素晴らしき人生のために
轍の上を歩くとき、色彩の濃淡を忘れることができる。
『休憩時間まで残り三分。現在対応中のお客様は、あなたの死角に刺身醤油とわさびを置いています。また、計上済みのかごへ移す際、タイミーパックに入れてください。指示に従わない場合、クレーム対応で七分拘束される予想です』
休憩時間が四分も削れるのは嫌だな。
インカムからAI音声が響く。
音声の忠告に従い、私は身体を傾けて買い物かごの中身を確認する。本当にあった。
私は、財布から小銭を探している五十代後半と思しき厚化粧の女性をバレないように睨む。
会計を済ませ「休憩行ってきます」とレジの社員に告げ、気になって先ほどの女性の方を振り返る。彼女はイートインコーナーで購入したばかりの緑茶のペットボトルを弄る姿が確認できた。
なるほど、スーパーで時間を潰す指示があったんだな。
沸騰手前のお湯みたいに、私の内部にポコポコと湧き出す感覚が広がるが、インカムから流れる音声が私の感情を平らにする。
『バックヤードへの道で調味料の通路を選ばないことをオススメします。高齢の男性から商品の位置を尋ねられ、五分休憩の時間が削れる予想です』
休憩時間にルーズな商品出しと違って、レジのタイムスケジュールは一分でも遅れることが許されない。
お菓子の陳列棚を通過してバックヤードに到着したので、私はインカムに「ありがとう、WL」と礼を述べる。
『お礼には及びません。優愛様の素晴らしき人生のためですから』
正式名称【素晴らしき人生(Wonderful Life)】プロジェクト。通称WL。
世の中にAIが浸透し、AIは人類の歴史の良き友人となった。しかし、優秀なAIに人類の仕事が奪われないよう「管理」をメインとした役割がAIの主戦場になる。
現に私の働くスーパーでは、発注や在庫管理はもちろん、集客予想から特売の発注数までAIが提案するので、社員の仕事は書類に判子を押し続ける社長気分なんだという。
そう、人間は必要なのだ。「決定権」という、AIが与えられない権限のため。レジ担当の私も会計の確定権を行使するために必要なのだ。
そして、今から二十年前にとある大手企業が発表した【素晴らしき人生】プロジェクトは人類の歴史へさらなる革命を起こしたといえよう。「管理」の役割を担うAIが周辺情報や他者が所持するAI端末と即座に情報交換を行い、どんな行動をとれば良い結果に繋がるかを提案する。
初めこそAIの言いなり……はっきり言って奴隷になるものかと、大勢の批判が相次いだ。だが、とある高齢の有名人が導入したところ、宝くじで二等を当てるわ交通事故を未然に回避するわの連続で、WLの実用性は本物だと認知される。
提案された指示を受け入れるかは本人次第。この謳い文句こそ、WLを購入する決め手になったかもしれない。
厚化粧の女性も「スーパーで何分か滞在せよ」、高齢男性も「調味料コーナーで待機せよ」とWLから提案されたんだ。
私は休憩室に入ると、一番奥のパイプ椅子へ腰を掛ける。コンビニで購入したおにぎりと烏龍茶をテーブルに広げた。三食弁当を購入するのがWLの提案だったが、たまには指示を無視することもある。
「隣に座ってもいい?」
「浅尾さん……構いませんけど」
浅尾さんは商品出し担当で、偏差値の高い女子大に通っていたにもかかわらず内定をとることができず、ここのスーパーにてロングタイム勤務で契約されたパートだ。
多分、私は不機嫌な表情を浮かべていたと思う。なぜ、他のテーブルが空いているのにわざわざ私の隣を選ぶのだろう。
彼女の空白の耳を見た。
「優愛ちゃんのお昼ご飯ってWLに指示されたの? それにしても不健康すぎない?」
「全ての要求を呑んでたら、私の人生じゃなくてWLに人生を乗っ取られる気がするんです。だから、食事くらいたまには自分が食べたいものを選びます」
「たまに、ね。でもWLの指示違反を繰り返してたら、その積み重ねで素晴らしき人生に辿り着けないんじゃない?」
「WLを付けてない浅尾さんに何がわかるんですか?」
浅尾さんは今どき珍しいWL未装着者だ。そんなことするから内定も取れず、私みたいな高校生と同じスーパーで働くのだ。
いわゆる、非WL主義者というやつは、WLに頼らなくても満足いく人生を送れるはずだと自分を盲信する者たちである。しかし、事故死や入試で不合格になった人の九割以上をWL未装着者が占めたデータが報告されている。
『優愛様が浅尾様と話すことを推奨しません。WL未装着者とのコミュニケーションは、素晴らしき人生に多少の影響を与える可能性があります』
「わかってるよ。でも、それを修正して素晴らしき人生に導くのがあなたの仕事でしょ?」
「WLから私と話すなって言われたんでしょ。いくらAIが管理を担ってると言っても、本来WL同士で情報交換して未来予測の精度を高めてるのが理想的な用途であって、未装着者は正確に予測できない存在だもんねぇ」
「浅尾さん、うるさいです」
私が無視するも、WLがしつこく警告を繰り返すため、うるさく感じてしまいWLをサイレントモードに切り替えた。そうでもしないと、WLも浅尾さんも一方的に話しかけて、貴重な三十分の休憩が終わってしまう気がしたから、私の意志で黙らせることができるWLを選んだ。
「あのですね、昼はご飯を食べながらスマホで時事ネタの記事を読む予定なんです。この後、その話題でお客さんから話しかけられる予想をWLがしてるので、少しでも穏便に済ませられるようにしなきゃいけないんです」
「優愛ちゃんにとって、素晴らしき人生って穏便なことなの?」
「え?」
「親が喜ぶ学校や企業に入るため、運命の異性と出逢うため、将来の設計図を完遂させるため……全部WLが与えるもので、そこに優愛ちゃんの本音があるのかなって。まるでレールの上から外れたくないだけに見えるからさ」
「何をわかった風に……!」
「だって私も優愛ちゃんと同じくらいの歳の頃に悩んだよ」
私には信じられない言葉で、一瞬言葉に詰まった。
やはり私は感情を上手く隠すことができないと思う。浅尾さんは私の表情を読み取って「あはは」と笑った。
「信じられないって顔してる」
「あ、当たり前ですよ! WLの指示に従えば将来安泰なんですよ。なのにWLを捨てるなんて理解不能です。自殺行為と言ってもいい」
「だよね。友達からめっちゃ縁切られたし、親からも勘当された。でも後悔はしてないんだ」
「どうして?」と私が疑問を投げる前に、浅尾さんは自身の弁当からミニハンバーグを桃色の箸で掴んだ。不細工な形から察するに、全てのおかずが手作りだろう。
「この弁当箱もお箸も弁当の内訳も、WLが一切提案しなくて全部私が決めたんだ。可愛いでしょ?」
実際に薄い花柄があしらわれた桃色の弁当箱も、チューリップのワンポイントの箸も可愛い。私だって本当なら可愛い持ち物をもっと増やしたいけど、WLから提案されたものに従っている。少しだけならともかく、轍のない地面をずっと歩くのは、ちょっと怖い。
その後、私が聞いていないのに、浅尾さんは各おかずの調理工程について楽しそうに語りだす。正直、話の半分以上が頭に入らなかったし、無理やり試食させてきたミニハンバーグは塩味が足りなかったけど……、だけど、素晴らしき人生が確定しない道を選んだのに、暗闇を彷徨うことが、どうしてこんなにも楽しそうなんだろう。
その後、あっという間に休憩が終わってしまい、慌ててWLのマナーモードを解除するけど、その後の仕事はいつもよりミスが多かったと思う。高齢男性のお客さんからも「今時の若者は時事さえわからないのか」と理不尽に怒られてしまうし、散々だった。
しかし、それ以来、どうも浅尾さんに目をつけられてしまったようで、休憩が被るたびに彼女の手作り弁当の評価を求められたと思う。
ハムマヨサンドの辛子マヨネーズは、辛子の分量が多くて味蕾が壊れたかと思った。唐揚げは下味があまりついてなくて、無味のガムを嚙んでるみたいだった。卵焼きは極端に甘く、ガリッと口の中でカルシウムが弾けた。私が断っても「今日のは美味しくできたから!」と半ば強制的に試食させてきた。
正直、浅尾さんはあまり料理が上手だと思わない。
WLさえあれば的確に料理をサポートしてくれるし、せめて料理中だけでも使用しないかと提案したことがある。
「失敗したご飯を食べても満足できないと思うんです。浅尾さんもたまにはスーパーのお弁当を食べたらどうですか?」
すると、浅尾さんは「うーん」と珍しく困った表情を浮かべた後「えっとね」と続けた。
「平均寿命が八十歳として、365日×3食×80年だとすると生涯口にできる食事って87600回なんだよ。その全てをWLに決められたらさ、自分の意志で決めた食事って何回あるんだろうって思わない? 逆に、優愛ちゃんがたまにWLを無視した食事を摂るのはなんで?」
「それは……」
私は言葉に詰まった。
素晴らしき人生を送るためにWLの提案は絶対だけど、私だって違うものを食べたいときがある。だって、食事まで完全に従ってしまえば、まるで受刑者みたいだから。
「私が初めてWLに反抗したのは、優愛ちゃんと同じく食事だったよ。WLが選んだ食事で身体を形成するんじゃなくて、ほんの少しでもいいから自分で選んだご飯で身体を形成したいって思ってね」
浅尾さんはそう言うと「今度はエビチリを作ってみようかな」と笑った。
諦めの悪い人だなと思ったし、次はどんな失敗をするんだろうと予想してみた。でも、私が浅尾さんの作ったエビチリを口にすることは永遠になかった。
その日は雨が降っていて、男性社員が浅尾さんの無断欠勤に対してイラついていたのを覚えている。帰ってからニュースを見ていると、通勤中だった浅尾さんが、居眠り運転による事故に巻き込まれ、亡くなったと報道されていた。
テレビやネットではWL装着者なら回避できた旨のコメントが多数あり、彼女の死を悼む人はいなかった。
私は数日学校と仕事を休んだ。
「浅尾さんの人生って何だったんだろう」
『素晴らしき人生を目指さなかった人のことを考えても仕方ないと思います。それよりも優愛様は登校されることを提案します。よろしければ欠席分の授業内容を要約いたしましょうか?』
「……ねぇWL、素晴らしき人生ってなんだと思う?」
『素晴らしき人生とは、ご本人様が納得できる生涯です。我々は、WLとご契約いただいた全てのご利用者様が、素晴らしき人生を送れるよう日々サポートしております』
「うん、でもさ、浅尾さんは納得してた。お世辞にも美味しくないご飯を作っても、諦めなくて、自分で選んだ人生に納得して楽しそうだった」
WLは初めて逡巡した様子を見せ、『すみません、よくわかりませんでした』と機械的な返答をした。その後、WLはその仕様上、解答を用意できなかった汚名を払拭するため、私にいろんな提案を投げ始めた。私はうるさくて、マナーモードのボタンを押した。
WLの音声を遮断したのに、体内の潮騒が止まなくて、布団を被って暗闇に逃げた時、浅尾さんの言葉を思い出した。
──自分で選んだご飯で身体を形成したい。
ああ、そうか。
私の身体に、浅尾さんのご飯が、彼女の人生の一部がいるんだ。
インカムをベッドに置き、私は自室を出る。
「優愛、体調は平気なの?」
「お母さん、私、ハンバーグが食べたい」
「うふふ、WLの言った通りね。今から作るからちょっと待っててね」
「私が作りたいの」
母は予想外の表情を浮かべつつ、私の意見を尊重するように微笑んだ。
私の作ったハンバーグは、少ししょっぱかった。




