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『憲法』と『番人』の終わり

 時は流れ、四季は夏から秋へと差し掛かろうとしていた。


「――ところで、体の調子はどうだ?」

「ついこの間やっと退院したばかりだっての。知ってんだろ?」

「残念ながらバタバタしていたから、お前の事を気にかけている余裕が無かったな」

「そりゃどーもご苦労さん」


 どこかのオープンカフェ。休日の昼間、男女のカップルや若い人々がテーブルを占拠して賑わいを見せている中、いい年した男性が二人だけで座っているのは少し浮いて見える。

 一人は短くサラサラした茶髪に茶色い瞳。端正な顔立ちで、スーツを纏っている。もう一人は青く無造作な髪と不機嫌そうな赤い瞳。スーツでなく、シャツの上に暗い茶色のジャケット、黒いズボン。眼鏡はかけていない。


「んで、あのオッサンはどーなったの。レイズ」


 尋ねられたレイズは少し間を置いて、真面目な顔で答える。


「まだ処遇は決まっていない。前例も無いことだし、一先ずはお前に対する殺人未遂の方向で処理されるだろうな。表向きには」

「ついでに言うなら俺は?」

「お前は……ま、解雇ってところ」


 丁度その時、二人のテーブルに紅茶とコーヒーが運ばれてくる。レイズはそのまま紅茶を一口呑み、もう一人はコーヒーにミルクを入れる。

 一口飲んでから、『憲法の番人』でなくなった彼は口を開いた。


「そりゃあまあ、それだけで済むとは意外だな」

「『憲法の番人』という仕事の性質上、正当防衛が認められたからな。それに、明らかにお前側の方が重傷だったわけだし。『憲法』の管理不十分ということで解雇だ」


 ミルクを再びコーヒーに流し込み、スプーンでかき混ぜながら彼は「ふーん」とそっけなく返す。


「裁判の方はどうなるんだ?」

「それは以前と同じ形で、魔質の能力が高い者の数人によって行われるさ。少なくとも裁判中に銃声は聞こえないし、簡単に死刑判決は出ないだろうな」

「おい、レイズのくせに皮肉のつもりかよ」


 むすっとした顔で彼はテーブルの下、レイズの足を蹴る。小さくレイズが呻いた後、沈黙が二人の空間を占めた。レイズは少し居心地が悪そうに、そわそわとしている。対する彼はそんな相手の様子にまるで無頓着だ。自分にとって丁度良い味になったらしいコーヒーをごくごくと飲んでいる。

 しばらくして、レイズが口火を切った。


「なあ、そろそろ教えてくれよ。お前にとって彼女はどんな存在だったんだよ」


 空になったティーカップをテーブルの上に置く。レイズの質問に彼は顎をかきながら、斜め上に視線を向けて考える素振りを見せた。レイズは唇を舐めて、やけに神妙な顔をして答えを待つ。

 ふ、と彼は考える素振りを止めた。レイズの顔をまっすぐに見て、一言。


「わかんね」


 がくりとレイズの肩が下がる。拍子抜けしたようで、レイズは気が抜けた顔をしている。


「お、お前な……」

「けれど、なんていうか。言葉で表現するにしたって何て言えばいいか分からねーんだよ」


 そんな回答があるか、と言おうとしたレイズの口が止まる。いい加減に答えた訳ではなく本当に言葉が見つからなくて、困っている様子の彼を見てしまったから。ほんの少し前の険のあるものとは違った表情だった。


「守っていたんだか守られていたんだか、分かんなかったしな」


 無意識にぼやいたようなそれに、レイズはなんと返せばいいか分からなかった。再び訪れる沈黙。


「あ」


 今度は彼が、思い出したように言った。


「そういえばあのルナシスって子ども。あいつ魔法使いだったんだな。魔質じゃなくて」

「あぁ、そうだな……って、えぇ!」


 ナチュラルに流しそうになったところで、レイズはがたんとテーブルに手をついて立ち上がる。隣のテーブルの客が驚いてレイズの方を見た。向かいに座る彼も驚いたようで、目をぱちくりさせている。

 レイズは立ち上がったまま、口をぱくぱくとさせていた。まるで魚のように。対する彼は何かを察して、口元を引き攣らせながら恐る恐る問いかける。


「えーと……もしかして、知らなかったのか?」

「当たり前だ! あの日お前が俺に押しつけた子供だろ? アルバが無事家に送り届けただけで、俺はそれ以外大した情報知らないんだよ!」

「あ、そう。じゃあ今の話は聞かなかった事にしてくれや」

「できるかぁ! 何でお前は……」


 人の姿をした『憲法』の次は、存在しているのかどうか危うい『魔法使い』と関わるとは。レイズはこめかみを押さえる。一体目の前の男はどれだけ厄介なんだろうかと。本人はレイズの心境など知る訳もなく、カフェのメニューと睨めっこしつつ「折角だからデザートも食べるか」なんて言っている。この様子、おそらく自分の金を使う気はないのだろう。レイズの懐にすき間風が吹く予感がして、メニューを取り上げる。

 相変わらず滅茶苦茶だ。こいつは。


「何だよ。先に注文したいのか?」

「いや、そうじゃなくて。言っておくが、自分で注文した分はお前が払えよ」

「全快祝いに奢ってくれたっていいじゃねーか」

「それならそれでまた後日!」


 一喝しメニューを自分の膝の上に載せてレイズが座ると、彼は唇を尖らせて子供っぽく文句を言う。心が狭いだとか、つまんねーヤツだとか。ぐちぐちと言い続ける相手をレイズは鬱陶しくも思いつつ、紅茶を呑むことで気を紛らわす。


「ごめんなさい。思った以上に時間がかかって遅れたわ」


 かつん、という音がした。二人の間にヒールの音と共に現れたのは、赤味がかかった茶髪を肩まで伸ばした、スーツ姿の一人の女性。


「アドバンテージじゃねぇか。随分と久しぶりだな」

「アルバよ。あんた、いい加減それ止めたらどうなの。明らかにわざとでしょ」


 相変わらず名前を覚えない彼に対して呆れたように肩をすくめてから、アルバはレイズに微笑みながら軽く一礼する。レイズも小さく頭を下げた。どこか距離のある感じだ。

 なんだ、自分が居ない間にこの二人の関係がどうこうはしていないのか、なんて少しつまらなく思う者が約一名。流石に声には出さなかった。

 そして彼は、アルバの後ろに隠れている、帽子を目深にかぶった小さな人物に視線を送ると、僅かに口元を緩める。彼自身はそれを二人に気付かれてはいないと思っているが、レイズもアルバもしっかりと見ていた。優しげで、穏やかなその表情を。

 イスから立ち上がり、彼はアルバの影に隠れている一人の"少女"へと近づく。あの伊達眼鏡は今はない。必要なくなったから。そんな物がなくとも、彼女は彼を彼として見てくれると、もう知っていたから。


「よお。お前もまた随分と久しぶりだな。名無しさん」

「名無しさんって……ひどいなぁ」


 青色のリボンがあしらわれた帽子の隙間からのぞく、薄い水色でウェーブのかかった髪と、ビー玉のように透き通った青い瞳。以前のような白一色のワンピースではなく、淡い青色のトップス、白いブラウス、シンプルなミニスカート。過去はどうであれ今はもう、どこにでもいる一人の少女と変わらない。胸元には砂時計の形をしたペンダントが揺れている。

 彼は彼女に向かってもう一度微笑むと、レイズとアルバの方へ顔を向けた。


「じゃ、色々と世話になったな」

「全くだ」

「全くね」


 そう言いつつも、二人には笑顔が浮かんでいた。


「そんじゃあ、行くか」


 彼は名無しの少女へ手を伸ばす。

 差し出された手を強く握り、少女は少しだけ頬を赤らめて恥ずかしそうに、けれどもとても幸せそうに、心からの笑顔を見せた。


「ありがとう。――これからも、よろしくね」



――Fin――

これにて「憲法の番人」は完結です。お付き合い頂き、どうもありがとうございました!

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