開幕のファンファーレ
後になってよくよく考えてみれば、俺は面倒事の匂いをかなり敏感に感じ取れていたのだと思う。
それを生かして上手く立ち回れば、厄介ごとに巻き込まれる確率は低かったに違いない。
だがしかし。
嫌と思ってても言えない…言い換えれば流されやすい典型的な日本人気質の俺は、面倒事の匂いを感じ取れはしても、友人を放り出してトンズラする度胸がなかったのである。
おまけに周囲はトラブルメーカーだらけ。
俺が歩いてもトラブルは襲ってこなかったが、俺の友人たちが歩けばトラブルが向こうから全速力で疾走してくる。エイベルもリアンもアレクシスもそのタイプであった。特にエイベルとリアンは面白そうなことがあれば嬉々として首を突っ込むのだ。
老爺と言い争うリアンを見たとき感じた嫌な予感。
それは俺の巻き込まれ人生の開幕を告げるゴングの音であったに違いない。
◇◇◇◇
「へえ、サミュエルは薬学科なのか。私も副専攻は薬学だよ」
「そ、そうなの…」
もの凄い美少女と知り合えて、会話しているのにちっとも嬉しくないのは何故だろう。
「そのトランク重そうだね。持つよ」
男が2人いて女の子に大きなトランクを持たせているのは良くないと思い、申し出る。重くてもエイベルと交代で持てばいいだろう。
「そう?じゃあお願いしようかな。あ、それほど重くないよ」
「…あ、本当だ」
「どれどれ?マジで軽いな!」
持ってみたトランクは本当に軽かった。軽量化の魔法がかかっているのか、かさばるのを気にしなければ寮まで俺一人でも持てる。吃驚した俺からトランクを取り上げたエイベルも感嘆の声を上げる。
「何も入っていないみたいだ」
「いや沢山入っているよ。中が亜空間になっているから見た目より大容量なんだ。軽量化の魔法もかかってる」
冒険者の夢のアイテムか!
珍しく俺のテンションはハイになった。
空間魔法がかかったアイテムは基本的に物凄い高価である。空間魔法の使い手も少ない上、材料のコストもかなりかかるためだ。定住しない冒険者はもちろんのこと、調合器具や薬草や瓶を持ち歩かなければならない薬師にとっても垂涎物の一品だ。
「サミュエル、これいくらすると思う?」
「白金貨が必要なのは確かだと思うぞ…見たことないけどな」
お金は銅貨、小銀貨、銀貨、金貨、その上に白金貨とある。50銅貨で小銀貨、4小銀貨で銀貨となり、25銀貨で金貨、10金貨で白金貨となる。
成人の食費が平均ひと月1銀貨とちょっとなので、白金貨なぞ庶民じゃ一生お目にかからない代物であるのはお分かり頂けるだろうか。
しかもリアンは亜空間トランクと言った。ただの空間拡張アイテムには容量に上限があるが、亜空間アイテムには上限がない。庶民に手が届くとしたらせいぜい空間拡張の方である。精霊魔術を必要とするこれの値段は…考えたくない。納税するのが嫌になる。
「イシュルフィードさんは…」
「リアンでいいよ。長ったらしくて呼びにくいと思うし」
「じゃあリアン。なんで入学が遅れたわけ?」
「うちの領地はレッカ州にあるんだ。領地経営の勉強をしろと父に放り込まれていた」
「じゃあそれが原因で?」
「そんなところかな」
なんか含んだような言い方である。
「レッカ州って魔術研究が盛んなんだよね」
「あ、俺も知ってる。有名な研究所があるんだよな」
レッカ州都は王都と並ぶ魔法研究のメッカだ。緑豊かな山野に囲まれた都市は周囲に精霊が多く住まうため、研究に適した地となっている。
何十年か前に優秀な術師であった領主が私財を投じて学術都市したという話だ。人嫌いな研究者は王都ではなくレッカに流れる傾向があるため、偏屈や変人の研究者が多いともっぱらの噂だ。
「ねえ、レッカの学術都市って変人が多いって本当?」
「あはははははっ、言いえて妙かもね。なんて言えばいいのかな…一つの分野に突っ走るひとが多いよ」
「もしかして、レッカ州の領主って…」
「うちのことだね」
あっけらかんと言うリアン。
思い出した。イシュルフィード伯爵家は代々優秀な魔術師を輩出してきた、国の魔術研究をけん引する一族だ。リアンは物凄い名家のお嬢様だった。
アレクシスの家など目じゃない、正真正銘の上級貴族だ。つまり将来国の中枢行き確定の人物。ついでに変人も多いと聞くが。そうか、だから娘を一般寮に放り込む気になるのか。
…なんか凄い知り合いを持ってしまった気がする。
そうこうしているうちに寮に着いた。
「ここが第3寮棟だよ」
リアンは寮をしげしげと見上げ、
「ボロいねっ」
そりゃ一般寮だもの。貴族の邸宅と比べれば質素に決まっている。たぶん俺の実家なぞ、リアンの家の厩より狭いに違いない。
だがリアンの声音には嫌悪や蔑みはないので、純粋に驚いているだけのようだ。部屋に入ればもっと驚くのではないかと思う。誰とルームメイトになるか知らないが、5畳ほどのスペースで生活したことはないと思う。
「あらサミュエルじゃない…こちらは?」
食堂のおばちゃんこと寮母のマダム・ベルが管理室から顔をだした。管轄下の寮生すべての顔と名前を憶えているというのだから恐れ入る。
「一週間遅れの新入生です。リアン、この人は寮母のマダム・ベルだよ」
「ああ、そういえば連絡があったわ!確かリアン・イシュルフィードね?」
「はい、よろしくお願いします」
ドレスの裾をちょんとつまみ、綺麗に一礼するリアン。
「じゃあ案内するわね」
「んじゃ俺たちはこれで」
女子寮に入るわけにはいかないので、トランクをリアンに返す。
「ありがとうサミュエル、エイベルも」
「どういたしまして」
にこりと笑ってお礼を言うティアン。同じ貴族でも、アレクシスとはずいぶん違うタイプである。
「それじゃあ、また」
「またなーリアン!俺たちこれから探検に行くんだけど、今度リアンも一緒に行こうぜっ」
無邪気にぶんぶん手を振るエイベル。エイベルの豪胆さというか図太さに飽きれつつも羨ましくなった。俺はいくら気さくな性格とはいえ、出会ったばかりの貴族の女の子に馴れ馴れしくはできない。
「これから探検に行くの?」
踵を返した俺たちの足を、リアンの弾んだ声が引き止める。
「そうだよ」
「待ってて!荷物置いたらすぐにくるからっ」
「え、来るの?別にいいけど」
「当然!」
肯定すると、途端に目を輝かせるリアン。かなりお活動的なお嬢様なようだ。
「マダム・ベル、部屋はどこですか?」
「あら、元気なお嬢さんね。サミュエル、待っててあげなさいな」
「もちろんいいぞ!」
だからエイベル、何故お前が答える。
拒否する理由もないので何も言わないが。
マダム・ベルをはやくはやくとせっつきながらリアンは女子寮に消えて行った。
「なんか…貴族のお姫様のイメージじゃないな」
「別にいいんじゃねーの?アレクシスよりは付き合いやすいと思うぞ」
「まあ、そうなんだけどね」
それを言われたらおしまいである。
だがエイベル、正直すぎるのもアレだと思うぞ。
「でもリアンがくるなら汚れそうな場所は行かない方がいいかもな」
「賛成。ドレスが汚れたら大変だろうし」
あの高価そうなドレスが破れたり汚れたら一大事だ。まさかズボンをはけとも言えない。
「まあ、万が一汚れても怒らなさそうだけどな」
「そうだといいね」
その心配は杞憂であった。
10分ほどでリアンは戻ってきた。
「待たせてごめん。この服を探すのに手間取っちゃって」
戻ってきたリアンはドレス姿ではなかった。膝丈の青色のワンピースと活動的な革のブーツという出で立ちだ。もちろん庶民が着る服に比べれば上質なのは確かだが、先ほどのドレスで行くよりよほど堅実である。
「着替えたんだね」
「だって探検でしょ?」
好奇心に目を輝かせて言う彼女は、きちんと『探検』の意味を理解しているようだ。10歳男児の探検がただの施設めぐりであるはずがないのだ。
この前行った探検も、『あの林に入ってみよう』だの『あの木箱の山の上、絶対見晴らしいいぜ』だの清潔とは言い難い場所にあちこち連れまわされたのだ。今日はリアンがいるのだから、危ない場所に行きたいとエイベルが言い出さないことを祈る。
「本当はズボンをはいたほうがいいんだろうけど、ここに来る前に爺に見つかって取り上げられちゃった」
「…だろうね。ていうか持ってたんだ」
老爺が眦を釣り上げて没収する光景が目に浮かんだ。お嬢様がこんなにお転婆では、世話係は苦労するに違いない。
俺は苦笑して、
「じゃあ行こうか」
「おうっ」
「エイベル、今日はどこ行くつもりなの?」
「んー、リアンは第一専攻が魔法科で、副が薬学だよな?」
「うん」
「んじゃ魔法科の校舎いって、薬学科の施設回るか?1年がよく使う倉庫とか薬草園とか」
エイベルが空気を読んだ!
初の快挙に俺はうっかり涙ぐみそうになった。ここで地下室探検!とか出入り禁止施設に侵入とか言われたらどうしようかと思った。
「賛成。まずは魔法科の校舎からだね」
「出発!」
勢いよく歩き出したエイベルはわずか数歩で足をとめて、こちらを振り返る。
「…ところで、魔法科の校舎ってどこだっけ?」
せっかく空気を読んだのに台無しになったよ。
「…あっち」
俺はエイベルが行こうとしていた方向とは別方向に、指を向けた。
◇◇◇◇
魔法科の校舎を見て、薬学科の校舎にやってきた俺たち。
休日だが薬草の世話に休日はないので、当番だったであろう生徒とすれ違う。薬草の世話は基本朝に行うのが一般的なので、みんな作業を終えて帰途についているようだ。
いつもはどこかしらの薬草園から賑やかな空気が伝わってくるが、当番の生徒しかいない薬学科の敷地は閑散として静かだ。
「広いね」
「色々な薬草園があるしね。ここが用具倉庫、あっちの第2薬草園が今一年生が使っている薬草園だよ。朝は大体あそこに集合するんだ」
一週間前地獄の草取りと畝立てをした薬草園の門は閉ざされて、もう当番は手入れを終えたのか施錠されている。
「鍵がついているんだね」
「悪戯防止策だって。あ、第1薬草園の鍵が開いてる」
隣の薬草園の錠は開いており、わずかに開いた門から覗くと、器具を片付けている上級生の姿が目に入った。
「休日なのに大変だね」
「生き物の世話には休日は存在しないしな」
頭に浮かんだのはルーシーである。休日にだって朝の恒例行事は欠かしちゃいけない…やりたくないけどね。
「あれ、あそこの薬草園は塀が一際立派だね」
リアンが指さしたのは他の薬草園より頑丈そうな造りの薬草園…もといヘッセン教授が乙女に豹変する下級生立ち入り禁止の危険植物が植わった薬草園だ。
「ええと…あそこは…なんていうか。俺たちも入ったことないんだけど」
「危ない植物が植わっているらしいぜ」
「危ない?どんな?」
「さあ…慣れれば可愛い仕草に見える植物があるんだって」
「なにそれ」
「ヘッセン教授がそう言ってただけ。下級生立ち入り禁止で、悲鳴が聞こえても下級生は―――」
―――入らず上級生か先生を呼ぶこと、という説明をしようとした瞬間であった。
ぎゃあああああああああああああああああああああ――――っ!
断末魔かくやという大絶叫が響き渡った。
「あの薬草園からだ!」
「ちょ、待ってリアン―――ッ!?」
リアンが俊敏に走り出した先は…危険薬草園。
なんでお嬢様なのに足が速いんだ!?待ってあそこ下級生立ち入り禁止!
運動など無縁そうなリアンだが、リスのようなちょこまかとした素早さでもって、あっという間に立ち入り禁止の薬草園に入ってしまう。
「おいサミュエル、俺たちも追うぞ!」
「落ち着けエイベル!あそこ立ち入り禁止!」
「リアンを置いてけってのか?」
カッコイイこと言ってはいるが、エイベルの表情はわくわくした楽しげなものである。
間違いない、こいつはリアンをダシにして薬草園に侵入する気満々だ。
「先生呼びに行った方がいいと思うんだけど!なんか嫌な予感がするんだけど!」
「行くぞーっ」
「人の話を聞けえええっ」
聞いちゃいない。
俺の腕を引っ掴んだエイベルは危険薬草園に走り出す。抵抗しようにもエイベルと体格差があり過ぎた。エイベルは俺より頭一つ分背が高いし、鍛冶屋の息子なだけあって筋肉がそこそこついているのだ。
「探検らしくなってきたぜ!」
「本音がダダ漏れだエイベルゥゥ――――!」
エイベルにズルズルと引きずられて、俺はヘッセン教授がうっとりする不気味な薬草園に足を踏み入れた。
これがリアン達が在学中に幾度となく巻き起こす騒動の、最初の事件となる。