1.裁判じゃない裁判
「有罪。死刑」
最高裁判所の大法廷に、決して大きくは無いその一言が響き渡る。
言葉を発したのは無造作な青い髪、黒いスーツに身を包み、首元には赤いネクタイ。メガネの奥にも鋭く光る赤い瞳。二十代ほどに見える男が最高裁判所の壇上に腕を組みながら立ち、シンプルに言い放った。
何の感情も込められはいない、棒読みに近い声色のその言葉を被告人とされている男に叩きつける。その男と被告人以外、この大法廷に人の姿はない。広い法廷にたった二人。なんとも異様な光景に思えた。
被告人は「死刑」という二文字の言葉に肩を震わせ、青い顔で唾を飛ばしながら吠える。
「な、違う! 俺はやっていない!」
「嘘はよくないぞー非常によくない。一家全員殺害なんて事やっておきながら『俺はやっていない』だあ? 大人しくここは死んでおけ。それが世の為人の為だ」
被告人よりも幾分高い壇上から、軽蔑したような呆れたような見下す視線を、面倒臭そうに投げかけるその男。
裁判長とされる者が座るその席で偉そうに踏ん反り返るその様は、誰がどうみてもこの男がいい加減で横暴な判決をしているようにしか見えない。普通の裁判所ならその左右にも裁判官が座っている筈なのだが、影も形もない。
「何でだよ、本当に俺は……そんな残酷な事なんてしていない! そもそも、この国はおかしいんだよ。何で、裁判がたった一人の裁判官によって行われるんだよ! それもお前みたいなやつに!」
「ごちゃごちゃ五月蝿いんだよ。俺の所に被告人がまわってきた時点で、冤罪はありえねーんだからいいだろうが。ほら、しっけーい、しっけーい、さっさとしっけーい!」
死刑死刑と妙な音程を取りながらパンパンとリズムよく手を叩く男。ふざけているとしか思えないこの有様。しかしその目は態度とは裏腹に鋭く冷たく被告人を射抜いている。
この国では裁判の制度が変わっている。真偽を見極める特別な瞳を持っている者のみが、裁判官を勤められるとなっているのだ。百年以上前、魔法使いが多く存在していた。しかし、魔法は潜在的な才能がある者にのみ使えたもの。時が経つにつれ魔法使いはどんどん減少し、今では国中でいるかいないか曖昧なほどだ。
その中で、僅かに普通の人間とは違う能力というか、体質をもつ者がいた。その体質は魔法の力が弱まったものではないかと考えられていて、通称『魔質』。どのような原理でそうなるのか全く解明されていない、謎の体質。
この男の真偽を見極める瞳はその魔質の一つ。しかし、この魔質を持つ者はとても少なく力が弱い者が多い。だからとりあえずこの力を持ったものは将来的には裁判官や警察官として必然的に仕事をする事になり、力があることが判明次第、即座に専用の訓練施設に入れられるのであった。
最高裁判官は、その中で最も能力の高い者がなる。とはいえ普通はその魔質を持つ者が何人もいて、確認してから判決を下すのだが……。
「俺はさぁ、この国で唯一百パーセント嘘が見抜ける目を持っているんだよ。だから、テメーがどれだけ巧妙に証拠を隠蔽しようが、嘘をつこうが、無駄なんだよ。俺の質問にイエスとでもノーとでも答えたら、それで判決は決まるんだよ。どぅーゆーあんだーすたんど?」
頬杖を付き槌を片手で弄びながら、面倒臭そうな表情を隠しもしないで百パーセントの男は言う。そこから吐き出される言葉には威厳も何もない。
「ほ、本当に百パーセントなのかよ!? ただ国がそうやって工作しているだけとか……」
「あーもう、五月蝿い五月蝿い。本気で面倒臭いなお前。いいよもうそんなに死にたいのなら俺が今ここで……」
被告人の言葉をさえぎり、槌を勢いよく下ろす。カァンと小気味いい音が法廷内に反響。
そして男はスーツの内側に手を忍ばせて勢いよくその手を前に突き出した。その手には冷たく黒光りする銃。被告人はそれを見るや否や「ヒッ」と短く声を漏らして座りこんでしまった。
「死刑にしてやるよ。大丈夫だ、心臓を一発で狙ってやる。苦しまずに逝けるぞ?」
ニヤァと口角を上げ、これ以上ないくらいの黒い表情を浮かべて、銃口を被告人に向けたまま壇上を静かに男は下りる。
「ひ、ひぃいいぃいい!」
「あー、動くなって。狙いがブレたらホラ、楽に死なせてやれねーぞ? 俺は別にそれでもいいけれど」
その呟きにパン、と乾いた音が重なる。尻餅をつき、その状態のまま後ずさっている被告人の尻のすぐ近くに小さな穴が穿かれていた。
「あ、悪い、つい撃っちまった」
大して悪びれた様子も見せずに「あ、悪い、消しゴム落としちまった」とでもいう時のようなノリで無邪気な笑顔を向ける男。瞬間、被告人は悟った「あ、俺ここで死ぬ」と。瞳に涙を浮かべて、体を震わせて、ただひたすら銃口を凝視するより、被告人に他に出来る事はなかった。
その時だ。バンと大きな音と共に最高裁判所の扉が勢いよく開かれたのは。
「おい番人! 何をしているんだ! また銃ぶっ放したのかよ!」
「げ」
短くサラサラとした茶髪に茶色い瞳、細身で長身のモデルにでもなれそうな爽やかなオーラをまとった男が、そのさっぱりとした顔立ちに不釣合いなほど眉間に皺を寄せて駆け寄ってきた。
被告人に銃口は向けたまま、男は苦虫を噛み潰したように露骨に嫌そうな表情を浮かべる。
「お前の能力は確かなものだがなぁ、仕事の粗は酷いもんだぞお前! 何でちゃんと説明して、刑を言わないんだよ! 何で万引きだろうと詐欺だろうと殺人だろうと全部『死刑』の一言で済ますんだ。犯した罪にあった刑をかけろ!」
「えー、それは、その、ほら、俺の能力でえーと、生かしておいたらこいつ今度は世界征服を企むだろうな、とか分かったからだよ」
「嘘付くなコラ! ただ面倒臭いだけだろ! 世界征服なんて今時フィクションでも企む奴いないっての」
何の躊躇もなくその突然の乱入者は『番人』と呼んだ男から銃を取り上げる。番人は、お気に入りのおもちゃを奪われた子供のような拗ねた顔をした。それが先程までのマフィアか殺人鬼のような悪どい表情をしていた男とは似ても似つかず、被告人は人知れず寒気を感じていた。
一体なんなんだ、こいつ等はと。別の生き物でも見ているかのような気分に陥る。
「で、この人は? 有罪か無罪かどっちだ?」
「有罪」
「そうか」
乱入者はガシッと腰の抜けた被告人の襟首を掴むと自分の顔と同じ高さにまで顔をもってくる。完全に戦意喪失と言うか、反論する気力もないような被告人はただビクリと怯えた様子を見せるだけだ。
「まあ、コイツだけに裁判を任せた俺たちも悪かったですね。だからまぁ、あれだ。じっくりどんな刑を課すかは俺たちで考えてやるから安心してください」
「は、はぁ……ありがとうございます」
的外れなやりとりをすると、乱入者はパッと手を離す。すっかり力が抜けた被告人はそのままドサリと倒れてしまう。
「やっぱり駄目だなお前。色々と駄目だ。人格に問題アリ、だ。何でお前なんかが最高裁判所なんだよ。俺がなった方がよっぽどいい」
「ふーんだ、どうせお前は六十パーセント、だろ。俺とじゃ四十パーセントも差があるんだぜ? もし俺が嘘の罪を被せられそうになったら絶対百パーセントの方に判決を頼むね」
真偽を見極めるその魔質は難しい能力だ。訓練しても四十パーセント前後が平均的。本来ならば六十パーセントでも相当の確立なのだ。しかし、明らかに異常と呼べる確率で嘘か本当か見極められるのがこの『憲法の番人』という名をつけられた男なのである。
それも、訓練も何もなしでこの正確さ。異端者。
茶髪の乱入者、レイズ・ルーイは心の底から深い深い溜息を吐き出す。何でソレがコレなんだ。何で必ず嘘と本当が見極められるコイツが、こんな性格なんだ。二十五歳のくせして、妙に子供っぽい部分があり、何より記憶能力がザルに近く有罪か無罪かは分かっても、その後どんな刑を被告人に言い渡せばいいのか分からない。とりあえず何でもかんでも「死刑」としてしまう。被告人が反論しようものなら銃弾のプレゼント。
最低最悪の人間だ。主に人格的に。こんな奴が全てを決めるくらいなら、俺が最高裁判官の位置についた方がいい、絶対それがこの国の為だ。
「じゃあ、刑は俺たちが審議するから。この人は連れて行くからな」
「おー好きにしてくれ」
ポケットから飴玉を取り出し、口の中で転がしながら『憲法の番人』はヒラヒラと手を振る。そんな姿を見て再びレイズは溜息をつき、被告人を連れて最高裁判所を出て行った。




