第二章~閉幕~
「うぁあああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
悪夢、悪夢悪夢悪夢!
最悪の、目醒めだった。
殺人鬼の放った醜悪な愛の言葉は、今でも脳の深い、不快なところに刻み込まれているらしい。できることならその部分をナイフで抉り取りたかった。
「――――っは――――っ――――」
呼吸がおかしくなっていたらしい。脳が酸素を求め呼吸を促す。
「――――っふぅ――――………………ぁ」
やっと落ち着いてきた。
枕元にあった携帯がドアそばに落ちていた。どうやら錯乱して吹き飛ばしてしまったらしい。携帯を開ける。八時十二分。微妙だ。できることならもう一眠り、いやいっそのこと一日眠っていたいが、ここは先輩の家だ。そんなことはできない。
「って、もしかしてうるさかったかな…………」
僕は昨日と同じように階段を下りダイニングに行くと、焼き魚とみそ汁、そして白米がテーブルの上にあった。先輩は椅子に腰かけて新聞を読んでいる。
「おはようございます」
「ん、おはよう。朝飯を食べてしまおう」
先輩は新聞をどこかに放り投げ、ぴったりと手を合わせて「いただきます」といった後厳かに朝食をとっていた。ぼくもそれにならい、ゆっくりと頂いた。
咀嚼音と橋が食器にあたる音のみが支配する空間。だが、不思議と気まずくはなかった。
むしろ、何も言及しないでいてくれたため、精神的にはかなり助かった。
「御馳走様」
「お粗末様」
先輩はさっさと食器を片づけ、台所に行ってしまった。
僕は何もすることがないので、先ほど先輩の放り投げた新聞を手に取って眺める。
「…………………………………………………………」
特にこれといった記事はなかった。テレビ欄を見ても、何も見つからなかった。
「七志君。洗い物が終わったら車を出してくれないか」
「いいですけど。どちらに?」
「大学。二日連続ですまないね。ガソリン代は出すよ」
「……了解です」
なんだろう。
いやな予感がする。悪夢を見たからだろうか。死の気配がする、みたいな感じ。
正直行きたくはなかったが、まぁ先輩を載せていくついでに姫宮にでも会いに行くか、と気分を入れ替えて、車をガレージに取りに行くのだった。
大学の校門前で先輩と別れたのち、僕は理事長室へと足を運んだ。
ここに来たら美雷に会えるかも、という憶測。軽い決断。
その決断は結果としては当たっていた。望まない形で。
理事長室のドアを開けると、そこは血飛沫だった。
一歩踏み出すと、そこは地獄だった。
姫宮美雷は
首を斬られて
死んでいた。
死体。死骸。死屍。圧倒的な死。絶対的な死。
首だけが机の上に乗っかっている。
首がこちらを、濁った瞳で睨み付けている。
憎悪。淀んだ瞳はこの世のすべてを殺すような眼をしていた。
血は多いけれども、それだけだ。首から下の欠損は全くない。
少し乱暴でガサツだったが、女の子らしいところもある、可愛い僕の幼馴染。
しんじゃった。
僕に「死なないで」といった彼女。
しんじゃった。
僕の、帰るところ。
しんじゃった。
いまになってわかった。
畜生。
「なんでさ…………やっと伝えようとしたのに」
「やっと自分の気持ち、気づいたのにさ」
「いなくなっちゃうかなぁ……」
「死んじゃうかなぁ……」
「いっつも、遅いんだよなぁ」
「全部、手遅れなんだよなぁ…………」
でも、今なら言えるかな。
僕は血の池の中に足を踏み入れる。彼女の手を、紅色の中から救い上げる。
そして、離す。
手が、動かない。
さらに進んで、机の前。
僕は、彼女の頭を、見て、呟いた。
『大好きでした』
『さようなら』
別れの言葉をつぶやくと同時に。
僕の視界は反転した。
彼女の声が聞こえた、様な気がした。
僕は鉛のように思い瞼を無理やりこじ開け、上体を起こした。
たぶん、大学の、一室。
「起きたか」
横から声が聞こえたのでゆっくりと首を動かすと、そこには東雲先輩がいた。
「どうやら私たちは容疑者らしいぞ」
「え?」
「姫宮殺しの、な」
……………………理解できなかった。
「僕はともかく…………なんで先輩が?」
「いや、わからん……と、誰か来たか」
ドアががたんと開き、憔悴しきった理事長、入樹、秋ちゃんが入ってきた。
「おう、ナナシ」
「?どうしておまえが?」
入樹は僕の対面に座ると、事情を説明し始めた。
「いや、俺と秋は実験室に寝泊まりしてたんだよ。あ、もちろんほかの研究員も一緒なんだけどな」
「でも、そのなかでも美雷ちゃんと関係があったのは私たちだけなんです」
秋ちゃんも沈痛な面持ちで話し始める。
「美雷ちゃんが殺されたのは夜のうちなんですけど、そのせいらしいです……」
唇が青紫になり、肩は震えている。一般人が殺人、しかも首切り殺人の容疑者になるなんて、相当のストレスだろう。
ガチャ。
ドアが開き、刑事と思しき男性が入ってくる。
「ああ、どうも。宗像さん」
「…………くそっ、またお前がらみか!」
刑事は僕を見るなり憤慨する。
この刑事さんは宗像 総一郎という三〇代半ばの刑事である。なぜか事件がバッティングすることの多い刑事である。
「だが、いつもと違うのはお前が容疑者だということだな」
「ええ、そうですね。珍しい構図です」
そういって、ふと思った。
「なんで僕と東雲先輩が容疑者なんですか?確かに美雷とは関係があるけれど」
「ああ、それはここにいる全員だ。しかもお前は姫宮姉妹と幼馴染、そこの入樹とかいうのはガイシャの妹の恋人、らしいな」
理事長が憔悴しているのの原因の一つは、間違いなく入樹の存在だろう。
孫娘の殺された事件の容疑者であり。
もう一人の孫娘の恋人。かなりきついだろう。
「だが、お前と東雲さんが容疑者なのは、こいつが大きいからだ」
宗像刑事はビニール袋に入った携帯電話を取り出す。
その画面はメール作成画面だった。
宛先こそないけれど、本文には二文字だけ文字が綴られていた。
『ひな』と。
「ガイシャの関係者、なおかつ『ひな』に関係があるのは君ら二人、というわけだ」
「『ひな』しななし、しののめ『ひな』ぎ。ですか…………」
「ああ。十中八九ダイイングメッセージ、だろうな」
首切り死体のダイイングメッセージ。
果たして、それは可能なのだろうか?
わからない。
こうなったらやるしかない。
「みなさん」
僕は部屋内のみんなに向かって、発言する。
「僕は今から、『探偵役』をさせてもらいますが、いいですか?」
「え、と『探偵役』?」
秋ちゃんがおずおずといった風に質問する。僕はそれに簡単に答える。
「『探偵役』っていうのは、その名前の通りシャーロック・ホームズよろしく事件を解決する『探偵』の役割をする、ていうことなんだけど、いいよね?」
「え、ええ…………まぁ……はい」
少し強引に進めさせてもらった。これ以上美雷を犯人不明の被害者にしておくのも不快だし、秋ちゃんも理事長も精神的にもうギリギリだろう。
「と、いうわけで」
少し声色を変えて、宣言する。
この事件を、解決する。
「ここから先は、僕はただの『探偵』。名無しの探偵です」
終わらせる。
「さぁ、整理しましょうか」
ただの、探偵として。
「じゃあ、5W1Hで考えましょう」
ゆっくりと立ち上がり、宗像刑事のほうに向く。
「まず『事件がいつ起きたか』です。犯行時刻は?」
「ああ、深夜一時から二時。この間だな」
宗像刑事が手帳に書かれた情報を読み上げる。
「アリバイ、か…………私は、ないな。同様に雛嗣君もないだろう」
「ええ、無いようです」
僕はあくまで客観的に自分のアリバイを説明する。
「私は…………無い」
理事長が重い口を開く。それに続いて残りの二人もアリバイがないことを言う。
ここまでは予測済み。
一番重要なのは、このファクター。
「どうやって首を斬ったか。これが重要な命題だろうな」
入樹はゆっくりと発言する。
だけど、それを決めるには、情報が少なすぎる。
何か、手掛かりを。
「宗像刑事。そういえば、その携帯、血がほとんどついていませんね」
「ん?ああ、確かに。ふつう首斬られたら血が噴水みたいに出るから、血がべっとりついてるはずなんだけどな…………確かにおかしい」
携帯に文字がある、ということは携帯は体の前にあった、と考えるのは妥当。となると。
「後ろから斬られた……」
先輩が確かめるようにつぶやく。
「この携帯はどこにあったんですか?」
「机の下。そういえば殺されかけたときに投げても机の下に滑り込ませる、なんてことはしないだろうな。自分の下敷きとか、もっと血の付くような範囲に落ちてるだろう。大方首を不意打ちでやられてふっとんだろうな」
宗像刑事が納得する。
「そうなると、『ひな』ダイイングメッセージではない、つう結論だろうな。ナナシか東雲さんのうちどちらかにメールしようとしたんだろう。その後ろをぎちょん、てとこか」
入樹も冷静に分析する。と、なると、あとは凶器だけ。
だが、残念ながら、犯人はもうわかっている。
あとは、追い詰めるだけだ。
チェックはかけた。
「凶器は、たぶんナイフとかじゃないだろう」
宗像刑事が手帳をぱらぱらとめくる。
「切断面がぐじゃぐじゃだったからな」
「じゃ、じゃあのこぎりみたいなの、ですか?」
秋ちゃんも意見を出す。だけど。
「のこぎりじゃ、不意打ち一発で殺せない」
僕は一つづつ凶器をつぶしていく。
「となると凶器はなんなのだ!」
理事長が怒鳴りつける。
僕は、極めて冷静に、感情を乱さないように言葉を選んでく。
これから真実を言うのは僕じゃない。
ただの、無名の探偵だ。
「ハサミ、です」
僕は。
「一撃で首に刺せて、さらに切断もできる。万能ですよね」
「でも、そんなハサミどこに…………」
「――っ!」
秋ちゃんの顔が真っ青になる。
「そう、この大学内、しかもある人物の実験室には大ばさみがあるはずだ。太めのビニールパイプを斬れるくらいの、ね」
「……………………………………………………」
「秋ちゃん、そのハサミは多分危険物だから、実験室を任されている人にしか使えないんじゃないかい?」
「…………………………………………………………………………は…………はい」
チェックメイト。
「この事件の犯人は」
僕は、無名の探偵としてではなく、雛嗣七志として、彼の親友として、犯人を告げる。
「入樹歩貴。君だ」
入樹はゆっくりと立ち上がり、パンパン、と僕に向かって拍手する。
「大正解だよ。親友」
「そうだよ。俺は風香の恋人だ」
「あいつ、いつでも笑ってんだよ」
「だから、悲しませようと思ってな」
「姉殺したら、さすがにあいつでも泣くだろ」
「俺はな、愛した人の表情をすべて見たい」
「美しい表情も、醜い表情も」
「だから、殺した」
「これは、愛ゆえの殺人だ」
「だから、後悔なんてしてないさ」
「目当てのモンも見れたし」
「もう死んでもいいぜ」
「なんてな」
破滅した天才は、にやりと嗤った。