陸:『文車妖妃』~中~
「目撃者がいない?」
警視庁に戻った阿弥陀と大宮が、聞き込みに出ていた佐々木や岡崎の報告を聞き返していた。
「時間が時間じゃったからのぉ、あの車両で殺人が起きていたなんて誰も思わんじゃろうて」
佐々木はお茶を飲みながら言う。
「防犯カメラにも、終電が到着した時に現場となった車両から出て行く人物は居なかったんだよ。まぁ、その前に他の車両に移られていたとしたら……」
「探すにも犯人の特徴すら把握できてませんからね」
そう言いながら、阿弥陀は鑑識課を見る。
「期待しても無駄じゃぞ。携帯の電池が取られとる。犯人はかなり計画的みたいじゃな」
「合うやつは?」
「今、愛にお願いしてコンビニに行ってもらっとる」
そう話していると、女性巡査である吉塚愛が刑事部に戻ってきた。
コンビニ袋から、携帯の電池代わりになる機械を取り出し、被害者の携帯の充電フラグに差し込んだ。
「通話はほとんどしておらんな。たいていメールで済ませておるようじゃ」
通話、着信履歴を調べると、最新のものでも、事件が起きた日の夕方六時であった。
「通話はなし。着信に『河瀬瞳美』という人物からの電話しかないな。ほかはほとんどメールでもないようじゃし」
「無料通話アプリとかじゃないですかね?」
そう言われ、湖西は携帯を扱おうとしたが、使い方がいまいちよく分からず、大宮に携帯を渡した。
「ほとんどこの通話アプリでやってるみたいですね。未読メッセージがだいぶたまってますよ」
大宮は一瞬手を止めた。調べるためとはいえ、人に送られたメッセージを見るべきだろうかと。
が、そんな大宮の気持ちを知ってか知らずか、阿弥陀がさっさとメッセージを開いた。
「今度の待ち合わせの確認みたいですが――んっ?」
阿弥陀は一瞬目を疑った。
「大宮くん、これはちょっとやばいんじゃ」
そう言いながら、阿弥陀はメッセージを指差す。
そこには『アプァハラナ』と書かれていた。
「これがどうかしたんですか?」
大宮が首をかしげる。
「近頃流行っとる脱法ハーブじゃよ」
「それじゃぁ、被害者はそれを吸っていたってことですか?」
「もしくは売人の方かもしれませんね。メールを見ると、かなりいい値段で交渉していたみたいですし」
阿弥陀はメール画面を開き、同じ人物が目立っていることに気付く。
「『媛坂円香』という人物からのメールが多いですね。あとは友達でしょうか?」
「メールだけではな、本人がどこに居たのかというアリバイにはならんし、まったく関係なく、彼女かもしれんしな」
佐々木は困り顔で頭を垂れる。
阿弥陀はちいさく欠伸を浮かべ、掛け時計に視線を向ける。針は日付が変わって三時を指していた。
「今日はもう遅いですし、一度みなさん御自宅に戻って休みましょう。捜査は明日早くに再開ということで、無理は禁物ですからな」
阿弥陀にそう言われ、大宮たちは了解した。
翌日の夕方、学校帰りだった皐月は、稲妻神社近くの住宅街で唖然としていた。
「おう、皐月か? おかえり」
祖父である拓蔵が、まったく何事もなかったかのように笑顔で対応する。が、皐月は拓造が尻にしているものに目をやっていた。
「はなぁせぇっ! はなぁしやぁがぁれぇ! このクソジジィっ!」
と、高校生と思わしき少年や大学生の男性の計四名が、それこそ死屍累々と言わんばかりに積もられていた。その上に、逃げないようにと拓蔵が座っているのである。
「なんかあったの?」
「さっきまで散歩しておったらな、小童どもが急に襲ってきたんじゃよ。ほれなんじゃったかなぁ、オヤキガリじゃっけ?」
「『オヤジ狩り』のこと?」
皐月はそう言いながら、少年たちを見た。
「てめぇ、殺し……ぐほぉらぁ?」
少年の一人が『殺してやる』と言おうとした時、拓蔵が重心をずらした。ただでさえ重たい状況であるため、重心がズレただけで重みが違ってくる。
「その言葉はなぁそう安々というものではないんじゃよ? それにのぉ、あんな物騒なもんもたんと襲いもできんのか?」
拓蔵はあきれた表情で地面に落ちているバットやナイフを見やった。
「あのぉ、一応見かけない顔だからここらへんの人じゃないんだろうけど……。生半可な気持ちで爺様を襲うって、それ自殺行為だから」
皐月は中腰になって少年たちを見る。少年たちは食って掛かるような表情で睨むが、皐月は顔色一つ変えない。
普段、人ならぬものや、少年たちの顔以上に怖いものを見ているため、少々のことでは動じないのである。
そう話していると、騒ぎを聞きつけた誰かが通報したのだろう、交番勤務の警官が二人ほどやってきた。
「通報があったのはここらへん……、なにをしてるんですか?」
やってきた警官が驚いた表情で周りを見る。
拓蔵が状況を説明するが、警官たちは信じられないと言わんばかりであった。
それもそうだろう。襲われた当の拓蔵がケロッとしていて、襲いかかった少年たちが、今にも死にそうなほどに苦痛の表情を浮かべているのである。
「おや? 君はたしか京本先輩の時に」
「お久しぶりです黒川元警部どの」
若い警官の一人が拓蔵に向かって敬礼する。他の制服警官たちも同様の仕草を見せた。
「け、警察……?」
少年たちの表情が一気に青ざめていく。
「あの黒川元警部どの、そろそろ降りてもらわないと我々も彼らを連行できないのですが」
そう言われ、拓蔵は少年たちの上から飛び降りた。
「てめぇっ!」
開放された少年の一人がうしろから拓蔵を襲いかかろうとしたが、まるで合気道のように、襲った本人はなにが起こったのか分からないまま、気付けば天を仰いでいた。
「ほらぁ、おとなしくしろっ!」
警官たちがうしろから少年たちの手を縛り上げ、パトカーに乗せていった。
「――あれ?」
少年たちが積もられていた場所に紙切れが落ちているのを、皐月は見つけた。
「えっと、『今日の夜八時、H市のTクラブ』?」
書かれている文字は妙に機械じみていた。縁をボールペンでなぞられているのだが、白抜きされていたり、シャーペンか鉛筆で塗られていたりしている。どう見ても七面倒なことをしているなと思った。
「どうかしたのか?」
拓蔵が顔を覗き込むような形で、皐月にたずねる。
「さっきの人たちが落としていったんだけど」
「クラブか……、さっきの少年たちの行動といい、きな臭いな」
皐月は鞄から、携帯を取り出す。
「どこかにかけるのか?」
「うーん、女の勘ってわけでもないんだけど、一応阿弥陀警部に連絡しておこうかなって」
拾ったメモを制服のスカートのズボンの中に入れてから、携帯を取り出し連絡を入れるや、阿弥陀から今日の晩、稲妻神社を訪ねに来ると言われ、拓蔵にそのことを話すと、拓蔵は了解するようにうなずいてみせた。
「脱法ハープか」
予定していた時間よりすこし遅れて、阿弥陀たちが稲妻神社に訪れたのは夜の七時を過ぎた頃だった。
「皆さん食事中なのにすみませんな、こんな話を肴にしてしまって」
そう阿弥陀が謝りを入れる通り、拓蔵と三姉妹は夕食の途中であった。
「別に大丈夫ですよ。それにしても被害者が握っていた暗号がこれなんですね。だいぶぼやけてるけど」
皐月は大宮の携帯画面を覗き込む。
証拠を持ってこれない以上、大宮が例のメモを写真に撮っていたのである。
「ものが小さくてね、それに僕写真撮るの苦手なんだよ」
「でもこれって、内容を読めばすぐに分かるね」
「いつも漢字を使っていたってことは、数字も漢字だった。この数字は漢字に直すんじゃなくて、画数ということになるね」
そう言いながら、葉月は、廊下の電話台に置いてあるメモ帳から一枚紙を破り取り、『445224』の前に、1から10までの漢字を書いていく。
「えっと、画数が2は二・八・九・十。4は五・六。5は四だけだね」
「それじゃぁその中から言葉になる数字を見つければいいわけだ」
葉月は色々とパターンを書いていく。
「三文字目は四だから、こうなって……出来た」
メモには『五六四十八六』と記される。
「『五六四十八六』……殺してやるということか」
「しかし、レタリングされているわ、容疑者が誰なのか分からないはで少々捜査が滞ってるんですよ。しかも連絡先が分かる二人の女性のアリバイも完璧でね。おふたりとも笹川直介が殺された時間、別々のバーにいたという証言もあったんですよ」
阿弥陀はそう言いながら、懐に手を入れた。
「お願いできますか?」
そう言いながら、阿弥陀は笹川直介の遺体が写った写真を葉月の前に差し出す。
「その前に、ご飯食べ終わってからでいいですか?」
葉月にそう言われ、阿弥陀は了承するようにうなずいた。
「それじゃぁ始めるね」
葉月は片付けられた自分の手前に写真を置くと、ゆっくりと深呼吸する。
そしてゆっくりと手を写真の上に手をかざすと、おもむろに目をつむる。
「女性の声が聞こえる」
「どんな感じか分かりますかね?」
「えっと、一人はなんか荒っぽい声を出してて、すこし離れたところで喧嘩を止めてる声も聞こえる」
「二人いたってこと?」
「あ、なんかアナウンスみたいなのが聞こえ――」
葉月は言葉を途中で止めると、ガクンと肩を落とした。
「アナウンス? たしか現場は電車の中でしたよね? そうなると車内アナウンスってことかな?」
「葉月、その後はなにが聞こえた?」
拓蔵がそうたずねると、葉月は虚ろな目で、
「それからドアが閉まる音が聞こえて、電車が走りだして」
コクリコクリと頭を項垂れながら葉月は答える。
「アナウンスはどこだって言ってた?」
弥生がそうたずねようとしたが、葉月は霊視に疲れたのか、そのまま眠りに就いていた。
「肝心の場所が分からないんじゃどうしようも」
「思ったんですけど、死亡推定時刻から電車の到着時間を割り当てることってできなかったんですか?」
「いやその考えもあったんだけど、できなかったんだよ」
大宮の言葉に皐月たちは首をかしげた。
「脱法ハープの作用なのか、車内の冷房のせいなのかどうか分かりませんが、遺体の腐敗進行が分からないんですよ。しかも血は止まっていないのに遺体は冷凍室に入れたみたいに冷たくて」
「ミステリーでよくある、体温を調整しての死亡推定時間をいじるってやつですか?」
「たぶんね。まぁどこで殺されたのかが分かればいいんだけど……」
皐月は自分の膝を枕にして寝ている葉月を複雑な表情で見下ろす。
「明日起きた時にでも続きは聞けないのかい?」
大宮の言葉に、皐月は首を振った。
「霊視した記憶はその時までしか覚えていないんです」
「それじゃぁいつ殺され……、いやちょっと待て」
大宮はそう言いながら、懐から手帳を取り出す。
「皐月ちゃん、神主が襲われた時に拾ったというメモは持ってる?」
皐月は一瞬、大宮がなにを云ってるのか分からなかった。あの時、傍から見れば襲われていたのは拓蔵ではなく少年たちの方である。
そのため、襲われたという言葉に違うだろと皐月は勘違いていた。
「あ、メモ……。えっとコレですけど」
そう言いながら、皐月は胸ポケットに指を入れたが、手に感触がない。
「あれ? どこにやったかな?」
皐月は服のポケットを手当たり次第探すが、見つからない。
「皐月、お前さんあの時は学校帰りじゃったろ?」
あきれた表情で皐月を見ていた拓蔵にそう言われ、皐月はアッと声を上げた。
「ちょっと失礼します」
少々顔を紅潮させながら、皐月は自分の部屋へと上がっていった。
それから数分ほどたって、皐月が居間へと戻ってくる。
そして例のメモを阿弥陀と大宮に見せた。
「やはり、同じものでしたか」
阿弥陀の言葉に、皐月は首をかしげる。
「実はね、被害者の携帯メールにも似たようなものがあったんだ。多分殺されなかったらそこに行く予定だったんだろう」
「少々気になりますな」
阿弥陀はそう言うと携帯を取り出し、
「ああ、私ですけど、ちょっと今から言う場所を調べてくれませんかね? ええ、薮蛇でなければいいんですけどね」
岡崎たちに連絡を入れ、S市のTクラブを調べるよう命じた。
「僕達もそこへ行くけど――」
立ち上がりながら、大宮は皐月を見やった。
「皐月どうかした?」
「その脱法ハープの名前って意味とかあるんですか?」
「多分ないんじゃない? ああいうのはだいたい格好良くつけるくらいだから、ほら洋服に英文が書かれている場合があるでしょ? あれってデザイナーがかっこいいからってだけでつけているってのがほとんどらしいわよ」
弥生にそう言われ、皐月はすこし考える。
「やっぱり様子を見に行くだけでも……いいよね? 爺様」
「別にわしに止める権利はないと思うんじゃがな」
拓蔵は片目を瞑り、皐月を見やった。
「それじゃぁ行きますかね」
阿弥陀がそう言うと、大宮と皐月はうなずき、神社を後にした。
それを見送ると、拓蔵はおもむろに立ち上がる。
「爺様、どこに?」
「ちょっとトイレじゃよ」
そう言いながら、拓蔵は居間を出る。
すこし歩き、薄暗い廊下の中、自分の後ろにちいさな気配を感じた。
「瑠璃さんかえ」
その問いかけに、瑠璃は答えた。
「いつから来ておった?」
「阿弥陀たちが来訪したあたりから」
つまり最初からではないかと、拓蔵はちいさく笑う。
「それで、閻魔王である瑠璃さんは、今回の事件どう見ておるんじゃ?」
そう聞かれ、瑠璃は複雑な表情を浮かべるが、すぐに真剣な表情で、
「それよりも、インド神でもある私としては、すこし気になることがありますけどね。おそらく偶然かもしれませんが」
と答えた。
地蔵菩薩、もとい閻魔はもともと『ヤマ』と云われているヒンドゥー教の神である。
「脱法ハープの名前である『アプァハラナ』というのは、ヒンディー語で『人さらい』という意味なんですよ」
瑠璃の言葉に拓蔵は喉を鳴らした。
「偶然ではないのか? さっき弥生が言っておったじゃろ、カッコつけて適当にという可能性もある」
「それは親しみやすい英語のロゴだからでしょう。ヒンディー語なんて、そう滅多に見かけませんからね」
そう言いながら、瑠璃は静かに姿を消した。その時、瑠璃の表情がすこし影があり、拓蔵は何事かと首をかしげる。
が、消えてしまった以上話すことはできず、拓蔵は用を済ませ、居間に戻った時、壁にかかったカレンダーを見るや、頭を抱えた。
――なるほどなぁ、瑠璃さんにとって今日は特別な日じゃったのをすっかり忘れておった。
カレンダーには『七月一六日』と記されていた。
この日は『後の藪入り』と云われており、別名『閻魔王の休日』とも云われている。もうひとつ、『一月一六日』もそうであり、今で言う正月休み、盆休みに当たった。
もともと閻魔王が罪のある亡者を責めるのをやめる賽日とされており、この日に各地の閻魔堂や十王堂(地獄における裁判を執り行っている十王を祭ったお堂)で開帳が行われ、縁日が催されていたりする。
瑠璃にとって、この日を楽しみにしていたのだが、事件が発生しており、阿弥陀たちが拓蔵たちを頼りに来ていたことを知っていたため、自分だけ浮かれるわけにもいかなかったのであった。




