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月夜に浮かぶ旧校舎の影

 夜の校舎に忍び込むという背徳感と、胸をざわめかせる月明かり――どちらもごく日常からわずかに逸脱しただけなのに、物語の歯車は静かに動き出す。

 降り積もる雪が孤独を際立たせるように、主人公の心に残る「光月」の存在が、追憶と幻想をないまぜに呼び起こす。

 奇妙な足音やひび割れた廊下、埃のにおいにしのび寄る圧迫感――そんな薄闇の学園に散りばめられた秘密は、主人公をどこへ導くのか。

 夜と雪と月のモチーフが交錯する中、まるで蝶のように儚くも不可思議な光月との思い出が、今宵の探索に潜む鍵となりそうだ。

 放課後、部活の生徒たちが帰り支度を始める頃。僕は鞄を肩にかけ、できるだけ目立たないように校舎の裏手へ回った。誰にも見られたくなかった。今からやろうとしていることを、説明できる自信がないからだ。


 学校の裏門から少し抜け出して時間を潰し、夜になるのを待つ。冬の夜は早く訪れる。空は深い藍色に染まり、月が昇り始めた。息が白くなる夜の寒気のなか、再び校舎に忍び込んだ。


 運動部の生徒ももうとっくに帰ったらしく、校舎には人気がない。セキュリティの甘い旧校舎なら、夜に入ることはさほど難しくはなかった。


 玄関を抜けた瞬間、かすかな冷気が頬を刺す。まるで外気よりもここが寒いようにさえ感じられる。古い床が軋み、月明かりが窓ガラスを通して細長い影を落とす。


 渡り廊下を通り過ぎ、薄暗い旧校舎の中央へ足を進める。心のどこかに、光月がいるんじゃないかという期待があった。もちろん、現実にはあり得ないと知っていても――彼女の面影を感じたくて仕方がない。


 校庭側に面した大きな窓からは、月が白々と輝いていた。雪が積もった地面が淡く反射し、室内まで青白い光が届いている。振り返ると、かつて生物部の部室だった扉が目に入った。


 ゆっくり扉を開ける。室内は埃っぽい匂いがした。使われなくなった机や椅子が無造作に積まれ、棚には薬品の瓶らしきものが転がっている。何かの拍子に、ふっと冷たい風が吹き込んだ。


 「誰か……いるのか?」


 思わず声に出してしまった。もちろん返事はない。けれど、自分が何かに見られているような、奇妙な圧迫感を覚える。この感じは何だろう――背筋に寒気が走る。


 ふと、蛍光灯の切れかけた残骸がわずかに点滅し、部屋の片隅を照らした。そこにあったのは、蝶の標本箱。古びたラベルには「月夜蛾」とか「冬期越冬態」などの文字が書かれているが、もうかすれてよく読めない。


 蝶の標本をそっと眺めていると、まるでその翅が震えたように感じられた。錯覚だとわかっていても、心臓が早鐘を打つ。夜の闇のなか、静寂だけが周囲を支配している。


 (光月……)


 心の中で彼女の名を呼ぶ。彼女がどれほど蝶や月のモチーフを好んでいたかを思い出す。理科室の前で「冬に蝶なんて見られたら素敵だよね」と嬉しそうに語っていた。そんな些細な記憶まで、今になって鮮明に蘇る。


 ――ガタッ。


 物音がして振り返るが、そこには誰もいない。机がきしんだだけかもしれない。落ち着こうとしても、胸の高鳴りはおさまらない。妙に息苦しい。


 そのとき、廊下からかすかな光が揺れ、誰かが歩いているような気配がした。教師だろうか、それとも警備員? まずい。このままでは見つかってしまう……と身を硬くする。


 しかし足音は近づく様子もなく、廊下を通り抜けたらしい。ほっと胸をなで下ろす。少し時間を置いてから扉を開けると、廊下には月明かりが差し込むだけ。人影はどこにもない。


 (今のは、気のせいだったのか……?)


 不安と安堵が入り混じり、冷や汗が滲む。こんな無謀なことをするんじゃなかった、と少し後悔しつつも、引き返す気はなぜか起きない。まだ何かを見つけたい気がする――光月に関わる、大切な手がかりを。


 そう思って廊下を曲がった先、窓から差し込む月光の中で、ふわりと白いものが舞い落ちてきた。雪なのか、埃なのか、判別がつかない。けれど、ほんの一瞬だけ蝶の形に見えた。


 僕は息を呑み、窓へ駆け寄った。すると眼下には、白い雪に包まれた校庭が広がる。闇の奥で、まるで誰かが立っているように思えるが、気のせいかもしれない。


 ――月夜に浮かぶ旧校舎。そこで確かに何かが僕を呼んでいる。そんな予感を抱えたまま、僕は夜の探索を続けようと決意した。

 月の光をたよりに暗い旧校舎を探るうち、主人公はほんの一瞬だけ、過去のかけらに触れたかのような感覚を味わう。

 埃まみれの生物室で手がかりのように漂う標本、そして鳴りそうで鳴らない足音が示すのは、本当に“光月”の影なのか。

 手を伸ばせば届きそうな、けれど簡単には掴めない――そんな揺らめく幻に惹かれるように、彼はさらに夜の校舎へ踏み込んでいく。

 次はどんな足跡が待ち受けているのか。息苦しさを抱えたまま、それでも止まらない探索は、きっと光月の姿を追い求める主人公の意志そのものを映しているのだろう。

 迷いと期待を抱えて夜道を進む先に、いつか真実が見えてくるのかもしれない。

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