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陸:『文車妖妃』~後~


「皐月ちゃん、寒くないかい」

 パトカーの後部座席に乗っている皐月は、クラブが見えるか見えないかの状態に苛立っていた。

「なんで外に出たらいけないんですか?」

「まぁ皐月さんなら多少のことなら大丈夫でしょうけど、まだ今回の事件と関係しているかどうか分かりませんからね」

 阿弥陀が苦笑いを浮かべる。

「それで、入り口は分かったのか?」

「ああ、あのビルの地下だ。まだ開いてはいなかったけどな」

 先に来ていた岡崎が、薄暗い路地を指差した。淡い橙色のライトが点いているだけで、人の気配がしない。

「それから稲妻神社の神主を襲った少年たちの証言だが、どうやら集合場所は以前と違っていたらしい」

「……以前と違っていた?」

「この前集合したのは『夜の十一時にK町のWビルの近くの公園』だったらしい」

「今回は夜の八時にH市のTクラブ……」

 皐月はすこし考え、

「なんかクイズみたい」

 その言葉に、大宮たちは首をかしげる。

「――クイズ?」

「町の頭文字と待ち合わせ場所が、指定された時間と同じなんですよ」

「同じ……、そうかアルファベット順か」

「そうなると、場所の組み合わせは二十三通りか」

「――十二時は?」

「嬢ちゃんの考えだと、てっぺんはないだろ?」

 西戸崎の言う通り、日付が変わる十二時は〇時である。

「そこは二四時じゃないですかね?」

 皐月がそう言うと、西戸崎はアッとした。

「あなたたち、すこし気配を消したほうがいいですよ。入り口に人の影が見えました」

 阿弥陀の言葉通り、クラブの入り口と思しきビルの玄関に、若い男女が何組か入っていく。

「ちょっと様子を見に行ってくる」

 西戸崎はそう言うと、岡崎を連れて、ビルの方へと歩いて行った。

 が、数分ほどして戻ってくる。

「どうでしたか?」

「だめだ。カップルでないと入れんらしい」

「なんでもカップル限定のイベントみたいでね、しかもクイズを出された」

 ――またクイズ?

 皐月は困った表情を浮かべながら小さく唸る。

「内容は?」

「至って簡単らしい。『アラジンと魔法のランプ』の舞台になった国を答えるだけだそうだ」

「『アラジンと魔法のランプ』って『千夜一夜物語』の?」

「ああ、ガキの頃からあったし、俺たちも知らん話じゃなかったけんね。一応クイズの答えだけでもと答えたちゃけども、ハズレやったとよ」

 その言葉に、大宮と皐月は首をかしげる。

「アラビアって答えたのか?」

 大宮の言葉に、岡崎はうなずいてみせた。

「それだったら最近読んだので覚えてますよ。たしか中国だったと思います」

「中国? また意外な場所だな」

 それよりもよく覚えてるなと、西戸崎は驚きを隠せないでいた。

「多分西戸崎刑事たちの知識はD社のやつかと」

 皐月がアレは元の話をアレンジした作品だと説明する。

「それにしても、カップルですか……」

 阿弥陀は皐月に視線を向けた。

「えっと、なんですか?」

 怪訝な表情で皐月は阿弥陀を見る。

「すみませんが大宮くんと一緒に様子を見に行ってくれませんかね」

 皐月は大宮を一瞥し、「どうします?」とたずねた。

「僕としてはあまりね、でも中に入るにはそうするしかないわけだけど」

「ってもさぁ、阿弥陀警部? どうして吉塚っ……」

 阿弥陀は西戸崎の口を塞ぐ。

「ほら、早くした方がいいかもしれませんよ? どうやらクイズの正解を言えば入れてもらえるかもしれないようですし」

 急かすように言われ、皐月と大宮はビルの方へと駆けていった。


 皐月たちがビルの入り口に入り、奥の階段を降りていくと、次第に明るい音が聞こえてきた。その音の中に甲高いハウリングのような音が混じっている。

 皐月は咄嗟に耳を塞ぎ、苦い表情を見せた。

「こういう音楽は嫌いなのかい?」

「いや、そうじゃないんですけど、なんか妙な音が混じってて」

 大宮は音楽に耳を傾けるが、

「そうかい? うーん僕には分からないな」

 と苦笑いを浮かべた。

 ――大宮巡査に聞こえないってことは、この音って……。

 クラブの入り口に差し掛かると、受付の男性が皐月たちに頭を下げるや、

「本日は貸し切りとなっておりまして、クイズに正解した方のみとさせていただいております」

 と、営業スマイルで淡々と言った。

「そのクイズというのは?」

「『アラジンと魔法のランプの舞台となった国はどこ?』にございます」

 皐月は大宮を一瞥すると、「中国」と答えた。

 受付は正解だのハズレだのなにも云わず、ただ静かに店の扉を開いた。

「入ってもよろしいということですかね?」

 大宮はそう受付にたずねる。が、受付はなにも応じない。

「多分それ以上のことは喋るなって云われているんだと思いますよ」

 皐月の言葉に、大宮は小さくうなずき、皐月の手を掴むや、店の中へと警戒するように入っていった。

 中は薄暗く、足元から薄紫色の証明が店内を照らしているだけで周りは見えにくかったが、設置されたテーブルや、中にいる人の気配は感じ取れていた。

 中央隅においてあるDJブースが照らされ、皐月と大宮はそちらを見やった。

 深々と帽子をかぶっており、サングラスをかけていたが、長い髪に華奢なからだつきから、遠目からでも女性だということがわかった。

『さぁみなさん今宵も楽しみましょう』

 そう言いながら、DJの女性はBGMの音量を上げていく。

 途端、皐月と大宮を除いた男女のカップルたちが悶え苦しみだした。

「これはいったい……」

 大宮は驚いた表情で周りを見渡す。

「……っ?」

 皐月はその場にひざまずき、両耳を塞いだ。

「さ、皐月ちゃん? 大丈夫かい?」

「と、止め……」

 皐月は呻き声を上げる。

「止めろっ! 警察だ!」

 大宮が懐から警察手帳を取り出そうとした(すんで)のところだった。

 近くにいた男たちが大宮を抑えこもうとする。

「くっ! 邪魔をするな」

 大宮が抵抗しようとするが、多勢に無勢というべきか、徐々に押されこまれていく。

 ――大宮巡査が大丈夫ってことは、もしかしてこれってモスキート音? しかも色々な音が混じってる。

 モスキート音とは、音の周波数によって子どもや若者にしか聞こえない音のことを指す。

 クラブの入り口から聞こえていた音楽の中にも混じっていたのだが、大宮には聞こえず、耳が若干悪い皐月ですら聞こえていたのはそのためであった。

 また音に催眠的な効果があれば、大人には聞こえず、子どもだけを催眠状態(この場合はトランスといったほうがいいか)に陥らせることも不可能というわけではない。

「さぁて、そこのお嬢さん。今から私の質問に答えてもらおうかしら?」

 DJの女性が不敵な笑みを浮かべる。

「質問? その前にこの耳障りな音止めてほしいんですけどね?」

 皐月は青ざめた表情を見せる。

「それはいけないわ。これを止めたらみんな普段の生活に戻っちゃうからね。今宵ばかりはみんな悶え苦しみ、そして死を体験するのよ」

 DJの女性はゆっくりと言った。

「質問の前にひとつ聞いていいですか? 先日殺された笹川直介も同じハープを吸っていたってことですか?」

 女性は答えるわけでもなく、ゆっくりと特殊音を入れたトラックの音量を上げていく。

 皐月は表情をしかめ、耳を塞ぐ。

「答える気はないってことですか?」

「そうよ。どうやらあなた達は招かれざる客のようだからね。あなたの質問に私が答える道理なんてないでしょ? それにこっちの質問に答えてくれるだけでいいから」

「それでいったいなにを聞きたいんですか?」

 皐月はそれよりも、この耳障りな音の方に気を取られそうで、普段よりも苛立ちを抑えるのに必死だった。

「すごく簡単な質問よ。ある女性が男性と一緒にデートをしていました。男性は当たり前のように女性にあることをします。女性は男性のことがとても大好きで、そのことを耐えていました。さぁいったいなにをされていたでしょうか?」

 皐月はふと女性の声色に違和感を感じた。最初の、自信に満ちた声とは違い、不安の残った震えた声。

「……もしかしてデートDV?」

 皐月がそう答えると、

「――正解。バカな女は飽きられていることに気付きもせず、その男の彼女であることを誇りに思っていました。ですが男は振り向きもせずさらにその女を傷つけました。そして女性はある手紙を男に渡したのです。それが分かれば私はあなたの前から消えるそう答えてね」

「だが、笹川直介はあのクイズに答えられなかった。文章を読まず、問題だけを読んだんだ」

「竜頭蛇尾って言葉知ってるかしら?」

「初めは勢いがよいが、終わりのほうになると振るわなくなること……」

 皐月はハッとした表情で女性を見やった。

「直介くんは最初はすごく優しかったの。でもねあのハープをやり始めてからひとが変わった。まるでその言葉通りにね」

「なんで止めようとしなかったんですか?」

「止めたって、どうせすぐにやるわよ。だから私がこの手で彼を殺した」

「だったら施設に打ち込むくらいしなさいよ。そういう顔するくらいなら最初から殺さなきゃいいでしょ?」

 皐月は苛立ちが頂点に立ち、とうとう女性――河瀬瞳美に怒りをぶつけた。

「あなたにそんなことできるの? 大切な人が苦しむ姿を見るくらいなら」

「それでも殺すなんて絶対しちゃいけないんだ。もし大切な人がそんなことをしてたら、殺されても、その人をこっちに引きずり戻すくらい……」

 皐月の言葉が途絶える。

 河瀬瞳美がモスキート音の音量を最大にし、周りの若者たちも耳をふさぐように苦しみだしていく。

「あなたになにが分かるのよ。まだ中学生でしょ? 恋愛のひとつもしたことないくせに……」

 河瀬瞳美は入り口の方に視線を向けた。

「――誰?」

 そこにはあきれた表情で河瀬瞳美を見る瑠璃の姿があった。

「いったいどうやって? 入り口にいた受け付けはどうしたの?」

「あなたの出した問題。あれはもともとの本を読んだことがない人にはチンプンカンプンな問題だったんでしょうね。だから招待した人間にしか分からない問題だった」

「そうか、あの問題は普通の反応なら、西戸崎刑事たちと同じように答えてしまうのか」

 大宮の言葉に瑠璃は答えるようにうなずいた。

「人間というのは勝手に自己解釈してしまうんですよ。アラジンと聞けば舞台はインドやエジプトと答えてしまう。それだけあの作品は原作を凌駕するほどに影響があったということ」

 瑠璃は表情を崩すことなく、ゆっくりとDJブースに近づいていく。

「ど、どうして? どうして苦しまないの?」

「モスキート音というのは若者にしか聞こえない高周波数から鳴る音ですからね。私はこう見えて何十年も生きてますから、恐らく聞き取れていないんでしょう」

 瑠璃は一拍間を置き、

「それに……、忠治くん。被害者は心臓にナイフを一突きでしたね。ですがそれは人がやったことですか?」

 その言葉に、大宮はアッと声を上げた。

「多分あのモスキート音だと思います。この人たちみたいにあの脱法ハーブをやっていたとしたら――」

「まさか……、自殺?」

「恐らくBGMかなにかに編集して送ったんでしょう」

「だけど私がしたという証拠には」

「あるんじゃないんですか? あの日私とすれ違った時、あなたは笹川直介と電話をしていた。大宮巡査、被害者の携帯に通話履歴があったんですよね?」

「ああ、でも殺された時間とはだいぶ離れている」

「恐らく握っていたあのメモに細工をしていたんでしょうね。あの紙がモザイク調のものだったのは、画像の下にふたつの点があって、画面から近づいたり離れたりすると絵が浮かび上がるというのと同じものだった」

「それじゃぁ笹川直介は目が悪かった?」

 皐月の言葉に瑠璃は否定するわけでもなく

「いえ、恐らく見えにくかっただけだと思いますよ」

 そう言いながら、瑠璃は河瀬瞳美を見やった。

「あなたは運がなかった。ただそれだけのこと。それでも彼を大事に思っていたのなら、私も皐月と同じようなことをするでしょうね。生きてもらわないと助けた意味なんてないですから」

 瑠璃はゆっくりと若者たちに視線を向ける。

「そうそう、湖西主任や(ゆえ)から聞きましたが、あのハープは痩せるとか綺麗になるとかそんなありきたりな嘘で売っていたそうですよ」

 若者たちは自分たちよりもちいさい瑠璃にたじろぐ。目の前にいるのは少女ではなく、違う次元の『なにか』だった。

「まったくあなた達は、流言飛語という言葉も知らないんですか? そんなものがこの世にあると思います? みななにかしら努力をして体型を維持してるんですよ。それを痩せるなんて簡単な文句で釣られて、あなた達はあれですか? 良い香りのする花にホイホイと誘われて、食虫植物に食われる虫ですか?」

 皐月は瑠璃の表情に震えが止まらず、見ることができなかった。

 閻魔は畏怖される存在ではあるが、弱い存在には聖母のように優しい一面がある。地蔵菩薩でもある閻魔が賽の河原で石積みをする子どもを助けたり、六道を廻って弱い死者を導くなどといった逸話もあるからこそ、人々から自然と信仰されていた。

 そんな閻魔王である瑠璃が若者たちに見せた表情には、微塵も感情というものがなかった。

 その後、阿弥陀たちがクラブの中に突入し、河瀬瞳美やハープを吸っていたと思われる若者たちは全員連行されていった。


「瑠璃さん」

 皐月は恐々とした表情で、瑠璃に声をかけた。

「どうかしましたか? 皐月」

 その優しい声に皐月は気が緩む。いつもの瑠璃である。

「いや、あの時の瑠璃さんって怖かったから」

 瑠璃はちいさくため息をつくと、

「皐月、怒ると叱るの違いって分かります?」

 そう聞かれ、皐月はちいさく首を振った。

「怒るというのは相手を一方的に責めますが、叱るというのは相手のことを思って、あえて憎まれ役になることなんですよ」

 瑠璃はそう言うと、顔をうつむかせる。

「ただ、彼らにはどちらもできなかったんですよね。アレだけ危険だと分かっているのに、手を出していたんですから」

「皐月ちゃんは呑めば痩せる薬が本当にあったら試してみたくなるかい?」

 大宮にそう聞かれたが、皐月はハッキリと、

「全然欲しくもないですね。そもそも私太らない体質みたいですし」

 と、そう言うや、俯いていた瑠璃は失笑した。

「なんですか?」

 あまりに不意だったため、皐月は怪訝な表情になる。

「いえ、拓蔵から聞いたんですが、この前夜中起きた時にお腹が空いたとか云って、未使用だった六〇〇グラムのホットケーキミックスの粉を全部使ったとか。いくらお腹が空いていたとはいえ、全部使うとは女の子としてどうなんですかね? 太りにくい体質とはいえ」

 瑠璃は笑いが止まらずお腹を抑える。その隣で唖然とした表情で皐月を見る大宮と、耳まで赤面している皐月があたふたと瑠璃になにかを言おうとしていたが、言葉になっていなかった。

 ――本当は執行人として動いていると一般の人よりも消費が激しいだけなんですけどね。

 瑠璃はゆっくりとパトカーに乗せられていく河瀬瞳美に目をやった。

「それにしても想い人を一途に思うというところは昔と変わらなかっただけ褒めますよ。文車妖妃」

 大宮と皐月は瑠璃の言葉に驚きを隠せなかった。

 が、声をかけられた河瀬瞳美は表情を変えず、静かにパトカーに乗った。


「彼女が妖怪だっていつ分かったの?」

「殺された笹川直介のケータイに送られていた媛坂円香のメールですよ。その人物のものだけパソコンのフリーメールだったんです。恐らく身元が判明されないようにでしょうね。会ってみたいという内容でしたが、一度も会おうという内容はありませんでした」

「まぁ偽ってメールをしていたんだ。会ってしまっては意味が無いでしょうしね」

 大宮は皐月を一瞥する。

「あの人、どっちが本当だったのかな? あの時私だったそうするかもしれないって思って怒鳴っちゃったけど、あの人も苦しんだ結果選んだんだよね」

「――それでも人を殺すと言うのは大罪です」

 瑠璃はそう言いながらも、皐月を優しい目で見る。

「どうかしたんですか?」

「いえ、あなたのように人のことが思えるのも考えものだと思いましてね」

 その言葉の真意が分からず、皐月は怪訝な表情を見せた。


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