大事なお話をします
王子サマと出会ったのは、秋も終わりかけの肌寒い頃。まだあれから二月ほどしか経っていない。
その王子サマは、冬が深まるにつれて部屋に引きこもることが多くなった。外は寒いしまた会ったときみたく咳きこまれても困るので、俺としてはその方が嬉しかった。
「ジオール君。あなた、いくらゼランダ王子の小間使いだからといってね、まるで自分の部屋のように寛がないで下さいよ! 立派な仕事中でしょうが!」
部屋に入るなり、床で菓子を咥えつつ胡坐をかいて本を読みふけっていた俺に、エルランドはそう怒鳴りつけた。
「エド、いいんだよ。私が寛いでおくれと言ったんだ」
ベッドの中から半身だけ起こして、やはり読書に耽っていた王子サマがやんわりと俺をかばう。
「王子サマの言うこときくのが小間使いの役目だろ?」
からかい口調でそういうと、エルランドはきっと俺を睨んだ。おーこわ。
「ふざけるんじゃありません! 王子も王子です。貴方が甘いからこんなに彼が生意気になるんです! 彼にとってもよくないことですよ!」
「わかってるよ。でもね、ジオは私の宝物だから、許してやってほしい」
「~~~~」
二言目にはいつもこの台詞だ。エルランドもそろそろ聞き飽きただろう。
「俺は物じゃねーぞ」
ぼそっと呟くと、黙りなさい! と書記官様から叱責がとんだ。
「まったく……いつもいつも見逃すわけにはいきませんからね。次に君が無礼なふるまいをしていたらそのときは容赦しませんよ?」
凄みをきかせてエルランドはびしっと俺に指を突きつけた。
「………」
「返事はっ!?」
「わかったよ!」
俺が怒鳴るように承諾すると、エルランドははあ、とため息をついた。
「ところでエド、何か用があったのではないの?」
王子サマがぱたんと本を閉じて、いまだ入り口のところで突っ立ったままの彼に声をかけた。
「ええ、そうです。王子に客人ですよ。こちらにお連れしていいですかね」
なんとなくつんつんした物言いに感じるのだが、彼なら無礼なふるまいをしてもいいのだろうか。
聞いた話では、この人は王子サマの幼馴染みたいなものらしい。気心が知れてるってことだろうか。
「私に? 珍しいな。一体誰です?」
きょとんとした表情でゼランダは聞き返す。
「わたしだって驚きましたよ。なぜ貴方と第一騎馬隊長殿に面識があるんです?」
それを聞いた途端、俺と王子サマは顔を見あわせた。
「彼女が?」
ふたりで思いもかけない訪問者に驚いてしまった。
彼女の騎馬隊の練習はあれから何回か訓練場の方にも見に行っていた。それでも王子サマはやっぱり、練習の邪魔になるといけないからと遠慮して、隅の方で遠目に眺めていた。
最近は冷えてきたこともあって、練習を見るのも塔の中から、短い時間だけになっていた。
「お連れしてよろしいですか?」
再度質問してきた彼に、王子サマはしばらく迷ってから頷いた。
「わかりました。ではこちらにお通しします」
それだけ言い置いてエルランドは部屋から出て行った。
「どうすんのさ?」
二人取り残されたところで、俺はそっと王子サマに問いかけた。
「どうって……」
「好きなんだろーが。わかってるよ、あんたの気持ちなんて」
じれったいなあ、と思いながら、俺は立ちあがって王子サマの脇まで寄った。
「私の宝物は君だよ」
「宝物と恋愛は違うだろ」
はぐらかそうとする相手に、追い討ちをかける。
王子サマはじっと俺を見あげたまま、黙りこんでしまった。
「言えよ。好きだって。伝えなきゃ何にも始まらないぞ」
俺が急かすと彼は少しだけつらそうな目をした。
「……始まらない方がいいんだよ、私の宝物」
「はあ? 何それ。想いを伝えもしないで諦めるのか? そんなの弱虫のすることだぞ」
自身は経験もないが、俺はやっぱりそう思うので言いきった。
何も言わずに諦めて後悔するより、ちゃんと伝えて諦める方が言いに決まってる。
「私は弱虫だよ。ずいぶんと昔から。だから仕方ない」
自嘲っぽい笑みが、白い顔に広がる。俺は顔をゆがめた。
「それでいいのかよ? 絶対後悔するぞ」
「いいんだ。伝えた方が後悔するから」
それを言ったときの王子サマはひどく真剣だった。どうしてそこまで頑なになってるんだろう。
なんで伝えた方が後悔するって言うんだ?
「わかんねぇ……そんなことあるわけない………そんな弱虫俺は嫌いだぞ! ちゃんと言えよ!」
言っても無駄かも知れないけど。
でも俺は王子サマにちゃんと幸せになってほしいと思うから。
俺の思ってることはとりあえず言ったので、二人の邪魔にならないように俺は部屋から出て行った。
廊下を行く途中で、エルランドに連れられてカレンがやってくるのが見えた。
「カレン!」
走りよって呼ぶと、彼女が顔をあげる。俺に気づくとどこかほっと安心したような顔をした。
慣れない場所にきて緊張しているのかもしれない。
「ああ、ジオール。元気そうだな」
「おう、元気元気。それより急にどうしたんだ?」
「いや、ちょうどエルランド殿と話す機会があって、以前お前がゼランダ王子のお知りあいだと話していたのを思いだしてな。このところ王子をお見かけしないのでお加減が悪いのかと伺ったら、会わせてくれると言うので……ゼランダ様は?」
「うん、部屋で待ってる。あー……なんか、大事な話があるとか言ってたぞ。じゃあな!」
さらっと嘘をついて、俺は二人の脇を走り抜けた。
後ろでエルランドが「廊下を走るな!」とまた怒鳴るのが聞こえたが、無視した。
ちゃんとやれよ、王子サマ。
「――あの、大事なお話というのはなんでしょうか?」
部屋に入ってひととおりの挨拶をすませると、カレンは訊いた。
その質問を聞き取ったゼランダは、初め怪訝な顔をしていたがやがて何かに思い至ったらしく、はあ、と呆れた様子でため息をついた。
「……あの子には困りましたね」
ベッドの上で苦笑した王子は呟きどおり、確かに困った表情をしていた。
さてどうしたものか……と、彼は思案をめぐらしたが、緊張した面持ちでじっと答えを待っているカレンを見て諦めた。
「……もう少し寄っていただけますか? 大事なお話をしますので」
優しく頼むとカレンはハッと顔をあげ、失礼します、といってベッドの脇までやってきた。
「どうか驚かずに聞いて下さい」
そう前置きして、ゼランダは覚悟を決めた。
++ ++ ++ ++ ++ ++
庭園の中の石のベンチに座って見るともなく景色に目をやっていると、後ろから声をかけられた。振り向くとカレンが立っていた。なんとなく表情がいつもの彼女らしくなく、硬かった。
「話、終わったんだ?」
そう問いかけると彼女は黙って俺の隣に腰かけた。
ここは俺と王子サマが初めて会った場所で、こうして二人で腰かけたことをふっと思いだす。あのときはまだ周りの木々が紅い葉を茂らせていたが、冬に入ったいまは枝々がその姿を現して、すっかり寒々しい装いだ。だから廊下を通る彼女にも自分が見つけられたのだろう。
「………とても畏れ多いことを聞かされた」
困ったように苦笑して、カレンがぼそっと呟いた。
彼女には悪いが、俺は心中で「やった!」と喝采を挙げていた。ちゃんと王子サマは告白したみたいだ。
「で、どうしたの?」
つい口調も軽くなって聞き返すと、カレンが呆れた顔をした。
「なんだ。お前も知っていたのか?」
「まあね。いまだから白状するけど、カレンに会いに行ったのも実は王子サマのためなんだよね」
ぺろっと舌を出すと、一瞬あっけに取られた様子の後、カレンはくっくと笑いだした。
なんだ? この石台に座る奴は皆いかれちまうのか?
「くく……そうか、王子様のためか。なるほど噂は本当らしい」
うっすらと涙を浮かべて笑う彼女のその言葉に、俺ははっとした。
「おいっ何だよ噂って! まさか……」
「お前がゼランダ様を慕っているのはよくわかったよ」
やっぱりだ! 恋童とか何とかのあの噂のことだ!
「ち、ちげーよ! 全くの誤解だ! 俺はただ弱虫のあいつに機会を作ってやろうとして……」
慌てて訂正すると、カレンはよしよしと俺の頭を撫でた。……なんか、誰かに似てるぞ、この人。
「わかっている。お前は純粋にゼランダ様に尽くしているだけだ。王子はいい部下をお持ちになった」
部下って……単なる小間使いなんですけど。でも、そういう言われ方をするのも悪くない。
何だか急に自分の仕事に誇りが持てるような気がする。
「お前にもゼランダ様にも申し訳ないが、丁重にお断り申し上げてきた」
静かな声で、カレンは言った。
顔をあげて彼女を見ると、落ち着いた表情をしていた。
「……そっか」
「ああ」
俺はまだ子供で、王子サマが告白すればうまくいくと思ってた。
だって王子サマは綺麗だし、あれで結構優しいし、身分だって申し分ない。
でも、恋愛ってたぶんそういうことだけで決まるんじゃない。何となくわかってたけど、こうして目の当たりにすると結構ショックだ。
誰にも言わずに王子サマが胸に秘めてた想いを、俺が気づいちゃって、告白しろってはっぱかけて、本当なら傷つかなくて済んだのものを痛い目にあわせてしまった。
「私にも前から慕っている方がいてな。ゼランダ様も、ご存知だったようだ。名前まで出されてびっくりした」
参ったよ、と額に手をやって彼女は呟く。その頬がほんのりと赤かった。
「王子サマが……?」
知ってたって……カレンに好きな人がいるのを?
告白しても、振られてしまうってわかってたってこと?
『いいんだ。伝えた方が後悔するから』
そういえば、王子サマはそんなことを言ってた。それはつまり、やっぱり結末をわかってたってことだ。
心がキリっと痛みを発した。
とても悪いことをしてしまった。そう思うと、今度は胸が締めつけられるように苦しくなった。
謝らなくちゃいけない。俺の勝手なわがままで、王子サマを傷つけてしまったんだ!
「どうしよう……俺、馬鹿なことした」
口から勝手に弱音がこぼれた。
隣でカレンがこちらを向く。
「いや、お前は偉いぞ」
はっきりとカレンはそう言った。
耳を疑う。偉いって、どうして俺が偉いんだよ! 偉いことなんか何もしてない。
「ゼランダ様がおっしゃっていた。あの子はいつも私に奇跡をくれるって……。すごく嬉しそうだった」
カレンがにっこり笑う。とてもきれいな笑顔だった。
「なにそれ、わかんないよ」
奇跡って何だ? 俺がいつ奇跡を起こしたって?
カレンがベンチから立ちあがって、パンパンと服をはたく。服についていた細かい落ち葉がぱらぱらと落ちた。
「お前はあの方が欲しいと思うことを、勝手にどんどん持ちこんでくるんだそうだ。それは言葉だったり出会いだったり、楽しい夢だったりするらしい」
………そうだっけ? 全然覚えがないな。
「お前にはしょちゅう驚かされたり困ったりするみたいだが、それが皆、後になって自分にとってのいい思い出になるそうだ」
「なんか褒められてるのか呆れられてるのかわかんねーな」
ぼやくとはは、とカレンが笑った。
「最高の褒め言葉だろう? 宝物」
悪戯っぽい笑みを浮かべて、カレンが顔を覗きこんでくる。
「やめろって! 変な真似すんなよ!」
あいつ、カレンの前でまで宝物とか言ったな! ほんと恥ずかしい奴!!
「お前のいいところは良くも悪くも誰にでも平等なとこだな。私や王子に向かって平気でそういうことを言える。だが嘘がないから不思議と腹が立たない。まあ、例外もいるみたいだが」
そう言いながらカレンは何かを思いだすふうにした。たぶんその脳裏には書記官様がいるんだろう。
「その素直さが、ゼランダ様のお気に入りなんだろうな。だからお前はこれからもそのままでいればいい。それがあの方を救っている」
ぽんぽんと頭に二回ほど手を置かれて、それからカレンは「じゃあな」と言って、来た道を戻っていった。
一人取り残されて、俺はカレンの触れた頭に手をやる。
「……救ってるって……なんだ?」
あいつ、そんなに病んでたっけ?
確かに苦しそうに咳きこんだり臥せったりはするけど、それを俺の素直さが救うわけないし。
「………わっかんねえの」
何なんだろう。結局二人のことは二人だけの間ですっかり終結しちゃってるし、俺が世話を焼く前から、王子サマには結末が見えてたみたいだし。
あれ、でも、確か王子サマ言ってたよな。
『……始まらない方がいいんだよ、私の宝物』
それってつまり、始まるかもしれない可能性は僅かでもあると思ってたってことじゃないのか?
「でも、始まらない方がいいって……?」
始まったら後悔するってことか?
「ますますわかんねえ……」
わけのわからない王子サマだとは思ってたけど、ここまで理解が難しいといちいち考えるのが億劫になってくる。
「まあいいや、別に」
結局俺の空回りってことだろう。特に嫌な感じに終わったわけでもないみたいだし、王子サマも別に怒ってないみたいだし。
でもやっぱり一応、謝っておこう。
そう思って俺は、きっといま一人きりでいる寂しがり屋な王子サマのもとへと急いだのだった。