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弐:『姑獲鳥』 ~中~


 皐月は田原産婦人科病院を出ると、現場である悟帖ヶ山へと足を運んだ。

 山道からすこしはずれたところから、何人かの鑑識官が目に入る。

 山道を登って行くと、死体が発見された場所から見て、上になる柵のところにも、警官の姿が見えた。

「あれ? 咲川のおじいちゃん?」

 皐月は首をかしげるように、目の前の老人に声をかけた。

「皐月ちゃんかえ?」

 紅梅色の狩衣をはおった、人当たりのよい好々爺がそうたずねる。

 彼は、更紗神社の神職であり、稲妻神社の神主とは腐れ縁であるため、三姉妹は幼い頃から色々と遊んでもらっていたりしていた。

「なにか事件でもあったかね?」

「ええ、まあ……。咲川のおじいちゃんも大変ですね、これじゃぁ参拝に来る人が警戒するんじゃないですか?」

 皐月がそうたずねると、目の前の咲川は含み笑いを浮かべる。

「ここまでならそんなにきつくはないが、この先は険しいからな。まぁうちに来るほどの覚悟があれば、こどもを産むくらいわけなかろう」

 咲川の言葉に、皐月は苦笑いを浮かべるしかなかった。

 言うまでもなく、更紗神社への山道は険しく、急坂で整備されていない。

 それでも妊婦が更紗神社に来る理由は、妊娠五ヶ月目の戌の日に更紗神社に行くと、健やかな子を授かることができると云われているからだ。

 別に安産祈願をしなくても子は産めるが、結局は気の持ちようで、更紗神社までの山道を通ることは、いうなれば子が世に出たいという気持ちと似ているからである。

 母親同様、こどもにとっても、出産はそれだけ辛いのだ。

「その殺された間宮理恵って人、おじいちゃんも知ってるんですよね?」

「おう知っとるよ。何度か拝殿あたりで見かけたし、人当たりのいい娘さんじゃったが、妙に影があった」

「……影?」

「そのなんというかね、産みたくても産めないといった感じか」

「でも、あの神社に行くのってそうとうきついはずですよ?」

「うむ、じゃから本心では産みたいと思っておるんじゃないかな?」

「周りがそれを反対してるか、もしくは……」

 皐月がそう言った時だった。

「――っ?」

 突然、腹部を蹴られたような感覚が皐月を襲う。

「どうかしたかえ? 皐月ちゃん」

 咲川が心配するような口調でたずねる。

「いえ、なんでもないです」

 皐月はすこしひきつった表情で答えた。

 ――まただ。やっぱりなにか、いる?

 皐月は自分のおなかをさする。張ってはいたが、病院に行く前と比べて苦しくはない。

 ただ悪霊が取り憑いているとは思えなかったのは、すこし構うと、すぐに収まっていたからだった。

「お、なんじゃ皐月も来ておったか」

 うしろから声が聞こえ、皐月は振り返った。

「湖西巡査部長」

「湖西でも構わんがな」

 湖西はそう言いながら、咲川に会釈する。

「それでやはり阿弥陀たちが神社に来たのか?」

 その問いかけを、皐月は否定するかのように首を振った。

「ここに来たのはなんとなく、それでなにか分かったんですか?」

「分からん。あの羽根がいったいなんなのかすら分からんのがネックじゃな」

「羽根って、鳥の?」

 皐月の問いかけに、湖西はうなずく。

「色々と調べてみたんじゃが、普通の鳥にはないものがあってな、それにあの斑点模様」

「斑点模様?」

「そこを調べたらな、血液反応があったんじゃよ、殺された間宮理恵とは違う……」

 ふと、湖西は言葉を止めた。

「どうかしたか、皐月ちゃん」

 咲川も唖然とした表情で、その場にうずくまった皐月を見やる。

「い、いえ、大丈夫です」

 そう平然を装うとしていたが、皐月の顔は青ざめ、大量の脂汗を噴き出していた。

 ――なに? なんなの? なにかあるって……。

 皐月がそう思った時だった。

 ――妊婦の近くに羽根があった。そしてその斑点模様には被害者とは違う……。

 ハッとした皐月は、病院で田原が言っていた言葉を思い出す。

 ――おばあちゃん、どうして想像妊娠のことなんて話したんだろ?

 皐月は間宮理恵の出産時期を頭の中で計算する。

「咲川のおじいちゃん、おじいちゃんから見て、間宮理恵は産みたくても産めない。そんな感じがしたんだよね?」

 その問いかけに、咲川はうなずいた。

「本来なら産まれていても可笑しくない状態だった。ううん、あの道を歩くくらいだもの、元気な子が産まれていなくちゃ可笑しいくらいなんだ」

 皐月は震えた表情で、自分を納得させていく。

「皐月、なにか引っかかることがあるのか?」

「だけどそれじゃぁ、どうして血なんて発見されるの?」

「皐月ちゃん、もしかすると分かったのか? 羽根の正体が」

 咲川がそうたずねる。

「姑獲鳥――。妊婦とこどもに関係して、なおかつ羽根を持ってる妖怪なんて、これ以外あまり思い浮かばない」

「湖西さん、間宮理恵の夫は?」

「間宮雄太っていう、アパレルショップの社長じゃな。じゃがどうも足取りが掴めんのじゃよ」

 湖西は頭を振った。

「見つからないんですか?」

「そっちは岡崎たちがやってるんじゃがな」

 皐月は柵によりかかり、ゆっくりと深呼吸する。

 途端、自分の携帯がけたたましくなった。

 携帯の液晶を見ると、午後七時を過ぎている。

 ――うわ、もうこんな時間だったんだ。

 夏の日の出は長く、まだ日が沈んでいなかったため、気付けずにいた。

 皐月は慌てた表情で、電話に出る。

 相手は弥生で、早く帰って来いという催促の電話だった。

 皐月は咲川と湖西に頭を下げると、急いで稲妻神社へと帰った。


 その晩のことだった。

 皐月がお風呂からあがり、水を飲もうと台所に向かおうとした時だった。居間の方からテレビの音が聞こえ、覗きこむように耳をかたむける。

「今日の夕方、東京湾沖にて男性の遺体が発見されており、警察庁の話によると、発見されたのは間宮雄太……」

 間宮雄太の名前を聞くや、皐月は慌てて中に入る。

「……なお死後一ヶ月ほどたっており」

 皐月は、テレビのリモコンを取るや、音量を上げていった。

「皐月、それ以上はうるさいからやめりいな」

 神主が睨むような目で言った。皐月は他の人と違い、若干耳が悪い。

 ボタンを押していた指を止め、注視するようにテレビを見つめる。

「遺体には無数の刺し傷があり、細長いもので刺されたもので、警察は怨恨による犯行だと見ているとのことです。では次の……」

 テレビは次のニュースへと移っていった。

 皐月は、テレビの音量を元の大きさへと戻していく。

「どうした皐月、顔が優れんが?」

 神主が、首をかしげるように聞く。

「う、ううんなんでも――」

 皐月はまるで逃げるように、居間を出て行った。

 神主はそれを目で追うと、

「さて、皐月はいったいあのばあさんになにを言われたんかね?」

 そう言うや、うしろを見た。

 そこには、田原産婦人科病院の廊下で、田原の前に現れた少女の姿があった。

「彼女の話では、どうやら皐月のおなかの中になにかがいるようですが」

 少女はそう言うと、すこしばかり考える。

「どうかしたかえ?」

「いえ、もし今回の事件、あの妖怪による仕業だとすれば、本来なら産まれないはずなのですが」

 そう言うと、少女はそれ以上なにも云わず、神主の前から姿を消した。


 警視庁では、間宮雄太の遺体が発見されたことで、慌ただしくなっていた。

「向こうからの連絡は? こちらとの共同に?」

「いや、別件扱いになるじゃろうな。報道を聞く限り、殺害方法について不自然なところが多い」

「不自然なところ?」

 大宮がそうたずねる。

「間宮雄太の傷跡は、細長いもので刺されてるんじゃが、直径一センチくらいの大きさだったんじゃよ」

「それ、細長いですかね? 細いものだとピックとか思い浮かびますが、せいぜいミリまででしょ? センチは行かないと思いますし」

「それから、深さは最大で二センチ。阿弥陀の言う通り、ピックじゃったらもっと深く刺さっておるじゃろうな」

「あの羽根から検出された血については?」

「まったく分からん。間宮理恵のものでもなければ、雄太のものでもなし。一応断っておくが人の血液じゃよ?」

「でも、間宮雄太が殺されたのって、間宮理恵が田原病院に最後行った時期に近いですね」

 大宮が何気なく言う。

「それなんじゃがな、妙なことが分かった」

 湖西はそう言うと、検視結果が書かれた書類を二人に見せた。

「死因は頭部を強打しての出血死と見て間違いはないだろうが――」

「……が?」

「間宮理恵は妊娠十ヶ月じゃろ? それなのに胎児のすがたかたちがなかったんじゃよ」

 それを聞くや、大宮は唖然とした表情で、

「ちょっと待ってください? それじゃぁ、股下の血はどう説明できるんですか?」

「それからな、膣口を弄ったあとがあった。もしかすると犯人は間宮理恵の胎内にいた胎児を殺そうとしていたんじゃないかと思うんじゃが」

 間宮理恵の遺体は、転落のさい、崖に当たっての擦り傷がところどころにあった。

 例えに、こどもがいたとして転落したのなら、胎内に衝撃が走り、破水とともに、こどもの血が出ていた可能性がある。

 しかし、こどもがいなければ、大量の血は、致命傷である頭部からしか出てこない。

 大宮はすこしばかり悪寒を感じた。

「怖いですね。もしそうだとしたら、犯人はよほどイカれている」

「しかし妙なのは、仮にそうだとして、どうして妊婦のままだったんでしょうかね?」

 阿弥陀の言葉に、大宮は首をかしげた。

「いやね、不思議に思いません? もし胎児がすでにいなかったら、多少は妊婦とは違う状態になっていたはずですが、彼女のおなかはそれこそこどもが中にいると思ってしまうほどだったんですよね」

「たしかに、僕もてっきり中にこどもがいるとばかり」

 大宮はあの時、阿弥陀の問いかけに対して、田原があれ以上云わなかったことを理解する。

「殺される殺されない以前に、病院に行かなくなった時点で彼女は疑っていたんじゃ……、こどもが死んでるということに」

「考えられるな。杯中(はいちゅう)蛇影(だはい)というわけではないが、想像妊娠は逆のパターンも有る」

「逆って、こどもが欲しくないということですか?」

「いや、あの更紗神社に参拝するほどだ。本当なら欲しかったんだろうな。だが――彼女は認めたくなかったんじゃろうよ、おなかの中のこどもが、すでに水子となっていることに」

 湖西はそう言うと、

「それにしても、皐月の様子が変じゃったな」

「皐月ちゃんに会ったんですか?」

「悟帖ヶ山ですこしな。じゃが今回の事件、まだ神社には行っておらんかったんじゃろ?」

「明日あたり、行ってみようかと」

 阿弥陀は頭をかいた。

「お二人はあの神社とは長い付き合いなんですか?」

「まぁ、彼女たちが来る前からな。神主である黒川拓蔵とは知り合いといえば知り合いなんじゃよ」

「来る前? そういえば彼女たちの両親は?」

 大宮がそう聞いた時、阿弥陀と湖西は険しい表情を浮かべた。

「……どうかしたんですか?」

「いや、なんでもないよ。まぁタイミングが悪いだけじゃな」

 湖西は引き攣った笑みを浮かべながら答えた。

 大宮はそれ以上聞かず、鑑識課をあとにした。

「もう少し、気の利いたいいわけはなかったんですかね?」

「言ったところで、普通は信じんじゃろ? あの子達の両親が、六年前、転落事故で行方不明になったなんてな」

 湖西はゆっくりと息をついた。


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