哀れな船乗り①
ぼちぼち上げていこうと思います。初めての作品なので大目に見ていただけると幸いです。
昔々、まだハマナス島に人が暮らしていた頃のことです。ある嵐の夜、一人の若い船乗りが浜辺に流れ着きました。船乗りは悲しむことも憤ることもできずにその場に座り込み、今はすっかり静まりかえった暗い海を茫然と眺めるばかりでありました。
ここはいったいどこなのだろう。
まだ状況が飲み込めていない。船の甲板から投げ出され、波に飲まれたところまでは覚えている。しかしそのうちに意識を失ったようだ。気がついた時にはこの浜辺に倒れていた。まっ白な砂浜には小さな蟹が一匹いるだけで、私以外に人はいない。先程までの嵐はどこへやら、天候は皮肉なほどの快晴だ。だが今日は新月のようで、月を見つけることはできなかった。穏やかな風が髪を揺らす。黒い波が静かに寄せては返し、哀れな蟹をさらっていった。
不思議と悲しみはなかった。遭難した時、人はまず悲嘆に暮れるものだと思っていたのだがそうではない。感情というものが分からなくなるらしい。どうやら海に落として来てしまったようだ。したがって若干混乱しつつも私は恐ろしいほど楽観的……否、冷静に状況を分析し始めていた。船乗りたる者、常に危険と隣合わせ。いちいち取り乱してはいられない。多少の物資不足は日常茶飯事。海賊だってお手のもの。今まで幾度となくさまざまな困難を乗り越えてきた。ただし一人ぼっちは初めてなのだが。
私は大陸の商家の生まれで、さまざまな国との貿易によって収入を得ていた。今回は南の国との取引のために商売仲間たちと共に商船に乗り、無事取引を終えて後は帰国するだけだった。しかしその途中で嵐に襲われ、船が座礁し沈没してしまったのだ。幸か不幸か甲板で対処に追われていた私は船が沈む前に海に投げ出され、命からがらここまで泳ぎ着いたのだった。
ひとまず食料の確保だ。そしてついでに住人がいないか確かめてみよう。それが終わったら雨風が凌げる場所を探して、それから……。いろいろ考えていたからだろう。一切周りが見えていなかった。そして気がつかなかった。上から声が降ってくるまで。
「ーーもし、そこのお方。なにかお困りですか」
澄んだ声が何もない砂浜に凛と響く。いつの間に近くにいたのだろう。黒いワンピース姿の少女がこちらを見下ろしていた。彼女は長い黒髪が印象的な美人だった。見とれそうになったが慌てて立ち上がる。私はここに至るまでの経緯と現状を必死に説明した。大陸の出身であること、商談で船に乗ったこと、帰国途中で船が沈みここにたどり着いたこと……。
「あらあら、それはお気の毒に。さぞかし大変な思いをなさったことでしょう」
私はここがどこであるのか少女に尋ねた。
「ここはハマナス島でございます」
なんということだ。ハマナス島といえば最果ての島として故郷では有名である。しかもハマナス島の周辺海域は波が荒れることで有名だ。したがって寄港する船が少ない。何より私には金がない。さらに運の悪いことに、私以外に漂着した仲間もいないようだった。最悪だ。思わず頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。
「よろしければお助けしましょうか」
神の声が聞こえた。
「どうやらさぞかしお困りのご様子。お金がないのでしょう。船代を稼ぐお仕事を探してまいりましょうか」
ありがたい話だが、旨すぎて疑心暗鬼になってしまう。なぜ見ず知らずの遭難者を助けようなどとするのだろうか。そんな感情が表に出ていたのかもしれない。少女はおかしそうに笑った。
「取って食おうなどと思ってはいませんよ。……今宵は新月でございますゆえ」
ふと目前の海に視線を投げる。その先には、ちょうど流木にのし上がった蟹がいた。