薄紅の教室と隠されたヒミツ
冬から春へと移り変わる季節の中、失われた光月の影を抱え続ける主人公と
転入生の月影 光火。二人が奇妙な縁で出会うたび
「夜の校舎で巡り合った崩壊世界」が記憶の中で息を吹き返すかのように
モノクロだった日常へ鮮やかな色が差しはじめる。
今回、彼らが訪れたのは薄紅色の光に包まれた空き教室。
何年も前のプリントや切れ端に書かれた「蝶」「月」「雪」の文字は
まるで“隠されたヒミツ”を暗示する符号に思えてならない。
淡い桜の季節と幻想的なモチーフが重なり合う教室には
光月の残り香のようなものが漂い、一方で光火の好奇心がその謎をかき立てる。
過去の記憶を「封じ込めた」誰か
そしてそれを呼び覚まそうとする蝶の囁き――
春の温度が穏やかに昇るにつれ、彼らの足元にあるものが
ゆっくりと姿を見せ始めるのかもしれない。
春休みも終盤に差しかかり、夢見高校の桜はそろそろ開花し始めるころ。
校舎の外を歩くと、つぼみがほころびかけた枝先がほんのりと薄紅色に染まっている。
その景色を見るたび、夜の雪が消え、少しずつ暖かくなっていく季節の移り変わりを肌で感じる。
けれど、僕の胸にはまだ、光月の面影が棲みついていて、完全には春を迎えられずにいた。
そんな中、転入生の月影 光火との奇妙な縁が深まっていく。
――光月によく似た少女。たまたま学校に来る日が重なり、僕が空いた時間に校内を案内する機会が増えたのだ。
「ねえ、あっちの教室は入れそうかな?」
光火が少し先を歩きながら、扉のガラス窓を覗き込んでいる。
「鍵はかかってないかもしれない。先生が一時的に使うこともあるって聞いた」
僕はそう答えながら後ろにつき、扉をそっと開けてみる。
薄紅色の柔らかな光が窓から射し込んでいて、人気のない教室の空気がうっすらと揺れた。
中に入ってみると、埃っぽいにおいと、使われていない机と椅子が整然と並んでいるだけだ。
「ここは、どこのクラスの教室だったんだろうね」
光火が呟くように問いかける。
「昔は別の学年が使ってたんじゃないかな。今は空き教室として残ってるとか……」
席をひととおり見回していると、黒板の隅に貼りつけられたままのプリントが目に留まる。
黄色く変色していて、文字はかすれかけているが、日付は何年も前のもの。
「結構前から放置されてるっぽいね」
僕は軽く苦笑しながら、プリントをそっと剥がすと、裏面に誰かの書き込みがあるのに気づいた。
> 「蝶が舞う夜と、月の光。そして雪が降るとき――」
一瞬、心臓がドクンと大きく鼓動する。光月が大切にしていた三つのモチーフ、「蝶・月・雪」がそこに書かれているからだ。
「どうしたの?」
光火が僕の表情を怪訝そうに見る。
「い、いや……なんでもない」
慌ててプリントをたたみ、机の上にそっと置き直した。
そんなやり取りの後、僕らは教室の奥へ歩く。ここにも何か残っていないかと、光火が机の引き出しを開けたり閉めたりしている。
「わ……見てこれ」
彼女が指し示したものは、引き出しの中に入ったノートの切れ端らしき紙だった。ページの一部が破けていて、そこにも不思議な文字が書かれている。
> 「私はここで、あの日の記憶を封じ込めた――」
それだけの言葉なのに、どこか暗示的だ。
光火がページを裏返すと、鉛筆の走り書きがうっすら残っている。どうやら日付や人名があったらしいが、ほとんど判読できない。
「封じ込めた記憶……?」
光火が首をかしげ、僕も胸にざわつきを覚える。
(また光月に関係あるものなんだろうか? それとも、たまたまこんな書き込みが残っているだけ?)
「なんだか、この学校って不思議なものがいっぱい落ちてるよね」
光火は苦笑するように言うが、その瞳は好奇心で光っているようにも見える。
「ねえ、何か隠されたヒミツでもあるのかな」
軽い冗談混じりに言っているのだろうが、僕の心には重みをもって響く。
光月と過ごしたあの夜の出来事が、今も現実と幻想のあわいに横たわっているような気がしてならない。
そのとき、廊下のほうから足音が聞こえてきた。
「先生かな……? こんな時間に?」
光火が不思議そうに顔を見合わせると、扉が開く前に足音は遠のいていく。
まるで誰かが様子をうかがっていたかのように。
「気のせいかもしれないけど、ちょっと怖いね」
光火が苦笑する。
「あんまり長居するのも悪いし、出ようか……」
僕はそう提案し、彼女も頷く。ふと見上げれば、教室の窓から薄紅色の光が柔らかく差し込み、春の温度を感じさせる。
“隠されたヒミツ”という言葉が頭から離れない。
切れ端やプリントに書かれていた「蝶」「月」「雪」。
光月が愛した象徴と重なるものを見つけてしまったことに、僕はどうしていいか分からなくなる。
気づけば、光火の横顔もどこか憂いを帯びているように見えた。
視線の先に残されていた「封じ込めた記憶」という言葉は
ひび割れた過去を抱える主人公の内面に強い響きをもたらす。
光月をめぐる切ない夜の記憶と、いま目の前にいる光火の存在が交錯するたび
日常の薄紅色の風景が微かな違和感とともに揺らぎ始める。
彼女が軽い冗談のように言う「隠されたヒミツ」は、本当にただの冗談なのか。
そして「蝶」「月」「雪」という三つの符号が示すものは何なのか。
確かに崩壊へ向かっていたはずの夜の校舎は、穏やかな春の日差しを受けているけれど
まだ解かれぬままの“何か”が、机や棚の奥深くに息を潜めている気がする。
足音をしのばせるかのような廊下の気配が、それを暗に知らせているのかもしれない。
光火の横顔に浮かぶ憂いと、主人公の胸をざわつかせる過去の名残――
そこにこそ、眠っていた答えが見えはじめているのかもしれない。