第一部 第3章
「・・・・・・アリシア・・・・・・アリシア起きなさい、学校に遅れるわよ」
薄目を開けるとカーテンを開け放った窓から眩しい朝日が差し込み、新鮮な空気が流れこんできていた。肌寒さに毛布を頭からかぶって懇願するように言う。
「お願い、後5分だけ・・・」
「もう、ほんとに置いてくわよ!」
それは姉のカルラの声だった。
急いで飛び起きるが誰もいない。ただ目覚まし時計のベルが鳴り続けていた。姉の夢を見たのはいつ以来だろう。あの頃は毎日のように見ていたのに。
アリシアはベルを止めるとひとつ大きく伸びをした。みんなはもう起きたろうか?寝坊助の男の子たちをお越しにいかなくても大丈夫だろうか?
子供たちはこのあらたな安住の地で学校に通っていた。もっとも学校と言っても通常の学校とは違ってPSIのための学校だった。
六道町、そこは町ごとPSISの居住区という極めて大規模なコミュニティーであった。アリシアや子供たちにはなぜそのようなことが可能であったのか詳しいことはわからなかったが、この町の長である府馬博士が政府に対して大きな力を持っているおかげであるらしかった。
府馬サトル、彼こそはPSIの産みの親の一人であった。学校では様々な年代の未成熟なPSIが学んでいたが、この学校も博士の知識や思想を伝えるために作られたものだった。
カルラの手引きによって町に迎え入れられた子供たちは、なにより先に博士の研究所の私室で対面し、挨拶させられた。
年老いた博士は少年少女ひとりひとりの名前を聞き、それぞれ自分の孫に対するような態度で抱きしめた。そして研究所の空いている部屋を彼らに提供すると共に食事など生活の面倒もみることを請け合った。
それから博士は彼らに驚くべき話を聞かせてくれた。実はPSIは政府の機関が科学的に遺伝子操作により創りだした産物だったのだ。
「じゃあわたしたちもそうなんですか?」
サラスの問に博士は頷いた。
「だがPSIにも世代による違いがある。君たちは現在の最終世代にあたる。最初の世代は先天的な、生まれながらの天然のPSIだった。だが彼らの力は極めて微力で、ちょっと勘が良いとかロウソクの火を揺らす程度のささやかな能力だった。
しかしその頃から過去の研究グループはその力の源がどこにあるのかを遺伝子レベルで解析し解明しようとプロジェクトを立ち上げたのだ。それは今にして思えば神に対する冒涜だった。新しい生物を創るに等しい行為だったのだから。
だが我々は人類の未来に大いに不安を感じていた。このままでは遠からず生物としての限界から滅びてしまうのではないか、と。その限界を打ち破るためには新人類の誕生を待たねばならないと考えたのだ」
博士はマチヤの顔を見て聞いた。
「おちびちゃんには退屈なお話だったかな?」
マチヤは首を横に振って小声で「大丈夫」と言った。
「そしてついにわしの恩師でもあるワイフマン教授のチームにより、一般的には使われていない前頭葉の部分にPSI能力を活性化する役割があることを発見した。PSIは本来誰にでも備わっている力だったのだ。だが神はその力を封印した。まだ我々がその力を手にするのは時期尚早と考えたのかもしれん。
しかし教授は研究を推し進め、遺伝子レベルでの操作に活路を見出した。そうして教授たちが最初に人為的に、自分たちで創りだしたPSIは遺伝子操作した試験管ベイビーだった。
だがこれは思ったほどの成果は得られなかった。それどころか様々な奇形を産み出してしまった。君たちは年老いた大人のPSIに様々な障害を持った者を見かけたことはないかい?彼らはそういった研究の犠牲者なのだ。だが彼らの犠牲からさらに進んだ遺伝子レベルの新種が創造されていった。やがてPSI同士を交配させることでより強力かつ障害の少ない者たちが産まれてきた。
こうして研究は最終段階に入ったが、ここでひとつの大きな問題が湧き上がった。それは彼らが人間以上の力を持ちながら人間として最低限必要なものを兼ね備えていないということだった。それはなにか?心だよ。どんなに優れていても心が伴っていなければ優れた人類とは言えないのだ。
我々は研究に没頭するあまり技術的なことにばかり目が行き、精神論やモラルといったことがらを軽視しすぎていたのだ。
我々はどうすべきか議論を重ねた結果、結局PSIを人として産み、人として育てるしかないとの結論に達した。つまり、試験管によらず、PSI同士の性交渉により妊娠出産しベーシック、つまりPSI能力を持たぬ一般人と同様に育てることにしたのだ。
そしてこれは予想以上の、いや想定外とも言うべき副産物をもたらした。そうやって産まれてきた子供たちの中にはかつてなしえなかったレベルの強大な力を有する者がいたのだ。そう、それが君たちの世代だ。
だが我々の目論見通りには行かないこともあった。我々のプロジェクトは常に政府の監視下にあったのだが、彼らはこの世代の子供達の『行き過ぎた能力』を問題視しはじめた。我々はあくまで人類の新たな指標を創るべくPSIを産み出してきたつもりだったが、彼らは能力者があらたな支配者となることを畏れた。
そこで彼らは一計を案じた。子供たちを親元から引き離し自分たちの都合のいいように教育してしまおう、だがもしそれがかなわぬようならばいっそ殺してしまおう、と。
おそろしいことに政府は既にPSIを殺人兵器として訓練し、組織することを始めている。あくまで忠実な下僕、道具として利用しようとしているのだ。わたしはこれを許すことはできない。わたしは今では自分のしてきたことが不幸を招く悪行だったことを悔いている。だが悔いるだけでは罪はぬぐい去れない。それよりも彼ら政府の野望を打ち砕き、良心とモラルを備えたPSIの新世界を創ることに生涯をささげることを誓ったのだ。
君たちに彼らと殺し合いをしろと言う気はないし、わたしにはその資格もない。だがいずれにせよ君たちは生き抜くために自分の力を知り、成長させなければならないだろう。そのために学校を創ったのだよ」
クラスではよく議論が交わされた。議題はほとんどが「なぜわれわれが迫害されなければならないのか。それに対しどうするべきか」についてだった。そして決まってベーシックと対等な関係を築こうとする者といっそ自分たちが支配してしまおうとする者との討論になった。
「われわれの能力はひとつの個性に過ぎない。別に優れているわけではない、思い上がるな。むしろ与えられた力を人類のために有意義に使うためにはどうしたらいいかを考えるべきだ」
「違う、優れた者が劣ったものを支配し、導くのは生物の生態系として当然の帰結だ。愚かな者におもねって道を誤ってはならない」
「ならばどうしようというのか?理解を求めず奴隷として服従させるとでも言うのか?」
「政府のやり口を見ればわかるだろう、話して分かる相手ではない。力によって制圧するしか無いのだ」
「多くの血が流れるぞ」
「いたしかたない。新しい時代の節目には常に痛みを伴うものだ」
「その考え方こそ政府と同じではないか。まさに旧時代人の発想ではないか。われわれが進化しているというのならば過去の愚かな歴史を繰り返すような真似をしてはならない」
博士は彼らの討論を静かに聞いているだけで、いずれかに導こうとするようなことはしなかった。かれらが真剣に考えることがなにより大事だと考えていたのだ。
アリシアは博士たちが人としてPSIを育てようとしたことの意味を考えていた。そしてベーシックのあの少年、キリオのことを。もう二度と会うことはないのだろうか。PSIであるかどうかははたしてそんなに重要な差異なのだろうか。それが人の価値を決める要素となりうるのだろうか。だが自分がPSIであったばかりに彼との関係は無残にも断ち切られてしまった。PSIとベーシックは決して分かり合えないものなのだろうか。
授業では能力のレベル向上も重要な教科だった。まず自分の能力と向き合い、特性を見極める必要があった。だがなぜか誰にもアリシアの力の本質だけは特定することができなかった。そもそも本人が発動の条件もわからず、発動時の記憶も無いのだ。ただ博士がおそらく時空を超えた膨大なエネルギーを扱うものではなかろうかとの見解を示したにとどまった。
他の子供達は明確に知り得たため、学習を進めるのは比較的容易だった。サラスは治癒能力を発展させ物質の修復能力へ応用を進めた。シシオとシンバは体の一部を変化させることで翼を得て飛行能力を身につけた。ゾウはテレポート能力を進化させ物質を異次元に飛ばす方法を覚えた。マチヤは予知能力に加え探知能力も身につけた。また彼女は幼い占い師として教室のアイドル的な存在となっていた。
そしてハルキは・・・彼は忽然と姿を消した。
この町に来て数日が経った頃だった。ハルキはただ強くなりたいと言い残して皆のもとを離れた。彼の行先はおおよそ見当は付いていた。カリナの後を追ったのだ。彼はあの日以来自分の弱さに失望していた。そして次第に彼女の絶対的な強さに惹かれて行った。
カリナはこの町を当面の根城とはしていたが、定住することは拒んでいた。そして迫害を受けるPSIの為という大義名分のもと、政府のPSI狩りとの抗争に明け暮れていた。しかし周りから見ればそれは血に飢えた野獣のようにしか見えなかった。彼女の行いがPSIの立場をますます悪化させていると考えるものも多かった。当然のごとく彼女は次第に孤立して行った。
そのことを府馬博士も気にかけていた。
「あの子は本当はとても優しい子なんだよ」
ハルキを心配したサラスたちの問に答えてカリナの身の上を語ってくれたことがあった。
「でもある不幸が彼女を変えてしまったんだ」
彼女はいわゆる天才肌で幼くして自分の力に気づき、コントロールすることさえ覚えていた。だが彼女はその力を使うことを怖がっていた。使うことで自分が自分でなくなるような気がしていたから。
だから政府が彼女の存在に気付き『回収』に来たときも怯えてなにもできなかった。そして引渡しを拒んだ両親は殺されてしまった。
彼女の家族にはもう一人、弟がいた。弟は彼女を逃がすために力を使って抵抗した。弟も同系統の力を有しており、インビジブル化して戦った。が、隊員のなかにいた政府側のPSIによってあえなく捕まってしまった。なおも抵抗する弟に対し、そのPSIは銃で頭を撃ちぬいた。
「須磨、命令違反だぞ!被験者は命令が無い限り殺傷してはならない!」
隊員たちのやりとりが聞こえた。須磨と呼ばれた隊員はこともなげに返した。
「やらなければやられてましたから自分の判断で処分しました。隊員に生命の危険あらばこの限りではない、ですよね?それとも隊長にはこいつの姿が捉えられてましたか?それより女のほうが逃げました。逃せば責任問題ですよ?」
カリナはインビジブルと身体強化の力を最大限に発揮してその場から逃げおおせた。そして自分の弱さを恥じ、憎んだ。それから彼女は強くなるために非情になる決心をした。須磨という男に対する復讐の念をエネルギーとして。
「そうして殺戮を繰り返すうちにいつしかタガが外れてしまったのだ。心のバランスを失い、感情の起伏も不安定になってしまった。人は一人では生きてはいけない。みんな自分のためではなく誰かのために生きることで心の平穏を保てるのだ。彼女にもそういう存在が必要だ。ハルキが彼女を求めているように彼女も彼を必要としているのかもしれない」
この六道町は政府も干渉できぬ特別区として認められていた。国際的な人権団体の監視のもと、許可無く介入することが禁じられていた。これは府馬博士が世界的な権威であるとともにPSI科学部門の最高責任者という立場が政府に対する抑制力となっていたのだ。博士は現在は一線を退き科学省顧問という肩書きながら、政府おかかえの科学者の多くが博士の信奉者であり、いまだ大きな影響力をもっていたためである。
博士によればこのような大掛かりなコミュニティーが他でも進行中とのことだった。PSIの数は今後も増え続ける。そのための器を用意する必要があるのだと。
だが政府がそのことを苦々しく思っていたことは言うまでもない。それがいつしか大規模な戦いの火種となるであろうことも予見された。
町には実に数百人のPSIが生活していた。様々な世代のPSIがいたが、子供たちのほとんどはアリシアたちと違って家族で避難してきていた。だが彼らにとっては研究所に住まう子供たちは博士の寵愛を受ける存在で、贔屓されているのではないかとやっかむ者も少なからずいた。
そんなある日、通りでシンバが年上の少年数人に絡まれた。少年たちは通りすがりに鼻をつまみながら口々に言った。
「おい、なんか臭せえぞ」
「ああ臭せえ、獣臭せえ」
「犬っころか?」
シンバは無視して通りすぎようとした。が、少年たちは前をふさいだ。
「おい、逃げるのか?腰抜け」
「兄貴がいないとなんにもできねえのか」
「どうせ兄貴も腰抜けなんだろ?」
シンバの顔色が変わった。
「おまえたちになにがわかる」
「怒ったのか?腰抜け」
一瞬だった。シンバは風のように舞った。少年たちは突風にあおられたように吹っ飛んだ。
少年たちの顔に驚愕の表情が受かんだ。だがリーダー格の少年はたじろがず、憤怒の形相で立ち上がった。
「おまえ、死んだぞ!誰も手を出すんじゃねえぞ!」
「シュウマ!」
シュウマと呼ばれた少年の能力は形態変化系だった。両腕を鋭利な刃物に変えて斬りかかってきた。
だがシンバは野獣の身のこなしをもって最小限の動きでかわし続ける。そのたびに少年の顔はますます気色ばんだ。
「忘れてたぜ、そういやお前は獣系だったっけな。獣には獣用の道具があったっけな」
そう言うと両腕を刃物からムチに変えた。二本のムチを振りヒュンヒュンと音をたてる。直線的な刃物の軌道に比べてムチの動きは読みづらく、シンバの体をかすめた。
「どうだ!もう後がないぜ!そら!そら!」
シュウマは壁に追い詰め決定打を放った・・・つもりだったがそのせつな、シンバはシュウマの懐に飛び込んでいた。気がつくと、黒く雄々しき豹が少年を組み敷き、今にも頭からかじりつきそうに顎を開いていた。
だが黒豹は一声吠えただけで、一足飛びに家の屋根からアパートの屋根へと飛び移った。かと思うと地面の少年たちを目がけてダイブした。少年たちが尻餅をついて逃げ惑う中、黒豹は黒い翼を広げ再び空に舞い上がり羽ばたくとあっという間に消えて行った。
少年たちはその姿に恐怖も忘れ見入ってしまっていた。
「すげえ・・・」
「かっこいい・・・」
ゾウの容姿は以前と変わらず金属のヘルメットのままであったが、幸いと言うかこの町では特に目立ったものではなかった。もっと他にも様々な姿をした者達がいたからだ。彼らの多くは旧世代の者達で、なかにはおよそ人間の形をとどめていない者までいた。そういう者達を見ると自分の容姿にコンプレックスを持っていたことが恥ずかしく感じられるようになっていった。そして少しずつではあるが社交性も身につけていった。
だが恋愛ともなると話は別であった。彼は遠ざけられることには慣れていたが、失うことには慣れていなかったのだ。
彼のもっとも幸せな時間はアリシアのピアノの調べに酔いしれている時だった。アリシアは時間を見つけては学校のピアノを弾いていたのだが、彼はいつも少し離れたところでそれを聴いていた。
だがいつしか彼女のピアノの評判は広まり、観客が増えるに従ってゾウはだんだん居づらくなっていった。
そんなある時、一人の年長の少年から声をかけられた。その少年はゾウの後ろから肩を叩いて呼び止めると言った。
「ねえ君、君はあのピアノを弾いている子と一緒に来た子だよね。彼女の名前はなんて言うんだい?」
振り向くと自分とは違って容姿端麗で背も高い少年が立っていた。
「ああいけない、まずボクから名乗るべきだったね。ボクはカルマ、よろしくね」
ゾウは第一印象で悪い人ではなさそうだ、と感じた。
『ボクハゾウ、カノジョハアリシア、クルス・アリシア』
「そうかアリシアって言うんだ。ところで彼女は、その、付き合ってる子とかはいるのかな?」
それは予想はしていたが恐れていた言葉だった。
『ワカラナイ・・・』
自分の感情が相手に伝わらぬよう極めて短く、曖昧にそう答えた。カルマはそれを聞くと一言礼を言ってその場は引き上げた。
ゾウは自分の中に眠っていた感情に戸惑うと同時に、いまだくすぶり続ける劣等感に滅入りそうになっていた。
ゾウがふらっと教室に戻るとマチヤが占いをやっていた。実際には彼女の予知能力は直感的なもので、自由自在に見たいものが見えるわけでも将来を占えるわけでもなかった。だが予知能力者は数が少なく貴重であると同時に占い好きの女子たちからもてはやされて占い師じみたことをやらされていたのだ。これがまたよく当たると評判で、本人もまんざらではない様子だった。そして今も年長の女子からの恋愛相談を受けているところらしかった。
「アルトと申します。今好きな人がいるのですが、思い切って告白しようかどうか悩んでるんです。どうしたらいいでしょうかマチヤ様」
「う~む、してその相手の名前は?」
「カルマ、といいます」
マチヤにはそのようなことがわかるはずもなかったが、真剣な悩みに対していいかげんなことも言えず、いつもできるだけ当たり障りのない答え方をしていた。
「あせらず時を待つのです。彼の行動を見守りながら機をうかがうのです。いつしか願いは叶うでしょう」
女子の顔が明るくなった。そして礼を言うとうきうきとした表情で去っていった。
マチヤがゾウに気づいた。
「どうしたの、あなたもなにか悩みでもあるの?聞いてあげるからマチヤ様に言ってごらんなさい」
『ナヤミ・・・トイウホドデハナイノダケド・・・』
マチヤの前の椅子に腰掛けるとさきほどのことを話して聞かせた。マチヤは聞きながらもゾウの気持ちを察していた。顔の表情は見えないながらも心から響く声には隠せない感情がうかがい知れた。
「その男の子の名前はなんていうの?」
『カルマ、トイッテイタ』
「ふ~ん・・・」
つい先ほど聞いた名だ。
「その人モテるみたいね。カッコいいのかしら」
そしてしばらく考えていたが、なにか思いついたのかゾウに言った。
「その人にあたしの占いのことさりげなく言ってみてくれない。よく当たる恋愛相談所があるとかなんとか」
『イイケドソレガナニカ?』
「まあ任せなさい」
マチヤは小さな胸をドンと叩いた。
ゾウが言われたとおりマチヤの噂をカルマの耳に入れると、果たして彼はやってきた。
「ボクは今とても気になってる子がいるんだが、彼女のことをまだよく知らないんだ。君も彼女とは知り合いらしいが、彼女はボクのことを受け入れてくれるのだろうか?教えて欲しい」
マチヤはしばらくもっともらしく水晶の球を覗いていたが、弱々しく首を振ると告げた。
「あまりかんばしくないようです。彼女の求めているものとあなたの求めているものが一致しません」
「そんな・・・」
カルマは少しショックを受けた様子だった。
「しかし」とマチヤは続ける。
「私にはあなたにふさわしい他の相手が見えます。あなたの求めている理想の相手が」
「理想の相手?」
「うむ、幸せはいつも身近なところにあるものなのです。なにか心当たりはありませんか?例えばいつも挨拶をしてくれるような」
「・・・あの子だろうか?確かアルトとか言った」
「そう、その少女に今度はあなたから話しかけてみるのです。わたしには二人の明るい未来が見えます」
カルマは感銘を受けた様子で去っていった。マチヤはその背中を見送りながらひとりため息をついた。
「ふう、いいわねえ若い人は」
六道町は独自性の強い自治区で、周りの社会から隔絶されたなかば陸の孤島とでも言うべき閉鎖空間であった。その存在は公にされることはなかったが、政府の迫害を受けるPSIたちの駆け込み寺として急速に拡大を遂げていった。
それにしたがい町内でもさまざまな問題が生じ、それに対処するべく組織だった動きが見られるようになっていった。
そんななか、シシオはある年長組の青年から声をかけられた。その男に付いて行くと、とあるビルの地下室に招き入れられた。
部屋には数人の男がいて、窓際の机の席に座った男が立ち上がり握手を求めてきた。
「こんなところまで連れ出してすまなかったね。ボクはアマン、リクドウ・エンジェルズのリーダーだ。よろしく」
シシオはそのネーミングセンスに辟易しながらも、勧められてソファーに腰掛けた。
「噂は聞いているかと思うが、われわれはボランティアで自警団をやっている。その役目はこの町の治安維持だけにとどまらず市民の間に生じるさまざまなトラブルを解決することだ。君を呼んだのは他でもない、君に是非参加してもらいたいのだ。君のその強大な力を世の中のために役立てたいとは思わないかね?」
「はあ・・・」
あまり気乗りしない様子のシシオにリーダーは即答の必要はないので良く考えて返事をして欲しいと言った。
またある時は他の年長組からのお誘いを受けた。
「われわれはいつまでもここで罪人のように隠れ住んでいていいのか?一見自由が保証されてはいるが、実際にはベーシックはわれわれをここに閉じ込めているだけだ。そして監視している。このままこの町が発展し、PSIが政府に対抗しうる力を持ったとしたらどうなる?この町ごと葬るに違いない!」
『光の盾』代表のマルタと名乗った男は拳を振り上げながら力説した。
「ならばどうする?やるしかない!こちらから先制攻撃をしかけやつらを根絶やしにするのだ!われわれはそのための準備を着々と進めている。しかしなにぶんやつらに対抗するためには戦力が足りない。そこで君にも参加を呼びかける。我々とともに精進し崇高な精神を磨こうではないか。そしていつの日かわれわれPSIの為の国家を建設しようではないか!」
「はあ・・・」
やはり気のない返事のシシオに対してマルタは返事は待つと言った。
シシオはその手の集まりには興味が持てない性質だった。しかし漫然と日々を過ごしていることになにか焦りのような感情を持っていたのも確かだった。
そこで2つのグループのことをいろいろと詮索してみたところ、どうやらこのグループどうしは対立関係にあるらしく、たびたび小競り合いのようなことも起こっていることが分かった。
そんな頃、通りで偶然パトロール中のアマン率いるリクドウ・エンジェルズの一団と遭遇した。
「やあどうだい、決心はついたかい?」
そこへこれまた偶然マルタ率いる光の盾の一団が通りかかった。そしてそれを見とがめてマルタが口を挟んだ。
「一言言っておくが、彼は我々の有望な新人となることが予定されている。それ以上干渉しないでいただきたい」
それを聞いてアマンが少し見下した様子で返す。
「大義を振りかざすばかりで実のない組織に身を投じるのは時間をムダにすることになるだろう。われわれのようにもっと現実に即した活動を志すべきだと思うが」
マルタの顔色が変わる。
「犬の散歩やドブの掃除ならば他にいくらでも代わりはいる。君にしかできないことをやるべきだ」
「聞き捨てならんな。われわれの仕事を子供の使い程度と言いたいわけだな?」
「違うのかね?ただの仲良しクラブではなかったのかな?」
「命を捨てる覚悟もないくせに戦争ごっこしているガキどもと一緒にされては困るな。どうせいざとなれば尻尾を巻いて逃げ出すくせに」
「もう我慢ならん!」
マルタの体をバチバチと青い火花が覆った。彼は電撃使いの能力者だった。
それに対してアマンは体から冷気を発すると大気から氷の槍を作り出し構える。
リーダーに追随して両グループの団員もそれぞれの能力で威嚇し睨み合う。だがその時ガタガタと激しい地響きが起こった。団員たちがなにごとかと動揺していると、突如近くのマンホールの蓋が吹っ飛び見たこともない化物が飛び出してきた。
何本もの長い首から連なる頭を蛇のようにうねらせ、体はハリネズミのように鋭い針で覆われている。さらにみるみるうちに巨大化し、恐竜のごとくそびえ立った。それぞれの頭には3つの赤い目をギラギラと輝かせ、団員たちを睨め回す。そしてそれぞれの口を裂けるほど大きく開き、高周波の雄叫びを上げた。その口からはダラっとヨダレがこぼれ、酸性のヨダレは瞬く間に蒸気となり胸糞悪い異臭を放つ。
それを見て尻餅をつく者、腰を抜かし四つん這いで這う者、身動きもできず立ち尽くす者。
「に、逃げろ!」
アマンもマルタも必死で逃げ惑う。だが怪物はその巨体に似合わず素早い動きで行く手をふさいだ。
「お、俺たちを食う気か!?」
はたして怪物は長い舌をくねらせて団員たちを味見するかのごとく舐めまわした。
「誰か!助けてくれ!」
一人の団員が長い舌に絡め取られ持ち上げられる。が、その時白い獣が飛び出しその舌を爪で引き裂いた。シシオだ。
化物は高周波の悲鳴をあげた。そしてひるんだ様子で後ずさると混乱したかのように地団駄を踏みながらぐるぐると長い首を回し始めた。
「やばいぞシシオ、逃げるんだ!」
だがシシオは団員たちの前に立ちはだかり身構えた。
「やめろ、無茶をするな!」
なおも荒れ狂う怪物。
と、そこへひょっこりサラスが現れた。サラスはまるで怯える様子もなく怪物に近づく。あまりのことに一同があっけにとられているとサラスは怪物に手をかざし癒しのオーラを当てた。
「いい子いい子、もう大丈夫でちゅよ。怖かったでちゅねえ」
落ち着きを取り戻した怪物は見る間に小さくなり、やがて一匹の小さな子犬になった。
サラスは子犬を抱き上げると頬ずりしたが、傷を見とがめてシシオに言った。
「あっ、怪我してるじゃないの!だめでしょ、弱い者いじめしちゃ!」
「あ、はあ・・・ごめん。・・・それは?」
「この子は研究所の実験動物よ。目を離した隙に逃げ出したの。あなたたちが大騒ぎするから怯えて変化しちゃったのよ。もう、ほんとに迷惑だわ」
サラスが子犬を抱き抱えて去っていくと、拍子抜けした一同は気まずさに顔を見合わせて笑いあった。
結局シシオはどちらにも属さなかったが、名誉客員として両グループから認められる存在となった。
月日は穏やかに過ぎていった。しかし彼らPSISの状況が改善されているわけではなかった。そのことを如実に物語るできごとがあった。
その時、アリシア達は授業中だったのだが、突如マチヤが何かの前触れを感知した。
「博士が!」
府馬博士に危険が迫っていた。まっさきに飛び出したのはシシオとシンバの兄弟だった。それを追って他の者も教師の制止を振りきって続いた。
生徒たちが駆けつけると研究所の前に政府の人員輸送車が停まっていた。門の前では研究所員と対PSI用特殊装備の防護服とマスクをかぶった隊員達が向きあっていた。その中心にいるのは博士と・・・青いスーツの男。
「なんども言わせないでくれ。裁判所の令状なしでは一歩足りとも中に入れるわけにはいかん!」
「ふ~む、弱りましたね。あなたのところで政府に反逆する者をかくまっているとの情報がありましてね。国家保安局からの命令で調査に来てるんですがね」
「知らんな、とっとと帰りたまえ!」
生徒たちもぐるりと取り囲み無言の圧力をかける。
「心配いらないから君たちは離れていなさい」
博士は生徒たちに気づいて言った。青スーツの男、須磨は生徒たちの中にモーテルで取り逃がした子供たちの姿を認めた。
「国家があなたたちに自由を保証しているのはあなたたちに国のために働いていただく為だということをお忘れなく。それが不穏な分子であるならば早急に取り除かれねばならないのだ」
須磨はアリシア達を指して言った。
「あの子たちを政府に預けていただけませんかね。国は彼らのような将来有望なPSIを必要としている。その方が彼らのためでもある」
「連れて行ってどうする気だ?」
「国のために働くよう教育をするのです。この者達のように」
この部隊は国家保安局直属のPSIで組織された特殊部隊だった。その能力のほどはわからないが、どうどう敵地に乗り込むほどの力を有していることは容易に想像できた。
「たわけたことを!わしの目が節穴だと?政府はPSIを信用していない。政府が今やっておる研究はベーシックにロボトミー手術を施して忠実なる人間兵器を作り出すためのものだ。PSIは研究素材として利用されるに過ぎんと知っておるわ」
「これはこれは大変な言われようですな。どこからそのような根も葉もない噂を?」
「今の政府お抱えの科学者連中も元を正せばすべてわしの弟子たちであることくらいは知っておろう。政府が欲しいのはPSIではなくその能力だけなのだ。おおかたこの者達も犯罪者か政府に都合の悪いものを改造したのであろう。まったくもって倫理に反する所業である!」
「博士にそれを言う資格がおありでしょうかね?我々はPSIを有意義に活用しているのですよ。途中で投げ出したあなたに成り代わって―」
須磨の背後に影のようにぴったりと貼りつく者がいる。なぜそのことにまったく誰も気づかなかったのか?いつから居たのか?
「探してるのはあたしかしら?」
「黒井カリナ・・・。たいしたものだ、わたしの背後を取るとはね」
「動くと地面に首が落ちるよ」
カリナは肉切り包丁を須磨の首筋に当てていた。
「ふふふ・・・」須磨はなぜか嬉しそうにわらった。
「なにが可笑しいの?」
「いや、君は素材としてとても魅力的だ。君の脳髄を持ち帰れると思うとつい嬉しくなってね」
「貴様!」
カリナは背後から羽交い締めにしようとしたが既に須磨の姿は消えていた。いや、逆に一瞬で背後に回られていた。
「君にできることくらいは私にもできるのだよ」
カリナは叫ぶ。
「みんな離れて!」
予備動作無しでバク宙で須磨の遙か頭上に跳び上がる。須磨がそれに気を取られた一瞬の隙をついてその背後から心臓に向けて大地を揺るがすほどの凄まじい衝撃波が貫いた。
キリモミしながら吹っ飛ぶ須磨。そこには一人の少年が立っていた。ハルキだ。短期間のうちに見違えるほど能力を進化させていた。
アリシア達にはわずか数カ月のうちになにが彼にあったのか想像も及ばなかった。ただあの時ためらって撃てなかった衝撃波をためらいもなく打ち込んだ彼は外見だけでなく内面も変化していることは間違いなかった。
カリナはハルキの横に立つと言った。
「効いてないわ」
ハルキはまさか、という表情でカリナを見た。
「手応えはあった」
「あいつも強化型の能力を持ってるわ。全身鋼の鎧に包まれてるようなものよ」
はたして須磨はむっくりと起き上がるともったいつけるようにスーツのホコリをはらった。
「おまえも居ることは既に気づいていた。気づいていながら気づかぬ振りをした意味は、分かるな?」
須磨のPSI部隊が二人を取り囲んだ。
「銃は使うな。脳を傷つけるおそれがあるからな。手足は折っても構わんぞ」
カリナが振り向きざまに包丁でなぎ払う。だがその刃を隊員は片手で受け止めた。そこへ左足で蹴りを入れる。が、これももう片方の手でやすやすとブロックされてしまう。そしてそのまま足を掴むと頭上に振り上げ、地面に叩きつけた。二度三度とまるでぼろ布のように。
「カリナ!」
叫ぶハルキだが彼も背後から肩をつかまれ動きを封じられる。それを加速能力ですり抜けてカリナを助け起こす。カリナは強化した体にもかかわらず叩きつけられて衝撃でぐったりとしている。口からは血が流れ出ている。内蔵をやられたのか?
「ハルキ!」
成り行きを見ていたシシオがたまらずに叫ぶ。だがハルキは助けを拒むように声を荒らげた。
「来るな!これは俺とカリナの戦いだ!おまえたちを巻き込むつもりはない!」
「馬鹿野郎!二人だけでそいつらに勝てると思ってんのか!意地を張るな!」
「わからないのか!それがこいつらの狙いなんだよ!こいつらはこの町を潰すのが目的なんだよ!」
「だからってお前らを見殺しにできるかよ!」
シシオの気持ちはみんなの気持ちだった。だが政府に町を潰す大義名分を与えることは最悪のシナリオであることも理解できた。
ハルキはカリナをその場に降ろすと加速した。隊員の心臓部に手をかざし衝撃波を打ち込む。だがそれを待っていたかのように右腕を掴むとねじり上げた。
「手足は折っても構わない・・・」
隊員はそうつぶやくとハルキの腕をへし折った。
ハルキの顔が苦痛にゆがんだ。そこに数人の隊員が集まり、それぞれ手足を掴む。そして口々につぶやいた。
「手足は折っても構わない・・・」
「やめろ!」
シシオたちが助けに飛び出そうとしたその時、隊員たちに異変が現れた。
ブルブルと一様に震えだしたかと思うと少しずつ体が浮き上がり始める。体の自由が効かなくなり手が離れ、ハルキは開放された。隊員たちはさらに高く浮き上がり、震えは激しくなり喉をかきむしり苦悶のうめき声を上げる。
距離を置いてこれを見ていた須磨は、その力の発信源に気づいた。
「来栖アリシア、すばらしい。これほど純度の高い力を見るのは久しぶりだ。来栖カルラを凌駕する素質・・・面白い」
それがアリシアによるものであることはサラスやゾウたちも気づいていた。アリシアはまるで人形のような無表情で立ち尽くしていたが、その体はビリビリと震えるような危険なささくれだった赤いオーラに包まれていた。
「アリシア、しっかりして!」
サラスがアリシアの肩を揺さぶろうと肩を掴んだ時バチっと静電気のような痛みが走った。サラスは思わず手を離す。
隊員たちは地上数メートルの高さで宙吊り状態でびくびくと震えている。そしてそのまま円を描くように回りだし、次第に速度を速めていった。口から鮮血を吹き出し限界と思われたとき、まるで糸が切れた操り人形のように地面に落下した。
ゾウがアリシアをタックルして止めたのだった。
アリシアは我に返るとまた無意識のうちに自分の力が発動したことに気付いた。
隊員たちは命はつなぎとめたもののすっかり怯えてしまい、戦闘意欲をなくしてしまった様子だった。
そんななか須磨は携帯電話で誰かと話していた。そして話し終わると隊員たちに帰投を命じた。カリナたちのことはもうどうでもよいというふうであった。
こうしてこの騒動はあっけなく終結をみた。須磨の真意は掴みかねたが、その後は直接この町に出向いて来ることはなかった。
カリナとハルキはサラスの治癒能力により介抱され、力を取り戻した。だが今後は迷惑をかけぬようこの町に二度と近付かないと言い残して出て行った。それでも彼らが自分たちの活動をやめる気がないことも確かだった。彼らの考えに賛同する者も数多くいたが、彼らの進む修羅の道をともに歩もうとする者は他にはいなかった。
博士は無理に引きとめようとはしなかったが二人に言った。
「君たちには帰る場所がある。それを心に留めておきなさい。いつでも戻っておいで」
国防省補佐官執務室。ひと通り須磨の報告を受けると補佐官相馬は満足気に頷いた。
「それでいい、われわれの真の目的のためには賢明な処置だ。全ては計画の範囲内にある。だが今後コントロールしうる限界を超えるようであれば消去もやむをえんだろう。そこを注視し見極めることだ。ところで君の見立てでは彼女はカリスマに値する存在となりうるのかね?」
「なりえなければ創るまでです」
須磨はこともなげにそう言った。相馬はこの須磨という男の底知れぬ自信が何処から来るものであるか見当もつかなかった。しかしこの男なら、いやこの男でなければ自分の計画遂行を実現できぬとも感じていた。
相馬は椅子から立ち上がるとタバコに火をつけてゆっくりと吸い込んだ。
「ことを行うのは容易い。だが維持するのは難しい。大衆は愚かだ。だが愚かゆえそのエネルギーをみくびってはならない。彼らを統制するための手段としては思想や宗教はいまだに有効で効率のよい道具だ。そのためにはカリスマの存在が不可欠と言える。それは残念ながら私でもなければ君でもない。彼らの中から生まれてくることが望ましいのだ」
相馬は話題を変えるように椅子に座り直すと続けた。
「ときにPSI部隊の方だが、現段階ではロボトミーによる知能の低下に問題を感じるのだがやつらは使い物になるのかね?」
「研究は現在も進行中です。第二世代のPSI兵士はもっと優秀なものになるでしょう」
「ふむ、では今の者達はどう利用するのかね?」
「役に立たないものは順次処分する方向です」
「うむ、われわれの計画には彼らの進化が必要だ。そのためには被験体の収集も引き続き行ってもらいたい。なんとなれば六道町をつついても構わん」
「いえ、あの町にはもっと良い使い道があります。今は静観しましょう」