漆:『以津真天』~後
「皐月ちゃん、どうかしたのかい?」
コテージからすこし離れたところで、大宮は皐月を呼び止めた。
「まぁ大体の予想は出来てたんですけど、やっぱりあの二人が犯人っぽいですね」
「二人って、あの夫婦がかい?」
「遺体が発見された場所ですよ。もし偶然だとしたらお手上げですけど、元とはいえ家族の近くに遺棄されるとは思えませんよね?」
そう言われ、大宮はちいさくうなずく。
「だけど、それであの二人が犯人と決め付けるには」
「それに大宮巡査、あの奥さんの目見ました?」
「……目? 目がどうかしたのかい?」
首をかしげる大宮を見るや、皐月は嫌気が差したかのように、苛立った深いため息をついた。
「年齢に対して水晶体が濁ってなかったんですよ」
思い出したかのように大宮は納得する。
「女性って、鈍感な男性とは違って細かなところに目がいくんですよ」
『鈍感』のところを強調しながら言う。
「しかし手術したという話は聞いていないな」
「聞いてないじゃなくて、調べてないですよね?」
「い、痛いところを……。まぁ言われるまで気付かなかったのは事実だけど」
「殺されたのは半年前以上。目の手術がその後だとしたら」
皐月はそう言いながら、瑤子の車の運転席の窓から車内を覗き込み、ある機会に目をやった。
「うん。やっぱりある」
「あるってなにが?」
「ドライブレコーダーですよ。まぁ着けるかどうかは持ち主の自由ですけど」
大宮はアッと声を上げた。
「もしかして事故が写ってる?」
「かどうかは分かりませんけど。録画用のSDカードが入ってなかったら意味ないですし。多分処分されているのがオチですね」
「突拍子もない推理だけど、一理あるね。それにもし奥さんの目を手術したのが最近だとすれば」
「もしくはその直後だったのかも。白内障手術をした後って視力が定まらないって言いますからね。それに運転が夜だったら日中とは違いますし」
二人が話をしていると、遠くから犬の鳴き声が聞こえてきた。
すると離れの倉庫がある方からチワワが皐月たちの方へと走ってくる。
「トーマ、ちょっと待って」
遅れて、望空がやってきた。トーマは皐月の周りをチョロチョロと走り回る。
「すみません」
と望空はトーマを抱える。
「あなたが望空さん?」
「そうですけど、あなたは?」
望空は息を整えながら、乱れた前髪を直す。
「ちょっとあなたのお父さんとお母さんについて聞きたいんだけど、仲は良かったの?」
そう聞かれ、望空は諦めたかのように、
「もう年を考えてくれって感じにラブラブでしたよ」
と言ったが、すぐに寂しそうな表情を浮かべる。
「そんな二人だったのに離婚してしまった」
皐月の問いかけに、望空は答えるようにうなずいた。
「あの死体がお父さんって分かった時、どんな気持ちだった?」
「すごく悲しかったけど、やっと会えたってそんな気持ちですね」
皐月はそれを聞くと、
「私ね、小さい時事故にあってお父さんとお母さんを行方不明にしているの。一緒にいたはずなのに私や姉さんと妹だけが助かって、お父さんたちだけがまだ見つかってない」
そう言いながら、トーマの首筋から口の方へと撫でる。
「これはあなたの心を傷つけるかもしれない話だから、話したくないならしなくてもいい」
皐月は忠告してから一拍置いた。
「お父さんの遺体。あなたはどんな感じがした? これはね、今回の事件で一番大切なことなの」
そう聞かれ、望空はたじろいた。
「は、話したくなかったらしなくてもいいんですよね?」
皐月は答えるようにうなずく。
「だ、だったら話すことなんてないです」
望空は外方を向き、逃げるようにコテージの中へと入っていった。
「皐月ちゃん、あんな聞き方らしくないよ」
「今回の事件、一番の被害者って誰だと思います?」
「もしかして望空さんか」
皐月は、そうだと言わんばかりの表情でうなずく。
「父親は遺体で発見されて、母親は行方不明。しかも身内である祖父母が犯人かもしれない」
「でもまだ確定しているわけじゃないだろ?」
大宮はすこしばかり怒った口調で言った。
「分かってます。それにどうして犯行に及んだのかって理由も分からないままですし」
皐月も自分でもやり過ぎだとは思っていた。
「だいたい、なんでこんな自分の首を絞めるような場所に遺棄したんでしょうか?」
「それは分からないけど。もしかすると目の届く場所に置いておきたかったとか?」
皐月もそれは思っていた。が、なにもこんな近くに遺棄しなくてもいいのではと思っていたのである。
「それに口座が凍結していたのも気になりますね。普通なにかなければ口座が使えなくなるなんてこと……」
皐月はハッとし、
「もしかして殺されることを予感していた?」
急いで携帯を取り出し、阿弥陀に連絡を入れる。
「すみません阿弥陀警部。ちょっと聞いてほしいことが」
「ああ皐月さんですか。こちらもちょっと連絡をしようと思いましてね」
皐月は急いで携帯をスピーカーモードに切り替える。
「それでなにか分かったんですか?」
「会社同士の蟠りですがね、どうやら株券に関してなんですよ」
「……株券?」
「娘である百合香さんが陽不動産の株券を百万ほど所有していたそうなんです。その額は大体約十億だったそうですよ」
「じゅっ、十億?」
あまりに大きな額に皐月と大宮は大声を張らさるを得なかった。
「まぁ有名不動産の株ですからね」
「それくらいあったら、半分売ってしまったほうがよくないですか?」
皐月は肩を落とすように言う。
「しかし、家族だから持たせていたって可能性もありますね。なにかがあった場合のために」
「それからTW企業の方ですが、そちらはまぁ云ってしまえば会社でも何でもないサービス企業みたいなもので、インターネットを通じて、ネット会員にデータ入力や商品レビューを書いてもらったりして、そのバイト料を振り込んでいたそうです。あちらはあちらで商品を提供した企業から広告料をもらっていたみたいですけどね」
「つまりスタッフ自体はそんなにいなかったということですか?」
皐月の言葉に、電話先の阿弥陀はうなずくように、
「ええ、少人数で運営をしていたようです」
と言ってから、すこし間を置く。
「さて、ここからが本題なんですが、どうやら陽不動産が造った家に欠陥があったというレビューが書き込まれていたそうなんですよ」
「それって噂でですか?」
「いや、TW企業のスタッフにたずねたところ、どうやらその書き込みをした会員は、昔建築に携わっていたそうなんですよ。自分の家もそちらにお願いしたようですが、新築であるにも関わらず、一年もしないうちに床に歪みや坂があったり、天井の付け根にヒビが入っていたりしていて、近所で同じ不動産が依頼建築した家も調べると、同じような事があったそうなんですよ」
「それじゃぁ殺された理由って……」
「その告発を訴えたということか?」
「その可能性もありますね。それと気になることが出来たんですけど」
「はいはい。もうこうなったらとことん調べますよ」
阿弥陀は諦めた口調で言う。
「そんなに手間は取らないと思いますけど、ここ半年で夜の深まった時間帯に、赤い軽車によるひき逃げ死亡事故がなかったか調べてくれません?」
「おや? また特定した要件ですな? それはどこらへんで?」
「都内って限定すると、ちょっと難しいかもしれませんけど」
「了解しました。とりあえず警視庁の交通課に問い合わせてデータを調べてみます」
阿弥陀はそう言うと、通話を切った。
皐月は携帯を直そうとした時、不意に携帯の液晶を見た。時間はすでに夕方五時を過ぎている。
「そろそろ帰ろうか」
「はい。っとその前に」
皐月がコテージの方を見ると、そこに思いつめた表情で自分たちを見ている望空の姿があった。
「どうかしたの?」
「あっ、あの……」
奥歯にものが挟んだような口調で、望空は言葉を発する。
「話しても信じてくれないかもしれない。そんな感じかな?」
皐月が優しい口調でたずねる。
「だって、みんな怖い怖いって言ってるのに、わたしだけ違う感じがしたなんて」
「もしかして、あなたも声を聞いてるの?」
望空はちいさくうなずいた。
「わたしには、ううん、多分トーマも似たような感じだと思うんです。『知らせてくれ』って、お父さんに似た声が聞こえたんです」
それを聞くや、大宮は皐月を見やった。
「それってもしかして」
「やっぱり陽不動産の不正?」
望空はちいさくうなずく。
「これ以上は調べあげてからじゃないと起訴はできないね」
「なにか決定的なものはない? あなたのお父さんを殺した犯人に結びつく、決定的ななにか」
「決定的な……」
望空はすこし考え、
「それだったら、お父さんの口座通帳になにかあるかも」
そう言ったが、大宮は頭を抱える。
「いや、調べるにも今口座は凍結していて」
「なにを言ってるんですか? 口座が凍結していて困るのは振込と引き出しが出来ないことで、記入されている通帳を見ることは可能じゃないですか」
大宮はアッと言った。
「実はなにかあった場合のために、お父さんの通帳をお母さんから預かっていたんです」
「もしかして、あなたも?」
望空は、皐月がなにを聞こうとしたのかが分かり、ちいさくうなずいた。
望空に案内されるように、コテージの中にある彼女の部屋に入った皐月と大宮は部屋を見渡す。
望空は鍵がかかった引き出しを開け、そこに入っている銀行預金通帳を取り出すと、大宮に渡した。
「――あれ?」
「どうかしたんですか?」
「給料日の翌日に五万円ほど他の通帳に振込がされていたみたいだ。えっと、振込先の名前は……」
大宮は真剣な表情で望空を見やった。
「どうかしたんですか?」
「望空さんはいくつでしたっけ?」
「えっと、中一ですが?」
「私と一つしか違わないんだ」
皐月は驚いた表情で望空を見た。自分よりも大人っぽかったので、年上だと思っていたのである。
「君はこの通帳の中身は見たのかい?」
「い、いえ。お母さんから決して見ないようにって言われていたので」
今時珍しく親の言うことを聞く子だと、皐月と大宮は思った。
しかし、だからこそ知らなかったというのもうなずける。
「……毎月必ず五万円ほど、彼女の通帳に振り込まれていたようだ」
大宮は、皐月の耳が悪いことを知っており、望空に聞かれないよう耳打ちをする。
「多分、積み立て預金だったんじゃないでしょうか? 自分たちにもしものことがあってはいけない。それに遺族とはいえ故人の通帳からお金を引き出すことは簡単にはできないらしいですし」
「恐らくね。それとこの最後の欄なんだけど」
大宮は記入されている最後のページを皐月に見せた。
「半年前を最後に一ヶ月ほど一日に五十万ずつ引き出されてる」
預金残高は『二千万』ほど書かれているが、引き出された金額の総額は千五百万ほどである。元々あった金額の半分は降ろされていた。
「――あれ?」
大宮は記入されている最後のページを捲った時だった。
「どうかしたんですか?」
皐月ものぞき込むように通帳を注視する。
「いや、行方不明になったあとに凍結したとすれば、本来振り込まれないはずなんだけど」
皐月は一瞬、なにを言ってるのか分からなかった。
しかし毎月の、特定の日にだけは、他の月との差が半分以下とはいえ、キッチリとそれが入れられていたのである。
「おや、望空帰っていたのかい?」
廊下から瑤子の声が聞こえ、皐月と大宮は身構える。
「あ、おばあちゃん。ただいま」
望空は悟られないように言った。
「おや、刑事さん来ていたんですか」
まっすぐ立っている瑤子がドアを開けると、中へと入ってくる。
「え、ええ。そろそろお暇しないといけないんですけどね。彼女を家まで送らないといけませんし」
大宮は皐月を見やった。その皐月は瑤子を見つめている。
「おや? どうかしたかい?」
首をかしげるように瑤子はたずねた。
「――抜刀・胡蝶……」
刀を構えるような姿勢を一瞬だけし、皐月は良業物を抜いた。
瑤子はその『鋒に当たらぬ』よう、うしろへと下がる。
「あ、危ないじゃないか? そんな危険なもの、当たったら死んでしまうじゃないか!」
瑤子は声を荒げる。
「すみません。でもあたっても死にませんよ」
皐月は、なにかを確信しうるかのように微笑する。
皐月の刀は本来、『普通の人間に見えるものではない』が、瑤子は驚いた表情でうしろへと引いている。
「お、おばあちゃん?」
望空は驚いた表情で瑤子を見やる。
「あ、あんた何者だい?」
「それはこっちのセリフ。それにおばあさん、たしか腰が悪かったんじゃないの?」
そう言われ、望空は瑤子を見る。
「なんで? なんでおばあちゃんまっすぐ立ってるの? 腰が悪くてまっすぐ立てないっていつも痛そうな顔してるのに」
「あ、あいたたた……」
と、誰から見ても態とらしく、瑤子は苦痛の表情で腰をさする。
「それでおばあさん、ひとつ聞いてもいいですか?」
皐月はそれを無視するかのように、瑤子に質問をかけた。
「な、なんだい?」
「駐車場に停まっている赤い軽車のフロントバンパーが妙にへこんでいたんだけど、あれ……どうしたの?」
「ちょ、ちょっと運転をミスっちまってね。壁にぶつけっちまったんだよ」
瑤子は苦笑いを浮かべる。
が、皐月の目は笑っていなかった。
「おばあさん、壁にぶつけたっていうけど、コーナーならとにかく、正面からぶつかれば、へこむどころの話じゃないんだよ」
皐月はハッキリと言い、大宮を見やった。
「僕も車を運転しているので言えますが、運転中に誤って壁にぶつけたのなら、フロントバンパーの他にウィンカーやライトにも損傷があるはずなんですよ。しかしあの車にはフロントバンパー以外に損傷は見受けられなかった」
「そ、それは……、ほら突然犬が飛び出したんだよ。それでぶつけっちまって」
青ざめた表情で瑤子は言うが、
「あの車のフロントバンパーの高さは、ちょうど私のふくらはぎに当たるかどうかでした……。そんな大きな犬がいたならあの子に見せたかったですね」
皐月の表情は、変わらずに笑っていない。
「あ、あんたたちもあの子と同じことを言うのかい?」
瑤子の表情が見る見るうちに般若のように険しくなっていく。
「あ、あの子って……もしかしてお母さん」
「ああ、そうさっ! わたしから金を奪っておいて、自分たちだけ成功して、しかもうちの不正を告訴しやがって」
「やっぱりそれが瀧瀬俊平さんを殺した理由?」
皐月の質問に、瑤子は笑いながら答えた。
「そうさ、あいつには百合香がうちから借金していると言ってね。毎日お金を振り込ませていたんだ」
「で、でもおばあちゃん。お母さんは? お母さんはどうしたの?」
望空が訴えるようにたずねる。瑤子は望空の方を見ながら、嗤った。
「あんたも同じことを聞くのかい? しつこいねぇ……、たかだか親がいなくなっただけでこんなに震えっちまうなんて。知ってるかい? 孤児だったあんたには一円も入らないんだよ」
望空はそれを聞くと、表情を強張らせ、激しく首を振った。
「嘘だ。嘘だ。嘘だ……」
「そうだよ。アンタにはお金が一円も入らない。鐚一文入らない。諦めるんだね」
瑤子はからかうように言う。
「お母さんがおばあちゃんに殺された? なんでそんなことを?」
「おや? お金よりそんなことを気にするのかい?」
意外だと言わんばかりに瑤子は首をかしげる。
「当たり前でしょ? この子が知りたかったのはどうして殺されたかなのよ。お金なんて二の次」
皐月が怒号を放つ。
「あんたも可笑しなことを言うね。この世はお金なんだよ。秘密を知ったアンタたちをこのまま生かすわけにはいかないね」
瑤子の爪が鋭く伸び、望空の首筋に触れる。
「望空さん!」
「動くんじゃないよ。一歩でも動けばこいつがどうなるか解ってるね?」
「ひ、卑怯だぞ」
「卑怯で結構。それとお嬢さん、刀を抜こうなんて思わないようにね」
そう言われ、皐月は拳を握った。
「ほら、ふたりとも両手を上げて、壁に背を当てるんだ」
云われるがまま、皐月と大宮はそれに従う。
瑤子は二人から二、三歩ほどうしろに下がっていく。
「皐月ちゃん、なんとかならないのかい?」
「良業物の長さは二尺一寸で、ここから抜刀しても届きませんよ」
皐月は苦い表情で答える。
「仮に抜刀で届くとすれば、あの子の刀なら可能だろうけど」
皐月がそう呟いた時だった。
開いたドアの隙間からトーマが部屋に入ってくるや、瑤子の足に飛び込み、噛んだ。
「あぎゃぁあああああああああっ!」
瑤子は突然の痛みに悲鳴を上げた。
それと同時に、望空の身体が瑤子の腕から抜けていく。
「こんのぉっ!」
瑤子はトーマを振りほどくと、思いっきり蹴り上げる。
トーマは壁に身体をぶつけ、甲高い悲鳴を上げた。
「トーマッ!」
「こんのクソ犬ぅ! 殺してやる」
瑤子の爪を鋭く尖らせ、トーマの身体を裂こうとした時、ちいさな鈴の音が部屋に響いた。
「なっ?」
驚いた表情で瑤子はちいさく叫んだ。瑤子の目の前には、瑤子の爪を刀で受け止めている信乃の姿があった。
「信乃……」
「皐月、あんた分かってたんでしょ? このおばあさんが妖怪に取り憑かれていたことに」
信乃にそう聞かれ、皐月は視線をそらしたが、ちいさくうなずいた。
「というか、どこから入ってきたの?」
そう聞かれ、信乃は視線を窓の方に向けた。そこには奇麗に割れたガラスが床に散らばっている。
信乃はゆっくりと刀を振り上げ、
「閻獄第五条七項において、不正建築を黙秘した挙句、それを告訴した人物を殺したものは『大叫喚地獄・如飛虫堕処』へと連行する」
通告を言い渡し、瑤子の身体を切り裂いた。
瑤子は一瞬にして青い炎と化し、その場には神札がゆっくりと落ちていく。
「皐月、あんたさ『浅茅ヶ原の鬼婆』って話知ってる」
連行したことを証明する神札を拾い上げながら、信乃は皐月にたずねた。
「えっと、知らない」
困った表情で皐月は言う。
「その鬼婆は娘と二人で住んでいて、旅人を家に泊めていたんだけど、その旅人を遅い殺し、金品を盗んでいたのよ」
信乃はそう話しながら望空を見やる。
――でもその鬼婆は自分の欲望を止めようとした娘を間違って殺してしまい、その悔いに改心したとも云われているけどね。
しかし瑤子は死んでも治らないだろうと信乃は思った。
自分の娘を殺してもなお、反省の色すら見せなかったのだから。
「そうですか。ありがとうございます」
皐月は電話先の阿弥陀に礼を言う。
「やっぱり、半年前に瑤子さんの車に似た車種が、人身事故を起こしていたみたいですね」
皐月は望空の隣に座っている義輝を見やった。
義輝は俯いており、苦痛の表情を浮かべている。
「知っていたんですね。奥さんが不正をしていたことに」
「前々からクレームは来ていましたよ。でもほとんどが築何年かたったもので、自然によるものと説明はしていたんですが」
「それを瀧瀬俊平さんと百合香さんが見逃さなかった。まぁものがデカすぎたんだよ」
皐月は望空を見やる。望空は祖父である義輝の背中をさすりながら、寂しそうな表情を浮かべていた。
「百合香さんは瑤子さんを説得しようとしていたんですって。それとこれはまぁ別に関係のないことだけど、その修繕費をいくらか企業から援助しようとしていたらしいわ」
信乃も今回の事件に関して、すこしながらネットで調べていた。
「でも、そんなに儲かる仕事でもなかったんでしょ?」
「でも持って余るものを、百合香さんは持っていたのよ」
信乃の言葉に、皐月はふとあることを思い出し、
「百合香さんが持っていたっていう、陽不動産の株券?」
「あの株券は家族だから持っていなさいという意味で持たせていたんでしたね?」
大宮の言葉に、義輝はちいさくうなずく。
「まだちいさい町の不動産屋の時からだがね。わたしが会長になる前はまだ三百円がやっとの会社だった」
「それがリゾート開発や、他の企画が成功して、グループとしての利益を成功させた。それが今の陽財閥みたいよ」
「だが、わたしは妻に変わって罪を償うよ。次の会長を選ぶことはできなかったがな」
そう言いながら、義輝は望空の頭を優しく叩く。
「さぁ刑事さん。今回の事件は自分たちの罪を認めなかったわたしたち夫婦の責任だ。煮るなり焼くなり好きにしてくれ」
義輝は立ち上がると、大宮の前に両手首を差し出す。
「分かりました。陽義輝さん、あなたを瀧瀬俊平殺害、ならびにその妻である百合香さん行方不明に関することで、警視庁へ連行します」
大宮がそう言った時だった。
「あの大宮巡査、あまり知識がないから聞きますけど、死亡届が出されないと口座って凍結しないんですよね?」
皐月にそうたずねられ、大宮は首をかしげた。
「いや、たしか他にもあったはずだ。口座が凍結するのは名義人が死亡するか――犯罪に使用したか」
「け、刑事さんは、お父さんが悪いことをしたって言いたいんですか?」
望空が噛み付くような口調で叫んだ。
「いや、特に悪いことをしていたというわけではないから安心して大丈夫だよ。それに凍結を受けていたのは実を言うと一ヶ月前の給料日からなんだ」
「ちょっと刑事さん、働いてもない人に給料ってのはどうかと思うけど?」
信乃が不満そうな表情で聞く。
「それに今回発見された変死体は瀧瀬俊平のもので間違いはないんでしょ? 湖西主任が検視を間違えるとは思えないし」
「ああ、それは間違いないよ。正真正銘あの遺体は瀧瀬俊平本人のものだ。遺体を調べる時に望空さんに手伝ってもらったからね、DNAは一致していた」
大宮の言葉に同意するかのように、望空は信乃に向かってうなずいてみせる。
「それで皐月、なんで今さら口座の凍結のことなんて聞くの? まったく関係ない話じゃない」
「うん、云われるとそうなんだけどね。行方不明になったのが半年前なら、一時的に口座を凍結させることもできたんじゃないかなって……。あの通帳には、律儀に望空さんの養育費を振り込んでいたみたいだし」
大宮は瀧瀬俊平の通帳を思い出す。
「自動振込か……」
「えっと、そんなことできるんですか?」
「ああ、可能性としては否定できない。なにせ行方不明とはいえ社員だったんだし、それに給料を振り込んでいたのは――」
大宮は義輝に視線を向ける。
「親会社である陽財閥のあなただった」
義輝はちいさく微笑する。
「ええ。TW企業の社員に給料を振り込んでいたのはわたしです。とはいえ、わたしの方は固定給を振り込んでいただけで、歩合給は百合香が換算して報告していましたけどな」
「つまり行方不明になる半年前から先月までの給料は、固定給だったというわけですね。社員が辞めたという報告がなかった以上、その人は社員であることに変わりがないわけですし」
「凍結させたのは先月……、百合香さんが出張したまま行方不明になってからだった――。彼女から、もしものことがあれば、どちらとも凍結して欲しい云われていたのでしょう」
信乃は少し怪訝な口調で、
「でもさ、なんで赤の他人の通帳まで凍結できたの? だって二年前には離婚していたのよね?」
と言った。
「いや、実際には離婚していなかったんだよ」
皐月の言葉に、信乃は鳩が豆鉄砲を食ったような顔を浮かべる。
「だって、離婚するって言ったって、役所に届け出をしないと駄目だし、そもそも別れた上に、行方が分からない人を社員にしておくなんて考えないでしょ? 自動的に解雇だってできたはずだしね」
ああ、確かに――と、信乃は納得したようなしないような、複雑な表情でため息をついた。
「それにもしかすると、偶然事故を起こしてしまった上で、殺意はなかったという可能性も否定できないしね」
信乃は皐月を睨むように見つめる。
「どうかした?」
皐月は苦笑いを浮かべながら、たずねた。
「いや、まったく……。あんたって昔っから変わらないなと思って」
――まぁ、こんなドロドロした結末じゃぁ、望空さんが可哀想よね。
「あ、そうそう……。ひとつ教えておいてあげるわ。今何月か知ってる?」
信乃にそう言われ、皐月たちは首をかしげる。
「何月って七月だけど?」
「百合香さんが出張したのって、グアムでしたよね?」
「ああ、そうだけど……それがどうかしたのかい?」
「実はその時期って、グアムは雨季になってるんですよ。で場合によっては台風が来ていても可笑しくはない」
「ちょっと信乃? もしかして百合香さんは――」
皐月がハッとした表情で聞こうとした時だった。
コテージに備え付けられていた電話が鳴り響き、信乃以外の全員がそちらに視線を向けた。
「こんな時に、いったい誰から?」
怪訝な表情で義輝は大宮を見やる。
大宮はなにも云わず、電話を取るようにと、合図を送る。
義輝はゆっくりと電話を取った。
「もしもし……」
「あ、お父さん? ごめんごめんやっと連絡が取れたわ」
電話先から聞こえたその声に、
「お、お前……百合香か? 百合香なのか?」
と、義輝は驚いた表情でたずねた。
「ええそうよ。ちょっと? なに? そんな一ヶ月も連絡しなかったからって、死んだ人間が電話してきたような雰囲気は……」
電話先の百合香も、なにがなにやらと言った口調でたずねる。だがしかし、事情を知らないとはいえ、その例えは言い得て妙であった。
「ばかもの! こっちは色々と大変だったんだ。それよりもどうして一ヶ月も連絡をやらんかった。『ほうれんそう』は社会人として最低限の礼儀じゃといつも教えておろうに」
「ああ、ごめんごめん。実はさぁ、出張した翌日に季節外れの台風が直撃して、もう泊まってるホテルの部屋はグチャグチャになっちゃうし、仕事用に持ってきていたパソコンとか携帯も全部おしゃかになっちゃうわで、今まで連絡が取れなかったのよ」
「電話くらい使えただろ?」
「それが、電話線が切れたとかなんとかで使えなかったのよ。それに空港まで四時間もかかる辺境みたいな場所だったから、連絡しようにも今までできなかったわけ」
なんということだ。と、義輝はその場で腰を抜かした。
しかしその表情は、どこか安心していた。
「信乃、あなたもしかしてこのことを望空さんに……」
皐月がそのことを聞こうと、信乃がいた方を振り返った時だった。
「――あれ?」
皐月は首をかしげた。そこに信乃の姿がなかったのだ。
ただ、開けられた窓が、風に揺られてギシギシと歯軋りをたてるように鳴っていた。




