伍:『火車』~中~
翌日、朝食の時であった。
「あ、おはようございます。神主は起きてますかね?」
電話先から阿弥陀の声がし、電話に出ていた皐月は拓蔵を呼び出した。
「ああ、阿弥陀警部。それでなにか分かったかのかえ?」
「はい。まずは僧侶の件ですが、彼に犯行は無理ですな。そもそも遺体が亡くなったのは彼が席を外した後でしょ? それに隣の部屋で茶を飲んでいたそうですよ」
阿弥陀は一度間を置いて、
「それからあの傷跡ですが、猫が引っ掻いたものではないかという見解ですな。それと神主が気にしていた京本福介に関する噂ですが」
まるで苦虫を噛むように渋った声で、
「こちらとしては、話したくても話せない状況なんですよ」
「止められておる……ということか?」
「お察しの良い方で」
拓蔵はちいさく、はっきりとため息をついた。警察が発表できない、調べられたくないこととなると大抵いい話ではない。
「それで、りつさんや雨音さんはどうじゃ? さすがに父親の遺体がなくなったんじゃ、動揺はしておろう」
「それが、昨夜通夜が中止になったじゃないですか、それで告別式もやるのかと思ったんですが、どうやらやらないようなんですよ」
阿弥陀の言葉に、拓蔵はすこし違和感を覚えたが、
「まぁ、通夜と一緒に告別式もやる予定だったんじゃろ」
自分に言い聞かせるように言った。
「それってちょっと可笑しくない?」
拓蔵から事件の内容を聞いた弥生が、怪訝な表情を見せた。
「一瞬のうちに死体を動かすねぇ。爺様はその京本福助の遺体は見てるんだよね?」
「棺はフタをされていない。綺麗な死化粧をしておったよ」
「シーツは、してたの?」
葉月にそう聞かれ、拓蔵はうなずく。
それを聞きながら、皐月は箸先を口に加えながら、拓蔵を見やる。
「皐月、行儀が悪いぞ」
「……ちょっと朧気なんだけど、いいかな?」
拓蔵は怪訝な表情を浮かべる。
「なんじゃ? こっちはちょっとイラッときとるんじゃが」
「その僧侶って、『枕経』で来てたんじゃない?」
「枕経か……、しかし通夜が始まる前に終わるものじゃし、今回の通夜は告別式も通してのことだったかもしれんしな」
うーんと唸りながら、拓蔵は言った。
「こういう時にあの子がいたらね?」
弥生が皐月を見ながら言った。その言葉に答えるような形で、皐月は複雑な表情を見せる。
「あ、ごめん……。そろそろ時間ね、あんたたちも遅くならないように」
弥生は、逃げるような形で食器を片付け、台所へと消えていった。
「そう言えば昨日テレビで云ってたけど、京本福助の死因は酔っ払って転落してのことみたいだね」
「うむ。ソレに関して妙な気がするんじゃよ。先輩はわしとは真逆の下戸でな、まったく酒が呑めん人じゃった。阿弥陀くんが伝えられないことでもなかろうに」
「他にもあったんじゃない? 個人の名誉に関わることだったとか」
拓蔵はちいさく険しい表情を見せたが、その考えも少ながらずあった。
「皐月お姉ちゃん、私たちもそろそろ」
葉月に言われ、皐月は時計を見やった。時刻は午前八時を回ろうとしている。
「片付けはわしがしておく」
拓蔵にそう言われ、二人は急いで食事を済ませた。
拓蔵は、事件現場となった施設へと出向き、周りを見渡した。
「これはあの時の」
昨夜、拓蔵に色々と文句を言っていた若い警官がやってくるや、手のひらを返したように敬礼をする。
「あの後佐々木刑事からお聞きしましたが、なんでも凄腕の刑事だったとか」
拓蔵はあきれた表情でため息を吐く。
「わしは部外者なんじゃがな?」
「あの後私たちで調べたのですが、あの停電の間、棺に触れたのは葬儀屋のスタッフと親族以外には考えられませんね」
若い警官は、ちいさく苦笑いを浮かべる。
「正座には慣れていませんで、若い警官たちは足がしびれて動けなかったんですよ」
「じゃが、棺のフタはされておらんかったし、遺体そのものが消えるとは思えんな」
「それで阿弥陀警部から口止めをされているのですが、実を言うと京本は引退する前から妙なことに首を突っ込んでいたんです」
「事件か何かか?」
「いえ、中学二年生の自殺です」
「――自殺?」
「我々は自殺としているのですが、現場検証を繰り返していくうちに、その死因が自殺のものではなく、なにか睡眠状態で突き落とされたものだったそうなんです」
「それは警察も分かってたのだろ? きちんとした死因が出たのなら、それを捜査訂正に出すものだが」
若い警官はすこし顔を俯かせ、
「それが上の指示でできなかったんですよ。で、京本はその日から人が変わったみたいに奥さんや娘さんに虐待をしていたようなんです」
と、周りに聞こえないよう、呟くように言った。
拓蔵は険しい表情を見せ、信じられんなと一言添えた。
「ひとつ聞きたいんじゃが、それは引退する前の話か?」
「ええ、最後に京本が捜査長をした事件ですね」
「たしか京本先輩の年齢はわしより五つ上の六五歳ほどじゃったな」
頭をかきながら、拓蔵はたずねるように言う。
「そうなると、先輩が刑事を辞めなければ今年で定年退職だったわけですか?」
うしろから佐々木の声が聞こえ、拓蔵と若い警官はそちらに目をやった。
佐々木は、険しい目を若い警官に見せ、
「今は捜査中じゃ。持ち場に戻られい」
そう注意するや、若い警官は敬礼をして、現場へと去っていった。
「先輩。我々も協力をお願いしたいのは山々なのですが、内容が内容ですからね」
「分かっておる。身内の悪事を詳しく言いたくないというのは、どこの世界でも同じじゃろうて……」
拓蔵は佐々木をジッと見つめる。
「京本先輩が最後に捜査していたという自殺事件の被害者の死因はどうだったんじゃ?」
佐々木はちいさく首をかしげた。今回の事件の詳しい内容を聞かれると思ったのだ。
「そうですね。その事件の被害者はアルコール性の薬を湿らせた布で被害者を眠らせ、ビルの屋上から突き落とした。まぁ自殺した少女自身にも問題があったそうですが」
「――問題?」
「不良とつるんでいたらしいんですよ。アルコールも飲んでいたらしくてね。そのビルの屋上には何本かビールの空き缶が捨てられていました」
「つまり、酔っ払った時にフェンスに寄りかかったさい、柵が壊れて転落したということか……。しかしなぜそんな状況で自殺になった?」
「現場には彼女以外の指紋がなかったんですよ」
――なるほど、それが自殺と処理された理由か。
拓蔵は苦虫を噛み締めたような表情を浮かべる。
「納得いきませんか?」
「そこまで分かって自殺と処理した理由がな。京本先輩の死因も同じものだったんじゃろ?」
「どこでそれを?」
その質問に、拓蔵は皐月がテレビで聞いていたと説明する。
「さすがにそこまでは手が回りませんでしたな」
「しかし妙じゃな、偶然とはいえ死因が一緒か」
「それともうひとつ……」
佐々木が人差し指を立てながら言った。
「少女の遺体が発見された現場なんですが、小動物の焼死体が発見されているんですよ」
「……猫か?」
その言葉に、佐々木は目を大きく広げた。
「よく分かりましたね。何も言っていませんのに」
「今回の事件。仮に妖怪の仕業じゃとしたら、『火車』じゃろうからな」
「通夜に現れ、罪人の魂を連れて行くという妖怪ですな。しかしそうなると、京本は罪を犯していたということになります」
「うむ。京本先輩がその事件になにか関わっていたことは間違いないじゃろうな」
拓蔵はすこし考え、
「りつさんや雨音さんは御自宅かえ?」
そうたずねると、佐々木はうなずくように答えた。
「一応話を聞いておくかな。なにか知っておるかもしれんし」
「結局、先輩はそういう人なんですね。我々が止めようとしてもそうやって単独行動を取る。だから上から嫌われて公安に左遷されたんですよ?」
佐々木があきれた表情で言うや、
「わしは長いものに巻かれるのが嫌いなだけじゃよ」
まるでおもちゃを見つけたこどものような笑みを浮かべながら拓蔵は答えた。
「それにな、真実を自分たちの都合で揉み消されるのは、親族を失った家族からしてみれば信じられんことじゃからな。じゃからこそわしは傷つこうが傷つくまいが真実は知ったほうがいいと思っておる」
「六年前の事故……、あの子には教えているんですか?」
そう言われ、拓蔵は佐々木から視線をそらした。
「ほら、先輩はそうやって……」
あきれた表情で佐々木が言うと、
「警察が分かっていないことを話しても、あの子を混乱させるだけじゃろ? わしだってそれくらい考慮しておる」
すこし苦笑いを浮かべながら、拓蔵は言い返した。
「――話を元に戻すが、自殺と判断された少女の指紋しかなかったんじゃな」
その問いかけに、佐々木はうなずく。
「元身内を貶す気は毛頭ないが……バカじゃろ」
「まぁ、バカでしょうね。被害者の指紋しかなかったからといって、事件を簡単に自殺として処理したんですから。ハンカチかなにかで指紋をつけないようにするのなんてね」
「ドアを開けたのだって、彼女だけだったかもしれんしな」
「入口のノブに被害者の右手で持った指紋しかありませんでしたし。アルコールも実を言うとバランスが可笑しいんですよ」
「バランスが可笑しい?」
「先輩は蟒蛇ですから多少強い飲酒では酔わないでしょうけど、現場にあった五百ミリのビール缶五本では死亡推定時刻と食い違うんですよ」
「確かアルコール検出されていたな」
「未成年ですから大人と違って酔いの早さは違うでしょうけど、だからといって発見された状態でアルコールが残っているのも考えものですな。それから……通報は男性だったようです」
「体内が活性化していればアルコールは抜けるが、死んでしまっては抜けん。死ぬ直前まで飲んでいたということになる」
「まぁ、遺体の上に柵が乗っていましたけどね」
「柵が壊れて落ちたんじゃろ? じゃったら普通は下になるはずじゃがな」
「どうやら、はじめに壊れた時はネジが残っていて、それが後から取れたみたいですね」
「わざとという考えもあろう」
「なるほど、それだと他殺の可能性もありますな」
佐々木の言葉に、拓蔵は怪訝な表情を浮かべる。
「どうかしたんですか?」
「先輩も転落したんかなと思うてな」
「それはテレビでも言っていたでしょ? 酔った勢いで転落してしまった。不運にも似たようなものでしょ?」
「やはり京本先輩が亡くなった日の様子をりつさんに直接聞いたほうがいいな……」
「あ、それから先輩」
佐々木は身を屈めるように、拓蔵に近付く。
「実は湖西刑事が少女の検視をした時に分かったんですが、少女の腕に注射の痕があったんですよ。調べたところ血液検査の注射をした日だったみたいで、捜査会議では話の種にもなりませんでしたけどね」
それを聞くや、拓蔵は……、なにか分かったかのような小さな笑みを浮かべた。
「へぇくしょんっ!」
大きなクシャミをするや、皐月は周りを見渡した。
「皐月、風邪?」
同級生の飯塚萌音が覗き込むようにたずねる。
「あぁ……、多分あれだと思う」
皐月は嫌そうな表情で目の前の小動物を指差した。
「猫嫌いだっけ?」
「いや嫌いじゃないんだけどね、アレルギー持ってるから。幼稚園の時の遠足なんて、ライオンとか虎の前を通っただけでクシャミが止まらなかった」
そんな皐月を気遣ってか、ただの気まぐれか、目の前の黒猫はゆったりとした足取りで去っていった。
皐月はそれを目で追いながら、
「私は別に好きでも嫌いでもないけど、アレルギーで好きな人って辛いんだろうね」
と言った。
「皐月の場合はあれかしら? ケーキが食べたくても小麦とか卵アレルギーで食べれないとか」
「冗談でも怒るわよ。そういう場合は米粉とか卵の黄身を使わないとか色々と出来るんだから」
ムッとした表情で皐月は言ったが、内心はあまり怒っていなかった。
「あ、そうそう皐月はさ、点滴とかってしたことある?」
そう聞かれ、皐月は否定するように首を振った。
「私のおじいちゃんがね、よくアルコールを抜くために点滴するのよ。この前も二日酔いで病院に行ってたし」
「うちの爺様も結構呑むけど、休肝日だっけ? 大量に呑んだ時の翌日はお茶だけって日もあるなぁ」
「それでね、おじいちゃんの腕のところに注射器の痕が残ってるのよ。いつも同じ所を挿してるから皮膚が形を覚えてるみたい」
萌音は、腕の内側の、ちょうど曲がるあたりのところを指で示した。
「本人は慣れてるだろうけど、見てるほうは……ねぇ?」
そう言いながら、萌音は眉を八の字に曲げてみせる。
「まぁ、水分補給が必要だって言うし、点滴なら間違いなく体内に入るからね」
皐月はそれを聞きながら、ふと違和感を覚える。
「ちょ、ちょっとごめん……。私一回家に帰るね」
「う、うん。あとで連絡してよ」
「分かってる」
皐月は急いで家へと帰っていった。
実家である、稲妻神社の母屋の玄関に入るやいなや、
「爺様いる?」
と、人を呼び出すように皐月は叫んだ。
が、誰も居ないのか、家の中はシンとしている。
「葉月、姉さん、誰も居ないの?」
もう一度声をかけると、居間の障子戸が開いた。
「なんですか? 帰ってくるなり喧騒な声を立てて、女の子だったらすこしはおしとやかにしたらどうです?」
そこから出てきたのは割烹着姿の瑠璃で、皐月をあきれた表情で見据えていた。
「瑠璃さん、なんでそんな格好してるの?」
「遊火から、弥生が今日は遅くなるからと聞きましてね。皐月は料理は得意でしたっけ?」
質問に答えながら、瑠璃はこどものような悪戯心のある笑みを浮かべる。
「に、苦手です。目玉焼きすらうまく焼けないくらいですから……って、そうじゃなくて、爺様はいないんですか?」
「拓蔵だったら、多分今回の事件現場に行ってるんじゃないでしょうか?」
話が見えず、瑠璃は首をかしげる。
「それじゃぁちょっと聞きたいんですけど、酔っ払った人が死んだ場合、アルコールって体内に残るんですか?」
「そもそもアルコールは血流を巡って脳に到達し、酔を促します。アルコールの強さによって違いますが、ウォッカやジンといった強いアルコールだと弱い人なら瞬間で酔いますね。遺体に検出されるエタノールですが、実を言うと直前に飲酒したとしてもエタノールの死後産生にはまったく影響がないんですよ」
「つまりまったく関係がないってことですか?」
「法医学で言うと、エタノールの死後産生は『飲んでいない人』でも起こりうるんですよ。ただ今回の場合は発見されたのは亡くなってから一日とたっていないので、肝臓などから検出されるエタノールの量は厘ほどしかありませんが」
厘とは小数第二を指す。皐月はそれを聞きながら、
「それじゃ例えば爺様が大量に酒を呑んだ場合と、下戸である京本福助が同じ量を呑んだ場合だとどうなるんですか?」
とたずねた。
「拓蔵の場合は、そもそもアセトアルデヒドから酢酸に変化させるスピードが人並み外れていますからね。それにああ見えて無茶な飲酒はしないよう気を付けているみたいですし。下戸の人はそれが遅いので身体に残るんですよ。あ、エタノールからアセトアルデヒドに変化するスピードは上戸だろうと下戸だろうとまったく関係がありません」
「それじゃ聞きますけど、死体にアルコールを入れるなんてことは出来るんですか?」
皐月は、萌音から聞いた話から考えだした自分の推理を瑠璃に説明する。
話が終わった時、玄関の戸が開いた。
「爺様……?」
呆然と立ち尽くす拓蔵を、皐月と瑠璃は見つめる。
「その話、もう一度最初から聞かせてくれんか?」
そうお願いされ、皐月はもう一度説明する。
話を聞き終え、拓蔵はすこし考えると、
「なるほどな……、それなら偽造も可能じゃろう」
「誰もアルコールを注射器で体内に入れるなんて考えつきませんしね。京本福助が捜査していた事件の被害者であった少女の体内にアルコールが検出されれば、ベテランでも飲酒していたと思ってしまいますし、発見された廃ビルの屋上にビールの空き缶があって、壊れた柵があればそこから転落したと思い込んでも可笑しくはないでしょう」
「指紋なんて、触らなければ消えないだろうし」
「京本先輩の死因は撲殺され、その後に転落死と見せかけたんじゃろう」
歯痒い表情を浮かべながら、拓蔵は項垂れた。
「ですが一番の問題はどうやって遺体を消したかですね」
「赤外線ゴーグルを使ったとか?」
「しかし、現場にはそういうものは見つかっとらんし、変な音はしなかったしな」
「でもそれって爺様が広間を出たあとかもしれないよ」
「たしかにな。そうなるとやはり最前線にいた遺族と葬儀屋か」
「拓蔵が若い警官から聞いた状況では、そう考えるのが当然でしょうが、逆にそのブレーカーをどうやって落としたかですよ」
「そっちの方はすぐに分かった。要するに別の部屋にあるエアコンやドライヤーを使えばな。タイマー設定くらいは出来るじゃろうし」
「すごい絶妙なタイミングだと思うんだけど」
皐月は呆気にとられた表情を浮かべる。
「スケジュールなどは事前に打ち合わせしていたんでしょう」
「殺害したのは恐らくりつさんじゃろ。京本先輩は家庭内暴力をしていたらしいしな――一度実家に行ってみるわ」
「出来れば急いだほうがいいかもしれませんね。男性には分からないとは思いますが、女性の憎悪というのは想像以上に悍ましいものですから」
瑠璃の警告に、拓蔵は嫌そうな表情を浮かべると、京本福助の家へと向かった。
皐月もその後を追った。




