調査後
先ほどの接線を繰り広げた問題の腐臭臭う場所に戻ってきた。
やはりこのきつい腐臭には鼻を摘まずにはいられない。
だからといって、レイさんが鼻を摘んでいないのに男の自分が鼻を摘むというのは些かみっともないのでそんなことはしないが。
その後に調査の方法で、二人一緒に行動するか、それともばらばらに調査することで相談しあった結果、調査は全てレイさんがやってくれることになった、。
何故かと言うと、簡単に言ってしまえば僕は木の事に詳しくなんかないということだ。
そんな僕が木々を木に穴が空くぐらい睨んだって、わかることは木がもう回復のしようがないぐらいに腐っていることだけだ。
二人で散り散りばらばらに調査したところで実質一人で調査した量と変わらないという未来が目に見えている。
ならば、快適に危険なく調査ができる環境を整えようということで二人一緒に行動することになった。
レイさんは雑魚相手ならば遅れは取らないと言っているが、そんな雑魚に調査に耽っている不意を討たれたら一溜りも無いだろう。
雑魚は雑魚でも、人を殺すことのできる雑魚だ。
少しだけ、言葉に矛盾が生じている気がしないでもないのだが細かいことは気にしない。
そんなこんなで腐敗している地域を先ほど襲われた地帯を除く場所を徹底的に調べ、違和感の感じる場所を隈なく調査していたのだが、収穫は無いに等しかった。
分かった事と言えば、ヒューゼさんたちが調査したときよりも腐敗している範囲が広がっていることなどしか分からなかった。
それ以外は、前回の調査で判明したことと寸分狂わず合っていた。
「仕方が無いからもうそろそろ帰るか? 」
さすがに収穫が無かったのは残念極まりないのだが、ヒューゼさんもそこまで期待しているわけでもあるまい。
無収穫でも、そこまでお怒りを買うことは無いだろう。
しかも、既に日が暮れ始めている。
辺りを照らす灯火があるにはるけれど、視界が悪くなるのも確かである。
もうそろそろ帰らないと危険と背中合わせの状態で帰らなければいけなくなる。
それはさすがに心身ともに疲弊した僕にとっても、レイさんにとってもそこまで良い状況ではないはずだ。
「いえ。アオイさんは意図的に避けているようですが、もう一箇所だけ捜索していない場所があります」
しかし、どうやら中途半端な状況で調査を打ち切る考えはないようで、僕が敢えて避けている黒い大きな人型と接線を繰り広げたあの場所に行きたいようだ。
だが、いくら寛容な僕であってもそれだけは承諾できない。
「それは無茶だ。 しかも、もうそろそろ視界も悪くなる頃合だ。 僕としてはあそこに行くのに大反対だが、せめて明日にしよう」
すると、レイさんは少しだけ手を顎にあてて考える。
そして、答えがまとまったのだろうか、顔を上げる。
「それもそうですね。アオイさんの言うとおりです。 もしもあそこを調査するとしたらせめて明るい時間にするべきでしたね」
さりげなくあそこに行かないほうがいいのでは、というニュアンスを思いっきりぶち込んで伝えたのだが、どうやら丁度いい具合にそれがスルーされたようで、時間が遅くなったことしか触れられなかった。
まぁ、ここで口論する必要も無いのでそのまま僕も無反応を決める。
「うし。 それじゃあ、里に戻るか」
「はい」
そうして、僕たちは来た道を戻り、里に向かって歩き始めた。
ーーーーーー
暗くなった道は今朝来た道とは全く異なる表情を見せている。
木々のせいで視界が極端に悪く、獣道は足元が覚束ない。
昼ぐらいに通った道には、うるさく虫の高い声が木霊していたが、今は猛獣がうなっているような低い声が聞こえる。
まるで、ホラー映画を一人称で感じているだと、恐怖心で背中に冷や汗をかきながらも、呆然と思う。
というか、そんな解釈をしないと気絶をしてしまいそうだ。
僕はホラーが何よりも苦手で、ホラーの中でも一番嫌いなのはスプラッタホラーだ。
びっくり系が大嫌いなのだが、その上に暴力的な表現を追加するなんて正気ではない。
某有名な仮面を被って殺しまくる殺人鬼を初めて見たときには、瞼の裏から張り付いて眠れなかったことを覚えている。
そんな僕がこんな状況に耐えていることは奇跡だろう。
今すぐ卒倒してもおかしくはない。
なんとも間抜けな男であろうか。
今の状況では、勇猛果敢に先頭で僕を導いてくれているレイさんがなんとも勇者のように見える。
僕がか弱き女の子であるならば、今すぐにでも恐怖心を和らげるために抱きつくのだが、生憎僕は弱くも女の子でもないのでそんなことはできない。
まぁ、男のプライドというものが僕にはあるので、そもそもそんなことはしないが。
そして、そんなこんなでしばらく歩いていると、何処からか声が聞こえた。
僕には聞き取れない声であった。
いや、僕に聞き取れないということは意味を持った言語ではない可能性がある。
じゃあ、誰かが唯単に意味の無い咆哮をしているか、この森の動物の鳴き声のどちからだろうか。
まぁ、たぶん後者に決まっているだろう。
そんなことを思っていると
「止まってください」
静かに声を潜めるように、僕の動きを手で静止させながら言った。
どうやら、先ほどから聞こえる鳴き声に関係がありそうだ。
「『ゴブリン』の鳴き声です」
「ゴブリン?」
ゴブリンといえば、ファンタジーでは定番中の雑魚ではないか。
ゲームなどに登場する時の容姿では、人間より身長が低く、体色が緑色で、顔が醜いのであるが、この世界のゴブリンというのはどうなのだろか。
久しぶりに出てきたファンタジー要素を含む言葉に少しだけ興奮してしまう。
この感覚にも少しだけ慣れたかと思ったのだが、やはりこういう気持ちの高ぶりは抑えきれない。
「ゴブリンについてはご存知ですか?」
「いや、全然わからねぇ」
某有名RPGの話
であれば、今の時間帯から日が昇るまでの間は語ることができそうなのだが、残念ながらここは某RPGのような世界ではない。
故に、僕が持っている知識など当然役に立つはずもないのだ。
そして、露骨に驚くような仕草をされたところを見るとこの話もこの世界では常識らしい。
まぁ、僕の設定は記憶喪失であるからにして知っていても話すことはないのだが。
「そうですか。まぁ、簡単に説明しますと、私のおなかの辺りまでしか身長が無くて体色が緑色で常に5,6匹の分隊を組んで行動している魔物です」
レイさんの説明は大雑把だが、なんとなく容姿は把握できた。
つまりは、ゲームの世界と大体は似通っているということか。
しかし、ゴブリンが分隊を組むのか。
僕としては、ゴブリンは無知なので一人で棍棒持ってそこらへんをうろちょろしているという間抜けな絵面しか思いつかないのだが、どうやらこの世界のゴブリンは或る程度の知恵を有しているようだ。
「だから、相手にすると非常に面倒くさいやつらです。ここは戦わずに見過ごすのが無難です」
そういって、少し歩く速さを速くしたレイさん。
正直に言えば、ゴブリンをこの目で見たかったのだが、仕方が無い。
森を熟知しているレイさんに付き従うしかないだろう。
そんなこんなで、帰り道は特にハプニングも無く里に戻ることができた。
ーーーーーー
里の門の前に到着した。
兵士からは無言で外套を手渡された。
僕はそれをそれまた無言で受け取り、そのまま羽織る。
もう深夜に近い時間帯だし、外套を着なくてもよいのではないだろうかと思うのだが、ここで兵士と揉め事になるのは望ましくない。
横ではレイさんが兵士に何か書類を書かされている。
だが、どうやら対した書類でも無い様なのですぐにこちらに戻ってきた。
「通行許可証は無くしていませんか?」
僕は、ズボンのポケットに入れておいた通行許可証を出して、レイさんに提示する。
少しだけ黒いシミのようなものができているが、ズボンに黒い液体が掛かったせいである。
通行許可証は木で出来ていたからよかったものを、もしも紙で作られたとしたら取り返しのないことになったかもれない。
「それでは、もう夜の闇も深くなってきました。 急いでヒューゼ様にご報告をしましょう」
門をくぐりながら悠長に、態度と似合わないことをいうレイさん。
もしかしたら、ヒューゼさんのことをそこまで上司として敬っていないのかもしれない。
それとも、ヒューゼさん自体が持ち上げられるのを好んでいないという可能性も或る。
どちらにせよ、もう遅い時間なのは確かである。
門を出てすぐの大きな市場は、ここに来たときは人々の賑やかな声やごった返した足音がして賑やかであったのだが、既に大通りに人が一人も歩いていないことがそれを証明している。
「そうだな。 早く報告しなきゃ床に就くことができないからな。 」
そう適当に話を合わせながら、静かになった夜の市場の大通りを正々堂々と歩く。
辺りは薄明るい電灯で照らされている。
たぶん、魔道器具のようなものであろうと推測する。
そんな薄暗い寂れた大通りは、夜であると同時に自分のいつもいる都会とは違うのであると、呆然と思ってしまった。
今度は大通りではなく、夜空を見上げてみる。
大きな大きな、自分が極小の粒であると感じさせられるほどの大きな夜空には、大きな光が点々と輝いている。
東京のビルの屋上で一服しながら見る夜空というものは、中々に現代日本特有の風情というものがあって好みなのだが、この寂れた市場で都会よりも綺麗で鮮明に光る星を見るのもいいなと、感じた。
「なぁ、レイさん」
「はい。なんでしょうか?」
「いや、夜空が綺麗だなって感じたんだ」
「‥‥‥いきなりなんですか?そんな詩人みたいな言葉を使って」
かなりドライな反応を返されてしまったのだが、まぁ、いきなり男が夢見がちなメルヘンな戯言を口にすれば仕方の無いことだろう。
だが、不思議と誰かに感想を伝えたかったのだ。
それは、向こうの世界でもたたあった。
いや、頻繁にあったといっても過言ではない。
だが、そんなの話す相手なんていなかった。
友人がいなかったわけでもない。
だが、友人は友人である。
そこまで深い仲ではないのだ。
でも、つり橋効果というのだろうか。
なんだか、彼女には少しだけ素のことを話してもいい気がしたのだ。
「いや、なんでもないさ」
だが、彼女はそう思ってないようなので、僕は適当に茶化す。
「なんだが、アオイさんは見た目によらずロマンチストな方なんですね」
「見た目によらずにってなんだよ」
否定はしない。
正統派ラブストーリーは普通に好きだ。
「私もそういうロマンチックなものは好きですよ」
「本当か?」
レイさんには少し失礼かもしれないが、全くそういうものには見えない。
なんだが、どちらかというと論理的なものを好みそうな感じだったので、推理が好きだと思っていた。
まぁ、論理的に物事を考えられる人がロマンチックなものを好きになってはいけないという、論理もないだろう。
なんだかラブストーリーでは欠かせない『恋』という要素を心理現象と捉えるかもしれないが。
「どんな感じのが好きなんだ?」
レイさんの性格からは中々にそういうものが把握できる気がしないので、尋ねることにした。
プライベートなことでもあるまいし、教えてくれるだろう。
「そうですね。 私は王道ですけど勇者とお姫様が結ばれるようなラブストーリーですね。なんとも言えないもどかしさを越えて、最後には大団円になるようなそんな作品が好きです」
「そうなのか」
「アオイさんはどんな感じなのが好きなんですか?」
僕は考える。
どういうものを好きかと改めて聞かれると、返答に困ってしまう。
正統派なやつも好きだし、ファンタジーとしてのやつも結構好きである。
うーん、僕の一番好きなものはどんなものだったであろうか。
中々に思い出せない。
思い出せないというのは、特にそういう好きなものが無いということなのだろう。
「特に好きなものは無いな。主人公とヒロインが結ばれる作品はもちろん好きだし、ヒロインが歪んだ愛を主人公にぶつけるような特定の層にしか需要が無いような作品も好きだな。まぁ、オールマイティーだ」
「へぇー」
そういってレイさんは僕の肩を叩いてきた。
彼女のほうへと自然と首が向く。
そこには、口元を指で上げて、擬似的に笑顔を作っているレイさんがいた。
「いろんな物語を知っているんですね〜」
わざとらしいような、ふざけたようなそんな声で言ってきたレイさん。
しまった。
僕が同じミスを繰り返す人間ならば、同じような常套句で引っかかるはずが無いのだが、またもや同じような手で僕が無知ではないことを知らせてしまった。
だけど、先ほどのように混乱はしていない。
いや、或る意味ほっとしているのかもしれない。
彼女には嘘を付く必要は感じられないと思ったからだ。
レイさんとは一日ずっとともにして分かったのだが、彼女は信用足りうる人物だ。
僕にとって不利益な情報を、彼女が有益な行動になるのみを除外すれば言いふらさないだろう。
「レイさんには改めて言おうと思う」
僕は軽く深呼吸をして、レイさんを見る。
「あんたは分かっていたかもしれないが、僕は記憶喪失じゃない」
なんだか、心の蟠りが落ちた気分だ。
凄くさわやかな気分だ。
人に嘘を付くということが無意識的に心の負担になっていたことが今、分かった。
「当然、あなたが嘘を付いていることぐらいは分かっていました」
「やっぱりな」
僕は軽く苦笑する。
「あ、因みにこれは秘密にしておいてくれよな。言いふらされると後々に面倒なことになりかねないから」
ヒューゼさんはそこのところを把握しているので、誰にも僕が記憶喪失であることを伝えなかった。
そういう意味もあるので、彼女には僕の保身のために噂を広げて欲しくないのだ。
「分かっていますよ」
その返答に僕は満足した。
が、
「これで、私を助けてくれた借りを返済させていただきます」
思いもよらない、現金的な発言に度肝を抜かれる。
というか、僕的には借りとかそういうものを作りたくてレイさんを助けたわけではないのだ。
まぁ、勝手に都合の良い勘違いをしてくれたので、僕は口に出さないが。
「じゃあ、僕はあの取引をしなくてもいいのかな?」
少しだけ調子乗ってさり気無く先ほどの情報を提供するという取引を揉み消そうとする。
「いえ、あれはもう締結した契約ですので」
どうやら駄目らしい。
しかし、どこか納得していないような感じで腕を組んで首を傾げるレイさん。
そのリアクションは一昔前の漫画のようだ。
「でも、それではあなたが私の命を助けてくれた借りを返済できませんね――」
僕は彼女が考えている姿について一つだけ思った。
なんとも『融通が効かない女の子』という印象を受けた。
彼女にとっては戦いあった仲間なのだ。
僕としては、彼女がそう思っていなくとも秘密の一つや二つぐらいは話してもいい気がするのだ。
それ故に、僕が記憶喪失ではないことを僕自身が明言したのだ。
「まぁ、あなたの秘密を言い触らさないことと、あなたが知っている私の知識欲が欲している情報の天秤が釣り合うかどうかは、報告が終わってからあなたの情報を私が吟味してからにしましょう」
そうこうしているうちにもうそろそろヒューゼさんの邸宅に近付いてきた。
「じゃあ、もうそろそろヒューゼ様のご自宅に近くなってきましたので、気持ちを切り替えるために私語は厳禁です」
「分かったよ」
僕は軽く頷いた。
今回は一人称に戻しました。
※3/15に改稿しました。主に改稿した部分は主人公が秘密を暴露した後のことです。