喪失と再生の境界線
嵐の夜が過ぎ去り、長い冬の影を引きずったまま迎えた春の朝。
主人公と月影 光火の距離は、夜をともに越えたことで奇妙な近さと安心感を伴いつつ、一方で何かを探し求める強い意志へと変化している。
光火が見る「雪と月と蝶」の夢は、まるでかつての光月が遺した想いの残響を彷彿とさせ
主人公は再び光月の残像に向き合う必要を感じているかのようだ。
桜が咲き乱れる学園風景の中、二人がともに旧校舎や倉庫などを探し回る姿は
まるで「光月」という存在をもう一度見出し、喪失から次のステージへ進む儀式のようでもある。
そして見つけた“アルバムの切れ端”、そこに写り込むかもしれない人影は、果たして光月そのものか、あるいはもう一つの幻にすぎないのか――。
胸の痛みを抱えながらも、少しずつ希望に近づきたいと願う春休み最後の数日間。
過ぎ去った時間と、これから始まる新学期のはざまで、二人の心は「喪失と再生の境界線」を見出そうとしているのだろう。
嵐の夜が明けた翌朝、夢見高校の校舎には静かな日差しが差し込んでいた。
校内に散らばる桜の花びらは雨粒をまとい、まるで小さな宝石を宿しているかのよう。
夜通しの混乱から解放され、僕と光火はようやくほっと息をつくと、少し疲れた身体を引きずりながら昇降口へ向かった。
「ほんとに……大変な一夜だったね」
光火が笑みを浮かべながら呟く。瞳には、どこか達成感のような光が宿っている。
「ああ。けど……不思議と嫌じゃなかった。むしろ、何か掴めたような気がして」
僕も素直な思いを口にする。あの“桜雪”のような光景を共有した瞬間、過去の痛みにも似た感情が、少しだけ和らいだ気がするのだ。
外へ出ると、春の朝陽が眩しく、アスファルトには水溜りがいくつもできていた。
結局、嵐が止むまで誰も校舎に来なかったらしく、僕らは夜明け直前から屋上にいた。
いま振り返れば奇妙な体験だけれど、不思議と後悔や怖さはない。むしろ、心にぽっかり空いていた穴がほんの少し埋まったように感じる。
それから数日、春休みも残りわずかとなり、新学期が目前に迫った。
光火は正式に転校手続きを終え、二年生としてこの学校へ通い始める段取りが決まっている。
一方、僕は三年生になる準備……と言っても、クラス替えと少しの紙仕事を済ませるだけで、新入生歓迎の作業をしつつ、少し浮足立った気持ちで過ごしていた。
(光月がいなくなってから、ずっと心のどこかが止まっていた。でも、この春を迎えるにあたって、ようやく再び歩き出せるのかもしれない)
そう思えるのは、やはり光火の存在が大きい。彼女には“光月に似ている”という表面的な理由だけじゃなく、自然と心を打ち明けたくなる空気があるのだ。
しかし、ある日の放課後、僕が旧校舎の前を通りかかると、玄関付近で月乃が俯いて立っているのに気づく。
「光火? どうしたの……?」
声をかけると、彼女は驚いたように顔を上げ、「あ、先輩……」と小さく微笑んだ。
「ちょっと、また夢を見ちゃって……」
光火は困り顔で言う。
「蝶が出てくる夢?」
僕が訊ねると、彼女は黙って頷く。
「雪の夜なのに桜が舞ってて……月を見上げると、誰かがわたしの名前を呼んでるの。だけど、その声は遠くて掴めなくて……」
胸がきゅっと縮む思いがする。あの“歪んだ世界”と“桜雪の夜”が混ざり合ったようなイメージを、光火も夢に見ているのか。
「それ、辛い夢……?」
「辛いのかな。でも、怖いわけじゃないんだ。むしろ懐かしい。誰かを探してる気がする」
まるで“光月が探していたもの”と同じだ。そう確信に近い感情が湧き上がる。
(光火は本当に、光月の記憶の一部を引き継いでいるのか? それとも偶然の類似?)
頭の中は疑問だらけだけれど、光火の不安そうな目を見ていると、少しでも力になりたいと思う。
「……一緒に探そうよ。何か手がかりになるものがあるかもしれない」
自然と口から出た言葉に、光火は目を丸くする。
「いいの? 先輩も忙しいんじゃ……」
「構わないよ。俺も今、何か区切りをつけたい気がしてるんだ」
そう――光月という存在と、新たな一歩を踏み出すための境界線を、はっきりさせたい。
こうして僕らは、春休みの最後の数日を使い、学校のあちこちを改めて調べて回ることにした。
特に旧校舎や倉庫、図書室の奥など、人目につかない場所で「光月の痕跡」や「蝶・月・雪」に関する資料を探す。
桜の花びらが舞う昼下がり、埃まみれの書類を捲っては、断片的なメモや写真に目を通す。
そんな中、光火はふとアルバムの切れ端を見つけ、「これ……」と震える声を出した。
そこには、かつて雪の降る校庭で撮られた写真の一部が映っているのだが、欠片しかないため誰が写っているか判別しにくい。
けれど、微かに見える人影は、どうやら女の子のようにも見える。後ろ姿だけど、髪型が光月に似ていた。
「もしかしたら……この写真に写ってるのは……」
光火が言いかけ、僕は無言で頷く。
過去のある冬の日、光月が撮られた集合写真の一部かもしれない。前に見たアルバムには破れたページがあったし、その切れ端がここに落ちていたのだろうか。
「……わたし、この人を探してるのかな……」
光火はぽつりと呟く。まるで写真の中の少女を自分の中に感じているような、そんな不思議な表情。
(光月がそこにいるなら、俺は一体どう感じればいい?)
胸の痛みと再生への希望が入り混じる。喪失と再生の境界線が、もうすぐそこまで迫っている気がした。
春の嵐を越え、日常へ戻りかけている学園。その穏やかな空気のなかで、主人公と光火はなおも「光月」という名の足跡を辿り
今一度その存在を確かめようとする。
夢見高校の裏側には、崩れかけた冬の記憶がまだ残されていて、古いアルバムの破片やメモが、その一端を覗かせているかのようだ。
雪と桜の入り混じる不思議な光景を体験した夜を経て、主人公の心には“光月を追い求める”という決意とは違った思いが芽生え始める。
「喪失を乗り越え、再生へ進む」とは言っても、それは決して一足飛びに達成できるものではない。
新たに光火という存在が加わったことで、過去と未来が混じり合い、そこに生まれる葛藤と希望が一層強くなるのだ。
アルバムの切れ端に映る少女は本当に光月だったのか? もしそうなら、それを見つけ出すことで何が変わるのか?
答えはまだ霧の中だが、春休み最後の数日という限られた時間が、主人公と光火の気持ちを急かすように進める。
雪と桜が交錯するイメージのなかで、喪失と再生の境界線は刻一刻と近づいている――そんな予感を抱かせる余韻が、夕暮れの学園を包んでいる。