第零章~とある殺人鬼との邂逅~
「ねぇ、人を殺すのって、どういうことなんだろうね?」
目の前の、砂糖菓子のように繊細な口がゆっくりと動き僕に向かって疑問を投げかける。
「ねぇ、生きるのって、何なんだろうね?」
細く、すらりとした日本人離れした手から真っ赤な液体が滴る。
「心臓が動いてるから生きてるの?脳が動いてるから生きてるの?考えてるから生きてるの?人間らしい活動をしてるから生きてるの?」
もはや人間の皮膚の色が残ってない、美しいくらいの紅色に染まった手に握ったバタフライナイフが陽光を反射して煌く。
「じゃあ、心臓を抉り取れば死ぬのかな?脳を潰せば死ぬのかな?四肢を引き千切って五感を壊して精神崩壊させれば死ぬのかな?」
ぱしゃり、ぱしゃり。
タップダンスを踏むように軽やかに僕の周りをくるくると回る。
床一面に広がった鉄臭い真紅の液体。
血液。
それの紅色は僕の足元まで、まるで触手を伸ばすが如く侵食してきていた。
一昨日買ったスニーカーが台無しだ。いいデザインだったのに。
「何で人殺しは駄目なんだろうね?別に殺したっていいじゃない。こーんなひとでなし」
どがっ。
彼女は目一杯、うつ伏せで血の海に沈んでいる、自らの殺した人間―――――今となってはただの肉塊―――――を蹴り飛ばす。そのおかげで死体は仰向けになり、空ろな目を覗きこむことができるようになった。全然嬉しくない。
「あなたなら許せる?この人私のお気に入りのパンプスを壊したんだよ!?信じられないよねー!人の物壊しといてしらばっくれるなんて殺されてもしょうがないよね?」
いや、それなら君は僕のスニーカーを全身全霊で駄目にしてくれたんだが。と言いたかったが、さすがに僕にそこまでの度胸は無いので無言を貫き通しながら彼女の宝石のような瞳を見つめる。
「それにさぁ、この人皆に恨まれてたし、むしろ私良い事したんじゃないかな。そもそもこの日本国内で『死ねば良いのに』って思われている時点で相当な悪人だと思うよ。アメリカみたいに『おー!どぅーゆーあんだすたん!』って言われて街中で銃殺されるのが日常でもないかぎり明確な《死》そのものを認識することは出来ないよね?それなのにもかかわらず人間に起こりうる最低最悪の現象として、曖昧なイメージしかなかったものをわざわざ固定化させてまで《死ね》って思うんだよ?これ、よっぽど憎んでないと出来ない気がするんだけどね」
いや、身近に《死》が存在しないからこそ、軽々しく『死ねば良いのに』と思うのだろう。あとアメリカでは『わかったか?』と言われながら殺されるのか。どこか脅迫じみてて微妙に怖いのはなぜだろう。
「ねぇねぇ、私、この人のこと一昨日知って昨日話して今日殺したんだけど、明日もこの人にまつわることをしなくちゃならないっていうことなのかな?死体を食べるとか?ところでカニバリズムって何で禁忌とされているんだろうね。不味いからかな。まぁ、私はこの人の肉を食べるなんて気持ち悪くて出来ないんだけどね」
うえー、と顔を歪ませながら死体に寄り添うようにゆっくりとしゃがむ。そしていとおしげに死体の髪を撫でる。生前、自慢してきた艶やかなロングヘアー。彼女の甘い声が脳内に響いてきた。今となっては物言わぬ死体での頭頂部で腐り抜け落ちるか焼かれるかのどちらかだが。
「やっぱりこの人はちゃんと埋めてあげようそうしよう。お墓も作ってあげよう。あ、でもこの人が宗教何なのかわからないや。とりあえずスコップでも持ってきて埋めようかな。あーでもでも他の人が見つけちゃうと面倒臭い事になるからやっぱり焼いちゃおう。死体焼くのはどうやってやるんだろ。灯油かけてマッチ放れば燃えるかな?」
死体の周りを再びくるくると回りながら遺棄方法を考えている彼女は、どこか幸せそうですらあった。
異常。
いや、そもそも人を殺しておいてこんなにいつも通りでいること自体がおかしい。
平常であるが故の異常。
「あ、棄てるときは君も手伝ってよね。さすがにオンナノコの筋力では持ち運べないし。ああ、これが死んでいるって事なんだね?なるほどつまり死んでいるって言うのは埋めていいって思われているときなんだね。物として見られている、それが生物の《死》なんだね」
本当にそうなのだろうか。
物として、道具としてしか人間を見られないような奴だっている。そいつにとっては周りの人間が死滅しているのか?いや、自分はそんな人でなしな考え方はしていないのであくまで推測だが、そんなことはないと思う。
ああ、もう。
本当によくわからない。
僕は生きているのか死んでいるのかすらわからなくなってきた。
目の前の彼女が生きているのか死んでいるのかすらわからなくなってきた。
血だまりに沈んだ彼女が生きているのか死んでいるのかすらわからなくなってきた。
「ねぇ、君」
彼女はくるりと僕のほうを向いて真っ直ぐに見つめてくる。
「君は生きてる、死んでる?」
ぱしゃり、ぱしゃり。
彼女が一歩ずつこちらに向かってくる。
「もし、君が《生きている》んだったらさ」
ぱしゃり。
僕の目の前に立ったと思ったら、血に濡れていないほうの新雪のような手で僕の首筋をつ―――――っとなぞる。
「私が《殺して》も」
彼女の整った顔が、醜く歪む。
「いい、よね」
さくり。
ああ、はものってこんなにかんたんにささるんだ。
ゆっくりと僕の意識が暗闇へと落ちていく。
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