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入学式


ギィ…


衣擦れとドアの閉まる音を聞いた気がして、俺はゆるゆると思い瞼を開けた。

昨日入寮したばかりの部屋はまだ見慣れない。目をこすりながら起き上がると、朝焼けの空が窓の外に広がっている。

今何時だ…?と寝ぼけた頭で時計を見るとまだ5時だった。まだ2時間は寝れる。

欠伸を一つして再びベッドに潜り込もうとして、ふと向かいのベッドを見る。シーツと掛布は綺麗に直され、もぬけの空なのがわかる。

音はアレクシスが部屋を出て行った音だったらしい。一体どこに行ったのか。食堂は開放されるのが6時半からなのでないだろう。

もしかして散歩か?とベッドを降りて窓を開けてみる。途端に秋のひんやりとした空気が室内に流れ込んで、俺は慌てて上着を羽織った。


「……ふっ、はっ」

「?」


下から僅かに声が聞こえた。窓から顔を出して中庭を見下ろす。

木刀を持ち一心不乱に素振りするアレクシスがいた。


「…へえ」


少し以外だった。昨日は貴族らしいふてぶてしい態度に苛ついたが、こういう面もあるのかと感心する。努力する人間は嫌いじゃない。

…それでも仲良くなれるかは別だ。昨日のあれはないと思う。マットレスまで換えさせられたことを思い出し苦い顔になった。

すっかり眠気が覚めてしまった俺は二度寝は諦め着替えることにした。薬学の教本を読んで予習でもしていれば、朝食までの時間は潰れるだろう。


俺が本を読む間、アレクシスの素振りの音が途絶えることはなかった。







予習をして時間を潰し、開放時間ピッタリに訪れた食堂は予想に反して混んでいた。

いかにも徹夜明けといった目の下に隈作った上級生や、俺と同じ新入生らしきやつもいる。緊張して眠れなかったのかもしれない。

俺は食券を持ってカウンターを覗きこんだ。


「おはようございます」

「おはよう。あら見ない顔ね。新入生?」


厨房に向かって挨拶をすれば、配膳をしている恰幅の良い中年のおばちゃんが気安げに応じてくれた。


「はい。サミュエル・ロジスティスです」

「あらあらご丁寧にありがとう。あたしはベル・ハンニバルよ。生徒たちからはマダム・ベルって呼ばれてるわ。よろしくね」

「こちらこそよろしくお願いします」


肝っ玉母ちゃんといった風体のマダム・ベルはからりと笑い、俺から食券を受けとると朝食の乗ったトレーを差し出してくれた。

本日の朝食のメニューは全粒粉のパンに豆のスープ、サラダに厚切りのベーコンとオムレツといった定番のものだった。

前世は和食派であったのでご飯とみそ汁が食べたいときがあるが、米を生産しているのはアルヴィースから船で1か月はかかる西大陸だけだ。

輸入品の上に輸送コストがかかる米は非常に高価であり庶民が買うにはきつい。

一度だけ食べたことがあるが、品種はどう見てもインディカ米のように細長で、俺の求めてるジャポニカ米ではなかったし味もイマイチだった。

米を栽培する暇も勇気もないので諦めた。世界に順応するこれ大事。

俺は空いている席に座った。パンを千切り塩味のそら豆スープに浸し、スプーンですくって食べる。

全粒粉のパンは全体的にボソボソしてるのでそのままで食べると口内が乾くのだ。

白い小麦のパンは滅多に庶民の食卓には並ばない。細かく挽かれた小麦のパンを食べられるのは裕福な豪商か上級貴族だけだ。

庶民が食べるのは殻まで一緒に挽いて嵩増ししたパン、つまり俺が食べてるやつだ。

だが白い小麦より栄養価が高いので、質素な生活をしている庶民にはこっちの方が体にいいのだろう。

10年かけてようやく慣れた味を咀嚼していると、隣に誰かが立つ。


「隣いいか」

「どうぞ―――って、アルスタットか。おはよう」

「ああ、おはよう」


なんで隣に座るんだ!俺まだお前との丁度いい距離感つかめてないんだけど!


心の中で叫びながらも、にこやかに首肯する俺。日本人の特技・事なかれ主義は中々治らない。

だってルームメイトだもの。人間関係は円滑とまではいかなくても不干渉くらいには維持したい。


「朝練終わったんだ?」

「見てたのか」

「うん…まずかったかな」

「別にいい。もしかして起こしたか?」

「まあね。でも予習できたしいいよ。毎日やってるのか?」

「ああ」

「すごいな」

「べ、別に大したことじゃない」


俺は根性なしだから無理、と言えばアレクシスは照れたようにそっぽを向いた。

なんだ、少しは可愛げがあるじゃないか。


「入学式は10時からだっけ?」

「そうだ。30分前までに講堂に各専攻ごとに整列だ」

「じゃあアルスタットとは別になるね。あーあ、俺制服苦手なんだよな」

「慣れろ」

「うい」


なかなか上手く会話できるようになってきたぞ。

偉そうな口調も、そのうち慣れるだろう。忍耐とは人生において大事だ自分…と己に言い聞かせながら俺はベーコンを口に押し込んだ。











◇◇◇◇









「我が王立ローベルス学院は建国後初の――――……」


壇上の学院長が学院の歴史と誉れを滔々と話しているのを、俺は欠伸を噛み殺しながら聞き流す。

講堂に整列する真新しい制服に身を包んだ新入生225名の生徒の大半が俺と同じ状況だろう。

1000人近くも在籍する学院の講堂はかなりでかい。

白い石造りの建物で、50年くらい前に改築されたらしいが、随所に建国当時の様式の名残を残している。

講堂の天井近くをぐるりと一周するように嵌められたステンドグラスの天窓は初代国王の逸話を模したものでおとぎ話の世界に入った気分になる。

学院長の挨拶が長いのはどこの世界でも同じだと実感しつつ、注意深く周囲を見回す。俺みたいに庶民丸出しのやつもいれば、いかにも貴族な雰囲気のやつもいる。

アレクシスは騎士科の列にいるはずだ。

入学式は学院長の挨拶のあと来賓の祝辞、そのあとに各科の教授の紹介だ。式が終われば各専攻ごとでオリエンテーションだ。

俺は早く学院長の長ったらしい演説が終わることを願いながら、眠気と必死に戦い続けた。




苦行のような入学式を乗り越え、ようやくオリエンテーションになった。

俺たち薬学科の新入生31名は講堂を出、薬草園や温室などを併設する校舎の一室へと場所を移動した。

講義室はすり鉢状の階段教室だ。講義室は広いのだが薬学科の人数は少ないので、かなりがらがらな状況になる。

教壇へ立つのは1人の教授と2人の上級生。教授は50代くらいの女性で背が高くコンパスみたいにやせぎすで、厳しそうな面立ちだが目は優しげに垂れている。

2人の上級生は男と女が一人ずつで、制服のラインが青いことから最上級生の6年生だろう。


「先ほど軽く紹介されましたが改めて。私が貴方がたに薬学を教えることになったヘッセンです。よろしくお願いします。そして―――」


ヘッセン教授は2人の上級生を見る。


「薬学科の代表監督生のロックウェルとターナーです。困ったことがあれば彼らに相談するように」

「ご紹介に預かりました6年のカリーナ・ロックウェルです。よろしくお願いします」

「同じく!クリフトン・ターナーでっす!気軽にクリフ先輩と呼んでくれたまえ!困ったこと相談事いつでも受け付けまーす!可愛い女の子なら更に大歓迎、ラブレター差し入れいつでも受け付け―――ごふっ」


ターナー先輩のみぞおちにめり込ませた拳を引き抜くロックウェル先輩。体をくの字に折り膝をつくターナー先輩。


「カリーナ…今日もいい拳だぜ…でもSMプレイは部屋で2人きりがぐはっ」


華麗な踵落としが決まり、ターナー先輩は床に沈んだ。静まりかえる新入生をよそにロックウェル先輩はターナー先輩の首根っこを引っ掴んで教室の外に放り出した。

ターナー先輩をドロップアウトさせた彼女は、袖をはたきながら元の位置に戻ってきた。


「…失礼しました。一応あれでも面倒見はいいので頼りにはなるかと思います。女生徒の皆さん、もし彼に言い寄られて迷惑するようでしたら私にご相談ください。殴っておきますから」


なにこれすげえDV。

しかも教授も平然としているってことは、あれが日常茶飯事なのか!?


ざわつく室内。俺と同じようにびびってるヤツが大半だが、中には『カリーナ先輩美脚!』だの『なんて素敵なお姉さま…っ』とか若干ずれたコメントも聞こえてくる。

まあ、確かに先輩の足綺麗だったけど。よし、俺も心の中ではカリーナ先輩と呼ぼう。


「見ての通り薬学科の人数は他の科に比べて人数が少ないですが、その分結束が固いです。皆で頑張りましょう」


そうロックウェル先輩は締めくくると一礼して教室脇に下がった。監督生の挨拶は終わりらしい。

再びヘッセン教授が口をひらく。


「薬学科は薬草の効能や栽培法、魔力の制御はもちろん医療知識も必要となる大変難しい分野です。心してください」


教室のあちこちから元気のいい返事があがった。


「では大まかな授業内容を説明します」


教授の説明を要約するとこうだ。



俺たちは薬学科に属してはいるが、3年までは一般教養や護身術などの分野も含め幅広く学ぶらしい。

これは子供たちの選択肢を増やすため。

生徒の中には途中で他の分野に目覚めてしまうものもいるらしく、毎年1人2人は異動希望を出す生徒がいるそうだ。

6年間の課程のうち、3学年までなら科の移動が可能。それ以降はよほどの事情がないかぎり許可されない―――たとえば騎士科で大怪我して剣を振るえなくなったなどの理由があれば別だ。

3年生までは普通の薬草の栽培や調合、座学を中心に学び、4年からは魔力を用いた魔法薬や危険な毒草の栽培を学ぶ。

配られた時間割を見ると薬学が4割、魔法学が2割、その他の分野が均等に4割といったところか。浅く広く学べということだ。

意外と多い護身術の授業に俺は自然と苦い顔になる。

いや学院の言いたいことはわかる。十代前半の運動は体の育成に大切な要素だ。貴族も多いから護身術を身に着けておいて損はない。

おまけに魔族との国境の状況がきな臭くなってきたという噂もあるし、身を守る術は必要だ。だがしかし。

苦手なものは苦手だ。人を殴るのも殴られるのも御免こうむりたい。


「―――以上です。何か質問は?」


一通りの説明を終えた教授が、教室を見渡す。


「よろしい。では昼食をとったあと、薬学科の施設案内になります。1時間後にまたここに集合してください」


教授と先輩が教室を出ていくと、俺の後ろにいたやつが話しかけてきた。


「俺、エイベル・アダムスだ。一緒に飯行かねえか?」

「俺でよければ喜んで。俺はサミュエル・ロジスティス。よろしく」

「おうっ」


でかい。

エイベルを見た俺の感想がそれだった。俺と同じ年のはずだが、その身長は俺より頭一つ分以上は高い。言っておくが俺の身長は平均的だ。

成長期が早かったのか、それとも遺伝子の奇跡かはわからないが俺の学年の中で一番ノッポだろう。


「生まれはどこだ?」

「生まれも育ちもシュライズだよ。アダムスは?」

「エイベルでいいぜ。俺もお前のことサミュエルって呼ぶから。俺はザイモン州から来た」

「じゃあロクサとの国境の州だね」


神聖ロクサ王国はアルヴィースの北に位置する国で、まあ所謂宗教国家だ。

100年くらい前までは魔法のあり方を巡りアルヴィースと戦が絶えなかったらしいが、108年に平和条約が結ばれそれ以来友好国となっている。

そのロクサと国境を接するザイモンは防衛の拠点であったので、堅牢な城壁をもつ城塞都市となった。戦争の名残か今でも数多くの鍛冶職人を抱えている。


「ザイモン州の人って鍛冶職人多いんだよね」

「おう。俺の親父も鍛冶職人だぜ」

「エイベルは目指さなかったの?」

「親父には鍛冶師を継げって言われた。でも俺薬師に興味あってさ」

「へえ」

「俺5歳のとき白砂病に罹ったんだけど」

「え、よく生きてたね」

「本当にな」


白砂病は数年前に北部で大流行した病気だ。冷温な地方特有の病気で、体中に白い細かい斑点が出るのが特徴で、体の温度が一定に保てなくなり高熱と低体温を断続的に繰り返し、それに体がついていけずに衰弱して死に至る。

特に子供がかかれば致死率は高く、6割以上の罹患した子供が死んだそうだ。国中の薬師が駆り出されて対処にあたった。


「そんときに王都から来た薬師さんに助けてもらってさ、それで薬師に憧れてたんだ。だから王都にきた」

「そうだったのか」

「跡継ぎは弟たちもいるし、それに」


エイベルはにやりと笑った。


「親の言いなりになるのが癪でさ」



俺はしょっぱい気持ちになった。

俺、めっちゃ親の敷いたレールの上を走ってます。


「親に反対されなかったわけ?王都の学院に来るの」

「されたからおん出てきた」


まさかの家出少年だった!


「伯父さんが州都の錬金術師なんだけど、その人が応援してくれて後見人になってくれた」

「そ、そうなんだ」

「王都の学院なんて貴族ばっかかと思ってたらサミュエル見つけてさ。なんか俺と同じく庶民臭ぷんぷんしてたから話しかけてみた」

「そ、そうなんだ…」


なんか釈然としないこの気持ちはなんだろう。


「ところで早く飯行こうぜ」

「そうだね」

「どうせなら外に食いに行かねえ?おすすめある?」

「安くてうまい定食屋あるよ」

「んじゃそこで」




拝啓・お袋さま(ついでに親父)

俺、学院で友達第一号をゲットしました。



名前はエイベル、称号は家出少年です。


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