だるくて、体を起こすのが辛い。

 だけどこれからご飯を作って学校へ行かなければ。

 無理に立ち上がってふらふらする体を抑えて部屋を出る。


 こんなことは初めてだった。

 少なくとも母さんが亡くなってからは記憶にない。

 風邪でもひいたのかしら。


 そんなことを考えながらいつもよりかなりの時間をかけて階段を降りて――


「姉ちゃん!姉ちゃんってば」


 誰かがわたしを揺すっている。カイン?

 体が重い。目が開かない。


「どうした?」


 遠くで別の声がする。


「姉ちゃんが倒れた!熱がある」


「えっ、姉ちゃんが⁉︎」


 何だか騒々しい。

 全く、うちの弟達ときたら落ち着きがない。


「どうする?看病なんかしたことないよ」


「こういう時ってどうするんだった?」


 ああ、もう。

 なにを騒いでるのか知らないけど、早く仕事に行かないと遅刻するわよ。


「落ち着けって。レオンはタライに水張ってタオルと一緒にもってこい。カインとアランは飯作れるだろ。自分たちの分だけでいいから用意しろ。んで誰でもいいから早めに出て学校寄ってヒルダの休みの連絡してから仕事に行ってくれ」


 慌てふためく三人の弟に誰かの声が混じる。

 落ち着いて的確に指示を出しているようだけど、誰だっけ。


「風邪だろ。昨日は寒かったもんな」


 その誰かがわたしの額に手を当て、それから体を抱き上げられた。あったかい。

 まだ弟達が何かを言ってるけど、理解できない。


 ああ、なんだかすごく安心する――


 + + +


 かたん、という音に目が覚めた。

 いつのまに寝ていたんだろうか。

 何だか頭がぼやけていてうまく働かない。


 どうしたんだっけ。

 ああ、そうだ。体調が悪くて寝込んでしまったんだっけ。


 薄っすらと目を開けると、誰かが机で何かを読んでいた。あれは誰?

 はっきりしない視界のまま動かずにいると、誰かは静かに立ち上がった。目を覚ましたわたしに気づくことなく部屋を出ようとして、


「あ……」


 急に寂しくなって微かに手を伸ばした。

 行かないで。一人にしないで。

 だけどそれ以上は動けなくて、呼び止められない。

 行ってしまう――無性に心細くなって涙が滲んだ。


「どうした?ここにいるから安心していいぞ」


 突然、頭が撫でられた。

 すごく優しい声で、伸ばした手を握られる。


「寂しくないからな。ちゃんとここにいるから」


 手から伝わる温度が心も温めてくれてるようだった。

 それがたまらなく嬉しくて、涙を溢れさせながら頷いて、わたしはまた眠ってしまった。


 + + +


 どれくらい寝ただろう。次に目が覚めた時はかなり体が楽になっていた。

 体を起こして辺りを見回すと部屋には誰もいなかった。

 あの時手を握ってくれたのは誰だったんだろう。あんなに穏やかで安心できることなんて、もう十年以上なかった。

 眠る前のことを思い出して、なんだか少しどきどきしてしまう。あったかくて、心地よくて、なのになんだかくすぐったい気持ちだった。


 しばらくして心が落ち着いたところでベッドから降りると、机に置かれていた水差しから水を飲む。

 ほのかに香る酸味にただの水ではないことに気づいて、やっぱり誰がこんな気の利いたことをと不思議に思う。

 弟は絶対にありえない。むしろ何をしていいかわからずに右往左往して水差しすら用意できないだろう。

 となれば誰かを呼んできたという事だろうけど……。

 首をひねって考えていると、やがて部屋のドアが開いた。


「お、目が覚めたか」


 顔を上げるとルーカスと目があった。

 ああ、居たわねもう一人。けどルーカスがこれを?

 あの優しいぬくもりと普段のルーカスの言動が一致せずにじっと見上げているとルーカスはわたしの前までやってきて額に手を当てた。


「だいぶ下がったな。けどまだあるにはあ、る……か?」


 そのルーカスの手の温もりが眠る前に握られた手の記憶と重なり、突然体中の温度があがっていくのがわかった。

 どくどくと鼓動がうるさいほどに鳴り響く。


「どうした?顔赤いし急に熱上がってねえか?」


「っなんでもない!」


 手を握ってくれたのはルーカスだ。間違いない。

 そのことに気付いた途端、どうにも恥ずかしくて声が上ずってしまった。

 どうしよう。何でこんなになってるのよ、わたしは。


「元気になったんならいいけどよ、少しでも辛かったらいつでも言えよ」


 慌てるわたしをルーカスが真っ直ぐに見つめてくる。

 うっ……


「わかった、わ」


 目を合わせられない。

 胸を押さえて視線を泳がせる。

 ゆっくりと深呼吸を繰り返せば気が落ち着いてきて、訝しげに見ていたルーカスもそれ以上追求することはなかった。


 + + +


 数日後。

 ルーカスと、ルーカスの指導のもとに行われる弟の看病にわたしはすぐに体調をよくしていき、今ではすっかり元どおりに働いている。

 二日も学校を休んでしまった分、しっかりやらなければ。

 気合を入れて子供達のお昼ご飯を作って、給食が終わった後はたくさんの食器の洗い物をこなせば、あっという間に時間が過ぎていく。

 全ての仕事を終わらせたわたしは帰りの挨拶にと教員室に顔を覗かせ、そこでルーカスを見つけた。


「パーシオ先生。ちょうどいいところに」


 ルーカスと向き合って話をしていたのは学校長で、人のいい笑みのままにわたしに振り返った。


「ルーカス騎士、こちらは子供達に昼食を作っているパーシオ先生です」


 そう言って学校長が横にずれる事で、顔しか見えていなかったルーカスの姿があわらになった。

 金の房飾りのついた、かっちりとした紺色の騎士服を着こなすその姿に思わず固まる。

 騎士だと正体を隠しているはずのルーカスが、なぜそんな恰好でここに?


「よっ、おつかれさん」


 まじまじと見つめるわたしに、ルーカスはそう言って片手を上げた。


「おや、ひょっとしてお知り合いでしたか?」


「ええ、四年前からになります」


「そうでしたか。パーシオ先生は優しくて、とても子供達には人気があるんですよ」


「でしょうね。想像できます」


 なんてうんうんと頷くのは見間違いでもなんでもないルーカスそのもので。

 思わず挨拶やなんかをすっ飛ばして言葉が出た。


「何やってるのよ」


「え、仕事」


 わたしの疑問に短い答えが返ってきて、眉間にしわを寄せる。


「調査騎士じゃなかったの?」


 正体を隠して仕事をする、騎士団の影ではなかったのか。

 そう問えば一瞬ルーカスはきょとんとして、それから手を叩いた。


「そういや言ってなかったか。オレ、今日から三年間ここで駐在やるんだわ」


「はぁ!?」


「看病で言うの忘れちまってたか。悪い悪い。これからこの街でやってくから、よろしくな」


 軽い口調で言われて、驚きのあまり言葉が出てこない。ぱくぱくと口を開け閉めしてしばし、学校長がにこやかに口を開いた。


「どうやら親しい仲のようですな。パーシオ先生、もしよかったら学校の案内をしてはもらえませんか?」


「はい。畏まりました」


 基本は厨房職員だけど、たまに教師の補助だったり、掃除だったりもしているわたしは驚きながらも素直に従った。


「では、これからよろしくお願いいたします」


「こっちこそ、宜しくお願いします。入ったばかりで頼りないかもしれませんが、出来ることはなんでもやるんで、いつでも言ってください」


 二人はそう挨拶を交わし、やがてルーカスとわたしは教員室を出た。


「体調はどうだ?良くはなってるんだろうが」


 二人になると、ルーカスはそう尋ねてきた。


「ええ。おかげさまで全快したわ。弟達の世話までしてもらって、悪かったわね」


 今まで全く人の世話をするということをしてきたことのない弟三人にそれらを教えるのは、なかなかに大変だったと思う。

 今まで一度も倒れたことのないわたしが寝込んで、気が動転して慌てて、ものすごい心配する弟達はそれだけでも面倒そうなのに、ルーカスは声を荒げることもなく丁寧に教えてくれていたようだ。


「大したこっちゃねえよ。ヒルダんとこはみんな仲良いのな」


 なんて話しながら主要な教室を案内して、最後に校庭に出る。

 広く作られたそこでは、勉強を終えた子供達がそれぞれに仲のいい子達と笑顔で遊びまわっている。

 そんな可愛らしい姿を目に自然と笑みを浮かべていると、やがて子供達の一部がわたし達に気づいて駆け寄ってきた。


「パーシオせんせー」


「あっ、騎士さまだ!初めて見る人だよ!」


 なんてわらわらと足元に集まってきて、なんとも可愛いこと。

 物怖じしない子の多いこの学校でルーカスは早くも遊びをせがまれていた。


「おし、んじゃいっちょ遊ぶか!」


 ルーカスはそんな子供達にからっとした笑顔を浮かべた。


「仕事はいいの?」


 やや心配してみれば、ルーカスはここが終わったら帰るだけだからと親指を立てた。


「いくぞー」


 そうして瞬く間に子供と一緒に駆けていく。

 その姿は身体の大きな子供のようにしか見えないけど、誰かが転べば励まし、喧嘩をしてたら割って入る姿がそれとなく目に映る。


「だっこー!」


 少し離れたところでなんとなく眺めていると、最年少の男の子が両手を広げてそうルーカスに求めた。


「お、いいぞ」


 ルーカスは笑顔のままに勢いよく男の子を担ぎあげ、ぐるりと回した。

 きゃーきゃーと大はしゃぎの子はもう一回、もう一回、とせがみルーカスは何度かそれを繰り返したのだけど、


「あっ……」


 男の子が突然瞠目し、見る間に涙目になっていった。

 ルーカスも慌てて地面に下ろすけど、ちょっとだけ苦笑している。


「どうかしたの?」


 見かねて傍まで行くと、男の子のズボンが濡れていた。


「ご、ごめんなさい……」


 服の裾をぎゅっと握りしめる男の子に、お漏らししてしまったことを悟る。

 最年少の子達はまだ遊びに夢中になるとつい意識が飛んでしまうことがあった。


「次は気をつけるのよ」


 怒らず頭をなで、わたしは男の子の手を引いて医務室へと向かった。

 地面は乾けばいいけど、この子は着替えさせないといけない。

 歩いていけば後ろからルーカスもついて来ているのがわかった。


「ルーカスも濡れた?」


 問い掛ければびくりと男の子の身体が震えた。失言だった。

 だけどルーカスは首を振った。


「いや、こういう時どこでどうするのかと思って、次の参考にな」


「そう」


 ちらりと見たルーカスの上着は少しだけ色が変わっていたけど、見ないことにする。

 さりげなく気づかいのできるルーカスに、少しだけ感謝しながら医務室へと入る。


「そこで脱いでね」


 と、男の子に指示を出しながら棚からタオルを取り出して水で絞る。

 ルーカスは離れたところでささっと上着を脱ぐとわたしのもとへとやってきた。


「服は?」


「今出すわ」


 念のため最年少の子達は一組ずつ服を学校に置いてある。

 この子の服は、といくつかの引き出しを目で追おうとしたところで手にしていたタオルを取られた。


「出しといてくれ」


 返事も待たずに男の子のもとへと行くと、ルーカスは男の子の足やおしりをふき始めた。

 妙に手慣れてるのよね。看病の時もそうだった。

 そんな感想を抱きながら服を見つけて取り出す。


「ありがとう」


 ルーカスにお礼を言って拭ったタオルや濡れた服と着替えを交換と思ったんだけど、着せてやってと言われて場所を変わった。

 男の子は終始無言で小さく鼻を鳴らしながら泣いていて、服を着せてもう一度頭をなでれば、声を上げて泣き始めた。

 悪いことをしてしまった。恥ずかしいことをしてしまった。悔しい。

 いろんな感情がたくさん混じってるだろう男の子を励ますようにぎゅっと抱きしめる。

 大丈夫、きっと次は上手くできる。


 やがて少し落ち着いてきたのを見計らって、タオルや服を洗い終わったルーカスが男の子の前にしゃがみこんだ。

 男の子は突然のことにもう一度ぎゅっと手を握りしめた。

 だけど、ルーカスはそんな男の子に優しい声をかけた。


「さっき楽しかったか?」


 予想していなかっただろう質問に男の子はちょっとだけびっくりして、それから無言で頷いた。


「楽しすぎて、忘れちまったんだな」


「……ごめん、なさい」


 怒られるかもしれないと思っていたのだろう、戸惑い交じりに男の子は言った。

 するとルーカスもその子の頭をなでて、そしてにっと笑顔を浮かべた。


「そんなに楽しんでもらえたんならオレも嬉しいぜ」


 それはわたしにとっても思いがけない台詞だった。


「また一緒に遊ぼうな」


 真っ直ぐに目を見てそう言われて、男の子はきょとんとした。

 だけど言われた言葉の意味がわかるや否、満面の笑みを浮かべた。


「うん!」


 その笑顔がすごく嬉しそうなものだから、わたしはつい見入ってしまった。

 あんなに泣いていた子が、一瞬で満開の花のような笑顔を浮かべる。そんな言葉をルーカスは言っていて。

 ルーカスはこんなにも気づかいのできる人なんだと思い知った。


 思い返せば、ルーカスは弱っている人にはもの凄く優しい人だった。

 初めて会った日の真夜中の雑談。

 攫われて心細い思いをしている子供たちへの差し入れのお菓子。

 風邪で寝込むわたしへの看病と、不甲斐なさに落ち込む弟たちへの叱咤激励。

 ひょっとしたらこの前のお墓参りだって、弟が全然お墓参りに来ないと愚痴を漏らしたわたしのセリフを覚えていたからかもしれない。


 いつもひょうきんで、デリカシーがなくて、とことん自由で。

 それなのに――いつだって気配りのできる人で。頼りない弟達とはまるで違った、しっかりとした一人の男性で。


 どうしてそのことを、忘れていたんだろう。


「ヒルダ?坊主はもう帰ったぞ。ヒルダ?おーい」


 想いに耽っていたわたしに、ルーカスが目の前で手を振った。

 はっと我に帰れば、至近距離に鳶色の目があった。


「っ」


 不意に寝込んだ時のあの手を思い出して視線をそらせる。

 何で今、あの時のことを?

 よくわからないけど鼓動が暴れ回っているのがわかる。耳が熱い。


「一応まだ仕事中……いやでも……」


 真っ赤な顔で暴れる心臓をもて余すわたしに、よくわからない言葉が聞こえた。

 そして次の瞬間。

 わたしは腕を取られてよろめき、気がつけば温かいものに包まれていた。

 ――え?


「なあ、ヒルダ。そろそろ本気で結婚考えてくれねえか?オレ、その為に駐在騎士としてここに来たんだ」


 上手く動けないわたしの耳元で、ルーカスがそう囁いた。


「――っ」


 声にならない悲鳴が上がった。

 心臓が爆発しそうな勢いで暴れ回っている。


「オレは弟じゃない。一人の男として見てほしい」


 なに、何がどうなってるの!?

 あまりの展開に追い付かずに、頭が沸騰しそうなほど煮えたぎっている。


 ――オレは弟じゃない。

 今それを思い出したばかりなのに。

 ――一人の男として見てほしい。

 今それに、気づいたばかりなのに。


 もう頭の中は大混乱だった。

 なに、なんなのこれはもう。どうしていいの!?

 ぐっと唇をかむと、なんだか涙が浮かんできてしまった。


「愛してるんだ」


 ルーカスはわたしを抱きしめる腕を緩めると身体を屈め、ゆっくりと顔を近づけた。


「~~~~!」


 止めることも拒むこともできずに固まって、そして。


「ルーカス騎士、いらっしゃいますか?」


 ノックの音と共に学校長の声が届いた。

 ぴたりとルーカスが止まる。


「いますよ。何かありましたか?」


 そのままルーカスは平然とした顔でドアを開けた。


「ああ、よかった。一つお話しなければいけないことがあったのを忘れてしまっていまして。一度応接へ来ていただいてもいいですかな?」


「わかりました」


 言うが早いかルーカスは脱いでいた上着を取りに足早に戻ってきて、


「落ち着いてからでいいから、考えてくれ」


 通り過ぎざまにわたしにしか聞こえない声で告げると、ルーカスはそのまま学校長と医務室を後にした。

 ぱたんと閉じられるドアの音を最後に、しんと静まり返る。


 ルーカスが。ルーカスが本気だったって。

 落ち着いてて、しっかりしてて、包容力があって、お……弟じゃ、なくて。


「ああぁぁっ」


 一人残された医務室で、わたしは備え付けられているソファに突っ伏して座面を叩いた。

 なに、なんなのこれ!?嘘でしょう!?

 ぼすぼすと握りしめた拳を振り上げ、わたしはしばらく悶絶するのだった。

 読んでいただきありがとうございます。

 これにてルーカス本編終了です。月内に後日談と○年後を投稿して、来月中には甘々年の差婚な騎士を書く予定です。

 またお付き合いいただければと思います。

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