壱:『舞首』 ~後~
公園の近くを通った新聞配達員が、サングラスの男の肉片を発見し通報したのは、襲われた翌日の早朝であった。
「阿弥陀警部、これは……」
手で口をおさえながら、大宮は阿弥陀を見る。
「人間の仕業ではないのはたしかですな。ですがいったいどれだけの恨みがあったんでしょうか」
阿弥陀たちが遺体に目をやっていると、うしろの方にひょろ長い男と、小太りの男が青ざめた表情で現場を見ていた。
その異様な視線に、阿弥陀が気付き、
「すみませんが、どうかしたんですかな?」
と二人にたずねた。
「お、俺たちは……」
「お、おい」
ひょろ長い男の言葉をさえぎるように、小太りの男が肘を突く。
「で、でもよぉ、川本はあいつに殺されたに決まってるんだ」
「川本? もしかしてあの遺体について知ってるんですかな?」
阿弥陀は首をかしげ、二人にたずねた。
「……そ、そそのかされていたんです俺たち。その川本に……いや、桐本にも」
「阿弥陀警部、桐本って」
「もしかしなくても、あの公園で殺された桐本邦夫ですかな?」
小太りの男が驚いた表情を浮かべたが、観念したようにちいさくうなずいた。
「俺たちは最初、川本の口車に乗せられてしまったんだ。いい話があるって」
「その話ってのが、野々川市にある宝石店を襲うことだったんだよ。客がいない時を見計らって、スムーズにいったんだ。だけど突然桐本が警察に通報するって言い出して」
「その川本に殺されてしまったということですか」
阿弥陀の言葉に、小太りの男である竹原がちいさく答えるようにうなずく。
「だけど妙な感じだな。殺害した現場は、今回の事件が起きている公園で間違いはないのだろ?」
大宮の問いかけに、ひょろ長い男のほうである辻浦が、
「最初はそうしようとしたんだが、あそこはすぐにバレると思って、場所を変えようとしたんだ」
と答えた。
「その時に運悪く対馬怜奈さんが見てしまった」
「でも、あいつらは最初から宝石を盗む気じゃなかったんですよ」
竹原の言葉に、阿弥陀と大宮はギョッとした。
「盗む気はなかった?」
「あいつらの本当の目的は、その宝石に掛けられていた保険金なんです」
「つまり桐本と川本はグルだったということですか?」
「でも通報はしていて、今も犯人の捜索をしていますよ?」
「もしかして、宝石店の主は、川本?」
「自分の店の宝石を盗ませて、保険金を騙しとっていたということですか?」
「そうとしか考えられませんな。逆に桐本邦夫が店主だとしたら、殺されている以上報道されないのは可笑しいでしょうし」
阿弥陀は、神主と大宮の持った違和感を思い出す。
「もう一度確認しますが、殺したのはあの公園で、どうやって殺したんですかな?」
「川本がうしろから桐本の首を切ったんだ」
それを聞いて、阿弥陀は納得のいかない表情で、辻浦たちを見た。
「現場で発見された血痕の量からして、大動脈を切ったとは思えないんですよね」
「それにシーツの件もわかりませんし、遺体はどうやって運んだんだ?」
大宮がたずねた時、竹原と辻浦は驚いた表情を浮かべた。
「は、運んでなんかない。俺たちは人が来ないか見張っていたんだ」
「ですが遺体はどこにもありませんでしたよ? それにあなた達が桐本を殺そうとした時、対馬怜奈という女子中学生が見てしまい、川本が殺した……。発見された三十分前まで遺体があったというんですか?」
「本当だ。川本や俺たちは逃げるように公園を出て行った。遺体のことなんて目もくれなかったよ」
「つまり、あなたたちはふたつの遺体には殺した以外、なにもしていないということですか?」
阿弥陀の問いかけに、辻浦がうなずいた。
「と、ところでよ? 川本はなにに殺されたんだ?」
震えた声で、竹原がたずねる。
「さぁ……、ヒグマにでも襲われたんじゃないですかね? 福嗣町は東京にあるとはいえ、山間にある田舎町ですから」
阿弥陀は、片目をつむり、そう告げた。
もちろんそんな戯言を信じるものはいなかった。
「皐月ちゃん」
稲妻神社へ向かう途中、福嗣中学の校門から出てきた皐月を見かけた大宮が、パトカーを脇に寄せ、徐行させる。
「なんですか?」
皐月はつまらないと言った不貞腐れた表情を浮かべる。
いくら知り合いとはいえ、警官が、それこそパトカーから顔をのぞかせれば、いやでも変な噂が立つ。
皐月は学校の横道に入る方へと指を指す。大宮はパトカーをそちらへと走らせた。
脇道に入った大宮は、パトカーを停めて降りると、皐月にちいさく手を上げる。
「昨日話した事件、犯人の一味の身柄が確保された」
「それじゃぁ対馬怜奈さんを殺した犯人も?」
その問いかけに、大宮は首を横に振る。
「殺されたよ。公園の入り口あたりで肉塊になってね」
その言葉に、皐月は口を抑える。
大宮は、竹原と辻浦から聞いた話を皐月に話した。
「現場の状況から考えて、三人が桐本邦夫の遺体をどこかに運んだ可能性もあったかもしれないが、殺害方法を考えると、他の場所で殺したとしたら、その場に血があるとは思えない。殺害した場所は間違いなくあの公園だったんだろうね」
「……川本の殺害は、『人ならぬもの』のしわざ、ということですか?」
皐月は不満気な目つきで、大宮の表情をうかがう。
「僕はあまりそういうのは好きじゃないんだけどね。でも……君たち姉妹が持つ不思議な力のほうは信じるよ」
「信じる信じないは別ですけど……。でも、どうして桐本邦夫は突然自首しようとしたんでしょうか?」
「主犯格の川本は仲間に自分の店の宝石をわざと盗ませて、掛けていた保険を手に入れようとした。その仲間も宝石を手に入れられるから、それを売ればまさにウィンウィンのはずだ」
「他になにか理由があった――」
「どんな?」
大宮が首をかしげる。
「その宝石が、保険金以上の価値があった」
そう皐月がいうと、大宮は小さく笑う。
「それはないと思うよ。ちなみに盗まれた宝石の中には『真ん中に向かって線が入っている丸いエメラルド』があって、大きさはたしか十一カラットほどらしいよ」
大宮の言葉に、皐月はキョトンとする。
「お、大宮さん、それってもしかしなくても『スターエメラルド』じゃないんですか?」
「スター、エメラルド?」
冷や汗をかいている皐月とは対照的に、なんのことかわからない大宮は、目を点にする。
「希少価値のあるエメラルドで、それくらいの大きさだったらそれだけでも百万は下らないんですよ? 私ですら知ってるのに、なんで知らないんですか? それでも警官ですか?」
「警官だからってなんでも知ってるわけじゃないよ。でもそんな貴重な宝石をわざと盗ませたのか」
「最低でもそれ相応の保険がかけられているはずですからね。もしかすると桐本邦夫が自首しようとしたのは――」
皐月はそこまで言うと、言葉を止め、考えにふける。
「なにか思い当たることでも?」
「いや、それだと自首する理由にはならないだろうし」
皐月は頭を抱える。
「それに川本が対馬怜奈さんや桐本邦夫を殺した方法は首をナイフで……、ナイフで?」
皐月は大宮を見るや、
「爺様に聞きたいことがあるの。ちょっと神社まで乗せてって」
と詰め寄るようにお願いした。
「え? でもまだ勤務中」
「事件解決の手掛かりを聞くのも仕事でしょ? それにもしかしたら爺様ならなにかわかるかもしれない」
押しの強さに負けた大宮は、皐月をパトカーに乗せ、稲妻神社へと向かった。
「対馬怜奈が強盗三人を見た時、桐本邦夫の遺体は最初からそこにはなかった?」
大宮とともに実家である稲妻神社へと帰ってきた皐月は、自分の考えを神主と大宮に話した。
「うん。もし捕まった強盗二人の証言が正しいんだったら、やっぱり現場で発見された血の量は少なすぎると思うんです」
「でも、あれから近辺や、周りの山をいくら探しても、桐本の遺体は見つかっていないんだ。やはりどこかに遺棄したんじゃないか?」
「殺害された桐本は川本に殺され、それを目撃してしまった対馬怜奈も川本に殺された。そしてその川本が何者かに殺された」
神主はすこし考えると、訝しげな表情を浮かべた。
「爺様、なにかわかった?」
「偶然か、似ておるんじゃよ『舞首』の伝承と」
神主の言葉に、大宮が首をかしげた。
「『舞首』?」
大宮と皐月は、話を聞くため、神主に身を寄せる。
「『舞首』というのは妖怪のひとつで、『絵本百物語』というものに出てくるんじゃが」
神主は、酒を一口飲むと、ゆっくりと眼をつむった。
鎌倉時代、小三太、又重、悪五郎という三人の武士が居った。
伊豆の真鶴の祭の日、酒の勢いで三人が口論となり、やがて刀の斬り合いとなった。
怪力を誇る悪五郎が小三太を斬り捨て、さらに又重を斬ろうとするが、又重は山中へと逃げ去った。
悪五郎は小三太の首を切った後に又重を追いかけた。
又重は斬り合いに応じたところ、悪五郎がつまずいて転んだので、隙をついて、悪五郎を斬りつけた。
悪五郎は、斬られてなお起き上がって、又重に立ち向かった。
二人は組み合っている内に足場を踏み外し、海へと転げ落ちた。
水中で二人は互いの首に刀を当てて、ふたつの首が切り落とされた。
首だけになっても二人は水中で争い続け、又重の首が悪五郎の首に噛み付こうとした時、そこへ斬り落とされた小三太の首が躍り出て、悪五郎の首に噛み付いた。
『舞首』の大まかな伝承を話した時、大宮は震えた表情を浮かべた。
「似てるどころか、今回の事件と完全に一致してるじゃないですか? 対馬怜奈の首辺りに血の跡があったんです」
「つまり彼女は逃げようとしてつかまってしまい、殺された」
「川本という男を殺したのは」
神主は大宮を一瞥する。
「やつに殺された桐本……ということですか?」
「そうだと思いますよ」
皐月はそう告げると、ゆっくりと立ち上がった。
「ここからは『私』の仕事ですから」
皐月はすこし寂しそうな表情を浮かべながら、大宮を見ると、居間を出て行った。
大宮は居間を出て行く皐月を目で追う。
「気になるかね?」
神主が、からかうように言った。
「違いますよ。でも彼女のあの力はいったいなんなんですか?」
大宮がそうたずねた時、神主はちいさく、意味ありげな笑みを浮かべた。
「――人ならぬものを救う力じゃよ」
大宮は納得のいかない表情を浮かべたが、神主がそれ以上言うとは思えず、それ以上は聞かなかった。
公園の立ち入り禁止テープをくぐった皐月は、ゆっくりと茂みの方へと歩み寄った。
そしてゆっくりと目をつむるや、なにかを探すかのように神経を集中させる。
ふと、風が止んだその瞬間、皐月のうしろから青黒い光が襲いかかった。
「キシャァッ?」
桐本の首が、戸惑いの表情を浮かべる。今たしかに、確実に皐月の身体を喰らったはずだったからだ。
だが、皐月の姿が見当たらない。
「幽霊だったら、全然見えないんだけどね」
うしろから声が聞こえ、桐本の首はそちらへと目をやる。
「小娘ぇっ! きさまぁ何者だぁ?」
「私? そうだねぇ。あなたみたいな怨みに侵されて人を殺める妖怪を、地獄に連行するもの……かな?」
皐月はゆっくりと、長短二本の竹刀を構える。
「なんだそりゃぁ? オレがそんなので倒されると思ってんのか?」
からかうように桐本は嗤った。
「だったら――ためしてみる?」
皐月はちいさく口角を上げた。
「やってみろっ! このクソ小娘ぇえっ!」
桐本の首は大きく口を上げ、皐月に喰らいかかった。
「吾神殿に祀られし大黒の業よ。今仕方我にその御魂を与えよ」
皐月が呪言をうたうや、彼女の周りに風が吹いた。
「な、なんだ?」
桐本の首は、身を止めた。
風が止み、そこに立っていたのは、赤色の巫女装束を着た皐月の姿があり、彼女の手には、海鼠透と呼ばれる、楕円形の透かし模様を左右対称にした簡素な鍔をはめた刃長二尺一寸(約六三・六センチ)の片手打ちと、同様の鍔をはめた刃長一尺五寸〇分五厘(約四五・六センチ)の脇差しが持たされていた。
「なっ? ま、まさかそれは『宮本武蔵拵え』か?」
驚いた表情で、桐本はたずねる。
「半分正解で半分間違い。たしかに片手打ちの方は宮本武蔵の刀を作っていた刀匠の一人である上総介兼重の『良業物』だけど、脇差しの方は鬼塚吉國の『業物』」
皐月はゆっくりと片手打ちの鋒を桐本の首に向けた。
「どうせ模擬刀かなにかだろ?」
桐本の首が、ふたたび大きな口を広げる。
「死ねぇやぁっ!」
桐本の首は、皐月の身体を喰らいに掛かった。
「我流一刀・羅刹っ!」
皐月は構えていた片手打ちを自分の方へと引き、逆に引いていた左手に持った逆手持ちの脇差しを、振り上げるように、桐本の首へと斬りかかる。
そして振り上げた一瞬の内に正しく持ち直し、振り下ろした。
その一瞬の切り裂きに、桐本の首は戸惑いを隠せないでいた。
「な、きぃさまぁっ! 二刀で俺を切るんじゃないのか?」
徐々に桐本の首の形が、切った線にそってずれていく。
「宮本武蔵が考えた兵法である『二天一流』は、片手でも刀が使えるようにと作られたものなのよ」
宮本武蔵の兵法が記された有名な五輪の書に、『太刀を片手にて取りならはせん為なり』と記されている。
皐月は、左手の脇差しを、それこそ蝶が舞うかのように虚空を切り、付着した桐本の首の妖気を祓った。
「それに、私左利きなんだよね」
そう言うや、皐月は桐本の首を見やる。
「今回の事件でひとつだけ納得いかないことがある。あなたはどうして川本たちを裏切ろうとしたの? うまくいけばあなただって特をしていたじゃない?」
皐月がそうたずねた時、一瞬だけ桐本の表情が曇った。
そして皐月に勝てないと悟ったのか、観念した口調で、
「あの店の宝石は、俺が現地で直接交渉して手に入れてきていたんだ。もちろん日本に持ち運ぶには検問を通らないといけないんだが、その値段が正直バカらしくてな、現地で加工して、荷物に紛れ込ませていたんだ」
と告げた。
「ようするに、密売していたってこと?」
「そうとらえてもらっても構わない」
桐本邦夫の表情が険しくなる。
「だが、俺だって一概の宝石職人だったんだ。それなのにあいつは俺の作品を……」
その言葉に、皐月は新聞に載っていた宝石を思い出す。
「あの写真に写ってたのって、あなたの作品だったんだ」
「あの店の宝石は俺が手を加えている。だがあの宝石だけは絶対盗みたくなかったんだ」
「……スターエメラルドのこと?」
皐月の言葉に、桐本邦夫は驚いた表情を見せたが、
「そこまで知っていたのか。君はすごいな」
と、関心した表情で言った。
「あの宝石は本当に貴重なんだ。宝石職人としては最高の作品にしたかったんだよ。そして――彼女にあげたかったんだ」
「それを川本に邪魔された」
「ああ、あいつは本物と贋物をすり替えたんだ。俺もバカだったよ。それを知った時は――」
桐本邦夫は顔をうつむかせた。
皐月は決して哀れむ気はなかった。どんな理由であるにしろ、妖怪と化した人間は罰しなければいけない。
「君にお願いしていいかな?」
皐月は、ゆっくりと桐本邦夫を見た。その声が先ほどまでとは違って穏やかだったのだ。
「俺の部屋の引き出しに完成した金細工を施した指輪がしまわれている。それに本物の、〇・七五カラットのスターエメラルドをはめてほしいんだ。盗んだものの場所は、つかまった二人が知っているよ」
桐本邦夫は苦笑いを浮かべる。
「今月は彼女の誕生日だったんだよ。知ってるかい? 五月の誕生石はエメラルドだってこと」
「知ってるよ。だって私も五月生まれだし、少なくとも自分の誕生月の宝石くらい知識持ってますから」
皐月はゆっくりと片手打ちを振り上げる。
「閻獄第二条三項において、自分の作品とはいえそれを盗み、人を殺した罪により、『黒縄地獄・畏熟処』へと連行する」
そう告げるや、桐本邦夫の額に、梵字が描かれた札が貼り付けられる。皐月はそれを桐本邦夫ごと、刀で切りつけた。
桐本邦夫の首は、死を受け入れたかのような、穏やかな表情を浮かべながら、ゆっくりと青白い炎となって、消えていった……。
「お疲れさまです。せいが出ますな」
桐本邦夫が成仏してから二日たった放課後、稲妻神社に阿弥陀がおとずれた。
「お疲れさまです。大宮さんは?」
袴姿に二本の竹刀を持った皐月はそうたずねるや、阿弥陀の周りを見た。
「彼はまだ仕事ですよ」
阿弥陀は懐から指輪を入れる箱を取り出す。
「父親くらい離れた人から求婚される気はないんですけど?」
皐月はあきれた表情を浮かべる。
「いやいや、皐月さんが桐本邦夫から聞いた宝石ですよ。さすがに宝石は証拠ですからはめられませんが、特別に付けてもらったんです」
阿弥陀はゆっくりと箱のフタを開いた。
透明感のある奇麗な緑色に十字が入ったスターエメラルドを、細かな金細工が施されている。その高い芸術作品に皐月は喉を鳴らした。
「桐本邦夫はこれを彼女にあげたかったんですな」
「まがりなりにも職人として、自分のやっていたことが許せなかったってことか」
皐月はゆっくりと持っていた竹刀に目をやった。
「どうかしましたかな?」
「本物って、どんなやつだったのかなって。私の刀は結局私のイメージが具現化しただけですから」
皐月はゆっくりと長い方の竹刀を振った。
「そうですかね? 私はちゃんとしてると思いますが?」
阿弥陀は含み笑いを浮かべる。
それを見て、皐月は不貞腐れた表情で、
「持ちやすいようにって片手打ちにしてるだけで、宮本武蔵が使っていた『良業物』は、刃長二尺七寸の太刀なんですよ」
と言った。




