日常業務とは、生き延びることである④
夜。自室。
就寝前の時間。いつもなら端末でニュース(といっても、ネビュラスの社内報しかないが)を読んで寝るだけだ。しかし今夜は、水曜の臨界点のことが頭から離れない。
端末で過去の臨界点記録を検索する。
直近の臨界点:半年前。第三地下区画。暴走した変位個体は、分類名【月の呪術師】。管理者は鎮圧に成功したが、全治三ヶ月の重傷。現在も療養中。
その前:八ヶ月前。第十一地下区画。暴走した変位個体は、分類名【灰色の預言者】。管理者は鎮圧に失敗。第三段階に移行し、区画ごと凍結処理。管理者は――。
記録が黒く塗り潰されていた。閲覧制限。
さらにその前:一年二ヶ月前。第四地下区画。暴走した変位個体は、分類名不明。管理者は佐久間――。
佐久間。
あの社内通達の、佐久間職員。第四区画の管理者。欠勤事由:死亡。
記録によれば、この臨界点の際に佐久間さんは重傷を負い、その後、第七区画に異動になっている。第七区画で再び管理業務に就き、そして――死亡。
二つの区画を渡り歩いて、最後に死んだ。
俺の前任者は、一度生き延びた人だった。一度生き延びて、それでも死んだ。
端末を閉じた。
天井を見上げる。コンクリートの天井。蛍光灯の光。地下117階。
この仕事を選んだのは、他に選択肢がなかったからだ。
50億年後の地球に、ネビュラス以外の雇用主は存在しない。食うためには働くしかなく、働くとはすなわち、ここで命を懸けることだ。
しかし――それでも、と思う。
ノクスのチョコを食べる顔。セラの無邪気な笑顔。メルトのノートの丁寧な字。ラグナの全力疾走。カイムの不思議な微笑み。
彼女たちは、怪物だ。人知を超えた力を持ち、一歩誤れば俺を殺す存在だ。
でも、同時に、この地下で一緒に暮らしている隣人でもある。
チョコがあれば機嫌が直る魔王。笑うと空間が裂ける勇者。声の代わりにノートで話す魔女。走ると建物が壊れる獣。明日のことを今日教えてくれる魔法少女。
管理者マニュアルの表紙には、こう書いてあった。
「第七地下区画管理者マニュアル ――変位個体との共生のために――」
共生。
表紙にはその言葉があったのに、中身は83年間、書かれなかった。共生の方法は、誰にも言語化できなかったのかもしれない。マニュアルにはできないものなのかもしれない。
なら、自分で書くしかない。
端末を開き、新しいファイルを作成した。
ファイル名:「第七地下区画管理者マニュアル(灰嶋版)」
第一項:死なないこと。
第二項:チョコを切らさないこと。
第三項:彼女たちの話を聞くこと。
前任者のメモと半分同じだが、三つ目だけは自分の言葉だ。
保存して、端末を閉じた。
明後日、水曜日。臨界点が来る。
来たら、どうする。
答えはまだない。でも、逃げる場所もない。
ここで生きて、ここで働いて、ここで彼女たちの面倒を見る。それが俺の仕事だ。
世界で一番割に合わない仕事だが――世界に他の仕事がない以上、これが俺の全部だ。
目を閉じる。
明日の準備を、明日の俺がやるだろう。
来月のチョコの在庫は、来月の俺が考えるだろう。
――ノクスの思考法に毒されている気がするが、今夜はもう寝る。




