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羽化のあと

作者: やなぎ怜

 「本当のあなたになるの」――だから、怖いことなんてないとエメラインの母は言った。



 ……一五歳を迎えた少女に訪れる「羽化」と呼ばれる現象。


 「羽化」のあとの姿こそが、そのひと本来の姿であるとされる。


 その現象は、一ヶ月白い繭の中で眠り続けたのち、容姿が変化するというものである。


 「変化」とひと口に言っても幅が広く、髪や瞳の色が変わる者から、大きく容貌……顔のつくり自体が変わる者もいる。


 ゆえに「羽化」を、今後の人生を賭けたくじ引きのようなものだと捉えるひともいるわけだ。


 ――今よりも、美しい容姿を手に入れたい。


 それは、年頃の少女であれば大なり小なり覚えのある欲求というもので、エメラインも例外ではなかった。


 エメラインの母方の家系は、代々「羽化」で容姿が大きく変わりやすい血筋らしく、エメラインはそれに期待した。


 今まさに恋をしているからだ。


 学園のバスケットボールクラブに所属するアリスターは、凛々しい容姿で女子生徒たちの人気の的だが、大変な気分屋だ。


 けれどもなぜか、エメラインに構ってくる。


 アリスターが「大変な気分屋」と評されていることはエメラインも知っていたが、しかし今のところ彼がへそを曲げているところは見たことがなかった。


 エメラインの知るアリスターは、つかみどころがないものの、いつだってご機嫌な様子である。


 エメラインが学園で飼育されている動物たちに、園芸サークルで間引いた野菜をあげていると、ふらりと現れるのがお定まりで、それ以外にも廊下で出くわせば律儀に声をかけてくれる。


 以前など、土を掘り返して囲いの下から外に出てしまったウサギを捕まえるのを手伝ってくれたこともある。


 エメラインの知るアリスターは、律儀で、親切で、優しい。


 だから、あっという間に好きになってしまった。


 けれども、エメラインにはその好意をアリスターに告げる度胸は、残念ながらなかった。


 鏡を見れば、陰気な顔をした少女が見返してくる。


 他でもない、ありのままのエメラインが。


 これでも頑張って綺麗になろうとしたのだ。


 エメラインよりずっとおしゃれな友人のターラに教えを乞うたり、スキンケアやヘアケアに励んだり、化粧の仕方を学んだりした。


 それでも度胸はついてこなかった。


 エメラインよりもずっと美しくて、明るく社交的で人気者な先輩がアリスターを相手に恋に敗れたと噂で聞いて、気が逸るよりも尻込みした。


 だから、エメラインは「羽化」に賭けることにした。


 「羽化」を終えて、今より少しでも美しい容姿を手に入れたら……「冴えない地味女」じゃなくなったら、アリスターに告白する勇気が少しでも湧くような気がしたのだ。



「あら、エメラインちゃんおはよう」


 初夏。一五歳の誕生日を迎えてから一ヶ月。エメラインは無事に「羽化」を終えた。


 のんびりとした母の声を聞き、エメラインは勢いよく上半身を起こしてから、ベッドから飛び降りてドレッサーに向かった。


 ドレッサーに備えつけられた鏡を覗き込む。


 息を呑むほど美しい少女が、エメラインを見返していた。


「それが本当のあなたなのね」――相変わらずのんびりとした母の声をどこか遠く聞きながら、エメラインは己の内に勇気が湧き上がってくるのを感じた。


 ……が、しかしその勇気はあっという間にしぼんでしまった。



 一ヶ月ぶりに登校した学園の廊下を以前通りに進めば、多くの生徒はエメラインを振り返った。「あんな美少女、初めて見たぞ」といった様子で。


 エメラインは表面上は平静を装っていたが、内心では浮き立っていた。


 一ヶ月ぶりに顔を合わせた友人のターラも、エメラインの「羽化」による変貌ぶりにはおどろきを隠せない様子だった。


「――それで、彼に告白する勇気は出た?」


 ターラにだけは「羽化」後の容貌次第ではアリスターに告白したいと相談していたので、彼女は再会もそこそこにそう問うてきた。


 ……初めのつまずきはそこだった。


 エメラインは、ターラの問いに即答できなかった。


 エメラインは「羽化」によって、「羽化」前の理想を遥かに飛び越えるような、美しい容姿を手に入れたが、「羽化」によって変わるのは外見だけだ。


 「羽化」という現象は、内面を変えない。


 どれだけ外見が変わろうとも、人格も性格も、「羽化」の前とまるきり同じのままだ。


 わかりやすく言葉に詰まったエメラインを見て、元来面倒見のよいターラは心配そうな表情になる。


 そんな友人を前にして、エメラインは思わず虚勢を張る。


「会ったら言ってみるつもりだから」


 ターラにはそんなことはお見通しだっただろうに、優しい彼女はあえて指摘せず、「応援してるわ」とだけ言った。


 エメラインはそれに答えるように、ぎこちなくうなずくことしかできなかった。


「――エメちゃん?」


 学園内の、ウサギを飼育している小屋の前。囲いの外で、園芸サークルで間引いた野菜の数を確認していたエメラインにアリスターの声がかかる。


 アリスターに会うならばウサギ小屋の前だろうと予想していたものの、いざ思いびとから声をかけられると心臓が跳ねた。


 エメラインが振り返ると、さらさらの美しい髪が頬を撫でた。


 アリスターは少々呆気に取られた様子で、エメラインはそんな彼に対して微笑んでみたものの、それはやはりどこかぎこちなさが伴っていた。


「『羽化』、無事に終わったんだ」


 この年頃の女の子に、一ヶ月も会えなければ、「羽化」の最中だろうということはだれにだって予測がつく。


 エメラインはあえてアリスターには「羽化」が近いことを告げていなかった。


 意地悪などのつもりは一切なく、単に「羽化」というプライベートな事象をアリスターに告げることに迷いがあったから、結局言わなかったのだ。


 エメラインはアリスターに対し明確に好意を抱いていたが、彼との関係性に名前をつけるのは難しいと感じていた。


 よくて、知人以上友人未満といったところだろう……。


 エメラインはそう考えたから、「羽化」が控えていることをアリスターに言わなかったのだ。


「はい。お久しぶりです……」

「一ヶ月ぶり。『羽化』って長いね」

「するほうは寝ているだけなので、気がついたら『羽化』し終わってたという感じですけどね」

「……ふーん」


 アリスターは、いつだってエメラインには律儀で、親切で、優しい。


 ……けれども今、「羽化」を終えたエメラインの前に立つアリスターは、どこか温度が感じられない目をしているように見えた。


 それでもエメラインはどうにか己を奮い立たせようとした。


「――あ、あの、実はわたし、『羽化』が終わったら叶えたいことがあって……」


 かつてないくらいに、心臓が大きく素早く脈打つ音が聞こえるようだった。


 ターラに見得を切った手前もあるし、なにより「羽化」によってエメラインは以前の、冴えない容姿とは別れを告げたのだ。


 ――勇気を出せ! ……エメラインは心の中で、弱気な己に叱咤する。


 けれど――


「そう」


 アリスターが、急に興味を失ったように言い放った言葉が、エメラインの中でわずかに首をもたげた勇気を、木っ端みじんにした。


 エメラインは己の中にあったわずかな勇気が、折れる音を聞いた気がした。


 同時に、エメラインは嫌でも現実を突きつけられた。


 「羽化」で変わるのは、外見だけ。


 内面はひとつも変わらない。


 ……つまり、「羽化」で美しい容貌を手に入れたとしても、エメラインはエメラインのままなのだ。


 内気で引っ込み思案な、冴えない女のまま。


 ――エメラインはそのあと、アリスターとの時間をどのように過ごしたのか、すぐに思い出せなくなった。



 エメラインは気落ちした。


 「羽化」で変わるのは、外見だけ。


 そのよく知られた、当たり前の事実を見落としていた自分に、恥ずかしさすら覚えた。


 ただ、「羽化」によって美しい容貌を手に入れたエメラインを、一部の周囲は放っておかなかった。


 「羽化」前までは、その辺の石ころのような存在だったエメラインが美しくなると、途端に学園内で声をかけられることが増えた。


 男子生徒は明らかに「あわよくば」の下心が見えていたし、そうでなければ好奇心に駆られて単に話しかけてみただけ、ということは丸わかりだった。


 女子生徒も好奇心からエメラインに声をかけることが多かった。その髪飾りはどこで買ったのかだとか、スキンケアにはなにを使っているのかだとか、男子生徒に比べれば他愛はないほうだった。


 エメラインはなにも変わっていない。


 美しい細工の髪飾りは前から愛用していたものだし、スキンケアもヘアケアもターラに教えてもらって以来、色んな商品を試して、肌質や髪質に合うものを使い、いつも念入りにケアしている。


 エメラインはなにも変わっていない。


 ただ、見た目が変わっただけ。


 「羽化」によって変化した姿こそが、そのひと本来の姿とされる――。


 それはエメラインだってよく知っていたし、「羽化」が訪れる前までは、本当の自分になれるのだとわずかに期待を抱いて、胸を躍らせていた。


 しかしいざ「羽化」によって美しい姿を手に入れて、周囲にちやほやされるようになっても、エメラインはなにひとつうれしくないことに気づいた。


 「綺麗だね」とか、「かわいいね」とか、「おしゃれだね」とか。


 そういうことを言って欲しかったのは、「羽化」前は一度も話したことのなかった生徒たちじゃない。


 エメラインは、アリスターにこそ言って欲しかったのだ。


 アリスターはエメラインの容姿を褒めたことはない。「羽化」する前も、あとも。


 ただ美しい銀細工の髪飾りを褒められたことはあった。


 だから、エメラインはいつもこの髪飾りを丁寧にメンテナンスして、愛用していたのだ。


 だがそのアリスターは、エメラインが「羽化」してからこっち、なんだかそっけなくなってしまった。


 アリスターが「大変な気分屋」だということは噂でしかエメラインは知らない。


 なぜなら、アリスターはエメラインの前では、律儀で、親切で、優しかったから。


 けれども近ごろのアリスターとは、出会ってもなんだか会話が続かない。


 もともと、アリスターがよく話を振ってくれるというか、延々と彼がおしゃべりを続けるような関係だった。


 エメラインは、そんな関係性にあぐらをかいていたことにも気づいた。


 エメラインはこれまで、アリスターの話に相槌を打つだけで、楽しい会話の時間というものを提供できた試しなんてないことに気づいたのだ。


 アリスターはあまりおしゃべりをしなくなって、エメラインをときおりじっと見つめてくるようになった。


 アリスターがなにかもの言いたげな視線を投げかけてくることは、エメラインにもわかった。


 けれどもエメラインは超能力者ではないので、アリスターが言いたいことはひとつもわからなかったし、一方あえて問いただす度胸もなかった。


 「羽化」の直後の、まったく奇妙な高揚感の中でアリスターに告白しようと思っていたときのような、そんな気持ちはエメラインの中からとっくのとうに消えていたのだ。


 次第に、ウサギ小屋の前でアリスターとは出会わなくなった。


 廊下ですれ違うこともなくなった。


 避けられているのかもしれない、とエメラインが気づいたときには、半月以上はアリスターと会話を交わしていなかった。


「それはもちろん、直接聞くしかないわよね」


 エメラインは恥を忍んで、友人のターラに打ち明けた。


 威勢のいいことを言っておいてアリスターに結局告白しなかったことは、ターラはすでに知っている。


 恥の上塗りだという自覚はありつつも、他に相談できる親しい友人のいないエメラインは、ターラにすがることしかできない。


 ターラは嫌な顔ひとつせずに、しかし引っ込み思案のエメラインには酷な提案を突きつける。


「『どういうつもりなのよ、このヘタレ!』――って」

「そ、そういう言い方はわたしには無理かな……」


 エメラインが付け加えて「それにアリスターはヘタレじゃないし」と言うと、ターラは意味ありげに片方の眉を吊り上げた。


「ま、極論、口に出さなきゃなにも伝わらないわよ」

「……そうよね。うん。わたし……アリスターにちゃんと聞いておきたいし、告白したい」

「前みたいに逃げ帰るのはナシね」

「う゛っ。――うん。今度は、ぜったいに、ちゃんと言う」

「よしよし。じゃあ今日の放課後、体育館に行きましょ」

「きょっ、今日?!」


 ターラの強引さに、エメラインは素っ頓狂な声を出す。


 けれどもエメラインは尻込みする己を心の中で叱咤し、逃げ出したくなる気持ちを奥へと押しやる。


 明日、明後日と引き延ばすことはいくらでもできるだろう。


 ターラはなんだかんだ、エメラインに付き合ってくれる優しい友人なのだから。


 けれども、明日、明後日と引き延ばしたところで、アリスターの本心が変わるとは思えない。


 それなら、もう今日の放課後に彼の元へと向かって、直接問いただしたほうがいい……。


 エメラインは覚悟を決めた。


「わかった。行く。それで聞く。……でも、あの、ターラ。体育館までいっしょに行ってくれない?」

「……仕方ないわね。仕方ないついでに、ロイにはアイツが逃げないように頼んでおいてあげる」


 ターラが「アイツ」と呼んだアリスターとは幼馴染だという、ロイに事前に話を通しておいてくれるらしい。


 ターラは内気なエメラインよりも、ずっと顔が広いし友人も多いのだ。


 それでも、エメラインの馬鹿みたいな相談にも嫌な顔ひとつせずに乗ってくれる。


 エメラインにはターラが女神に見えた。実際、彼女の頭の後ろに光の輪があるような幻視をした。


 そこまでお膳立てをされて、逃げ帰るのは一生の恥だ。


 エメラインは腹を括った。


 お陰で、ランチタイムにはまったくサンドイッチが喉を通らず、ターラからは呆れられつつ心配された。


 エメラインは早く決着をつけたいような、永遠にそれまでの時間を引き延ばしたいような、ふたつの気持ちのあいだで反復横とびを続けるような心持ちのまま、いよいよ放課後を迎えた。


 授業を受ける校舎からは少し離れた位置に建てられた、立派な体育館のひとつ。


 内部にはバスケットボールのコートを有するその建物の中に、今アリスターがいるのだと思うだけで、エメラインはランチのときに胃に詰め込んだシチメンチョウのサンドイッチが喉から出てきそうな気分になる。


「見学でもしたら? バスケ部員目当ての女子生徒ならちらほらいるみたいだし」

「ううん。ごめん、外で待つ……。アリスターの姿見たらサンドイッチが喉から出てくるかもしれないし」

「もう!」


 なんだかんだと付き合ってくれるターラに、エメラインは謝罪と感謝の言葉を口にする。


 そんなエメラインに、ターラは「逃げないんならいいわよ」とだけ言って、あとはバスケットボールクラブの活動が終わるまで、他愛ないおしゃべりに興じた。


 ターラとそうしていると、アリスターとどんな会話をしていたか、そのときの印象の輪郭だけは思い出せた。


 エメラインは相槌を打つばかりだったけれど、アリスターのおしゃべりを聞くのは楽しかった。


 ……けれども、そんな気持ちでいたのは、エメラインだけだったのだろうか。


 奮い立った気持ちがしぼみそうになるのを、あわてて振り払う。


 今日は、それを問いただしにきたのだ。わざわざターラにも付き合ってもらって。


 ――もう逃げない。


 エメラインは今一度己の本心を確認し、そして再度覚悟を固めた。


 しばらく時間を潰していると、体育館の内部がにわかに騒がしくなる。


 どうやら、バスケットボールクラブの活動時間が終わったらしい。


 ややあって、体育館の両開きのドアが開いたが、アリスターの姿はすぐには認められなかった。


 何人かの部員たちを見送るあいだ、エメラインは必死に胃が引っくり返りそうになるのを押し留めた。


「――あっ、ロイ! そいつちゃんと捕まえておいてくれたんだ?」

「マジでこんなこと、もう二度としねえからな」


 最初に声をあげたのはエメラインの横についていてくれたターラだった。


 呼ばれたロイ――アリスターの幼馴染で同じクラブに所属している――は、嫌そうな顔をして、その手で引っ捕らえていた、彼よりも背の高い大男を押し出す。


「あ、アリスター……」


 ロイに背中を思いっきり押されてたたら踏んだアリスターの前に、エメラインは立つ。


 アリスターはジャージ姿で、つい今しがたまでクラブ活動に励んでいたので、わずかに息が上がっていて、肌もほんのりと赤らんでいた。


 ――疲れているだろうときに、気疲れするような話題を振ってもいいものだろうか。


 エメラインの心の隙間に、再度尻込みする気持ちが挟まりそうになる。


 それを察したのか、ターラが「出入り口じゃ邪魔になるし、裏手に回りましょ」ともっともな提案をして、エメラインの退路をやんわりと断った。


 エメラインはターラの提案に否やはなかったので、同意してぞろぞろと四人で移動する。


「なんでお前もついてくるわけ?」

「お前が逃げたら俺がどやされんだよ!」


 エメラインの思考はあちらこちらに散っていて、アリスターとロイの気の置けないやり取りを聞き、ロイはターラに弱味でも握られているのだろうかと邪推する。


 しかし、エメラインが今考えるべきはそんなことではない。


 そうこうしているうちに、大きな体育館の裏手側に着いた。


 エメラインは己の中にある覚悟を確認するように、素早く何度か瞬きをする。


 そして、アリスターに向き直る。


「お話があります」

「待って」


 潔く切り出したエメラインの言葉はしかし、アリスターによって「待った」がかけられてしまう。


 エメラインは面食らうと同時に、己の中でどうにかこうにかかき集めた、アリスターへ真実を問いただす勇気が、しぼんでしまうことを危惧する。


「ま――待てないです!」


 ゆえに、エメラインはあせってそんなことを口走ってしまう。


 次に面食らったような顔になったのはアリスターで、ただ彼もまた「待って待って」とあせったように先ほどの言葉を繰り返す。


「待って。あのね、エメちゃんが言いたいことはわかってるから! だから待って!」


 エメラインは口をつぐんだ。


 アリスターの懇願に折れたからではない。


 緊張が限界に達して、胃の中に詰め込んだシチメンチョウのサンドイッチが、食道をせり上がってくるような錯覚をしたからだ。


「あの、あの。それって今すぐ言ってもらってもいいですか? あの、お昼吐きそうで……緊張で……」

「え、だ、大丈夫?!」

「まだ大丈夫だけど大丈夫じゃないので! あの、あの、待てないです!」

「待って!」


 ――バシン! と威勢のいい音がアリスターの背中からした。


 ロイがアリスターの背中をどついたのだ。


 ロイは呆れと嫌さがない交ぜになった顔で、背の高いアリスターを見上げて小声で言った。


「はよ言えヘタレ!」


 ただ、距離が距離なので、もちろんアリスターと相対しているエメラインに、ロイの声は丸聞こえだった。


 気がつけば、エメラインの横で成り行きを見守っていたはずのターラは、顔をあらぬ方向に背けて手のひらで覆い、笑うのをこらえている様子だった。


「ごめんなさい」


 アリスターが気まずげに言う。


 エメラインはその言葉はロイに向けたものかと思ったが、アリスターはエメラインをまっすぐに見つめていた。


「エメちゃんのこと、避けてた」

「そ、れは、知ってます……」

「それに、意地悪した」

「……意地悪?」


 アリスターの言ったことがわからず、エメラインは思わずオウム返しに問うていた。


 アリスターは至極居心地の悪そうな顔をして、それでもエメラインからは目をそらさず、懺悔するように言う。


「エメちゃんが『羽化』したあと、『叶えたいことがある』ってうれしそーに言ったとき、面白くない気持ちになった」

「それは……」

「エメちゃんにはいいところがいっぱいあるのに、いつも自信なさそうな顔しててさ。――でも、それを変えたのは『羽化』で、オレじゃないんだって思ったら、冷たい態度取っちゃった。……ごめん」


 エメラインの脳裏に、「羽化」のあと、初めて会ったアリスターの声が蘇る。


 アリスターはただ、「そっか」とだけ素っ気なく言った。


 エメラインのことなんて興味がないような声で。エメラインは、少なくともそう感じた。


 ――けれどもそれは、実のところ正反対の感情に突き動かされた結果の言葉だったのだ。


 エメラインは目の前が急に明るく晴れ渡って、光り輝いているような幻視をした。


「好きです」


 そして唐突に、主語もつけずにそう言っていた。


 目の前にいるアリスター、その隣にいるロイ、エメラインの横にいるターラ。三人ともが呆気に取られるのが空気を伝わってくるようだった。


 エメラインは急に恥ずかしくなった。


 けれども、もう、やけっぱちである。


「好きです!」

「ま、待って――」

「わたし、アリスターのことが好きなんです!」

「まっ」

「好きで好きで仕方がないから、だから素っ気なくされて悲しかった! でも、でも、今すごーくうれしいです! アリスターのことが好きなので!」

「待って待って待って!」

「あ――アリスターは、わたしのこと、どう思ってますか?! 待てないので教えてください!!!」


 エメラインのそれは、これまで溜め込んでいた気持ちを、一度にぶちかますような叫びだった。


 そうして一度にぶっ放したエメラインは、少し冷静になって目の前にいるアリスターの顔を見る。


 アリスターは先ほどよりも顔を紅潮させていた。


 耳まで真っ赤だった。


「好きだよ」


 アリスターの目は、少し潤んでいるように見えた。


「エメちゃんのこと、好きだよ。だから、誕生日。お祝いしたかったのに教えてもらえなくて、それで『羽化』しちゃって、なんかみんなにちやほやされてて……モヤモヤして。そんな自分にもイライラしてた」

「そ、それはごめんなさい……。誕生日のことは、パーソナルなことすぎてアリスターに言っていいか悩んで、言いませんでした……」

「……じゃあ、来年。来年は絶対お祝いするから」


 アリスターは顔を真っ赤にしていて、両目も潤ませていたけれど、それでもエメラインから目をそらさなかった。


「だから、オレのそばにいて」


 エメラインは息を呑み、それから上擦った声で半ば叫んでいた。


「りょ――両思いってことですかぁっ?!」

「うん」

「りょ、両思いぃ?! え? つ、つまり、こ、コイビト……か、かの、カノジョ……?!」

「うん」


 ふたりのやり取りに、ロイが呆れを含みつつも、笑いをこらえた声でつぶやいた。「……こんなオモロい子だったんだ?」


 ターラも笑いをこらえながら、上擦った声でロイのつぶやきに「そうよ」と答えた。



 ……このあと、エメラインが感激のあまりアリスターに抱きついて、アリスターが声にならない声を上げたり。ロイがそんなアリスターを見てとうとう吹き出したり。ターラがちゃっかりと近ごろ麓の街にできたパティスリーのケーキをアリスターに要求したりするのだが、それはこれからまた少しあとのお話。

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