至福の時
楽しんでいただけると嬉しいです。
※2018.9.29割り込み更新をしています。
前半アマリア視点、中盤からトゥーレ視点となります。
……眠れなかった。
頭がぼーっとしていて、鏡を見ると目が少し赤くなっていた。
それでも、眠れなかった中でも心に決めたことがあって、それが自分をしっかりと奮い立たせる。
一つ深呼吸をすると両頬を叩いて気合を入れた。
今日は騎士様と会う日。仕事だって疎かにしちゃいけないし、騎士様にはもちろんお姐さんたちにも心配させちゃいけない。
「よしっ」
鏡に映る自分の目に力が入ったのを確認すると昨日は選べなかった服を選ぶ。
可愛く、だけど仕事にも支障が出ないように袖口は広がっていないようなもので。
しばらく考えて白いブラウスとグレーのスカートを手に取った。
ブラウスはほぼ飾りがないけど袖にベルトループがついていて、そこに襟を飾るタイとお揃いのリボンを通すことができて、スカートは裾に行くほど色が濃くなり複雑な模様の刺繍が入っている。
これならいつも仕事に着ていくのとそこまで変わらないんだけど、これにホルターネックの黒のロングベストを着てブラウスにタイとリボンを巻けば、印象は全く変わってくる。
ちょっと黒の面積が多くなって可愛いというよりは落ち着いた感じにはなるけど、今日のわたしの決意を引き締めてくれる気もする。
服は味方。その時の場面にあわせて選んで袖を通せば、心強く応援してくれる。
「よろしくね」
ベストと濃いピンクのタイとリボンに言葉を落として、ゆるく畳んで鞄に入れる。
大丈夫、ちゃんと立ち向かう。
そう決めて朝の支度をして、お店へと入る。
「おはよう、アマリア」
「おはようございます!今日もよろしくお願いしますっ」
そうしていつもの仕事が始まる。
今日納品の服の最終確認に依頼分のドレスの縫製、たまに休憩して新しく入荷した布地についての談義があったり。
ひとつひとつをしっかりこなしているうちに、時間はあっという間に過ぎていった。
「アマリア、来たわよ」
というデザイナーのお姐さんの声に、わたしは顔を上げた。
とうとう騎士様が来た。
部屋の隅にかけていたベストに袖を通すと、お姐さん達があっという間にリボンとタイを巻いてくれて、送りだされる。
わたしは静かに二階へと上がると、騎士様のいる部屋の前で目を閉じて深呼吸をした。
やるべきことをやって、話すべきことを話すのよ。
もう一度自分に言い聞かせて、わたしはドアをノックした。
「失礼します」
「こんにちは、アマリアさん。こうしてゆっくり顔を合わせるのは久しぶりですね」
ドアを開けるとすぐに騎士様が立ち上がってわたしを迎え入れてくれた。
さり気ない動作でわたしの手をとって、小さく音を立てて手の甲にキスをされる。
「っ」
久しぶりに至近距離で言葉を交わす騎士様に、更にこんなことをされて平常でいられるはずもなく、恥ずかしさに小さく身体が跳ねてしまう。
だけど身体と一緒に跳ねたリボンが目に入って、流されちゃいけないとなんとか思い直す。
わたしはほんの少し視線を落として笑顔を浮かべた。
「お忙しい中、来ていただきありがとうございます」
まずはお店としてのご挨拶。
いつものように、と心がけたそれは思ったよりも上手くできていたけど、反対に騎士様はほんの少しだけ目を細めたようだった。
「いえ、私が依頼したものですから」
騎士様はそう首を振ると掴んだわたしの手をそのまま引いてソファへとやってきた。
「本当に、今日のこの日を心待ちにしていました」
何度巡回中に見かけては走り寄っていきたかったことか、そう続けられてつい顔が赤くなる。
やっぱり騎士様が好き。自分のしたことを忘れて、こんなに好きになってしまうなんて。
切ない気持ちをぎゅっとこらえて、ソファに座らせようと誘導する騎士様を見上げる。
「あのっ、まずは、ご試着を」
たとえ大事な話があったとしても、まずは仕事を済まさなくちゃいけない。午後にお休みをいただいているんだから、なおさらに。
すると騎士様は少しだけ残念そうに首を傾げた。
「少しくらい傍に寄り添いたいのですが、だめでしょうか?」
なんて言われて全身に力が入る。恥ずかしいのと嬉しいのとで心の中がまぜこぜになってしまっている中で、黒いベストが視界に映って思いとどまる。
「できればその、仕事を先に」
ぎゅっとベストの裾を握って訴えると、騎士様は眉をぴんくりと動かした。
だけどそれ追及をすることはなく立ち上がってくれる。
「アマリアさんはまだ仕事中の身ですし、仕方ありませんね」
肩をすくめて、それから一着目を手に奥の衝立の中へと向かった。
「あ、あの……お手伝いは……」
貴族の方々の場合はよくあることなんだけど、と恐る恐る尋ねると衝立の向こうからとんでもない言葉が返ってきた。
「この前のように襲ってしまってもいいのでしたら、お願いしますが」
鍛えられた上半身に、真剣な深緑の眼差し、少し温度の低い唇と、あったかい温もり――
「っここで、お待ちしていますっ」
思わず前回あったことを思い出して声が裏返ってしまった。
「ではそのままで」
くつくつと笑う騎士様は相変わらず余裕な声で、早い鼓動に苛まれる。
こんなんでわたしはちゃんと騎士様とお話ができるんだろうか。
ドキドキする反面胸が締め付けられるようでこっそりとため息をついた。
「失礼します」
心をなんとか落ち着かせた頃、デザイナーのお姐さんもやって来て少しだけ安心する。二人きりではいろんなことが辛いけど、他の人がいれば少しは気がまぎれるというか。
そうしてお姐さんと一緒に縫製やデザインを一通り確認していく。
「全て問題ないようですね。ご試着お疲れ様でした」
仕事はこれで一安心だと息をついて着てきていた服を差し出すと、騎士様はそれに伸ばしかけた手を止めた。
どうも何かを思案しているようで、首を傾げて見ていると騎士様は微笑んだ。
「せっかくですので、本日はこちらの服を着て過ごしてもいいでしょうか?」
そう言ったのは最後に試着をした黒を基調とした服だった。
青い挿し色が光る一品で、実はわたしのお気に入りの服でもある。
「もちろんです。では着ていらっしゃった服は他の服と一緒にお包みしますね」
「お願いします。それから――」
と、騎士様はわたしではなくお姐さんに何かを囁いた。
お姐さんは騎士様の言葉を受けてちらりとわたしを見ると目を輝かせて頷いた。
「?」
騎士様の服を手にしたまま疑問符を浮かべていると、お姐さんはわたしの手から騎士様の服を取り上げた。
「では準備してまいりますので、ごゆっくりお待ちくださいませ」
これ以上ないほどの笑みでお姐さんは下がっていった。
後に残るのは当然わたしと騎士様で。
――言わなくちゃ。
もう一度謝罪をして、それから今後のことを話さなきゃ。
本当に騎士様の好きな人が現れたら正直に話してほしいって。どんな手を使ってでも、悪女になってでも騎士様の評判が落ちないようにしながらもわたしは離婚をすると決めたのだから。
考えるだけで胸が張り裂けそうなほど痛くなるけど、それはわたしのせいでそうなったことだから。
逃げ出したくなる気持ちを何とか押し込んで深呼吸して顔を上げる。
「話が――っ」
意を決して口を開いた瞬間、わたしは無言の騎士様によって腕を引かれた。
* * *
「会いたかった」
仕立て屋での試着を一通り終えた私は、二人きりになるやすぐさまアマリアさんの腕を引いて抱きしめた。
「っ騎士、様?」
しばらく何が起こったか分からずにいたアマリアさんが状況を理解すると僅かに体を震わせた。
けれども気にせず言葉を落とす。
「昨日の夕方あったことは連絡を受けています」
そう告げれば腕の中のアマリアさんが身を硬くするのがわかった。
あんなことがあって何も思わないわけがない。
「話を聞いた時にはすぐにでも駆けつけたいと思いましたが、そうもいかず――遅れてしまいすみません」
そうして腕に力を加えると、アマリアさんから小さく息が漏れた。
「騎士、さ、ま」
もう一度アマリアさんが呼ぶ。けれどもそれ以上の言葉はでないらしく、悲痛な雰囲気だけが伝わってくる。
「彼女達がどんなことを言ったのか詳しい話はわかりませんが、ひとつだけ、はっきりと言えることがあります」
そうしてそっと腕の力を緩めてその顔を覗き込む。
少し泣きそうに瞳を揺らすアマリアさんを見つめる。
「愛しています」
その一言アマリアさんは息を飲んだ。
「きっかけなど私にとっては何の意味もありません。大切なのは今、私がアマリアさんを愛しく思っていることです」
しっかりと視線を合わせると、アマリアさんは口元を歪ませた。
「――でも」
アマリアさんは辛そうに私の服を握りしめた。
「でも、わたしが騎士様の悪い噂を広めたことは事実です」
やはり気にしてしまったようだ。
更には身を引くことすらも考えていたのではと思うと、アマリアさんがそれ以上言葉を紡ぐことを拒絶するように言葉が出た。
「それがなんだと言うのですか?きっかけなど大したものではありません。今、私はアマリアさんを愛していて、これから先も一緒にいたい。――私はアマリアさんを好きになったから結婚を迫ったのです。私は好きでもない女性と婚姻を結ぶような真似はしません。もし噂の払拭に乗り出したのだとしても恋人までで十分な筈です」
「それは……そうですが」
どの段階でかわからないけれども、アマリアさんの様子からするにそこには気づいていたようだ。
「でも、わたし、やっぱり」
悩みながらも首を振って何かを言おうとするアマリアさんの唇に指で触れる。
「まだ私の心が信じられないというのでしたら、何度でも愛の告白をします」
ごく至近距離からその瞳を覗きこみ、やや低い声で囁く。
「それとも告白ではなく、もう一度全力で迫れば――私の想いは伝わるでしょうか」
その声音に少しだけ苛立ちの色を混ぜると、アマリアさんは息をのんだ。
私が初めて見せる怒りの感情に戸惑いが浮かんだようだ。
「私が心から愛しているのはアマリアさんです。この先未来永劫、他の女性に心移りなどするはずがありません」
小動物を想わせる大きな瞳が何度も瞬きをしている間に、少し苦しいくらいに強く抱きすくめる。
「ずっと伝えているじゃないですか。愛していますと。アマリアさんが私の想いに気づいていないことは勘づいていましたが、以前ここで迫ったことで伝わったのではと思っていました。まさか、ここにきて否定されているとは思いもしませんでした」
するとアマリアさんが首を振って叫ぶように声を上げた。
「っでも、わたしは、加害者で」
「私は自分が被害者だとは思っていません」
「結婚は、噂払拭の為で」
「それは先ほども言いました。自らにも、相手にも心を虐げるような真似を騎士は許しません。そんなものはただの口実です」
ある程度は明かした方がよさそうだとそう漏らせば、アマリアさんはしばらくその動きを止めた。瞬きを数度繰り返し、微かな声で呟く。
「口実……」
その声を聞き逃さず、そしてその機を逃さず頷いた。
「はい。口実です。私が結婚を迫ったのは、アマリアさんが逃げられないように囲い込むためのものです。逆にそのせいで今回のように傷つけてしまったことは、想定外でした。申し訳ありません」
するとアマリアさんは言葉を紡ぐことなく、ただ無言で目だけが何かを思考しているかのように彷徨った。
「私にとって生涯の伴侶はアマリアさんしかいません。私のことを心底嫌いだと言うのであれば潔く身を引きますが、そうでないなら決して諦めません。もしアマリアさんが周囲を気にして、自分を責めて身を引くなどというようなことがあれば――私は地の底までも追いかけます」
切々と伝えれば、どこか反応の薄いアマリアさんがやがて私のシャツを握りしめた。
「わたし、は」
ぎこちなく発された声に、身を引くようなことを言わないでほしいと願いながら視線で続きを促す。
「わたし、は。騎士様のことを、好きになってもいいんでしょうか」
震える声で不安そうに、けれどもアマリアさんもまた願うように尋ねた。
「あんなことをしておいて騎士様を好きになって、幸せになって、許されるんでしょうか……?」
言いながらもうっすらと涙をにじませるアマリアさんに、私は優しく微笑んで見せた。
「ええ。誰がなんと言おうと、許されますよ。むしろ幸せになっていただかなければ」
「いいんですか……?」
「先程も言いましたが大切なのは今この時の想いです。私はアマリアさんが愛おしい。――アマリアさんは、私のことをどう思っていますか?」
好きになってもいいのかと聞く時点で答えなど決まっている。
けれどもアマリアさんの口から聞きたいのは、私がそれを渇望しているから。
はやる気持ちを押さえて見つめると、アマリアさんの手が私の背に回された。
「わたし、も」
小さな可愛らしい力を手にこめて、アマリアさんは胸に顔を押しつけながら告げた。
「わたしも、騎士様のことが、好きです。――あ、愛して、ます」
それは一瞬のようにも、永遠のようにも感じる告白だった。
「騎士様が本当に好きな人ができたら身を引こうって、わたしはみせかけだけの奥さんになるんだって自分に言い聞かせようと、思ってました。でも」
そこでアマリアさんの手に力がこもった。
「騎士様がわたしでいいなら。許されるなら、わたしは、騎士様の本当の奥さんになりたい」
そう言って顔を上げたアマリアさんにはこぼれんばかりの涙が浮かんでいた。
「結婚してください」
歓喜で心が舞い上がる。
ようやく落ちてきたアマリアさんの心を、言葉もなくただただ噛みしめ浸る。
当初はそのうち好きになってもらえればと思っていた。甘く攻めれば自然と好きになってもらえるだろうと。けれども一向にアマリアさんの想いは変わらず――自分で思ったいたよりも強くアマリアさんに焦がれていたようだ。
「……だめ、ですか……?」
と、黙ったままでいた私にアマリアさんは不安そうな顔をして、すぐに抱きしめ返す。
静かに息を吐いて、乱れた心を整えると私はゆっくりと口を開いた。
「駄目ではありませんよ。ですが――聞き入れられないものもあります」
「え――」
この流れでの拒絶にアマリアさんが驚愕に目を見開く中で私は微笑んだ。
「求婚というのは古来より男性からするものです。ですので――」
と、私は一歩下がると片膝をついてアマリアさんの右手をとった。
「アマリア・プルックさん。愛しています。心の底から。どうか私と結婚してください。名実共に、夫婦になってはいただけませんか?」
私が見上げる先で、アマリアさんは息を飲んだ。
今まで結婚を迫りはしたものの、世間一般の求婚はしてはいなかった。それはアマリアさんと真に想いあってからだと決めていたのだ。
そしてそれを今日、ここで。
静かに見つめているとアマリアさんはおずおずと左手を伸ばし、私の手を両手で握った。
「不束者ですが、よろしくお願いします」
言い終えた瞬間、溜まった涙が耐えきれずに零れて光を放った。
その光に目を細め立ち上がり、抱擁を交わす。
「絶対に放しませんからね」
「はい」
「誰がなんと言おうと、アマリアさんは私のものです」
「はい」
「私も、アマリアさんのものです」
「は、はい」
「愛しています」
「わたしも、愛しています」
そうして誓いのように口づけを交わす。
至福の時――そう断言できるこの時は、一生胸に刻んで忘れることがないだろう。
この先、式を挙げて夫婦となり、子供が生まれようとも、この感動は、心震えるほどの歓喜は色あせはしない。
そうして唇を離し、少しだけ恥ずかしそうにするアマリアさんに微笑んだその時、
「昔はうちもあんなだったのにねぇ」
「うちは淡白すぎて、少し見習って欲しいくらいだわ」
少し前に入室していたデザイナーさん達からほぅっとため息が漏れた。
そんな観客達の存在に、アマリアさんが反応しな訳もなく。
「いっ、いつから……っ」
数歩よろめきながら後ずさったアマリアさんをさりげなく支える。
「私がプロポースをしたあたりですね」
難なく答えれば、アマリアさんは両手で顔を覆った。
「かーわいいわねぇ、アマリアは」
そんなアマリアさんに周囲は笑みを浮かべ、そうしてデザイナーさんが手を打った。
「さぁさ、今日という日をより輝かせるために準備よ!」
言うが早いか一斉にみんながアマリアさんを取り囲んだ。
「え?え?」
突然のことに目を白黒させるアマリアさんは袖のリボンやタイを抜き取られ、空いたそこに青い布を巻かれ、同時に簡易的に結ばれた髪も解かれ編み上げられていく。
「トゥーレ騎士のものと同じ布を用意しましたわ」
そう片目をつぶってみせるデザイナーさんにお礼を述べると、ちょうどアマリアさんが目前に押し出された。
「完成です」
今だ状況の掴めていないアマリアさんの横に並び立ち、試着用に壁に設置された大きな鏡を見ればそこには示し合わせたかのように同じ色合いの服装の二人が立っていた。
先程退室前のデザイナーさんに頼んだのはこれである。
これなら誰がどう見ても仲睦まじいと理解できるだろう。
「よくお似合いですわ。文句なしに、お二人は恋人同士です」
そんな後押しまでもらって満足げに頷く。
「えっ、あの」
未だ取り残されたかのように周囲を見回すアマリアさんの腰に手をまわして、鏡越しのアマリアさんを見つめる。
まずは宝飾品からだろうか。
指、耳、首元、全てを私の色の物で飾り立てて、髪飾りや靴も購入して。
抱き寄せながら街を歩き、洒落た店で夕食をとる。
人前で堂々と全てのことをこなせば、割りこむ余地がないと周囲も悟るだろう。
そして私の想いを僅かにでも疑問に思っているであろうアアマリアさんへは家の鍵を渡し、結婚後の家の相談もしよう。
「今日は私がどれほどアマリアさんを想っているのか、徹底的にお教えします。――覚悟して下さいね?」
耳元でこれ以上ないほど甘く囁くと、そのままその耳に唇を落とす。
「ひぃぁっ」
みるまに赤くなったアマリアさんは、けれども逃げることなく身体を震わせながらも小さく声を落とした。
「お……お手柔らかに、お願い、しますっ」
「それは約束できませんね?」
なんて流し目でいえば、デザイナーさん達から黄色い声が上がり、アマリアさんは再びその目に涙をため始めるのだった。
読んでいただきありがとうございます。
これにてトゥーレ編終了となります。