プロローグ
まず始めに、飢えが来た。
この森で目が覚めてから5日が経っていた。
飢えは、身体よりも先に思考を蝕む。頭の中にぽっかりと大きな空白がある。
その空白に、生きようとする意思さえ、飲み込まれていく。
森の中で、俺は倒れた。5日歩いてもこの森から抜け出すことは出来なかった。気力と体力の限界だった。
仰向けになり、空を見上げると、木々の隙間から無数の星々が見えた。
薄れ行く意識の中で、ここで死ぬのならば良いのではないかと思い始めた。
今、何の目的もなく生きているのだから、何の脈絡もなく死んでも仕方のないことだろう。飢餓の苦しみが、思考を諦念へと導いていく。
苦しかった。腹が減るという日常の出来事が、突き詰めるとここまでの苦痛に繋がっているとは知らなかった。何も食べていないのに吐き気がした。体が死ぬ準備を始めているように思えた。俺は仰向けで、ただ空を見つめていた。
わずかに見える夜空を、鳥のような影が横切った。その影はすぐに再び視界の中に戻ってきて、やがて俺の上空で静止した。その影は人間だった。人間が空中で立っていた。
「そこの方!生きてらっしゃいますか?」
若い女の声だった。俺は声を出せず、右手を挙げ応えた。
「今助けますね!」
彼女は空中からこちらへ降りてきて、俺の横に屈んだ。見ると背に体の三倍ほどはある丸形のリュックサックを背負っていた。
「これの上に乗ってください。すぐに街まで飛びます」
彼女は小柄だったが、俺を軽々と持ち上げ、リュックサックの上に乗せた。
俺はその上でぐったりと横になった。
彼女は、俺を乗せたリュックサックを背負い、「では行きますね」と言って、地面を蹴った。
俺たちは空へとのぼっていった。
木々の間を抜けると、満天の星空が視界に広がった。星を眩しいと感じたのは初めてだった。
眼下に、五日間彷徨った広大な森が見えた。その森の上を俺たちは鳥と並んで飛んでいた。
「30分ほどで街に着きます。もう少しだけ頑張ってください」
遠くの大地にわずかに人工的な明かりの集合が見えた。あれが街なのだろうか。
彼女の言葉で身体が安心したのか、急激に眠気が襲ってきた。
上を見ると、夜空の真ん中に、二つの月が並んで煌々と輝いていた。
風を切る音を耳で聞きながら、俺はゆっくりと目を閉じた。