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第二部 第1章

 朝はいつも憂鬱だ。このまま目覚めなければいいものを。だがそれは許されない。いや、それさえ許されない。全ては許可無く許されない。

 この頭痛はいつからだろう。ずっと寝ても覚めても頭の中の遠いところで鈍く鐘が鳴り響くような鈍痛を抱えていた。いったいいつからだろう?おそらくあの日から・・・。

 あの映像は今でも鮮明に憶えている。一人の少女が何千万もの命を救った。膨大な凶悪なる光を一身に受け止め、そしてどこかへと消えて行ったあの少女。今やPSIのみならずすべての人々の信仰の対象となった女神。

(あれは本当にアリシアだったのか?俺が知っているあの・・・?)

 頭を抑えながら洗面所に向かう。すかさずスピーカーから音声が流れる。

『予定より1分12秒遅れています』

「クソッタレ!」

『クソッタレは登録されていない言葉です。適切な言葉を使うよう心がけてください』

 PSIの支配する世界ではすべてのベーシックは自由を制限されていた。常にどこからか見張られており、プライバシーは存在しない。

 胸がムカつき食欲もなく、朝食も取らずにアパートを出る。

『栄養のバランスのため規則正しい食生活を心がけてください』

「大きなお世話だ」


 駅は今日も人ごみで混雑してる。だが争いごとが起こる様子はない。皆整然と並び、機械のように電車に乗り込む。

 ホームには見慣れたプロパガンダのポスターが貼られている。

『静かな心、平和な心』

 と、二人の駅員がこちらにやってくると目の前で立ち止まった。

(なんだ?)

 自分ではなかった。駅員は列の後ろの男に付いてくるよう促した。季節外れの厚手のコートを着た男。無視する男の腕を掴むと男はそれを振りほどき叫んだ。 

「うんざりなんだよ!おまえらいつもそうやって人の心の中を覗きやがって気持ち悪いってんだよ!」

 男の手にはサブマシンガンが握られていた。男は引き金を引いた。つもりだったが指は動かなかった。

「くそっ!ちきしょー!」

 男はじわじわと銃口を上に向けると自らの顎に向けた。

「よ、よせよ、悪かった。もうしねえから、頼む・・・!」

 ホームに並んでいた人々は黙って自然と男から距離を取った。

 引き金が引かれ、男は死んだ。

 人々はふたたび日常に戻ると電車に乗るために列を作った。無表情な顔、顔・・・。ただその列は男の周りだけいつもより少しゆがんでいた。


「少尉・・・司馬少尉!」

「・・・?」

 司馬キリオが気がつくと人員輸送車の中だった。努めてなにも考えないようにするのが習慣になったせいかぼうっとしている時間が長くなったような気がする。

 上官がなにか言っている。

「今回の任務は少尉が統率するよう指示が出ている。任せたぞ」

「はい、了解しました!」

(わかっている、誰もやりたがらない仕事だ。損な役回りだがそれがここでの俺の仕事だ)

 司馬キリオは防護マスクを被った。対PSI戦も兼ねるこのマスクを着用するとようやく自分に戻れた気がする。このマスクならばPSIに意識を読まれる畏れがないからだ。

(あれがアリシアだったとするならこの世界はどうだ?これがアリシアの望んだ世界だとでも言うのか?違う、彼女は利用されたに過ぎない。誰にだ?相馬首相か?増田国務大臣か?須磨幕僚長か?あいつらを殺せばこの悪夢は終わるのか?7年前にあいつらがクーデターを起こしたように?)

 キリオは5人のPSI兵士を引き連れて輸送車を降りた。PSI兵士は戦闘能力が高く、任務に忠実だが未だ情緒面に不安を残し、理性を欠いた行動を取る危険性があるため統率にはベーシックがあたっていた。むろん、そのベーシックの行動は常に軍上層部の管理下にあった。

 目標はこの廃ビルの地下になっていた。小隊は散開し退路を塞いだ。2名を残し、階段で地下へ降りる。

 不気味なほど静かだ。PSI兵士2名に突入を命じる。PSI兵士は無造作にドアを開け、中へと踏み込んだ。

 バリケードに隠れて身を潜めていた男達が銃を乱射した。だがPSI兵士に浴びせられた弾丸はその場で勢いを失いバラバラとこぼれるように落ちた。

 切羽詰った男が手榴弾のピンを抜いた。

(おいおいこんなところで勘弁してくれよ)

 キリオは距離を取って退避した。

 投げ込まれた手榴弾は見事に爆発したがPSI兵士はほとんどダメージを受けていない様子だった。

 頃合いを見てキリオは呼びかけた。

「無駄な抵抗はやめておとなしく投降しなさい。政府はあなたたちの命の補償を約束します」

 その言葉に対し男達は怒声で応えた。

「ふざけるな、政府の犬めが!おまえは人間としてのプライドがないのか!PSIどもに飼い慣らされてそれでいいのか!」

 すでに何度も聞かされた台詞だ。今更動揺はしない。

「あなたたちは誤った先入観に支配されています。PSIの創る新世界は平和で豊かなものです。事実、この7年間で犯罪は大幅に減少しました。子供たちのよりよい未来のためにもわたしたちとともに歩みましょう」

 マニュアル通りだ。

「自由を失っても生きていると言えるのか!おまえたちにかしずくくらいなら死んだ方がましだ!」

(やれやれ、どうしていつも素直に聞いてくれないんだ。俺だって好きでやってるわけじゃないんだ)

 ふと気づくと、さきほど爆撃をうけたPSI兵士の一人になにやら異変が生じていた。ゆらゆらと揺れだしたかと思うとなにやらぶつぶつつぶやきだした。衝撃でどこかが狂ったのかも知れない。

(まずいな、面倒なことにならなければいいが)

「PS0230待機、その場で待機せよ。PS0230は待機」

 だがPSI兵士は暴走を始めた。ずかずかと踏み込んでいくとバリケードを片手ではらいのけ、男の首を掴むとそのまま釣り上げた。

「PS0230!」

 たちまち男の顔から血の気が引いたかと思うとその首はへし折られてしまった。他の男達は身がすくんでなにもできず固まってしまう。

「くそっ!」

 他のPSI兵士に制止の指示を出そうとしたとき、奥から幼い少年が飛び出してきた。

「やめろ!ばけもの離せ!」

 理性を無くしたPSI兵士には子供であろうと関係なかった。男を離すと少年に手を伸ばした。

 だが銃声が鳴り響くとPSI兵士は後頭部を割られ枯れ木のようにドサっとくず折れた。

キリオの放った対PSI用強化スラッグ弾は部下を屠るに十分な威力を備えていた。

 (最悪だ・・・)

 キリオは自分の取った行動をどう説明すれば良いのかを考えていた。

(だがこれでこの職務を解かれるのならばそれはそれで良いのかもしれない) 


 軍法会議も覚悟したキリオだったが、幸いPSI兵士の暴走による事故に原因があるとの認識により謹慎処分に留まった。

 処分決定後、キリオは須磨の個室に呼ばれた。それはあまり例をみないことだった。

 初めて須磨と個人的に対面したキリオは、心のすべてを見透かすようなその視線を必死で耐えていた。

「支配とはなにか」

 須磨は静かな声で問いかけた。

「力です」

 須磨はその答えに満足そうに頷いた。

「うむ、力だ。ではなぜ未だにわれわれに従わぬ者がいるのか」

「われわれの力が足りぬからです」

「そうだ。彼らは抵抗すればまだ可能性があると考えているからもがきあがくのだ。そのような幻想は捨てさせねばならない。時間の無駄であると。

 ただ・・・理屈で説いてもわからぬ者もなかにはいる。そういった者は排除する以外にはない。わかるかね?」

「はい」

「君が廃棄処分にしたPSI兵士には莫大な国家予算がかけられている。国家の財源はレジスタンスの命よりも重い。そのことを忘れぬことだ。

 君には期待している。ベーシックでも実績を詰めばPSIに劣らず重用されることを示して欲しい」


 朝は変わらず訪れる。目覚ましはなくとも習慣で目が醒めてしまう。それがいまいましく、無理に二度寝を決め込む。

(謹慎中くらいゆっくり寝かせてくれよ!)

 今日はいつにもまして頭が重い。なにかの波動が脳を揺さぶるようだ。だがしばらくすると、どこか今までと違うことに気が付いた。

(これは・・・声・・・?)

 誰かが呼んでいる。なんだ?こんなところにまで意識に介入するやつがいるのか?

(くそっ、ほっといてくれ!)

 結局いつもの時間に起き、出かけることになる。声の正体はわからぬが誰かが自分に呼びかけているようだった。それが何者であるかつきとめすっきりさせたいのだが、出処も判然としないまま街へ出かける。

 人通りの多いところにはそこかしこにPSIの監視の目が光っている。原則的に集会のたぐいは禁止されているが、協会などでの宗教的な催しは逆に奨励されていた。 

 広場では多数の老若男女が祈りを捧げていた。その対象は世界を救い、新世界へと導いた女神の象。すべてを受け入れるかのように両手を広げた少女の姿はあの日インドラによる反粒子レーザーを全身で受け止めたアリシアそのものであった。

 ここに集まっているものにはPSIもいればベーシックもいる。両者にとって分け隔てなく信仰の対象となる存在であった。人種や民族や思想を越えた存在。それは政府が国家をまとめるために必要な絶対的な力の象徴でもあった。

 商業施設のビルの大型スクリーンには若い女性の祈祷師による神託が繰り返し流されている。彼女もまた信仰の対象とみなされていた。

 人々のなかには立ち止まり、両手を組み、片膝を立て祈りを捧げるものもいた。

「マチヤ様・・・」

 純白のドレスを身にまとった祈祷師マチヤはすべてのベーシックたちに暴力や争いによる抵抗をやめ、政府の指示に従うように説いていた。

「ふんっ、ただの政府の広告塔じゃないか」

 思わずつぶやいてから誰かに聞かれなかったかとあせる。ここにはそんな独り言の自由さえ無いのだ。つねにどこかでだれかが見張っている。そしてレジスタンスやその疑いのあるものを密告した者は政府から奨励金が支給される。誰も信用してはならないのだ。

 キリオは間欠的に襲ってくる頭痛に顔をしかめる。

(いったい俺にどうしてほしいんだ?)

 呼ぶ声は次第に大きくなっていた。

(発信源が近付いているのか?)

 気がつくと見覚えのある建物の前に来ていた。

(ここは・・・首相官邸・・・)

 間違いない、声はこの近くから聞こえてきていた。

(だがどうやって確かめる?警備をかいくぐって中に入る方法など考えられないが)

 キリオはまだ見ぬ声の主に対し叫びたい気持ちを抑えて家路についた。


 謹慎明けの任務はやはりレジスタンス狩りであった。郊外のモーテルに立てこもる者達を排除するのが目的である。

 いつものごとくPSI兵士を配置に付ける。そこにまたあの頭痛だ。誰かが呼びかけている。対PSI用のマスク超しにも関わらずその声はますます大きくなっていった。

(なんだって?俺一人で・・・そこに行けばいいのか?)

 キリオはPSI兵士をその場に待機させ、一人で潜入を試みることにした。

(俺はなぜこんなことをしているんだ?狂ったのか?)

 サブマシンガンを携え物陰に隠れながらドアに張り付く。人の気配はない。ドアを開け、中を伺う。

(地下か・・・)

 声の導きに従いある個室にたどり着く。そこのクローゼットを開けると中が秘密の通路に続いていた。

音をたてぬよう静かに階段を降りていく。

(居る、誰か居る)

 それは経験からくる直感か。

(良かったのか、俺一人で?PSI兵士に突撃させるべきだったんじゃないのか?この声を信じていいのか?)

 階段を降りると突き当たりが鉄のドアになっていた。錆びついてはいるがまだ閉ざされてはいない様子だ。

 キリオは得体のしれないプレッシャーから呼吸が苦しくなるのを感じていた。 

 いつでも対応できるようにサブマシンガンを右手で持ち、左手で静かにドアを開く。そこは地下の下水道であった。誰もいない。思い切って中へ飛び込み、銃を構える。

(おかしい、確かに人の気配がしたはずだが)

「そのまま、動かないで」

 後ろを取られていた。まったく気がつかなかった。若い男の声だ。だが自分に呼びかけていた声とは違うようだ。ではいったいなにものだ?

「銃を下に置いて。大丈夫、危害を加えるつもりはないから」

 中腰で銃を置き立ち上がると今度は目の前に若い女が立っていた。

「この人が例の?」

「そう、僕達の希望・・・」

「なんのことだ?俺がおまえたちの希望だと?」

 後ろの男は言った。

「ああ、そう彼女は言った」

「彼女?それはずっと俺に呼びかけていた声の主のことか?」

「そうだ」

「誰なんだ、それはいったい?」

「カルラ、来栖カルラ。僕達を導いてくれる方だ」


 二人は下水道から続く隠し部屋にキリオを案内した。その部屋には4人の男達がいた。一人ずつ簡単な自己紹介がなされた。背後の男はハルキ、前に立った女はカリナ、部屋の男達はそれぞれシシオ、シンバ、アマン、マルタと名乗った。

「じゃあ、あんたたちがあの衛星レーザーを発射した例の?死んだと聞いていたが」

「ボクたちはレーザーを発射してもいなければこの通り死んでもいない。あれはすべて仕組まれていたのだ」

 そしてハルキは「あの日」の真実を語って聞かせた。

 インドラを掌握するために侵入を試みた彼らだったが、それを使うつもりなどとうていなかった。だが、それをクーデターに利用した者達がいた。それは現首相の相馬を中心としたグループであった。

 その一人である増田はレーザーを発射したあと、PSI兵士にシシオたちを始末するよう命じた。PSI兵士たちは容赦なく二人を打ちのめした。増田は二人の死体を始末するよう言い残し意気揚々と引き上げて行った。

 だが増田は彼らを甘く見すぎていた。他の者達の存在を過小評価していたのだ。

 二人はPSI兵士たちを一目見たときに彼らの異変に気づいていた。そのなかの何人かが仲間と入れ替わっていたのだ。

 ハルキとカリナは針男を始末するとアマン、マルタと合流し衝撃波男を倒した。だがカリナは増田とPSI兵士の不自然な反応に不信感をいだいていたためすぐにシシオ達とは合流せず様子を探り、増田の言動から猜疑心を確信へと変えた。そして仲間と共に増田によりセーフガードがかけられた状態にあったPSI兵士の何名かを倒し気付かれぬよう入れ替わっていたのだ。

 後は芝居で増田を出しぬき二人を始末するふりをしてその場を逃れた。その後彼らは来るべき時にそなえて潜伏していたのだった。

「あんたらが相馬たちを許せないと言うことはわかった。俺も今の状態が正しいとは思っていない。だがそこになぜ俺が関わってくるのだ?」

 キリオにとっては話の流れは理解しがたいものであった。

「ゾウという我々の仲間から聞いた話だが、来栖カルラはアリシアの実の姉だった。いや今でもそうなのだが。ただ彼女は現在特殊な環境に置かれているのだ。

 カルラはアリシアと別れてすぐ捕らえられ、科学者たちによって研究素材として解剖され、脳髄だけ培養液に入れられた状態で生きながらえて来た。彼女には体は無いが意識や人格は存在しており、テレパシーによりコミュニケーションをとることもできるのだ。そのテレパシーでわれわれに向けて声を飛ばしてきた。

 だが彼女の活動は大きく制限されているだけでなく、政府のPSIたちに感知されずに意思の疎通を行うのは困難を極めた。その声はいつも断片的なもので判然としない。ただそれでも我々は彼女ならばアリシアを救えるのではないかと考えるようになった。

 そして最近になってカルラが我々以外にも声を飛ばしているらしいとわかった。そんな時、君がその声に導かれてここにたどり着いたのだ。

 カルラがなぜ君を必要としているのかは我々にもわからない。それを確認するためにも我々は君と一緒にカルラに会いに行かねばならないのだ」

 キリオは先日の出来事を話した。首相官邸の方から聞こえてきたというのは、例のゾウという者の話とも一致していた。

「聞きたいことは山ほどあるんだが」

 キリオは彼らの話は信用に足ると感じてはいたが戸惑いも多々あった。

「まずアリシアは生きているのか?」

 ハルキは頷いた。

「おそらくは。彼女は吸収した莫大なエネルギーを発散させるために異次元に持ち込んだのではないかと考えられる。それがなぜか戻って来られなくなった。戻る方法を知らないのかもしれない」

「だが彼女を救えたとしてそれで世の中が変わるのか?」

「彼女の声は世界の人々の心に響くだろう。実はわれわれは水面下でベーシックのレジスタンスたちと接触を図り蜂起の機をうかがっている。彼女には局面を左右する力があるのだ」

「確かに今やアリシアは神のような扱いだが・・・。しかし俺のしっているアリシアはごく普通の内気な女の子にすぎなかった」

「もしかすると」シシオが言う。

「君が呼ばれたのはそのためかも知れない」

「どういうことだ?」

「なんて言うのかな、君はわれわれの知らないアリシアを知っている、と言うことかな。だがおかしいな、俺達はアリシアの口から君のことを聞いた記憶がないんだが。君とアリシアの間にはなにかあったのか?」

 キリオは言うべきか少し躊躇した。

「アリシアは・・・彼女は俺の父を殺した・・・」

 それはお互いにとって辛い記憶であることは誰にでも想像できた。

「あんたたちはアリシアとはどういう関係なんだ?」

「古い友人、だ。俺達はいつも一緒だった。ただ何人かは今では連絡がつかないのだが・・・」

「そう言えばゾウと言うのはここにはいないのか?彼はいろいろと知っているような話だったが」

「彼は・・・」その問にはハルキが答えた。

「この7年の間政府の厳重な管理のもと、独房に監禁されている。彼が捕らえられて以降会ったものはいない」


 今夜も月は出ていた。明かりもなく真っ暗な独房ではあったがゾウにはそれだけで十分だった。外界と鉄格子によって遮られ、さらには強力な結界によりテレポートも不可能な孤立した空間。ベッド以外には何も無い。

 ゾウはトレードマークとも言うべきヘルメットもなく、素顔を晒している。月明かりは暗闇に歪な影を浮かび上がらせていた。

 普通ならこんなところに長年閉じ込められていれば精神的に参ってしまうだろう。だがゾウにとってはむしろ心地良くさえ感じられた。子供の頃から一人には慣れていたから。

 こうして月を眺めていると、どうしても思い出すのだった。それは大事な記憶であると同時に辛い記憶でもあった。

『ムカシニモドッタダケダ』

 そう自分に言い聞かせるようにつぶやく。

『ツキハボクノタッタヒトリノトモダチ・・・』


 同じころ、マチヤは対照的に月明かりも届かぬ部屋でライトに照らされていた。また増田の用意した台詞をしゃべらねばならぬのは気が重かった。

「いつまでこんなことを続けるつもりですか?嘘を嘘で塗り固めるようなことばかり。わたしにはこれが世の中を良くするためになるとは思えません」

 増田は(また始まった)と内心苦々しく思ったが平静を装った。

「争いのない世界のためにやってるんだよ。人々がひとつになる手助けじゃないか。もはやPSIによる権力集中は世界的なムーブメントだ。止められぬ流れなのだよ。PSIとベーシックが一体となる理想郷が現実のものとなりつつあるのだよ。

 君が予知能力者であることはよく知られている。しかもあのアリシアに近しい者だった。神の声の代弁者としてうってつけなんだよ。君の言葉には説得力があるのだよ」

「でも話してる内容は真実ではありません!」

「やがて真実になる。嘘でも間違いでもない」

 増田にはマチヤが拗ねたときの扱い方もわかっていた。

「そう言えばゾウとかいったね、君の知り合いの」

 マチヤの顔色が変わった。

「どうかしたの?」

 増田はもったい付けるように言う。

「最近科学者どもがうるさくってね。彼のようなユニークなPSIは是非研究素材として解剖するべきだとね。あの能力は稀有なものだからね」

「だめよ!そんなことさせないで!」

「うんうん、もちろんだとも。ただ長い間彼らを押さえつけているのも難しくってね」

 マチヤにもそれが増田のいつもの手だということはわかっていた。だが今は従うしかないということもわかっていた。

(みんなどうしてるんだろう。会いたいな・・・) 


 相馬は自らがPSIであることをずっとひた隠しにしていた。幼くしてPSIがベーシックたちの嫉妬と羨望の対象であることを感じとり、決して気付かれぬよう細心の注意を払いベーシックのなかで生きてきたのだ。

 彼の能力は他人の心を読み取り、操るものだった。それを利して敵と見方を嗅ぎ分け、利用し着実にのし上がっていった。

 彼がPSIであることを悟られずにいたひとつの要因は彼の両親も自分たちの力を隠していたからだ。だが彼はそんな両親を子供心に軽蔑していた。なぜ優れたものが劣ったものに媚びへつらって生きなければならないのか、と。

 彼はPSIは人類の進化であると考えた。PSIが人であるならベーシックは猿であると。だがいまだ数の上では猿が圧倒的に凌駕しており、性急な変化が望めぬこともわかっていた。

 そこで自分に都合の良い者達を探り、味方につけ来たる日に備えた。決して表には出ず、目立たぬように深く静かに。

 そして軍部にPSI部隊の導入を進め軍事的な基板も築きあげて行った。平和ボケしたベーシックは汚れ仕事を嫌い、PSI兵士に任せることに抵抗を感じなくなっていった。だがそのPSI兵士は実際には相馬の私設軍隊とでも言うべきもので、勝負は相馬が軍部を支配したときに既に決まっていたのだった。

 だが相馬は不安も感じていた。自分のやっていることが肝心のPSIたちに受け入れられるだろうか。そして数の上でまさるベーシック共をどうやって束ねていけばよいのか。

 そこでまずPSIを追い詰め、逃げ場を奪い、ベーシックに対する憎しみと侮蔑を増幅させた。そのためには多くの犠牲も厭わなかった。いや、むしろ犠牲は必要不可欠だったのだ。もちろん、このことは国民には知られてはならない。

 懸念材料は増田の存在だった。

(あの男、信頼して良いものか。あの男は軽はずみなところがある。火種になる前に始末したほうが良くはないか)

 事実、増田はシシオ達を取り逃がしていたのだった。相馬の大きな過ちはそのことを知らずにいたことだった。知っていたならば彼らの侵入をこれほど容易く許すこともなかったであろう。


 キリオはなぜ自分がこの者たちと共に行動することを決めたのか、自分自身不思議に感じていた。政府を敵にまわして勝ち目があるのだろうか。

 だがあの声には抗いがたい。カルラには合わねばならない。それは本能的とも言える衝動だった。

 深夜、シシオやハルキ達と合流すると首相官邸に向かった。キリオは銃も持たず丸腰で、彼らに頼るほかない。隠密行動で侵入することは至難の業と思われたが、PSI達はすでにPSI兵士に対処する方法を学んでいた。

 クーデター以降、六道町は政府の管理下に置かれ、府馬博士は拘束されたが、各PSISはそれを不適切として解放を求め研究所も存続することとなった。

 博士は秘密裏にシシオ達と接触し、真実を知るとともにPSI兵士の情報も入手し彼らの弱点も調べ上げていたのだ。

 PSI兵士はもとはベーシックをロボトミー手術するところから生まれた。彼らの主な能力は身体的な強化にあった。だが初期のものはあまりに愚かで命令がなければ自分で食事を摂取することさえ出来なかったのだ。その後改良が進み、一定の知能を有したまま不死身の肉体を持つに至ったのだが、人間である以上避けられない問題があった。それは睡眠である。PSI兵士は倒すことは困難であるが眠らせることは容易いとわかったのだ。

 ハルキとカリナはその能力を活かし、驚くべき早業でPSI兵士達に催眠ガスを吹きつけていった。府馬博士により特殊な調合をほどこしたガスである。

 官邸のセンサーはカリナによるセンサー回避能力により異常を関知することもなかった。

 キリオ達はカルラがいると思われる地下へと進んだ。地下へ降りるためにはエレベーターを使うしか無い。だがこのエレベーターには仕掛けがあった。研究所である地下三階は通常の方法では辿りつけないようになっていたのだ。もし侵入者があれば、地下二階で食い止めるように。そして誤って二階に侵入した者には死をもって制裁する仕組みになっていたのだった。

 外はハルキとカリナが見張り、キリオを含む他の5名がエレベーターに乗り込んだ。そして地下二階でドアが開くと彼らを異様な光景が待ち受けていた。

 薄暗い通路をなにかが蠢いている。低く呻きながら這いずり回る獣。いやそれはまぎれもなく人間だ。青緑の皮膚はただれ、腐り、異臭を放っている。

それがフロアのあちらこちらにうろついている。

「チャムだ・・・」

 アマンが言った。

「昔、まだ遺伝子操作でPSIを作っていたころ生まれた異常種だと聞いている。それをクローン化して番犬として放っているのだろう。気をつけろ、やつらは触れるだけで腐敗させる酸をまとっている。もし噛まれれば体の内部から腐ってしまうぞ」

 キリオはその異臭にむせそうになりながら、別のことを考えていた。

「あの声はもっと下の方から聞こえている。この部屋はダミーじゃないか?」

 その時一体のチャムがこちらの気配に気が付いた。チャムは小首を傾げる様な仕草をしたが次の瞬間立ち上がると奇声を上げた。

 マルタが鼻をつまみながら鼻声で言った。

「見つかったようだな。くそっ、この先どう行けばいいんだ?」

 みるみるうちに何体ものチャムが集まり、通路を埋めだした。そして口から泡を吹き、ヨダレを垂らす。距離をとって様子を伺っているようだったが、突然そのうちの一体が飛び掛ってきた。

 一瞬早くアマンが氷の壁で通路をふさいだ。

「長くはもたんぞ!」

 シシオとシンバが獣化してチャムを威嚇する。チャムは獣特有の強者に対する臆病さを見せひるんだ。

 マルタがキリオにうながした。

「ここはやつらに任せて俺達は先を急ごう」

 マルタは一旦エレベーターにもどると上部の通風口に目をつけた。

「あそこから外に出られそうだ」

 二人は協力して通風口の蓋を開け上部に出た。注意深く見回すと非常用のハシゴが内壁に設置されているのがわかった。

 ハシゴを伝って階下へ進むとやはりドアがあった。横のパネルを操作すると難なくドアが開いた。

 中へ入り、しばらく進むと突然シグナルが鳴り、天井からタレットが降りてきた。

 マルタはすかさずライトニングでそれを麻痺させる。

「ここはおれが食い止めておくから先へ行ってくれ!」

 キリオは言われるまま先を急いだ。そしてあの声の主をとても近くに感じていた。

 突き当たりのドアを開ける。ひんやりとした薄暗い部屋の中央がボウっと光っている。その源は培養液に満たされたガラスの容器だった。

(これは・・・生きているのか?)

 キリオはにわかにはその脳髄が声の主とは信じられなかった。だが近づくと脳髄が語りかけてくるのを感じた。声は微弱ながら意志を伝えてきた。

「なに?あの機械を操作すればいいのか?」

 見たこともない機械だったがなぜかどう動かせば良いのかが理解できた。

 すると容器内の泡が活性化するように増加するとともに脳髄に力がみなぎってくるように感じた。

『ようやく会えましたね。わたしはもう何年も前から呼び続けていたのですが、力を制限されうまくいかなかったのです』

 キリオにはそれがテレパシーであることはわかったが、これほど澄んだ声として聞こえてくることには驚いていた。

「あなたが、来栖カルラ・・・アリシアの姉・・・?」

『そうです。わたしはアリシアと共に逃げる途中事故により動けぬところを捕らえられ、研究素材として解剖されたのです。

 しかしわたしの特殊な力と生命力に興味を覚えた彼らはそのまま死なせるのは惜しいと感じ、このような姿で生きながらえさせることにしたのです』

「あなたは俺にどうして欲しいんだ?なぜ俺を選んだんだ?」

『わたしはアリシアがこの世界から消える直前に彼女と再会をはたしました。それはほんの数分のことでしたが、わたしは彼女の別れてからの記憶をなぞり、読み取りました。その中にあなたとの記憶があったのです。それは片隅にではありましたが、大事にしまわれていたものでした』

「それほど特別なものだったというのか?」

『彼女の記憶はある時点を境に大きく性質が異なっていました。その時点とは彼女が遊園地で初めて力に目覚めた時でした。それ以前の純粋な記憶とは違い、それ以降の記憶はどこか表層的で希薄なものでした』

「じゃあ俺との記憶は最後の純粋な記憶だというのか?」

『おそらく・・・。彼女は今異次元のどこかにいます。波動の弱さからおそらく昏睡状態と思われます』

「わかるのか?」

『はい、しかしわたしの呼びかけには応えてくれません。直接誰かがゆり起こしに行かなければ一生目覚めることはないでしょう』

「それを俺にやれと?」

『あなたの声ならば彼女に届くはずです。わたしは自分では彼女に触れることもできないのです。わたしはこの生命維持装置なしでは生きられないのです』

「しかしどうやってそこに行けばいいんだ?あなたが送ってくれるのか?」

『残念ながらわたしにはもうそれだけの力がありません。ただ、アリシアの記憶からそのための力を持つ者の存在を知りました。ゾウ、という者です』

「テレポート使いか。だが彼は政府の収容所に監禁されていると聞いた」

『彼を救い出してください。そして彼をわたしのもとへ連れてきてください。そうすればどこへ行くべきかを示してあげましょう』

 心なしかカルラの光が弱くなったように感じた。

『少々疲れました。また眠りに付く時が来たようです。わたしの活動時間は限られています。重ねてお願いします、どうかあの子を・・・』

 そこまで言うと声はしぼむように細くなり聞こえなくなった。キリオは装置を元の状態に戻すとエレベーターの方へ向かった。

 マルタと合流し地下二階へと戻る。シシオたちもチャムを遠ざけ、エレベーターに乗り込む。さらに地上ではハルキとカリナが待ちわびていた。彼らは何事もなかったかのように撤収し、かくして作戦は成功裏に終了した。

 朝方出勤してきた警備の責任者は居眠りしていたPSI兵士を蹴飛ばしたものの、荒らされた様子もないため異常なしと報告した。かつてベーシックの平和ボケを笑ったものたちが同じ轍を踏んでいた。


 カルラの声は侵入した他の者達にも届いていた。ゾウを救出せねばならない。だがどうやって収容所の厳重な警備を突破すれば良いのか?

 キリオは自分の知り得た情報をみんなに伝えた。

「おそらく彼の収容されている収容所は重大なPSIの犯罪者が隔離されている馬頭収容所の一角と思われる。ここは常にPSIの能力を封じるための結界が張られている。結界と言ってもバリヤーのようなものではなく、脳波を乱しPSIを無効化するための低周波の超音波みたいなものらしい。いずれにせよ、これが有効である限りみんなの能力も使えないと言うことだ」

「その結界を管理しているのはどこだ?」アマンが聞く。

「収容所の中だ。そこを抑えてしまえばやりようはありそうだが」

「古い手だが」とマルタが一計を案じた。

「お前らしい単純な作戦だな」それを聞いてアマンが揶揄する。

「なんだと?シンプルと言え、シンプルと」

「まあ単純明快な方がうまくいくかもしれんしな」

「とにかく俺は収容所の内部の見取り図などを集めてみる。ここに来て政府はレジスタンスへの締め付けを強化する方向で動いているようだ。みんなも気をつけてくれ」

 別れ際、ハルキが握手を求めて言った。

「ボクたちと連絡を取ることがあれば六道町の府馬博士を尋ねればいい。信頼できる人だ」

「確かあの町は政府の管理下にあったはずだが」

「ところがあそこに駐留している政府の軍は我々のマインドコントロール下にある。彼らはありもしない事実を報告し続けてるだけさ」

 ハルキはそう言って意味ありげにシシオに視線を投げた。シシオがそれを受けて言う。

「あそこには優秀なPSIがいるからな」

「ああそうだ」アマンが思い出したように言った。

「博士におみやげがあったんだ」

 そう言って懐から氷の塊を取り出した。

「なんだそりゃ」マルタが訊く。

「チャムの体液を少々戴いて閉じ込めたものさ。博士も興味を惹かれると思ってね」

 マルタは顔をしかめた。

「汚いなあ」

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