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参:窮奇~前~


 どこの地域にもあるかもしれない夕方を知らせるメロディーに紛れるかのような大きい悲鳴とともに、ガタガタと、彼らの視界が揺れた。

 その反動で、天地がひっくり返り、彼らは、逆さまに落ちていく。

 それにともなって、周りに置かれいた餌入れが、彼らの頭上に降り注いていく。

 小さな悲鳴をあげながら、彼らはいったい何が起きたのか分からずにいた。

 ただひとつ分かったのは、四角い顔をした、五十代ほどの男が、血塗れで倒れていることだけだった。

「あ、ああ……」

 上の方からうわずいた声が聞こえ、ひとつがソレに目をやる。

「だ、だいじょうぶよ、だいじょうぶ。だってここは誰も来ないはずだもの――」

 まるで自分に言い聞かせるように、大きな影はゆっくりと周りに目をやっていく。

「そ、そうだわ。これを強盗の仕業にすればいいのよ。通帳もなにもかも、盗まれたってことにすればいいの」

 そう言うと、影はたんすや引き出しの中を荒らしながら、金になるものを手に取っていく。そして手に持った刃物で周りの家具に傷を付けていった。

「そうだわ。ついでにこいつらも……」

 影はゆっくりと、ひとつに手をかざす。

 大きな手から逃げようとしたが、目の前の大きな柵が邪魔をして逃げるにも逃げられない。

 結局、彼ら三匹は、鋭利な刃物で切り刻まれていった。


 それから二週間たった夕方のことである。

 福嗣駅の改札口から、紺色のセーラーを着た黒川弥生が、同じ制服を着た友人二人と一緒に出てきた。

一人は『片桐千夏』といい、背丈は百六十あるかというくらいである。もう一人は『横山麻実』といい、ボブカットの小柄な体格。

「そうそう、無地を下地にして、柄を上地に段違いで二重にしたら、裾にフリルを縫い付けて……」

「でさカチューシャはどうする? ボトムスと合わせて縞にするとか」

「うーん、色柄にもよるんじゃない? 合わなかったらもともこうもないでしょ?」

「あ、弥生。今度の土曜、わかってるわよね?」

 片桐がそう云うと、弥生は答えるようにうなずいた。

「弥生は家で巫女さんやってるから和装のイメージかな。今度元ネタのやつ持ってくるよ」

「あ、前とうしろ、それから両側面が分かる絵だけでいいよ。後は自分でやれるから」

 弥生がそう云うと、友人二人は、

「おー」

 と、声をあげて感心した。

 弥生、皐月、葉月と言った黒川三姉妹の両親は、いまだ行方が分からず、長女である弥生が下の妹二人に対して母親代わりとなっている。

 炊事洗濯は各自分担してやっているが、趣味で裁縫をやっていることもあり、自然とそういう事が得意になっていた。

 相手の寸法と、写真に写った服のデザインを見れば、大抵は出来るのだが、さすがにキャラクターや文字がプリントされた服は作れない。

 駅のホームを出ると、

「それじゃ、また明日ね」

 友人二人は、弥生に手を振りながら、足早に去っていった。

 それを見送っていると、夕方特有のメロディーが流れているのが、弥生の耳に入った。

 ――さてと、ここから歩いて帰らないといけないんだよなぁ。

 弥生は億劫だと言わんばかりに溜息をつく。

 駅から実家である稲妻神社まで一キロほど離れており、普段なら自転車で通っているのだが、先日新築現場の前を通った時、落としたのかなんなのか、不運にも釘を踏んでしまいパンクしたのである。

 これもダイエットのためだと自分に言い聞かせ、弥生は帰路を辿っていった。

 人通りが少なくなっていき、街灯の明かりも頼りなくなっていく。

 道路側の道端に、黄色い多年草が咲いており、弥生がそれに目をやった時だった。

 冷たい風が吹いた瞬間、ふくらはぎに刃物で切られたような痛みが走り、弥生は体勢を崩す。

 そして、上半身が道路へとはみ出してしまった。

 それと同時に、目の前で車のヘッドライトが見え、弥生は思わず目を瞑った。

 耳障りなブレーキ音が聞こえ、――()()()


 と、弥生は思った。

 車のドアが開く音が聞こえ、弥生はゆっくりと眼を開いていく。

「だ、大丈夫ですか?」

 オドオドとした声が聞こえ、弥生はそちらを見る。

「岡崎さん、でしたっけ?」

 そう聞かれ、岡崎と呼ばれた青年はうなずいた。

「いきなり倒れたからびっくりしましたよ。まぁ白線のギリギリでしたけど」

 聞き覚えのある声が聞こえ、弥生は目をやった。

 それと同時に、頭の上から焦げたような臭がしてきていたのに気付き、そちらに目をやると、タイヤが間近に見え、弥生は身震いした。

「ふぁ、阿弥陀ふぁみだ警部?」

 阿弥陀は歯をガタガタと震わせる弥生にちいさく会釈する。

「立てますか?」

 岡崎にそう言われ、弥生は立とうとしたが、

「いっつ?」

 痛みが走り、思うように立てない。

「ここから神社まで近いですし、送って行きましょうかね」

「ですが、これから捜査会議に」

「目の前で困ってる女性をほったらかしにするんですか?」

 含み笑いを浮かべる阿弥陀にそう言われ、岡崎は不本意ながらも、上司の命令は絶対であるため、聞かざるおえなかった。

 弥生に肩を貸すと、車の後部座席に座らせ、歩道に散らばった弥生の鞄の中を集めていた阿弥陀が戻ってくると、車をUターンさせせ、稲妻神社へと向かった。


「それにしても危ないじゃないですか、いきなり倒れるなんて」

「それが、いきなり足が痛くなって」

 弥生は、自分のふくらはぎに触れた。

 ツッと、刃物で切ったような痛みが走る。

「見たところ、ふくらはぎを怪我したみたいですね?」

「ええ、別に人の気配もしてませんでしたし」

「警部、先日起きた通り魔事件と似たものがありますね」

 岡崎が訝しげな表情で云った。

「通り魔?」

「おや、聞いてないんですか? ここ最近、あの近くで通り魔事件が発生してるんですよ。管轄外なので、こちらは捜査していないんですが」

 そう阿弥陀が説明すると、車は稲妻神社の鳥居前で停まった。

 弥生は足を引きずるように車から降りた。

「玄関まで送りましょうか?」

「いや、ここからなら大丈夫ですし、痛みもだいぶひいてきましたから」

 弥生は、阿弥陀と岡崎に頭を下げると、鳥居を潜り、境内へと入っていった。

「大丈夫ですかね?」

 岡崎が心配そうに言った。

「まぁ、本人が大丈夫だと云ってるんですし、心配ないでしょう」

 阿弥陀警部の言葉に、岡崎は納得の行かない表情を浮かべながらも、車を警視庁の方へと走らせた。


 ガラガラと、引き戸特有の物音が、母屋の廊下に響き渡った。

「ただいまぁ」

 弥生が廊下の奥まで聞こえるくらい大きな声で言った。

「おかえりって、どうしたの?」

 ちょうど廊下の奥から出てきた皐月が、弥生の体勢に首をかしげた。弥生が怪我をした右足を上げているため、右肩が上がっていたのだ。

「ちょっと怪我してね。そういえば皐月、あんた駅の周辺で通り魔事件が起きてたって知ってた?」

 そう聞かれ、皐月は首を振った。

「聞かないけど?」

「阿弥陀警部も管轄外って言ってたし、詳しい話は聞いていないんじゃないかしら?」

 弥生は壁に手を添えながら、ゆっくりと階段を上がっていった。


「遅れて申し訳ありませんな。ちょっと野暮用が」

 捜査会議室に入った阿弥陀と岡崎は、周りの警官たちにちいさく頭を下げていく。

「どうかしたんですか? 灰羅係長が気にしてましたよ?」

「いや、ちょっとこっちに戻る際、弥生さんに会いましてね」

「阿弥陀警部、現場はどうでしたかな?」

 目の前の、ホワイトボードの前に設置された長テーブルに座っている、三十代ほどの、切れ長の目をした、整った顔の若い警官がそうたずねた。

「被害者である沢口(さわぐち)(のぞみ)は、パートの帰りに通り魔に襲われたと見ていいでしょうね。現場である路地は入り組んでいて、人通りもあまりなかったようです」

「目撃者は?」

「それが分かれば苦労はしませんよ。さきほども言いましたが、現場周辺は入り組んでいて、しかも塀は高い。通り魔ならずとも、空き巣にはもってこいの立地ですな」

 そう言いながら、阿弥陀は大宮のうしろに座った。

「被害者が恨まれる、もしくは狙われるようなことは?」

「灰羅係長、現場周辺は最近奇妙な通り魔事件が起きている場所から近いこともあり、一連の犯人と同じではないかと思うのですが?」

「しかし、今回の事件、妙なところがある」

 そう言いながら、灰羅はホワイトボードに貼られた被害者の写真に目をやった。

「顔はズタズタで分からなかったが、近くにあったポーチの中に財布が入っていたのが幸運だったな」

「もしかすると、犯人は物取ではないということですな。ソレでしたら、こんな無残な殺し方もしませんでしょうし」

「それから、沢口希について調べてみたところ、とくに人から恨まれるような行いはしていないようです。スーパーでのパート勤務も五年ほどしっかりとしていたらしいですし、人付き合いも良かったようですからね」

「検視結果はどうだったんですか? 湖西主任」

 灰羅にそう言われ、一番うしろの席に座っていた湖西が立ち上がり、

「死因は頭部損傷による出血多量死と見て、まず間違いはないじゃろうな。それから一連の通り魔と同様、ふくらはぎに鎌で切られたような痕があった」

 そう説明されていく中、阿弥陀が大宮の肩を指で叩いた。

「なんですか?」

 振り返りながら、大宮は怪訝な目を阿弥陀に向ける。

「実を言うと、弥生さんも通り魔に遭ってるんですよ」

「えっ?」

 大宮は思わず大声を上げてしまう。

「どうした、大宮巡査」

 首をかしげるように灰羅が大宮に声をかける。

「あ、いえ……、なんでもありません」

 大宮は阿弥陀をちいさく睨むと、なにも云わず正面を向き直した。

「今は目撃者と沢口希の周辺を調べる以外手掛かりは掴めんだろう」

 灰羅はそう言いながら、阿弥陀を見やった。

「どうします? 一応聞きにいきますか?」

 阿弥陀に言われ、大宮はすこし考えると、

「犯人が特定できない以上、彼女たちの力が必要になりますか」

 そう答えたが、阿弥陀はちいさく首を振った。

 その反応に大宮は怪訝な目を浮かべる。

「この事件が、人の仕業だと判明できるかどうかですよ」

「妖怪の仕業ということですか?」

「一連の通り魔事件の犯行方法が、妙に気になるんですよね。それに便乗しての殺人なのか、それなのか――」

 阿弥陀はちいさく笑みを浮かべた。


「襲われた感覚がなかった?」

 夕食の準備中、弥生の左ふくらはぎに包帯がまかれていることに疑問を持った葉月が、その理由を聞いた時である。

「しかし奇妙じゃな? 襲われた時に人の気配すらせんかったんじゃろ?」

「そっ、本当になにも感じなかった。まぁちょっと冷たい風が吹いたくらいかな?」

 弥生はそう言いながら、おかずをテーブルの上に並べていく。

「それにしてもふくらはぎって、可笑しな通り魔よね。普通上半身とかじゃない?」

「阿弥陀警部の話だと、ここ一週間、何件か同じ被害が出てるみたい」

「うーむ、原因不明の傷か。すこしばかり調べる必要があるな」

「そう? 気にすることないんじゃない? 怪我もそんなに深くなかったし」

 あっけらかんとした表情で言う弥生に対して、拓蔵はあきれた目を向ける。

「お前たちならな。話を聞く限り、弥生が襲われた場所には、たしか弟切草が生えてたはずなんじゃよ」

「弟切草? って、ゲームの?」

 弥生の言葉に、皐月はあきれ顔で

「多分、本物の方だと思うんだけど?」

 と言った。それからすぐに、

「たしか薬草になるからって、個人で作ってたんだっけ?」

 と拓蔵にたずねる。

「うむ。わしの知り合いでな、たしか沢口芳信だったはずじゃ」

「どんな人?」

「好々爺と老婆心といったところか」

「えっと、どういう意味?」

 葉月が首をかしげる。

「好々爺っていうのは、人当たりのいい優しいおじいさんって意味。老婆心はおせっかいだっけ?」

 弥生がそう言うと、拓蔵はうなずいた。

「まさにそんな感じの人じゃったよ。まだ五十代と若いんじゃが、そういう言葉が似合う人じゃった。しかし最近目にせんな」

「忙しいんじゃない? 五十代だったらまだ働いているかもしれないし、うちと違って、ずっと家と神社を行き来してるわけでもないしね」

 弥生はそう言いながら、自分の頭上を見やった。葉月と拓蔵も、その視線の先に目を向ける。

 ただ唯一、皐月の視線だけが覚束ない様子だった。

 皐月以外の三人の視線の先には、うっすらと、火とも灯りとも思える橙色の光があった。

「調べてくれるかえ?」

 拓蔵がその光に声をかける。光はちいさく、うなずくように揺らめくと、スッと消えた。


「はぁ……」

 皐月はちいさく溜息をつく。

「いるのはなんとなく分かるんだけどね」

 そう言いながら、皐月は口に箸を持っていく。

「仕方ないわよ。あの子妖怪だけど弱いから、あんたは視えないんだし」

「でも一度も見たことないんだよね。ここに来てからずっといるのは分かるんだけど、いったいどんな妖怪なんだか」

 皐月と弥生がそう会話をしていると、母屋の玄関のチャイムが鳴った。

「はて? こんな夜分に誰かね?」

 拓蔵はそう言いながら、葉月に目を向けた。

 それに気付いた葉月は、少々嫌な顔を拓蔵に向けたが、そのまま立ち上がり、玄関へと様子を見に行った。

 それからしばらくして、ふたつ増えた足音が聞こえてきた。

「夜分すみません。お食事中でしたか?」

 案の定、阿弥陀と大宮であった。

「いや、別に構わんよ。どうせ酒の肴にもならん話じゃろ?」

 拓蔵がカップ酒を一口飲むと、阿弥陀と大宮に対して、睨むような表情を見せた。

「察しのいいことで、こちらも何かと話しやすいですよ。食事中にする話ではないのは確かですがね」

「また事件ですか?」

 皐月が大宮に声をかける。大宮はうなずくと、

「弥生さん、君が襲われた場所で通り魔事件が起きていることはもう知ってるんだよね?」

 そうたずねるや、弥生はうなずく。

「実はですね、その付近で殺人事件が起きてるんですよ。顔をズタズタにされた変死体としてね」

 食事中にする会話ではなかったが、三姉妹と拓蔵は、妙な縁でそれ以上に奇っ怪なものを見ているため、顔色ひとつ変えず、真剣な目で阿弥陀たちを見た。


 阿弥陀は被害者の詳細を教えるや、

「沢口って、もしかしてさっき爺様が話してた」

 三姉妹は驚いた表情で、拓蔵に視線を向けた。

「言うまでもなく、沢口芳信の姉さんじゃな」

「実は、皆さんの話題に出ていた弟さんの行方が分からずしまいなんですよ。自宅や行きそうな場所も調べてはみましたが」

「その、沢口希が殺されたのは?」

「昨日の未明ということになっていますな。発見された場所が人目の付きにくい場所でして」

「犯人にはもってこいの場所なんですかね? でも弥生姉さんが襲われたのと模倣してるのか、それとも……」

 皐月はすこし考えるや、

「話を聞く限りだと、犯人はよほど恨みを持ってるのか持ってないのかが分からないですよね?」

 と阿弥陀にたずねた。

「どういうことだい?」

 首をかしげるように、大宮は聞く。

「顔をグチャグチャに切ったってことは、身元を分からなくするためですよね? だいたいは。でも身元が分かる財布を盗んでいないってのが妙なんですよ」

「たしかに、そんなことをしていて身元が判明するものを盗んでないってのは、間抜けでしかないわね」

 弥生はそう言いながら、視線を天井へと向けた。

 そこにはひとつの、ちいさな鬼火が漂っていた。


「どうだった? 遊火(あそびび)

 先ほど拓蔵に頼まれごとをされた鬼火が戻ってくるや、数多の火の玉が集まり、少女の姿へと変わっていく。

 その姿は、腰まである朱色の髪に、幼い顔付き。市松人形のような着物を羽織ってはいるが、裾が短く、フリルが付いている。

「弥生さまが襲われたと思われる場所ですが、特に妖気は感じられませんでした」

「それはないんじゃない? 現に人の気配なんてしなかったし」

 弥生は、遊火を睨みつける。

「妖気以外にはなにかあった?」

 葉月がそうたずねるや、

「道が入り組んでるなとしか。住宅街でしたし」

 と、遊火は答えた。

「例の通り魔事件に遭った被害者も、その住宅街を歩いていてのことみたいですよ」

 阿弥陀の言葉に、皐月は首をかしげる。

「あれ? でも姉さんが襲われたのって、路肩付近よね?」

「ええ。襲われた時にバランス崩して道路に頭突っ込んだからね」

 その時のことを思い出し、弥生は身震いを起こす。

「その通り魔に遭った被害者の特徴は?」

「皆さんふくらはぎを鎌のようなやつで襲われてますな。それから冷たい風が吹いたというのも、弥生さんが襲われた時と共通していますね」

 阿弥陀がそう話す中、大宮は訝しげな表情を浮かべる。

「みなさん、いったい誰と話してるんですか?」

「そう言えば遊火さんって、霊感のない人には視えないんでしたっけ?」

 そう言いながら、阿弥陀は皐月に目を向ける。

「なんですか?」

 ムッとした目で、皐月は睨み返す。

 遊火の力は弱く、皐月が視えないのは事実なのだが、遊火は鬼火の一種で、れっきとした妖怪である。

「話の内容を聞く限り、多分かまいたちじゃな」

 拓造の言葉に、皐月もうなずく。

「ただ気になるのは、どうして姉さんだけ違う場所で襲われたかよね?」

「私たちのことを知ってるとか?」

「かまいたちだったら遊火が感じないはずはないし、そもそも怪我は治るはず」

「三匹目がいないということか」

 大宮の言葉に、皐月はちいさくうなだれた。

「え? なんか変なコト言った?」

「いや、間違ってはいないんですよ。一匹目が風を起こして歩みを止めさせる。二匹目が鎌で傷をつけるけど、三匹目が薬を塗って怪我を治す」

「僕もそういうやつを想像したんだけど」

「でも、妖怪であるはずの遊火が気付かないってのは気になるわね」

 弥生がそう言った時である。遊火は目を潤ませ、

「ひゃって、ちぃかずこぉうとしぃたときぃかぜぇが急に止まったぁんでぇすよぉ? 怖いじゃないですかぁ? いきなりかぜぇが止まったりなんかしたらぁ」

 泣き喚くように言った。

「ちょ、泣かなくてもいいでしょ? 別に責めてるわけでもないんだし」

 突然のことで、弥生はあたふたする。

「ちょ、ちょっと待て? 遊火、お前さんが近づいた時に風が止んだのか?」

 拓造の大声にびっくりした遊火は、身体をすぼめた。

「ひゃ、ひゃい。周辺を漂ってたら、ちょうど警察の使う立入禁止のテープが見えて、一応なにかあるんじゃないかと思ってそこも調べようとしたら」

「急に風が止まったということですな?」

 阿弥陀の言葉に、遊火はちいさくうなずいた。


「遊火さんが調べようとしたのは、現在我々が調べている事件があった場所ですな。まだ事件について調べているところもあって、あそこ周辺は通行止めにしてもらっているんですが」

「事件があったのは一昨日の晩ですので、まだ証拠が落ちてるんじゃないかと……ただ明日には開通されてしまいますが」

 大宮の言葉に、

「なにか引っかかるわね」

 と皐月は言った。

「どういうことですか?」

 遊火が首をかしげる。もちろん皐月にその声は届いていない。

 代わりに、弥生がたずねる。

「かまいたちの伝承は、さっき言った通りで常に三匹一緒に行動しているはずなのよ。大体鎌を持って人を傷つけるくらいなら、首とか上半身でしょ?」

「阿弥陀警部、沢口希の死因は出血多量じゃったな。本来の致命傷はなにか分かるか?」

「えっと、顔を切り刻まれてですね。身元を特定できるものを所有していなかったら、結構きつかったんですけど」

「通り魔の被害者はふくらはぎを切られて転ばされた」

 葉月の、それこそ何気ない一言だった。

「はて? 我々は一言も被害者が転んだとは申してませんけど?」

 阿弥陀が小首をかしげる。

「いや、だって足を怪我させられたから、弥生姉さんは道路側に転んだんでしょ?」

「――そうか、それなら切られるけど……」

 皐月は奥歯を噛みしめる。

「なにか引っかかることでもあるのかい?」

「かまいたちにも種類があって、一匹で行動するのはただ単に傷つけるだけの妖怪。だけど人を止めさせて傷をつけるかまいたちはかならず怪我を治すはずなんです」

「だが、人を殺めた理由が思い浮かばないということか?」

「相手は妖怪なんだ。なにも考えていないんじゃないか?」

 大宮がそう言うや、皐月は睨むように見つめ返した。

「な、なにかマズイことでも?」

 あたふたとする大宮に、弥生は自分を指さした。

「もし大宮巡査の云ってることが正しいとすれば、襲われた私は今ここにはいないんじゃないですかね?」

「なにか理由があったんだと思う。今までの通り魔事件もかまいたちによるものだとすれば、怪我はしても傷は残ってはいないはずだから」

 皐月はすこし考え、

「なにかを教えようとしていた? それともなにかを暗示させていたんじゃ」

「暗示って、沢口希を殺すかもしれないということですかな? 場所が場所だけに警戒はしていたと思いますよ。殺される以前から通り魔は起きてましたからね」

「だからこそだと思います。それと、その弟さんである沢口芳信の行方も分からずじまいだし」

「うーむ、ダメ元で電話をしてみるか」

 拓蔵は立ち上がると、廊下にある黒電話へと向かった。

「でもさ、なんで弟切草? 薬草になるものなんて他にもあるのに」

「大体さ、弟切草って七月に咲く花じゃない? たしか私が見た時は咲いてたわよ? 六月なのに」

 弥生が訝しい表情で言った。

「私もそれは知らないけど……って、なにやってるんですか?」

 皐月はあきれた顔で隣りに座っている大宮を見やった。

 その大宮は携帯をいじっている。

「いや、なにか分からないかなと思ってね。花には同じ名前でも種類が違うやつがあるし」

「知り合いの花屋の子にでも聞こうかな。でもあの子あまり人と喋るの好きじゃないんだよね」

 皐月は、ふぅと溜息をついた。


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