§1
昔から雨は嫌いだ。
嫌な思い出の日はいつも雨が降っていた…様な気がする。ただの思い込みかもしれないが。
時計の針がさしているのは午後2時15分。あと少しで六時間目が終わり、家に帰ることができる。俺は、はぁ…と一つため息をついて、窓の外を見た。嫌なことがあるわけではないけど、水たまりだらけの校庭を見ているとなんとなく気分が下がってくる。
「…そしてこれをxとおき、方程式をたてます…」
ぐるっと教室を見渡すと、金曜日の六時間目だからか、授業をまともに聞いている人は少ない様だ。そんな中ぽつんと1つ空いた1番後ろの端の席。
―あいつ…今日も来てないのか。
あいつ―本郷大志は、ある意味のうちのクラスの問題児だ。週に学校に来るのは3、4回。そしてそのうち半分以上が保健室登校という現状。別に俺たちのクラスがいじめをしているとかそういう訳ではない。うちの担任に言わせると、“体が弱く、それに加えてゴカテイノジジョウがあって”学校をお休みしているとのこと。だが、それが少なくとも半分は嘘だということをクラスのみんなは知っている。去年のスポーツ大会で、バスケで1番多くの点数を決めクラスを優勝に導いたのは、本郷だった。あいつは間違いなく体は弱くない、むしろ運動神経もよく体は丈夫なほうだ。ずっと休み続けているが、去年のクラス替えでこのクラスになったころから、本郷と話したことがある人はいなかったためあまりクラスメイトも気にしている様子はなかった。
「…というわけで、時間もちょうどいいので終わりにします。」
俺はその言葉ではっと我に返った。ぱらぱらと、教室のあちこちからどこに言っているのかもわからないようなお礼の言葉が飛び、少しずつ教室は騒がしくなっていた。ぼんやりと黒板を見直して、残りの板書をとっていると、背後から声をかけられた。
「楓人、帰ろう?」
にこっと笑う裕が鞄を持って、俺の傘を目の前にさし出していた。
傘をさしていても、足元に10月の冷たい雨が吹き込んできて少し寒い。俺は、傘を持っていないほうの手をズボンのポケットに突っこんだ。外を歩いている人は少なく、街はどことなく寂しげだ。
最近、なんとなく学校に行く意義がわからなくなってきた気がする。
もちろん、将来のために勉学に励むところだっていうのはわかる。いや、わかっているつもりだ。だけど、毎日通っていても特にやりたいことなんてみつからなし、ぼんやりと遠い将来に向けてなんてまだたった10数年しか生きていない俺には少し難しい。
友人関係だって、うまくいっていないわけではない。むしろ、周りに敵はいないしある程度周りからの信頼も得ている。仲のいい友達は?と聞かれたら、あげられる友人の名前はぱっと2、3人思いつく。
なのに…
「ねぇ?楓人?聞いてる?」
「え?あ、ごめん…」
考え事にすっかり夢中で裕の話をあまり聞いていなかった。
「もう…ちゃんと聞いてよ、僕の話!」
ちらっと傘越しに横を見ると、裕がぷうっと頬を膨らませていた。くりっとした目の上のまつ毛が揺れる。
「あのさ、今日も楓人はピアノのレッスン?」
レッスンがないというのを期待しているような目で見られているのは気のせいだろうか。
「うん…今日は親のレッスンがあるけど?」
「なんだよーまたかよー…せっかく勉強聞きに行こうと思ったのに!」
どうせ俺に勉強を聴きに来るんだろうという予想は見事あたってしまったようだ。隣で裕は恨めしそうな目でこちらを睨んでいる。そんな目で見られても俺に罪があるわけではないのだが。
「ざーんねーんでした。ってかまたってなんだよ、またって。」
少し嫌味っぽく言うと、今度は言い返してくるだろうという俺の予想は外れ、裕の顔は曇った。
「だって…火曜も昨日もレッスンだから駄目だって…俺も楓人と遊びたい…」
少し弱くなった裕の声は、雨の音にかき消されそうだ。
確かに、中学の頃はもっと二人で一緒に遊んでいた気がする。高校にあがってからは二人で帰ることはあっても、遊ぶということはしていない。裕も裕なりに寂しかったのかもしれないな。少し罪悪感のようなざわつきが胸に広がる。
「わかったわかった、今度ね。また今度来ていいから。ね?」
「ほんと!?今度絶対だからね!!」
恐る恐る裕の顔をうかがうと、こちらの落ち込んでいる様子とは対照的ににやりとこっちを見ている。
してやられたというイラつきと怒っていなかったという安堵が胸の内がでうずまいている。なんでだろう。一番付き合いが長い裕にまでこんな感情を抱くなんて…
雨がだんだんと強くなってきている。雨音が耳について、鬱陶しい。
「学年上位を誇る成績を持つ、一宮楓人様に聞けば、僕のテストも安泰だな!」
「やめろよ、その言い方」
やっぱり雨の日は嫌いだ。なぜかいつもよりイライラする。
制服もかばんもだいぶ濡れている様だ。早く家に帰りたい。
気づくと、裕と分かれるT字路まで来ていた。
「じゃあね!楓人!また明日。」
「…おう。」
微妙なテンションのまま、裕とわかれ俺は左に曲がった。
道路は車がいきかって、水たまりを通り抜けるたび、雨の日独特の音を鳴らしていく。左側の商店は、今日は客が少ないようで活気がない。俺はもう一度ため息をついて、傘を持ちなおした。
家に近づくにつれて、右側にある公園が近づいてくる。いつもは幼稚園児とお母さんでにぎわっているが、遊具が水でびしょ濡れの今日は誰もいないようだ。
泥が混じり、茶色い水たまりがいくつもできている。やけにこの公園だけ静かに思える。
寒いから早く帰ろうと足を速め、なにげなく、公園の角を曲がろうと思った時、滑り台の下に目がいった。
…誰かいる。
雨でよく見えないが、俺と同じ年くらいの少年が、うずくまっているみたいだ。俺は気になって公園の中に足を踏み入れた。砂利を踏む音が鮮明に聞こえた。
少年に近づいてみると、傘は持っていないようで、全身びしょ濡れだ。黒髪はすっかり濡れて、髪の先から水滴がしたたり落ちている。寒いのか、時折その細い体が震える。風邪をひいてしまうんじゃないだろうか。
「だ…いじょうぶですか…?」
俺の問いかけに答えはない。雨の音で聞こえていないのかもしれない。
「大丈夫ですか?傘貸しますよ?」
もう一度繰り返した俺の問いかけにまたも答えはなかった。
だが、代わりに顔をうずめていた少年の顔がゆっくりと上がった。
はっきりとした目を中心とした整った顔立ち。熱でもあるのか、頬は赤く目は潤んでいる。
そしてその顔は…
「え…本郷…なんでお前がここに…?」
滑り台の下にいる少年は、間違いなく本郷大志だった。
雨の音が一層強くなった気がした。