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第二部 第3章

 正直キリオは不安も感じていた。そこは人が生きられるような世界なのだろうか?自分の常識の通用する世界なのだろうか?

 だが一瞬のめまいの後で見た世界は別の意味で想像と違っていた。

 最初、移動に失敗したのかと思った。さきほどの地下研究室のままだったからだ。だが、よく見ると明らかに違う点があった。カルラがいない。

 ゾウは疑問に答えるかのように頷いた。

『ココハスデニイセカイダヨ』

(パラレルワールド?)

『オソラクダレカノアタマノナカノセカイ』

(頭の中?)

 その時キリオは人の気配を感じ後ろを振り向いた。そこには若い女性がスッと立っていた。

「そう、ここはわたしの頭の中の世界です」

 キリオは咄嗟に浮かんだ名前を口にした。

「カルラ・・・?」 

 カルラは静かに微笑んだ。

「残念ながらわたしはこの部屋からは出ることができません。あのドアを通って次の世界へ向かってください。さあ早く。ここでの時間はもとの世界とは違う速さで進んでいます。立ち止まっているとあっと言う間に月日が流れてしまいますよ」

 ゾウとキリオはカルラが示したドアの方へ向かった。なにか名残惜しい気持ちもしたが留まっている余裕はない。

 ドアを開けると外には次の世界が広がっていた。カルラの世界はこの研究室だけだということか。なんと小さな世界であることか。標本や実験器具や機械類が雑然と埋める世界。戻って来たらもっと広い世界を見せてあげたい、と思った。

 そして二人は次の世界へと足を踏み入れた。


 その日、増田はテレビ局の控え室でプロパガンダ放送の打ち合わせをしながらマチヤの様子に変化を感じていた。努めて平静を保ってはいるが、いつもと躍動感が違う。こんなことは以前にもあった。ゾウという仲間が収容所を脱獄した時だ。だがあの時よりももっと具体的な歓喜を想起させる表情だ。

 心を探るが曇って読み取れない。明らかにガードをしている。 

「なにか・・・隠していることがあるね?」

 探りを入れる。が、当然素直に答えるはずもない。

「もしそうだとして、なぜあなたに教えなければならないの?」

「このところいろいろと不穏な動きがあってね。君の知り合いがからんでいるのではないかと疑っているのだよ」

「あなたはあの日ほとんど死んでしまったと言ったわ」

「ああ、そう言ったな。だが他にも仲間がいただろう。この間脱獄した男はいったどこでなにを企んでいるのか」

「知らないわ、六道町でも探したらどう?」

「もちろん探した。だが見かけた者はいなかった。わたし自身も研究所の中まで調べたがなにも見つからなかった」

「じゃあどこか遠くへ逃げたのね」

 増田は白々しさにいらだちを募らせた。

「君は心をガードしている。隠しているのは明白なんだよ!」

「誰だって隠しておきたいことのひとつやふたつはあるわよ。だいたい勝手に人の頭の中を覗こうとするのは止めてもらえませんか?気分が悪いわ」

 増田の顔が怒りで赤くなる。思わず手を出してしまった。胸ぐらを掴むと激しく言った。

「しらばっくれるな!おまえは俺を舐めてるんだろ?今まで利用価値があると思えばこそ生かしておいたがなんなら今すぐ死なせてやってもいいんだぞ?おまえの命なんぞ俺の一存でどうにでもなるのだいうことを忘れるな!」

 マチヤは引かなかった。希望の光が見えていたからだ。

「殺せるものなら殺しなさいよ!でも絶対後で今の言葉を後悔させてあげるわ!」 

 増田はマチヤの頬を平手で張った。マチヤは床に倒れた。口元が切れて血が滲んだ。

「言葉で言ってわからんようなら体に訊くしかないな」

 マチヤは後ずさった。

「本性を出したわね。あなたはそういう男よ」

 増田は冷たい笑いを浮かべるとズボンのベルトに手をかけた。

「なにをしている?」

 背後の声に凍りつく。

 増田もマチヤもまったく気付かなかった。いつからそこにいたのか?

「須磨・・・」

 須磨は増田に冷ややかな視線を投げかける。

(相馬といいこいつといい実に気味が悪いやつらだ。その人を蔑むような視線、気に入らない)

 増田は焦りを見せぬよう敢えて間を取ってから言った。

「この女はなにか重要な秘密を隠している。われわれの脅威となるやもしれん」

 須磨は抑揚を抑えたトーンで言う。

「それで痛めつけようとしていたと」

「わたしのやり方に口を挟まないでほしいね」

「それが君のやりかたなら構わんよ。しかし舌でも噛んで自害するようならば君の失態だ。そのへんをよく考えることだ」

 増田は話の矛先を変えるように言う。

「そういう君の方はどうなんだ?なんでもあの脳みそにご執心のようだがなにかわかったのかね?」

「わたしにもわたしのやり方がある、ということだ」

 須磨は動じなかった。それがまた腹立たしい。

「収容所の侵入者だが、死んだ囚人の記憶を解析した結果ある者たちが浮かんだ。ひとりはベーシック、わたしの配下の男だった」

 増田は反応した。

「なんだと?おまえはそれを見過ごしていたのか?」

「その他に」須磨は構わず続ける。

「PSIが4人。君があの日始末しそこねた者たちだ」

 増田はしばし愕然とし、すぐにマチヤを睨んだ。

「知っていたな?」

 マチヤは睨み返した。

「あなただってわかっていたくせに。知らないふりをしてごまかしてた、保身のためにね」

 増田は歯ぎしりした。

(確かにわかっていた。そのことがずっと心に引っかかっていた。この女を手元に置いたのはそのためだ。それを認めたくはなかったが)

「今日はそのことを伝えに来た」

「それだけか?」

 と振り向いたがもうそこに須磨の姿はなかった。現れたときと同じようにいつのまにか消えていた。

(まったくもっていまいましいやつだ。それにしてもこうなるとゆっくりもしていられない。あいつらの足取りを追うためにももう一度六道町を徹底的に洗う必要があるな)

 増田はそれ以上マチヤに手を上げるのはやめにした。

(こいつはまだ役に立つ。人質は大事にせんとな) 


 扉を開けると草原が広がっていた。

「このだだっ広い世界のどこを探せばいいんだ?」

 キリオが広々とした草原にため息をつく。どちらに向かえばいいものか逡巡する二人の目の前にうっすらと光の道が浮かび上がる。おそらくはカルラの示す道しるべだ。

 二人は光の道筋を追って歩き出した。やわらかな風に草花が揺れ、小さな虫がせわしなく舞っている。その牧歌的な世界にいかついスーツを着た二人はあまりにも不似合いだった。

 光の道は花で溢れかえっている小高い丘の上に続いていた。

「あそこにアリシアがいるのか?」

『オソラク』

 二人は自然と急ぎ足になった。もう少しで彼女に届く、そう思った彼らの眼前の空間が波を打ったように揺れだした。

「下がれ!」

 キリオは本能的に危険を察知して叫んだ。

 間一髪、二人の足元が崩れ、見る間に切り立った崖となった。続いてその崖の向こう側の空間に鉄のドアが現れた。 

 ドアがギイと軋むような音を立てて開くと、中から男が現れた。それはキリオがよく知った顔だった。

「司馬少尉、君には正直失望したよ」

 青いスーツの男、須磨。この異世界にあってまるで自分の庭のように落ち着き払っている。

「どうやってここまで・・・?」

 戸惑うキリオに須磨は言う。

「次元を超えられるのはそこにいる彼だけの力ではないのだよ」

『サキマワリシヨウ』

 ゾウが崖をテレポートで越えようとする。

「それは無理な相談だ」

 須磨は二人をテレポートを封じるための結界で包み込んだ。

「君たちには次元の狭間に落下してもらおう。二度と這い上がれないほど深い闇の奥底へね」


 遡ること数時間前。須磨はカルラのもとを訪ねていた。一目で何者かが侵入したことがわかった。カルラは普段は維持状態に設定されているはずなのだが、それがなぜか活動状態にあったからだ。

 いつにもまして厳重な警備をくぐり抜けて侵入することが出来るのはテレポート使いに違いない。もちろん、ここには結界が張られていた。だが敢えて一箇所だけ隙を作ってあったのだ。それは須磨自身が往来するための穴であった。返す返すも自分の甘さに辟易した。

「あなたが手引きしたのか?隙間があるとはいえ通常では侵入できぬようにしてあった。内部から導いたのだろう。来たのは一人か二人か・・・。なにを企んでいるのだ?」

 カルラは答えなかった。そのかわり背後からガサゴソと獣が這いずり回るような音と、シューシューという空気が漏れるような不気味な音が聞こえてきた。

 やがてドアが見る間に腐るように溶けてゆき穴が開くと、そこから怪物が乗り込んできた。研究所で番犬代わりに飼われているチャムだ。

「マインドコントロールで操っているのか。あんなものでは時間稼ぎにもならんぞ」

 一匹二匹三匹・・・。前、後ろ、そして天井からも狙っている。そして不快なうめき声をあげると須磨に飛びかかって来た。

 だが一匹として須磨の体に触れることさえできなかった。須磨はスッと最小限の動きですり抜けるようにかわすとすれ違いざまにチャムに冷たい視線を向けた。次の瞬間、チャムの体が砂となり床にこぼれ落ちた。ほかのチャムも同様にすべて砂となって床に堆積した。

「カルラ、あなたとはどこかで分かり合えると思っていたのだが、わたしの思い過ごしだったようだ」

 カルラは重い口を開いた。

『あなたが望む世界には光が見えません。あなたはどこへ向かっているのですか?』

 須磨はそれには答えず目の前の空間を凝視していた。須磨の目にはわずかな歪みが見て取れた。次元のひずみだ。

『待ちなさい!』

 須磨はカルラの声を無視してそのひずみに足を踏み入れた。


 キリオとゾウの足元がみるみる崩れて行く。二人は逃れられず奈落へと落ちていった。

 だが須磨にはその呆気無さが返って不自然に感じられ、崖の上から目を凝らした。

 その刹那、須磨は背後からがっしりと組み付かれていた。ゾウが背後に回っていたのだ。

「貴様あの結界を破ったと言うのか・・・」

 須磨はゾウの力を見くびっていた。自分の後ろを取られるなどということは考えてもいなかった。リポートからも極めて非戦闘的でひ弱な性格と判断していた。そしてなにより自信過剰からくる油断のせいだった。

 ゾウは須磨の体をギリギリと締め上げた。どこにこんな力が眠っていたのか。須磨の体中の骨がきしんだ。

『キリオ、ボクニカマワズアリシアノモトヘ!』

 キリオはためらった。だがゾウは重ねて言った。

『イマノウチニハヤク!』

 須磨の力は視線の及ぶ範囲にしか届かない。ゾウがそのことを知っていたのかどうかはわからない。だが須磨にとって背後を取られたのはまずかった。

「させるか!」

 須磨は闇雲にあたりを『壊し』始めた。そして自分とゾウを一緒に包む強力な結界を張った。

「このままではお前も一緒に落ちるぞ」

 だがゾウは本能的に手を離すのは危険だと悟っていた。

「ばかめ!」

 須磨がもがくと二人はバランスを崩し共に奈落へと落ちて行った。


 増田はふたたび六道町を調査していた。自分の足でくまなく見てまわるためだ。当然府馬博士の研究所にも足を運んだ。しかし以前と変わらずなんら変化は見られなかった。

(おかしい、そんなはずはないのだが。もしかすると本当に彼らはここへは来ていないのか。確かに見張られている場所にのこのこ現れると考える方が不自然か)

 増田は監視員を集め、ひとりひとりと面接までした。もしや買収されているのではないかと勘ぐったからだ。

 そうやって詳細なレポートを取るとある不思議な符合に気づいた。

(時間の整合性がズレている・・・)

 それは彼自身がマインドコントロールの使い手であることから感じた直感であった。

(こいつらマインドコントロールされている!)

 そしてハッとして自分自身の行動を時間系列にまとめて書きだしてみた。はたして彼自身の時間の整合性もズレていたことに気付かされた。

(この町にはマインドコントロールの能力者がいる!それも俺の力をはるかに凌駕するほど強力な!)

 だが以前調べたデータにはそのような能力者の存在は確認できなかった。あの後合流した者なのだろうか。いずれにせよ対PSI用にシールドされた防護服を無視して力を及ぼすほどの能力者がいるに違いない。だがいつどの時点でかけられたのか?皆目見当もつかなかった。

 相馬に報告するべきか?だが自分の失態に端を発する問題で泣きつくのは避けたいものだ。

 とにかく真相がわかるまではあの町に近づくのは危険だ。増田は府馬博士を官庁に呼びつけることにした。くれぐれも一人で来るようにと申し添えて。

「お越しいただいたのは他でもありません。最近妙な動きを見せる者たちの存在が確認されましてね。その者たちについてなにかご存知ではないかと思いまして」

 当然のごとく博士は否定した。

「単刀直入にお尋ねしますが、六道町にかつてのクーデターの時に暗躍したメンバーが潜伏してはいますまいか?」

「彼らは死んだと聞いておりますが?」

「ところがそうではなかったようです。話を変えますが、あの町に駐留する監視員を調べた結果、強力なマインドコントロールの影響下にあったことが判明しました。この点についてはいかがでしょう?」

「知る由もない」

「隠し通せるものではありませんよ?いいですか、その者を一両日中に出頭させてください。もしできぬようならば軍を用いて六道町を無差別に攻撃します」

 博士はまったく動揺することなく平然としている。

「これは脅しではありませんよ。甘く見ていると後悔することになりますよ」 

 博士を帰すと増田はひとりほくそ笑んだ。

(どうせ名乗り出てはこないだろう。だがそれで良い。これであの目障りな町を一掃できるのだからな)


 相馬は新議事堂の国会で野党勢力の動向を苦々しく感じながら答弁を続けていた。

(こいつら誰のおかげでその椅子に座れるようになったと思っているのか。PSIと言うだけでいい顔ができるのもすべて俺のおかげだとわからんのか。いっそこいつらすべてマインドコントロールして洗脳してしまうべきか?いずれはそうするべきかもしれん)

 相馬の大きな誤算はクーデターにより政権を奪ったまでは良かったが、独裁政権というわけにはいかなかったことだった。確かにPSIがベーシックに虐げられていた時代は終わり、PSIによる新政府が誕生した。だがそれで何が変わったのだ?そのことを考えるとやりきれない気持ちにさえなるのだった。

(いざとなれば俺にはインドラがある。あれは国の最高責任者のみが使う権限を持っているのだ。そのことをいつか思い知らせてやらねばなるまい)

 軍隊を掌握しているのも自分の配下の須磨だ。反対勢力はなんとなれば力でねじ伏せてしまえば良い。だが気になることもあった。

(増田はいったい何をしているのか。生き残りをどう始末するつもりなのか。もし俺達の所業が明るみに出れば野党のハイエナどもは一斉に蜂起するに違いない。まあ、あの程度の雑魚どもがなにをほざこうが気にするまでもないのだが。ただ小さなほころびから大事に至る場合もある。根は絶っておかねば) 


 増田の思惑通りなんの進展もないまま二日が過ぎた。増田は大掛かりな軍の出動を命じ、自らが指揮を採った。

 安全に、そして確実に叩くため距離を取り戦車をずらりと配備した。

(例のメンバーはともかくマインドコントロールされるのはまずい。何者も近づけずに一方的に叩けば良い。どれ一発お見舞いして様子を見るか)

 増田の合図で威嚇射撃が始まった。人気のない通りや公園に向けて数発の砲弾が打ち込まれる。しかし目立った反応はない。建物の内部に避難しているのか。

(どこまでも舐めた奴らだ。だがいつまでそうしていられるかな?)

 増田は目標を学校に定めた。通常ならば授業中のはずであった。そして一発の砲弾が炸裂した。双眼鏡を覗き込むと校舎の壁が大きくえぐられ、崩れているのが確認できた。

「何者かがこちらに向かってきます!」

 隊員の声に双眼鏡の方向をそちらに向けると数人の人影が向って来るのが見えた。

(やっぱり出てきやがった!思うつぼだ!覚えているぞ、お前たち。空を駆ける獅子と黒豹の兄弟。氷の使い手と雷の使い手。刃物を振るうすばしこい女に足の早い男。あの時コケにしてくれた礼を言うぞ。さあ死ね!)

「あいつらを全員生かして返すな!集中砲火!全弾撃ち尽くしても構わん!」

 一斉に銃弾と砲弾を雨あられと浴びせ続ける。さながら絨毯爆撃である。それが10分ほど続いた後制止の合図を出した。あたりはすべて瓦礫の山と化していた。

 生命反応をチェックするが生存者は見当たらない。だが増田は慎重を期し、隊員に確認に行かせた。

 しばらくすると隊員がなにかを見つけたらしく増田を呼んだ。増田は興奮を抑えつつ走った。そしてそれを自分の目で確認し、歓喜した。そこには攻撃の成果であるぼろぼろになった死体が転がっていた。破損が激しくはあったが、まさしくあの時のメンバーの一人だと見て取れた。 

「翼をもがれ牙を折られたライオンか、ざまあないな!」

 増田は死体を足蹴にした。

 その後次々と他のメンバーの死骸も見つかり、全員の死亡が確認された。

(完全勝利だ!まさに完全なる勝利だ!これでようやく枕を高くして眠れるぞ)

 増田はこのところの寝不足から開放されることを喜ぶと、意気揚々と引き上げを命じた。


 須磨はゾウに背後からがっしり抱え込まれ身動きもとれずにいた。そしてそのまま二人は次元の狭間を真っ逆さまに落ち続けていた。

「離せ!このままではお前も戻れなくなるぞ!」

 二人の落ちていく先はまるで蟻地獄のように果てしなく深い闇だ。

 ゾウはこのまま自分が消えてしまってもいいと考えていた。後はキリオがアリシアを助けてくれるだろう。もう自分の役目は終わったのだと。ゾウは目を固くつぶったままだった。

 そんなゾウの耳に誰かの声がかすかに聞こえてきた。誰だろう?アリシアでもカルラでもない。耳をすますとそれは歌声のようだった。なにか懐かしさを感じる・・・。

 須磨はゾウの力が緩んだのを感じ取り肘打ちを喰らわせると分離した。そしてその次元の渦から飛び出して行った。

 ゾウも我に返ると渦を逃れ見知らぬ次元に飛び込んでいった。

 飛び込んだ先は無の世界だった。何も見えない、何も聞こえない、何も触れない。果てしなく深い闇の中で正真正銘一人ぼっちになってしまった。

 まったく方向感覚もないままさまよう。果たして前に進んでいるのかさえわからない。

 もうこのまま朽ち果ててしまうのか、と覚悟を決めたゾウの耳にまたさっきの歌声が聞こえてきた。

 ゾウはその声を頼りにまた歩き出した。どれほど歩いただろうか。1分なのか1日なのかそれさえもわからない。ただ少しずつ歌声のする方へ近付いているように感じられる。

 やがて、闇の中に薄明かりと共に扉がぼうっと浮かび上がっているのが見えてきた。扉を開けるとそこには次の世界が広がっていた。ゾウは扉をくぐり抜けた。


 キリオはしばらくゾウと須磨が消えた崖下を見つめていたが、自分にはどうしようもないことだと諦めるほかなかった。それよりも今自分がなすべきことをしようと思い直した。

 そして今度はただ一人丘の上の花畑に向かった。

 色とりどりの花の中央に人影が見える。キリオは急ぎ足で近寄った。そしてアリシアを見つけた。

 アリシアは花に埋もれてまるで胎児のように小さく丸まっていた。眠っているように見える。驚くことにその容姿は7年前のあの日とまったく変わっていなかった。この世界での時間は動いていなかったのだろうか。

 キリオはアリシアの肩に触れ、そっと揺り動かした。だが深い眠りについたままの彼女はまったく反応を見せなかった。ヘルメット越しに呼びかけてみる。

「アリシア、わかるか、俺だ。迎えに来たんだ。目を覚ましてくれ、さあ!」

 こもった声が虚しく響いた。キリオは思い切ってヘルメットを脱いでみた。大丈夫だ、息苦しくはない。そして再び繰り返し呼び続けた。


 アリシアは子供の頃の夢を見ていた。家族揃って食卓を囲んでいる。両親と姉、皆笑顔だ。夢には続きがあった。草原のお花畑で姉と花を摘んで花の冠を作っている夢。そして姉と共に列車に乗って旅をする夢。それから場面が変わって阿須間伯父さんと遊園地に行き遊ぶ夢・・・。だがその先へ進もうとすると行き場がなくなりまた最初からやり直しになるのだ。

 そうやって何度も何度も果てしなく同じ夢を繰り返し見続けていた。永遠の輪廻にはまって出られなくなっていたのだ。遊園地で何かがあった、だがそれを思い出すことを心が拒んでいた。

 いったいどれほど繰り返したことだろう。だがそれは苦痛ではなかった。むしろこのまま過去の生ぬるい記憶に逃げこんでいればずっと傷つかずに済むだろう。あれは自分ではない。自分ではないのだ。

 そしてこの時もまた同じ場面を見ていた。阿須間と車で遊園地に向かう途中、男の子とすれ違う。いつもと同じだ。それから阿須間がアイスクリームを買いに行く。そう、その先が見えない。場面が暗転しもとに戻る・・・はずだった。

 だがここからがいつもと違った。遠くから呼びかける声を聞いた。少年の声・・・。それはあの時、そしてその後の記憶を呼び覚ましていった。

 それはとても辛い記憶だった。自分は周りを取り囲んだ男達を無残に引きちぎり、血の海に沈めたのだ。そしてその中に少年の父親がいた。自分はそこから逃げ出した。決して許されることはないだろう。過去との決別・・・。

 もう二度と会うこともないと決めた少年の声が聞こえる。自分を追ってきたのか?復讐のため?わたしを罵倒するため?

 だがその声はなぜか暖かかった。自分を闇の底から引き上げようとしていた。アリシアは迷宮の外を仰ぎ見た。


 ゾウは深い森の中にいた。背の高い濃い緑の木々の合間を細い道がうねりながら走っている。とぎれとぎれに聞こえる歌声を頼りに落ち葉を踏みしめながら歩いた。

 森を抜けると見慣れた風景、見慣れた建物が目に飛び込んできた。

『ナゼココニコンナモノガ・・・』

 それはゾウが幼い頃、人目をしのんで育てられた工場跡地の建物だった。一時アリシアたちと暮らしていた仮の宿でもあったあの地。

 ガサゴソと葉を揺らす音に驚いて見ると、猫のような小動物がこちらをうかがっていた。

見回すとかなりの数がいるようだ。

 ゾウは建物の中へと入っていった。歌声はすでに直に耳で聞き取れるほど近くに感じられた。もうその歌声の主の正体にも気づいていたが、それを確認するのはとても怖いことでもあった。

 ゾウはかつて自分が暮らしていた部屋のドアの前でしばし佇んでいたが、意を決してドアを開いた。 

 中にはロッキングチェアにゆられながら猫を膝に抱いた婦人が子守唄を歌っていた。ゾウが幼い頃よく歌ってくれた子守唄を。

『オカアサン・・・』

 婦人は顔を上げると言葉を失い思わず立ち上がった。猫があわてて駈け出して行った。

「ヒジリ・・・?」

 ゾウは何年も自ら脱いだことのなかったヘルメットを取って素顔を見せた。婦人はその顔を指でなぞると涙を流し、言った。まるで昔のように。

「おかえり」


 アリシアが目覚めると目の前に一人の男がいて呼びかけていた。

「あなたは・・・?」

 男は真っ直ぐ見つめて言った。

「キリオ、司馬キリオだ。覚えているかい?」

 アリシアはハッとすると顔を両手で覆った。

「わたし、あなたのお父様を・・・・」

「いいんだ、俺はそのことを恨んでなんかいない。本当だ。それよりも君にはもとの世界に帰ってやるべきことがある。そのために連れ戻しに来たんだ」 

「帰る?」

「そうだ、君のいるべき世界はここじゃない。皆の待っている世界に戻ろう。君の姉さんも待っている」

「カルラ?」

「そうだ、俺は彼女の導きでここへやってきた。ゾウというテレポート使いと一緒に」

「ゾウ・・・ゾウも来てるの?」

「一緒だったんだが、途中ではぐれてしまった。だがきっとカルラが見つけてくれるだろう」

 アリシアには聞きたいことがいろいろとあったが、とにかく帰って皆に会おうと思った。

カルラに呼びかけると声が届いたのか返事が聞こえた。その声は同時に帰るべき場所を示してくれた。

 アリシアはキリオの手を取ると言った。

「帰りましょう、本来あるべき世界へ」


 アリシアはキリオと共に次元の扉をくぐり抜けた。そこにはカルラが待っていた。現実世界との境界にあるカルラの世界だ。

 アリシアは姉の姿を一目見ると駆け寄り、抱きしめた。カルラもやさしく抱きしめて髪を撫でる。

 話したいことは山ほどあった。でも顔を見ただけでお互いは全てを分かり合えた。ようやく訪れた一時。しかしそれは長く続くものではなかった。

「アリシア、わたしに残された時間はもうわずかしかありません」

「また・・・眠りにつくの?」

「いいえ、もう長くは生きられないと言うことです」

「どうして・・・!?」

「わたしは力の出力をごくわずかにセーブすることで生命を維持してきました。ですがこの数日でかなりの力を使い果たしてしまいました。こうしていられるのはもう後少しの間でしかありません」

「いやよ、行かないで」

「アリシア、あなたはもうわたしがいなくても大丈夫です。たくさんの人達があなたを愛してくれています。それは仲間だけではありません。世界中の人々があなたの帰りを待っています。さあ、早く戻ってあなたの声を届けておあげなさい」

 カルラはアリシアをなかば突き放すように体を離した。アリシアは名残を惜しんだが、現実世界へと続く次元の隙間を通り抜けた。そしてキリオもそれに続いた。


 増田は何者かに肩を揺さぶられて目を覚ました。うっすら目を開けるとそれは秘書の女性だった。判然としない頭で周りを見回すとそこは官庁の自室だった。

(いったいいつから寝ていたんだ・・・?)

「ずいぶん長い間お休みになってましたね。失礼とは思いましたがあまりにお長いので」

「長い?いったいどれくらいだ?」

「覚えてらっしゃらないんですか?府馬博士がお見えになってからですよ」

「博士が・・・?」

「はい、可愛らしい女の子もご一緒で。博士のお孫さんなのですか?」

「女の子?」

(なんのことだ?あの時会ったのは博士だけだったぞ?)

「はい、お会いにならなかったのですか?」

 増田は飛び起きるとすぐさま六道町の監視員に電話を入れた。そして青ざめた。

「あの砲撃は無かった・・・」

(夢?いや違う、その少女がマインドコントロールの使い手だったのだ!)

 その時、突如頭の中にビジョンが浮かんできた。

「なんだこれは!?」

 秘書を見ると彼女も同じビジョンを見ている様子だった。

(来栖アリシア?なぜ彼女が見えるのだ!?)

 アリシアの姿と声はすべてのPSIとベーシックに向けて送られていた。彼女は訴えかける。

『わたしは何年もの間異世界で深い眠りについていましたが、さきほどようやくみなさんの暮らすこの世界に帰って来ることができました。

 そしてわたしのいない間に世界がどう変わったのかを知り心を痛めました。今ある世界はあなたたちの望んだ世界でしょうか?あなたたちが未来の子供たちに残したい世界なのでしょうか?かつてわたしの望んだ世界は違ったものでした。それは誰もが分け隔てなく語らい、共に笑い、共に涙し、共に生きる世界です』

 増田は愕然とし、言葉を失うとともにブルブルと震えだした。そのメッセージは言葉として口から語られたものではなく、すべてが一瞬のフラッシュのように飛び込んで来たものだった。そしてそのフラッシュにはメッセージのみならず様々な情報も同時に含まれていたのだ。増田にとってもっと重要で致命的とも言える情報も。あの日に起こったことの真相、相馬と須磨と増田を中心とした企みとインドラによる大量殺戮の真相についてのすべてが白日のもとに晒されたのだった。

(まさか世界中の人間がこれを見ているのか?)

 秘書を見ると彼女は先ほどとは打って変わって信じられないと言うふうに猜疑と嫌悪の表情を浮かべていた。増田はいたたまれず走って部屋を飛び出した。

 誰もが自分に疑いの目を向けている。いや、もはや疑いではなく大罪人に対する侮蔑と怒りの目だ。なまじ心が見えるのがかえってあだとなり、無数の嫌悪や憎悪の激流に翻弄されていた。

 増田は精神的に追い詰められ、過度の焦燥から理性を欠き、ただ保身のみを考えていた。

(ふざけやがって!なめやがって!俺をおちょくってただで済むと思うなよ!)


 相馬も同じ頃、国会でこの悪夢のようなビジョンを見ていた。そして周りの反応から同時にすべての国民が同じビジョンを共有したことを知った。誰もが信じられないといった顔つきで自分に冷たく厳しい視線を投げかけていた。

 さいわいまだほとんどの者が突然のことに戸惑っているのをいいことに、マインドコントロールにより動きを抑え、すばやくその場から逃げだした。

 だが自分が裁かれるのは時間の問題であることも確信していた。今のビジョンは信じるか信じないかの問題ではない。誰もがすでに事実として受け入れたに違いない。なぜならこれは信仰だからだ。彼女の声は神の声なのだ。

 相馬は身の破滅を覚悟していた。だがそのまま終わる気もなかった。地下の駐車場へ向かうと車に乗り込み自らハンドルを握った。そしてインドラを発動すべく軍の施設へと車を走らせた。


 アリシアの声は当然のごとく、六道町の人々や仲間のSPIたちにも届いていた。マチヤは歓喜の瞬間に震え、涙した。もうすぐ自由になる。仲間たちが助けに来てくれる。

「ゾウ、早く来て・・・」

 誰かが近づいてくる予感。だが部屋のドアが乱暴に開くと、入ってきたのは招かれざる客の方であった。

 増田はマチヤの腕を掴むと乱暴に引きずった。

「痛い、止めてください!」

「お前は人質なんだよ!黙って俺と来ればいいんだ!」

「誰があなたなんかと!」

 増田は手に激痛を感じて思わず叫んだ。マチヤが増田の腕に噛み付いたのだ。血が滲んだ手を見て増田は激高した。

「ああもういい!この場で殺してやる!」

 増田は内ポケットからピストルを取り出した。そして後ずさるマチヤに狙いを定めると引き金を弾く指に力を込めた。


 アリシアは自分の言葉を伝えると姉との別れを惜しみ、最後の時間を過ごしていた。姉の力が徐々に弱まっていくのが感じられた。

 だが最後の貴重な時間も不意の侵入者によって引き裂かれた。

「アリシア!」

 キリオがアリシアの後ろの空間に歪みが生じていることに気づき叫ぶ。やがて歪みは大きくなり、その隙間から手が現れミシミシとこじ開けるように広げた。中から現れたのは青いスーツの男だった。

「もうゲームは終わりだ!すべて終わりだ!」

 須磨は声を荒げ叫んだ。その顔は焦燥しきっていた。迷い込んだ異次元で何があったのか。死に物狂いで帰ってきた様子だった。

 キリオは咄嗟にサブマシンガンを構えた。しかし須磨がそれに目をやると砂のように崩れてしまった。

「くだらん、おまえたち、すべてくだらん。すべて消えてしまえ!」

 須磨はアリシアが力を使うより早く勝負をつけるべくアリシアに視線を向けた。キリオが間に飛び込もうとするが間に合わない。

(勝った!)と須磨は確信した。


 相馬は施設の中をずんずんと大股で歩き、制御室に向かった。誰も近づかぬよう隊員たちはすべてマインドコントロールで施設から遠ざけている。もはや誰も信用できる者はいない。

 一人制御室に入ると制御盤を操作し、目標を首都全域に定める。そしてレベルを最高出力に合わせた。

「正義とは力なんだよ。一番力を持っているものが正しいのだ。弱者はただひざまずけば良いのだ。そして一番力を持っているのがわたしなのだ!」

 相馬は安全カバーを外すとためらうことなくスイッチを入れた。


 増田はピストルの引き金を引いた。だが弾が発射されることはなかった。と言うよりピストル自体が手の中から消えていた。

 何事が起こったのか戸惑う増田の背後から手が伸び、がっしりと羽交い絞めにした。増田は恐怖に引きつった顔で叫びもがくが引きずられ、背後の空間に消えて行った。

 自分以外誰もいなくなった部屋でマチヤは待った。そして再び空間が開くと中から待ち人が現れた。

『オソクナッテゴメン。ムカエニキタヨ』

 マチヤはゾウの腕の中に飛び込んだ。

「終わったのね」

『ウン、カエロウ、ミンナノトコロヘ』

「あの人はどこに行ったの?」

『イセカイニオイテキタ。ネコモタクサンイルシサビシクナイトオモウヨ』

 マチヤはゾウの後ろに誰か居ることに気づいた。

『ショウカイスルヨ、ボクノカアサンダ』


 須磨は闇の中にいた。なにも見えない。なにも聞こえない。ただ体が焼けるように熱い・・・。須磨が勝ちを確信したとき、既に勝負は決していたのだ。彼は興奮のあまり仇敵が待ち伏せていることに気づかなかった。カリナとハルキはこの千載一遇のチャンスを逃さなかった。

 カリナは須磨が歓喜の絶頂に達した瞬間、その首をバッサリと肉切り包丁で分断していた。さらに落ちた頭部に対しハルキはとどめの衝撃波を放ち内部から破壊した。

「終わった。ようやく終わった・・・」

 カリナは昂ぶる呼吸を必死で抑えていた。

 だが須磨の驚くべき生命力は死を拒んでいた。首がゴロンと転がったかと思うと体の方へ吸い寄せられるように移動して行った。そして首を失うも立ったままだった体が跪き、両腕を伸ばすとその首を拾い上げ、本来あるべき場所へ乗せた。

「俺を・・・見くびるな・・・!」

 須磨は口さえも潰されながら声にならぬ声で叫んだ。


 相馬は発射のスイッチを押すと高らかに笑った。爽快な気分だ。だが喜びはつかの間だった。

「ご苦労さん」

 背後から声をかけられ後ろを振り向くと翼を持った白い獅子と少女が立っていた。

「いつ・・・からいた?」

 獅子は答えた。

「新議事堂からだ。お前の車の中で待たせてもらった。おまえはそれに気づかずここまで案内してくれたわけだ」 

 その時相馬は少女の正体に気がついた。

「お前が、マインドコントロールの使い手だったのか!わたしさえも支配するほどの力を持った!」

 少女は何も言わなかったが代わりに相馬に憐れむような視線を向けた。

 相馬は激しく動揺した。

「では俺は今いったいなにをしたのだ?」

「おまえが放ったレーザーは逆方向、宇宙に向かって照射された。もうエネルギーは空っぽだ」

「貴様!」

「後は法がおまえを裁くだろう。大量殺人の首謀者としてな」

 相馬はがくっと膝から崩れ落ちた。もう用はないとシシオはマユを背中に乗せると背を向けた。

 だが相馬はその場を動かなかった。それだけでなく、突如高らかに笑い出した。その様子に不気味なものを感じシシオは立ち止まった。

 相馬は笑いをこらえながら言った。

「冥土の土産に貴様に教えてあげよう。本当の最終兵器とは反粒子レーザーのことでは無いのだ。衛星インドラは一千の核爆弾を積んでいる。ひとたび発射されれば死の雨となって降り注ぐだろう。そしてその発射条件は・・・わたしの死だ!」

 そして相馬はマユに血走った目を向けると機先を制するように言った。

「もう遅い、無駄だ。既にわたしは毒を飲んでしまったからな。なあに、今死ぬのも核のどしゃぶりで死ぬのも一緒だ。ああ楽しい、楽しいなあ。これで良い、これで―」

 相馬はドサっと横たわるとそのまま動かなくなった。


 須磨は破裂した頭部を首に据えるとふらふらと歩き出した。それを見てカリナは止めを刺すべく肉切り包丁を高く掲げた。

 その時、カルラの容器が砕け、培養液が流れ落ちた。

「お姉ちゃん!」

 駆け寄ろうとするアリシアにカルラは言った。

『アリシア、そろそろ時間です。わたしはもうこの世界では生きられません。だけど時の流れのない異世界ではその限りではありません。本当はこのまま死を受け入れようと思っていました。ですが、まだわたしを必要とする者がいることがわかりました。だからもうしばらく生き続けることにしました』

「あたし・・・」

『いいえ、あなたにはもうたくさんの友人がいます。あなたは一人ではありません。わたしはこれから彼を連れていきます。そして彼が朽ち果てるまでそばにいてあげるつもりです』

 カルラは光をまとう。同時に須磨の体も光の中に融け込むように消えていく。

『アリシア、あなたにはもう一仕事残っています。大丈夫、自分を信じて。ああ神様、このこが幸せになれますように。そして誰からも愛されますように・・・』

 アリシアはカルラの後を追いたいと思った。だがそれはできないことも分かっていた。

「アリシア!」

 マチヤが抱きついた。たった今ゾウと一緒にテレポートして来たのだ。ゾウの育ての母も一緒だった。マチヤは今ある危機を伝えた。  

 アリシアには見えていた。空を駆ける白い獅子の背に乗った少女の姿が近づいてくるのが。そして彼女の記憶から何が起ころうとしているのかを知った。一刻の猶予もない。

 アリシアはあの時のようにゾウに言った。

「お願い、連れてって」

 迷う時間はなかった。ゾウは不安な気持ちを押さえてただ彼女を信じた。そして飛んだ。

 外はあの時のような月夜だった。アリシアは上空高く留まると祈るように胸の前で両手を結んだ。核による死の雨が降り注ぐさまが見える。

 アリシアは空を仰ぐとなにかを解放するかのように大きく両手を広げた。すると体がまばゆい光に包まれ始めた。そしてその光は天高く夜空を覆うように広がっていった。

 その光はただの光ではなかった。災厄を滅する光。それはあの日彼女が受け止めた衛星インドラからの反粒子レーザーの光だった。異次元に送ったエネルギーを呼び戻し、逆にこの世界で空に向け開放したのだ。それは彼女の力の進化系であった。かつて人々を焼き尽くすために放たれた光は今、死の灰を運ぶ兵器を見る間に浄化していった。

 やがて光が収まったとき、破滅の脅威も去っていた。そして後には静かな月夜が残された。


 アリシアが地上に降りると仲間たちが待っていた。府馬博士やサラスたちもシンバと共に駆けつけていた。アリシアはしばしみんなとの再会を喜び合った。

 その時キリオは須磨のことを考えていた。今は時のない世界でカルラの膝で赤子のように眠る、そんな光景が浮かんだ。

(幸せとは案外そんなものかもしれない・・・)

 ひときわアリシアの目を引いたのは初対面となるマユだった。挨拶すると少女は緊張し、はにかんだ。アリシアは彼女の働きと多大な心労をねぎらった。この数日のできごとはまだ幼い彼女にはいかほどであったろうか。それを思うと心が痛んだ。

 アリシアはマユの髪を撫でると、手品のように空間からなにかを取り出してみせた。それは彼女の宝物である麦わら帽子だった。子供の頃阿須間に買ってもらった物である。

「これをプレゼントするわ。あなたに貰ってほしいの」

 そう言うと頭にかぶせてあげる。

 マユは頬を赤く染めて「ありがとう」と言った。

 それを見ていたマチヤが言う。

「あっ、それ昔あたしが欲しがったやつ」

「あなたはゾウに買ってもらいなさい」

 アリシアはそう言うと、いたずらっぽく笑った。


     ― 完 ―                             

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