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誰もいない教室と白い闇

 冬の休日を静かに支配する雪の気配。

 誰もいない校舎へ忍び込むことで、主人公は“月に舞う蝶”という幻想と、消えたはずの光月の影を追い続ける。

 それは危険な行為かもしれないが、「彼女を知りたい」という切実な思いが理性を押しのけるのだ。

 昼下がりのやわらかな光が白い廊下を満たしているはずなのに、足を踏み入れるほど世界が歪みはじめる――まるでここだけ夜の入口に囚われているように。

 扉の先で待つのは、現実に揺らぎをもたらすような寒気と、幻のように浮かぶ蝶の姿。

 はたして光月が求めていたものは何だったのか。その答えは、時の感覚さえ狂わせるかのような学園の深部に眠っているのだろうか。

 週末がやってきた。学校は休みだけど、僕は一人で校門を越える。教師や警備員に見つかったら咎められるだろうが、休日の昼下がりなら人も少ないはずだ。

 理由は明白――光月が探していた“月に舞う蝶”を、今度こそ確かめたい。そして、この学校のどこかにまだ残っているという彼女の痕跡を、もっと深く知りたいから。


 昇降口には鍵がかかっているが、裏口のほうに回ると案の定施錠が甘い。少し力を入れるとドアが開いてしまう。心臓が高鳴るが、思い切って中へ入り込むと、当たり前だが校舎はしんと静まり返っていた。


 窓から差し込む冬の昼光が廊下を白く照らす。その中を歩いていると、人気のなさと足音だけが響いて、妙な孤独感が胸を締め付ける。休日の学校というのは、こんなにも寂しいものだったのか。


 まずは教室を覗いてみる。自分のクラスも含め、ドアは閉められ、机と椅子が整然と並んでいる。普段は雑然と賑わう空間が、まるで見知らぬ場所に思えるのは不思議だ。


 廊下を曲がると、ふわりと雪の結晶が舞い込んできた。外は曇り空で、また雪が降り始めたらしい。窓は閉まっているはずなのに、どうしてここまで……と思いながら、その結晶に手を伸ばすと、触れた瞬間に溶けて消えた。


 「この学校自体が、何かおかしくなってるんじゃないのか……」


 誰かに聞かせるつもりもない独り言が、廊下に消えていく。

 奥へ進むと、床がきしむ音がやけに大きく聞こえる。まるで足元から空間が歪んでいくような錯覚を覚える。天井がほんの少し傾いているようにも感じられる。


 ぐるりと校舎を回り、二階の踊り場から旧校舎へ繋がる扉を開ける。そこに待っていた光景は、見慣れた廊下のはずなのに、どこか見たことがないような奥行きを持っていた。

 何度も来ているはずなのに、妙に長く感じるのだ。遠近感がおかしい。照明は消えているのに、白い光が奥へ続いている。


 「光月……ここにいるの?」


 自分でも無意識にその名を呼んでいた。返事はない。けれど、廊下を先へ進むたび、周囲の空気が冷たくなっていく。まるで雪の結晶が視界をぼやかしているようだ。


 やがて古い教室の扉を見つけ、開けてみる。雑然と机が積まれた部屋の中には、誰かが残していった落書きやプリントが散らばっていた。ほこりっぽい匂いにむせそうになりながら、足を踏み入れると……そこに白い蝶が舞っていた。


 「あ……」


 淡い銀色の翅を揺らすその蝶は、明らかに冬には不釣り合いだ。まるで月明かりを宿したように、かすかに光っている。こんな昼間なのに、その存在だけが夜の気配をまとっているかのようだ。


 少しずつ近づこうとすると、蝶はくるりと回転し、窓際へ移動する。そこには雪が吹き込んだ形跡でもあるのか、床にうっすら白い跡が残っていた。いや、実際に雪が積もっている……? あり得ないはずなのに。


 踏み出した瞬間、足下がぐらつく。教室の床が歪んで見え、まるで見たことのない深い井戸に落ちていく感覚に襲われた。


 「うっ……!」


 頭痛が走り、目を閉じる。夢か現実か区別がつかない。遠くから誰かの囁く声が聞こえるような気がする。


 ――「あなたは、まだ受け入れられないの?」


 光月の声のようでもあり、別の誰かの声のようでもある。その声は静かなのに、深い悲しみを伴っている。


 必死にこらえながら目を開けると、蝶の姿は消えていた。代わりに、白い雪がはらはらと降っている。気づけば教室の窓ガラスは割れていないし、もちろん開いてもいない。

 それなのに、床に雪が薄く積もり、寒気が増していく。


 「一体……どうなっているんだ?」


 自問しても答えは見えない。けれど、胸の奥が痛む。ここには確かに光月の痕跡があるはずだ。彼女が探していた蝶、そして月……すべてが歪んだ世界のなかで繋がり始めている気がする。


 震える指でスマホを確認すると、いつの間にか電源が切れてしまっていた。時間さえわからない。急に恐怖が込み上げてきて、僕は来たときと同じ扉から廊下に戻ろうとする。


 扉を開けると、そこには見慣れた廊下――かと思いきや、まるで一瞬で夕方に戻ったような薄暗さが漂っている。時計がないから正確な時間はわからないが、どうやら長居をしすぎたらしい。


 これ以上ここにいるのは危険だ、と直感が告げる。僕は少し早足で階段を下り、新校舎のほうへ戻る道を探す。足音が廊下に鳴り響き、時折、自分以外の足音が混じっているように感じるのは気のせいだろうか。


 校舎の出口に出たとき、外はもう薄青い闇に包まれつつあった。雪は小止みになっているが、地面は白く積もっている。吸い込む空気がひどく冷たくて、肺が痛むほどだ。


 「光月……」


 もう一度、その名を口にする。返事はない。だけど、僕は確信している。彼女が愛したもの――月、蝶、雪――それはまだこの学校に生きている。何かが歪んだ形で渦巻いている。


 学校を出るとき、校門のあたりで一瞬だけ振り返る。夜の帳が降りれば、この学園はまた怪しい面影を覗かせるだろう。僕はそこへ通い続けるのかもしれない。光月の秘密を解き明かすまで、あるいは自分が壊れてしまうまで――。


 胸のうちに広がる恐怖と、わずかな期待。雪の冷たさが、まるでそれを浄化してくれるかのように肌を刺していた。

 校舎の奥へと進むにつれ、不自然なまでに歪む空間と雪の結晶が、まるで主人公の心を映し出すかのように不安を煽る。

 昼と夜があいまいに混ざり、時計さえもあてにならない校舎で、彼は光月の痕跡に近づくどころか、より深い孤独と恐怖に縛られていく。

 雪の冷たさが一瞬正気を取り戻すきっかけになるが、主人公が見た白い蝶や月の残像は、まだ確かにこの学園に息づいているようだ。

 それを知りながらも、もう引き返せない――彼が抱く「光月をめぐる謎」への執着は、夜の帳が降りるたびにますます強くなるのだろう。

 次なる夜こそは、歪んだ世界がよりはっきりと正体を現す予感を抱きながら、主人公の足は再び学園へ向かうのかもしれない。

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