雪色に溶ける月と蝶、そして朝焼け
崩壊した学園の幻影に呑み込まれるようにして、永遠のように続く夜を彷徨っていた主人公。
その果てで光月の姿を追いかけ、最後の別れを交わしたのかもしれない――そして、目を覚ませばそこはいつもの昇降口の前。
雪が降り積もり、夜が明けゆく中、喪失という現実が一層鮮明に胸を締めつける。
けれど、「いない」とわかっていても、そして幻だったとしても、光月に触れられた気がする――そんな微かな安堵が、確かに心の隅をあたためる。
長い夜が終わりを告げ、東の空が白みはじめるなか、冬に似合わない一匹の蝶が舞い上がる。
これは、きっと光月が見たかった景色。
喪失と希望が交錯する夜明けの雪景色で、主人公はあらためて生きていくことを決意する。
「さよなら」と「ありがとう」を呟く声を抱えながら、新しい朝日に足を踏み出す彼の物語がいま確かにひとつの結末を迎えようとしている。
ふと目を覚ますと、僕はいつもの昇降口の前に立っていた。――いや、正しくは倒れ込むようにして横たわっていたのを、ゆっくり身体を起こした形だ。
「ここは……」
あたりを見回すと、校舎は夜明け前の薄青い光に包まれている。雪はしんしんと降り積もっているものの、あの崩壊した世界の名残はまったく見えない。すべて普通の学校の姿だ。
時計を見ると、早朝の五時過ぎ。夢を見ていたのか、あるいはあの崩壊世界そのものが幻だったのか。けれど、僕の胸に重くのしかかる喪失感は変わらない。
立ち上がり、ふらつく足取りで校舎の外へ出る。朝焼けがわずかに東の空を染め始めていた。雪景色が淡い金色を帯び、現実感を取り戻しつつある。
(もう、光月はいない。だけど、僕は生きていくんだ)
心の中でそっと呟く。涙はとっくに枯れたように思えたが、じわりと瞼が熱くなる。苦しい。それでも、どこか穏やかな感情がわずかに混じっていた。
空を見上げると、まだうっすら月が残っている。かけらのように薄い輪郭。雪に滲むように消え入りそうだが、確かにそこにある。その姿が、蝶の翅にも似ている気がした。
「光月……ありがとう」
ほんの一言、口に出す。僕がここまで追いかけたものは何だったのか、答えはまだはっきりしない。けれど、たとえ幻影であっても彼女と再会できた気がするし、最期の微笑みを見たと信じたい。
校門を通り抜け、路地へ出る。空は徐々に白みはじめ、夜が明けようとしている。こんなにも長い夜を過ごしたのは初めてだと思うほど、疲れが全身を蝕んでいる。
それでも足を踏み出すたび、胸の奥が少しずつ軽くなるのを感じた。喪失の痛みとともに歩き出す――これが再生への一歩なのかもしれない。
「……あれ?」
ふいに足元で何かが動いた。小さな蝶が、雪を乗り越えるように舞い上がったのだ。寒さに耐えきれずすぐ落ちてしまいそうだが、かすかに羽ばたいている。
僕はその蝶をじっと見つめる。冬の朝に似つかわしくない儚い姿。けれど、それは紛れもなく生きている。
――きっと、光月が見たかったのはこの光景なのだろう。白銀の世界に舞う蝶の姿。月と雪のはざまで、生命が瞬く奇跡。
胸が熱くなる。そっと手を伸ばすが、蝶はふわりと逃げて、どこへともなく飛び去っていった。捕まえる必要はない。それでいいのだと思う。
遠くで朝のチャイムが聞こえる気がする。あるいは風の音かもしれないが、僕には呼びかけに思えた。新しい一日が始まる合図なのだ。
僕は小さく息をついて、ポケットに手を突っ込みながら歩きだす。光月はいない世界だけど、ここには僕がまだ生きていく場所がある。
“雪色に溶ける月と蝶”、それは僕らの幻影だったのかもしれない。しかし、喪失を抱えたままでも、一歩ずつ進んでいかなければならない。
やがて日が昇り、雪が朝陽を受けて金色に輝きはじめる。あの蝶も、きっとどこかで陽を浴びているのだろうか――そう思うと、ほんの少し笑みがこぼれた。
「さようなら。そして、ありがとう……」
心の中で静かに告げる。あの長い夜が終わり、新しい朝が僕の周囲を満たしていく。ひび割れた心を抱えながらも、僕は歩みを止めない。
――光月を失った、けれどまだ生きる。変わらないようでいて、確実に進んでいく時間と世界を、これからは受けとめていこう。
蝶、月、雪。すべてが溶け合い、やがて新しい季節へと移ろう。僕はその瞬間を見届けながら、喪失の先にある希望を信じて歩き出す――。
崩壊しかけた世界から目を覚ましてみれば、そこはいつもの校舎と白い雪の朝――。
喪失の苦しみを抱えつつも、生きていく日々が続いていくことを再び認める、そんな一歩が描かれた幕切れである。
もはや光月の姿はどこにもない。それでも、夜明けの空に溶けていった蝶のひと羽ばたきや、儚い月の痕跡は、彼女と過ごした日々が決して無駄ではなかったと語っているかのよう。
ひび割れた心を抱えながらも、朝陽を受ける雪が金色に輝くように、主人公の思いもまた淡い光を帯びて新たな季節へと進む。
すべてを失ったわけじゃない。雪色に溶ける月と蝶の幻を見届けたこの体験こそが、喪失を抱えながら生きる“再生”の象徴なのだろう。
冷たい空気のなかを舞い去る蝶のように、いまや光月は手の届かない存在かもしれない。
けれど、それが希望の形を生むなら、彼はきっと歩き続けるはずだ――喪失の夜が終わるたびに、次の朝が訪れるように。