恋人ができました?
作者の農業知識は素人ですので、間違っていても大目に見てくださると嬉しいです。
通常の薬草園は4か所ある。どれも周囲を石壁で囲われ鍵ついた門でしっかり閉じられている。通常種の薬草とはいえ、その扱い次第で毒にも薬にもなるのだ。悪戯に持ち出されないための処置だろう。
第2薬草園は連作障害を防ぐため休耕畑になっていたらしく、だだっ広い畑にはびっしりとレンゲを中心とした雑草が生えていた。
「ヒポ草は解熱鎮痛効果があり、丈夫で栽培しやすいため、よく使われる薬草です。ただし発芽から2週間ほどは根腐れしやすいので雨の少なくなる秋に種をまきます。また栄養素の少ない土に植えたほうが効能が高くなります」
今日種まきをする薬草の説明をするヘッセン恐怖。頭にタオルを乗っけてその上に帽子を被っているのは紫外線対策だろう。
丁寧に説明をしてくれるのは嬉しいが、生憎俺たちにその内容をメモする余力はなかった。
正直舐めていたかもしれない。
目の前には耕された畑、横には抜かれた雑草の山、死屍累々と転がる新入生。涼しくなったとはいえ、まだ日差しが強い中の野外労働は体力を無駄に消耗する。
授業初日だ頑張ろうと集まった俺たちを待っていたのは重労働だった。初っ端からひたすら雑草をむしり、えんやこらと鋤や鍬を振るい、畑を耕すはめになった。
「せ、先生…これ(開墾)と薬草学と何か関係あるんですか」
息も絶え絶えな女生徒がヘッセン教授に疑問を投げかける。
皆そう思っているだろう。薬草の栽培は農作業の一端とはいえここまでやる必要はあるのか。
作業着姿の教授はにこりと笑い、
「何事も経験が大事です」
「それ言外に関係ないって言ってますよねっ」
まさにその通り。
お袋曰く、これは新入生に課せられる伝統行事だそうだ。毎年恒例の嫌がらせみたいな。話には聞いていたが、想像以上にきつい。
実家の庭の畑の手入れならやっていたが、いかんせん規模が違う。
「一度やっておけば将来役立つかもしれません。それに―――」
そして教授は本音をぶちまけた。
「私のときも死にそうな目にあったのです。後裔にも味わってもらわないと気がすみません」
「最後のが本心ですよね先生」
「冗談です」
うそだ。最初の2つは建前で、絶対最後のが本心だ。
「さあ皆さん。転がっていないで次の作業にいきますよ。畝立て(うねだ)をして種まきです」
「ええーっ?これで終わりじゃないんですかっ?」
「当たり前です。それっ」
教授が指をパッチンと鳴らすと、視界に小さく見える用具倉庫がひとりでに開き、わらわらとホウキが飛び出してくる。
しかもこっちに向かって高速で飛んでくる。
「先生、ホウキ出して空でも飛ぶんですか?」
「違います」
「いででででっ!?」
「いやあああ」
「おああああああ!?」
転がっている生徒の尻を、飛んできたホウキがバシバシと叩き始めた。
なるほど、確かにあれならセクハラにはならない…そういう問題じゃないか。
「サボる生徒はこれでお尻ぺんぺんしますからね!」
「もうやっちゃってるから!叩いてから言っても意味ないじゃないですか!」
ひいひい言いながら逃げ回る生徒。何故か3本のホウキに追い回されてるエイベルが涙目で教授に訴える。
おかげで転がっていた生徒たちも半泣きになりながら起き上がった。
「授業は時間との勝負です!畝は東西へと横へ作ります。ヒポ草は根が深く生えるので高畝ですよ」
ヒポ草…日本語に訳したらカバ草である。なんという名前だ。
しかもヒポ草は実家でも栽培していたのだが、根っこはマジでカバに似ている。カバのずんぐりしたシルエットそっくりで、尻尾の部分が茎につながっている感じだ。
この世界にカバなんていないはずなのに名前がヒポだなんて面白い符合である。
「まさかこの薬草園全部がヒポ草になるんですか?」
「そんなわけないでしょう。ヒポ草を植えるのは一列だけです。明日にはモトト草の種まきをします。その他の種はもう少し経ってからですね」
「じ、じゃあ畑全部耕す必要なかったんじゃ…?」
「さあ皆さん鍬を持ってください。時間はあまりありませんよ」
「今明らかに誤魔化しましたよね教授っ」
文句を言う生徒をヘッセン教授は華麗にスルーし、畝立ての指示を出す。
「―――ここまでがヒポ草の区画となります。
「先生…俺次の座学起きてられる自信ないです…」
「私もです…」
「大丈夫です」
何が大丈夫なんだ。
俺が心の中で言うのとエイベルが呟くのが同時だった。教授は厳めしい顔で周囲を旋回するホウキを指さし、
「寝ていたら箒でお尻ぺんぺんです」
……鬼だ。
エイベル、アウトー!
前世の某バラエティ番組のフレーズと共にエイベルが尻を叩かれてる光景が目に浮かんだ。
◇◇◇◇
そんな感じで一限目が終わり、壊滅状態で二限目の座学を乗り越え、三限目―――…
前世にヒヤシンスという花があった。
俺が幼稚園のころ水栽培で育てた花だ。正直どんな花だったかは覚えていないが、球根を透明な水栽培用のポットにセットして水を入れ、根が出るまでロッカーの中に封印したことは覚えている。
その水栽培用のポットと球根が今まさに目の前に用意されている。だが球根の色は赤と紫の斑模様で、その形状は玉ねぎ型ではなく醜く膨れたジャガイモのようだった。
見るだに毒々しくてグロテスクなそれは、そこはかとなく内臓の塊に見えて、あまり直視したくない。
だがこれも薬草である。
「これはマンドラーナといいマンドレイクの一種です。池や沼地を好むので水栽培で育てます。大きく成長すれば強力な毒消しや石化を直す薬となります。さあポットにセットしてください…女性を扱うように優しく」
10歳のガキにそんな表現が通じるのか?
「先生、女性を扱うようにってどんな感じですか?」
案の定エイベルが教授に聞く。
ヘッセン教授も比喩が適切でなかったと気づいたのか言い直す。
「…崩れかけのプリンの乗ったお皿を持ってる気持ちで」
表現が極端に飛躍した。
言い換えれば女性は崩れかけのプリンと同じように扱えと。嘘だ、女って意外としぶとくて頑丈だぞ…特に精神的に。
だがお子様Sにはわかりやすかったらしく、納得の顔で頷いている。
「先生、なんでそんなに慎重に扱わなければいけないんですか?」
「胎教は大切です。生まれたときにトラウマが残ると生育に問題が出ます」
「球根に胎教ってなんですか。植物にトラウマなんて残るんですか」
「育てればわかります。セットはできましたね?ポットに名前が張ってありますので呼んであげてください」
ああ、識別用にマンドラーナって書いてあったな…あれ、植物名の下になんか書いてあるぞ。
……『ルーシー』って読めるんだけど。
なんだこれ、正式名称とアルヴィース名称か?洋名と和名みたいな感じで。
「…『マリー』ってあるぞ」
なんだと?
隣のエイベルのポットを見ると確かにマリーと書いてある…てことは、これ球根の個人名!?
「サミュエルのは?」
「俺ルーシーってあるんだけど」
ひそひそと話していると、近くにいた女生徒も加わってくる。名前は確か、ルシアナ・モアだ。
「ねえ、そっちの名前どうなってる?」
「ルーシーとマリーだ」
「あたしのはリジーで、ゲーテルのはベティだったわ」
「なんで女の子の名前ばっかり!?」
グロテスクな球根に似つかわしくない可愛いネーミングなだけに、余計にシュールに感じる。
周囲のざわめきが治まると、教授は説明を続ける。
「このポットはそれぞれ持ち帰って大切に育ててください。マンドラーナは育成にとても時間のかかる植物で、成体になるまで5年ほどかかります」
そんなにかかるのかと、ポットをしげしげと見る。
「このマンドラーナを5年かけて育て上げなさい。繊細な植物ですので愛情をかけてあげるように」
愛情って…サボテンに話しかけるノリでいいのだろうか。
「水は週に一回取り替えるように」
「叫ばないんですか?」
「ええ。不満などは動きでわかりますよ」
動くんだ。
透明だから観察はしやすいだろうが、あまり見たくはない。
「噛みつくことがありますが、歯がないので痛くないですよ。半年もすれば根がある程度形成されるので、週に一度生肉をおやつとして与えてください」
「先生、肉はどうやって与えるんですか?」
「ポットに沈めれば勝手に捕食してくれますよ。経過をみるので毎月月末に提出するように」
肉食!?
一気にこの植物が怖くなった。
というかマンドレイクの一種なのだから、根っこは人型になるはずだから絶対不気味…そうかだから名前がルーシーなのか。
ということは根っこが肉をパクパク食べるのか?
歯がないのにどうやって食べるんだ…まる飲みか。
考えたくない。
「恋人に接するように大切にしてください。ちなみに6年生になったら授業で使います。」
恋人のように接してきた植物を授業で切り刻むのか!?
ヤバいくらい猟奇的というか倒錯的というか…
とりあえず、恋人が我が家にやってきます。
その夜アレクシスに思い切り気味悪がられたのはいうまでもない。