危険薬草園
そこに足を踏み入れた瞬間、空気が変わったのを感じた。濃密な土と緑の匂いが鼻腔を満たす。
鬱蒼と茂る草木はどれも見たことがないもので、お世辞にも薬草園とは言い難い…つまりジャングルと化している。
ケーケーと聞いたことのない鳥の声が頭上から聞こえ、見上げれば梢にオオハシによく似た鮮やかな鳥が間抜けそうな顔で居座っている。
ぐんと気温と湿度が上がったのは、この薬草園を精霊石で熱帯の環境にしているからだろう。この薬草園の中はだけ、アルヴィースではありえない生態系を確立しているようだ。
「すげーな、本当に薬草園なのかここ」
同感だ。密林と化してる時点で薬草園にはとても見えない。まあ道だけは整備されているので人の手は入ってるのだろうが。
だがリアンは違ったようで、興奮気味に、
「いや、流石は王都の学院だよ!ほら、この木はエリジナといって、根はリュウマチの特効薬になるし、実は美味しい上に滋養強壮になる。あの生い茂っている草はリヌジュ草かな?心臓の病にいい。どれもアルヴィースには自生してないものばかりだよ」
「リアン、詳しいのな」
「私の母は薬学の研究者なんだ」
「ああ、だから副専攻が薬学なのか」
「そういうこと。…要救助者はどこかな?」
3人できょろきょろと周囲を見回すも、鬱蒼と茂った植物のせいで視界はすこぶる悪い。
いあああああああ~~~っ!
また悲鳴が聞こえた。
声からして男子生徒のものだろう。
「あっちだ」
「本当に行くつもりなのか…?」
「当然」
草木に足を取られそうになりながら進んでいくと、悲鳴がより鮮明に聞こえてくる。どっかで聞いたことのある声だ。
「やめて、マリリンやめて――――っ」
マリリン…?
「ちょ、待って、それ以上はパンツ脱げるから―――っ!?チェリー痛いからもっと優しく―――っ」
…。
「…ねえサミュエル、これは私たちはお邪魔なのかな?痴情のもつれに関わるのは野暮だと思うのだけど」
「え、痴話喧嘩をこんなとこでするわけ?」
「でもマリリンて女性名だよね?」
「ここ危険薬草園だろ?普通こんなところでうっふんあっはんなことしないんじゃね?」
「襲われてるのは男みたいだけど…なんかこの声聞き覚えあるんだよね」
「お、サミュエルもそう思うのか?」
「しっ、そっと行こう。お取込み中だったら速やかに撤退するよ」
藪を抜けた先の光景は、俺たちの予想を良い意味で裏切っていた。
恐れた男女の濡れ場ではなかったが、別の意味で濡れ場であった。
そのピンクの花は釣鐘草のような形をしていた。花弁は先端が白く、ところどころに赤い斑が散って、女性が喜びそうな花であった…大きさが2メートルもなければ、の話だ。巨大な花弁の一枚一枚の先端はテラテラとした蜜で光り、甘ったるい匂いが周囲に漂っている。
だが一番の問題はそこではなく―――……
「溶ける、溶けるからっ!」
監督生のターナー先輩の上半身が、花から生えていた。
全身蜜塗れになって、下半身を花にハミハミされている。蜜は腐食効果があるのか、花弁の中からはかすかに煙が立ち上っている。
これだけで十分インパクトがあるが、それだけではなく、
「痛たたた!」
体調1メートルの朝鮮人参に手足と目と口がくっついたような生き物が、下半身を食われてるターナー先輩の手を懸命に引っ張っている。正確には細い根っこを腕に絡めて引いている。
だが花も負けちゃいない。ツルを先輩の胴体に巻き付けて奪われまいとしている。これは世にいう―――、
「…触手プレイ?」
「違うから!」
俺が思わず呟いた正直な感想に、間髪入れず先輩からツッコみが返ってくる。
「て、なんで一年生――――!?なんで一年生が触手プレイなんてマニアックな単語知ってるわけ!?」
それは前世の知識だ。
「どうでもいい、ちょっと助けてっ…いや逃げろ――――っ」
「え?」
「うわっ」
「危ないっ」
俺がとっさにリアンの腕を引っ張って飛び退くのと、エイベルにツルが巻きつくのが同時だった。
「何だこれえええええ!」
宙吊りにされるエイベル。
それを見て、なぜか悲痛な叫びをあげる朝鮮人参。
「先輩、この花何なんですか!」
「ムシュシュ草のマリリンだ!動いてるものがあると口に入れちまうの!」
「ええ、これがっ?」
俺も聞いたことがある有名な希少種だった。その蜜を生成すれば魔法効果のかかったアイテムなども容易に溶かすので、自然が分解できない危険な産業廃棄物の処理に重宝される。
…というかマリリンて。うちのルーシーと同じノリか。
「先輩、下半身大丈夫ですか?主にムスコとか」
「言わないで!ていうか早く助けをよんでこい!俺のジュニアが死滅する前に!!」
「わかりまし…だああっ!?」
気が付くと俺の足首にもがっちり巻きついてるツル。マグロのごとく逆さに釣り上げられる俺。
俺も性別転換の危機である。
「リアン、助けを呼ぶんだ!早くっ」
「え、でも皆のジュニアが…」
「心配するところそこなんだ!?そうなる前に早く!」
かなり切実に俺は叫んだ。
リアンは少し逡巡したのち、背を向けて走り去る。
「ぎゃああっ、ヌメヌメするーっ!」
「エイベル!」
エイベルも下半身を花に食われていた。
次は俺か!?
「先輩!火炎魔法とか使えないんですか!?」
「ダメだ!これ希少な植物なの!弁償代半端ないんだ!」
「え、いくらなんすか?」
「そんなこと言ってる場合じゃないだろ―――っ」
このままじゃ服が溶ける。救助されても要モザイクな下半身を露出することになるわけで、卑猥物陳列罪確定だ。
「先輩、このままじゃ俺たち露出狂ですよ!?」
「大丈夫!毎年何人か出てるから!」
「ちっとも気休めにならねええええ!」
「てか何でこんな危険な植物が平然と植わってるんすか!」
「先生の趣味だ!」
「先生―――っ!ん?」
叫ぶ俺だったが、ふと地響きが聞こえた気がして口を閉じる。
「3人とも無事!?応援呼んできた!」
茂みから泥だらけのリアンが飛びだしてきた。
「でかしたリアン!やけに早いな……え?」
希望に目を輝かせたエイベルと先輩の目が点になる。
ズドドドドッと地響きを立てて乱入してきたのは、
「人参が…増えた…」
20匹近くの…二足歩行する朝鮮人参モドキ。
その場がさらに混沌としたものになる。
人参Sを家来よろしく従えたリアンは、
「突撃!3人を救出せよ!」
「違う!それ援軍違うから―――!」
寄ってたかって俺たちを花から引き離そうとする人参S。
「いだだだだだだだっ!?」
すでにターナー先輩と同じ状況になっている。
「リアン、その人参どうしたの!?」
「掘ってきた!」
違う、俺たちが要請したのは人間の救助者だから!
胸を張るリアンに俺は泣きたくなった。
「リアン、これじゃあ焼け石に水だから!状況悪くなってる!!」
「大丈夫!これは時間稼ぎだから」
「何が!?」
「待ってて、『天満たす暁、楚は―――』」
「おい待てお嬢さん!その呪文は!」
何やら唱え始めたリアンに、血相を変える先輩。どうやら高等魔術のようだが、生憎俺にはさっぱりだ。
お嬢さん呼びなのは、先輩がリアンの名前を知らないからだろう。
「ストップ、待って、この植物高価なの!希少なの!考え直せ!」
ジタバタ暴れる先輩をよそにリアンは呪文を終える。
「天魔鳳凰炎!」
視界を紅蓮の炎が覆う。だが微塵も感じない。
炎の奔流は俺たちを避けてピンポイントでマリリンに直撃した。焦げ臭いにおいをまき散らしながらムシュシュ草は焼け落ち、俺たちはぽいと地面に投げ出された。
…よかった、ズボンも中身も無事だった。
助かったというのに、ターナー先輩の顔は真っ青だった。
「マ、マリリン…ッ」
ここまできてマリリンの心配をするのか先輩。もう原型残ってないけどね。
というか、ルーシーといいなんとも脱力を誘うネーミングだ。
「俺が無力なばっかりに…ごめん」
「先輩、そんなに落ち込まなくても」
「落ち込まないでか!これ知ったらヘッセン教授がどんだけ怒り狂うか…」
「え、でも生徒の身の安全には代えられないんじゃ」
「あの教授の愛情のベクトルはひたすらに植物向いてるからっ」
「…ああ」
「そんな感じする」
なんかわかってしまう俺とエイベル。ヘッセン教授の植物を語る目はかなりヤバい。
リアンは俺たちの様子に不思議そうに首をかしげる。
「サミュエルたちの教授は、そんなに植物を愛しているの?」
「それはもう」
打ちひしがれるターナー先輩は、うなだれたまま微動だにしない。かける言葉も見つからないまま、俺たちは立ち尽くす。
ドヤ顔の人参モドキが、歓声らしき不気味な声を上げている。
「リアン、この人参なんなの?」
ムシュシュ草がマリリンなら、先輩を引っ張っていた人参がチェリーということになる。
「キャロッティー。湿った土に群生する。刻んで煎じれば滋養強壮、涙は精力剤になる。同族意識が強く、仲間が襲われると地面から這い出して二足歩行で救出に向かう」
「人参なのに!?」
本人たち――人じゃないけど――を前にして刻むとか煎じるとかいっていいのだろうか。
というか、もしやこのキャロッティー一匹一匹に名前がついているのか…ついてそうだな。
入口の方面から、騒がしい声が聞こえてきた。
ターナー先輩がビクッと震える。
「何事ですか!」
裾をからげてやってきたのは、噂のヘッセン教授であった。
彼女の目の前には、マリリンの残骸と勝鬨を上げる朝鮮人参モドキ。
どうなるターナー先輩!
どうなるんだ俺たち!?
一言いわせてもらえるならば、人間>植物だと主張したい。