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封鎖区画と蝕まれた記憶

 夜の旧校舎が次第に常識を揺らがす空間へと変貌していく。

 いつもの探索のはずが、見慣れない扉や深く続く廊下が姿を現し、まるで迷宮の入口のように誘ってくる。

 光月を失った喪失感を抱えながらも、主人公はその扉を開けずにはいられない。

 忘却に抗う想いが、自分自身の記憶と向き合うことを余儀なくするのだ。

 崩れかけた舞台、埃まみれのカーテン、そして雪に濡れた蝶……。

 幻想と現実の境界線が曖昧になり、喪失がかたちをもって迫ってくる場所で

 果たして主人公は何を“受け止める”のか――。

 週も半ばを過ぎた頃、僕はまた学校で不思議な体験をする。夜、自習室で一人残って勉強をしていると、ふと窓の向こうの旧校舎に明かりが灯るのが見えたのだ。電気が通っているわけでもないのに、窓ガラスが淡く光を放っている。


 (また何か起こっている……。あの蝶、あの影、そして光月の痕跡……)


 胸騒ぎを押さえきれず、気づけば旧校舎へ足を向けていた。何度目かわからない夜の探索。けれど、今夜は特に不安が強い。まるで、ここが普通の学校とは違う場所に変わりつつあるような――そんな感覚が拭えないのだ。


 旧校舎に入り、階段を昇ろうとすると、見慣れない張り紙が貼られた扉が目に入る。「立入禁止」と書かれているが、前からこんな扉があっただろうか。

 不思議に思いつつも試しにノブを回す。すると、ぎぃっと低い音を立てて扉は開いた。暗い廊下が続いている。かつて使われていなかった区画なのだろうか――あるいは、何かの工事で閉鎖していた場所かもしれない。


 足を踏み入れた瞬間、空気がひんやりと肌を刺す。息が白くなるほど寒い。薄暗い照明が廊下の奥をぼんやり照らしているが、そこに誰かが立っているようにも見える。

 「誰か……いるんですか?」

 声をかけても反応はない。でも、足音だけが遠ざかるように響く。躊躇している場合じゃない。意を決して廊下を進むと、いつの間にか建物の配置が変わっているように感じた。


 (こんなに長い廊下、あったっけ……)


 どれだけ歩いても同じような扉が続き、奥は闇が深まるばかり。まるで迷路に迷い込んだみたいだ。壁にかかった古い掲示板や写真が、何十年も昔の時代を映し出しているかのように色褪せている。

 雪が舞い込んでいるのか、床に白い跡がちらほらと残り、そこに自分の足跡が重なっていく。胸が痛い。光月も同じ道を通ったのだろうか、それともこれは僕の幻想なのか。


 ふと、大きな扉の前に辿り着く。そこには「講堂」だとか「礼拝堂」だとか、様々な名札が重なり合った跡があった。今は剥がれ落ちていて、判別しにくい。

 ノブを握ろうとした手が震える。ここを開けてはいけない気がする一方で、開けずにはいられない衝動が沸き起こる。


 ――光月を失った記憶に、今こそ向き合わなければならない。


 頭の奥で誰かが囁く。自分自身の声なのか、彼女の声なのか、あるいは“影”の声なのか。もうわからない。ただ、胸の奥をざわつかせるこの感覚は、避けて通れないものだと直感していた。


 意を決して扉を開ける。そこは広い空間だった。崩れかけたステージや古い椅子、埃まみれのカーテンが重たく垂れ下がっている。かつては人々の歌声や歓声が響いていたのかもしれないが、今は死んだように静まり返っている。

 何かを感じて舞台上へ進むと、そこには薄い雪が積もり、しかも真ん中だけが不自然に溶けて湿った跡が残っている。誰かが最近までここにいたのか……?


 ステージの端に立ち尽くす僕の耳に、かすかな旋律が聞こえた。風の音とも違う、どこか懐かしいメロディ。そうだ、光月が鼻歌で口ずさんでいた曲と似ている――そう思い出した瞬間、涙が込み上げる。


 「光月……っ!」


 その名を呼ぶが、やはり何も返ってこない。なのに、瞼を開ければ彼女の姿が見える気がしてしまう。まるでこの空間が、喪失を具現化した世界のようだ。

 足元を見やると、一匹の蝶が潰れたように横たわっている。手を伸ばすと、その翅は雪に濡れて動かない。――もしかして死んでいるのだろうか? いや、触れてみると微かに翅が震えた。生きている?


 まるで僕の中の“何か”が砕けていく。光月が求めていた蝶も、こんな風に果ててしまうのか。胸が苦しく、呼吸が乱れる。やがて視界が滲み、頭がクラクラするほどの眩暈に襲われた。

 薄れゆく意識のなかで感じるのは、光月の声。それとも“影”の声か。


 ――「まだ、受け止められないの? あの日の終わりを……」


 誰の声ともつかない囁きがこだまする。僕はもう逃げられない。記憶が蝕まれていくように、光月を喪った過去の真実が、今まさに目の前に迫っている気がしてならない。


 そして、遠のく意識の中、誰かの足音が舞台へ近づいてくるのを感じた――それが光月なのか、あるいは僕を誘う“影”なのか、確かめる術はなかった。

 扉の先で繰り広げられる崩壊しかけの講堂は、まるで主人公の喪失を映し出す鏡のように歪みを増していた。

 そこに残る薄い雪の痕跡や蝶のか弱い姿は、光月が見つめていたはずの儚い夢の象徴にも思える。

 舞台の片隅で響いた曲は、かつて光月がささやかな歌として口ずさんでいたものだったのか、それとも“影”が語りかける幻聴なのか。

 逃げたいのに逃げられない――重たい事実がすぐ背後まで迫ってくるなか、

 視界が暗転する寸前の主人公が感じた足音は、過去との最後の対峙を予告しているのかもしれない。

 この廃墟めいた講堂で、喪失の真実は否応なく目の前に突きつけられるだろう。

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