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都会の夜

作者: 蒼汰

なぜ都会の夜はこんなにも美しいのだろう。

窓からは斑に光るビルの灯りが夜の街を照らして、ビルとビルの間にはウィンカーをあげたタクシーが数台駐停車している。

わざわざイルミネーションなんか見に行かなくたって、安いビジネスホテルから見えるこの景色で十分じゃないかと思う。

もう夜も更けてきているというのに都会の夜は昼間よりも生き生きとしているように見えた。

そんな美しい人間の営みを眺めていたつもりが、いつの間にか窓に写る自分を眺めていた。

残念ながらそこに写る自分の顔は醜かったけど、そんなふうに自分の顔を眺めているとふと、ある女性のことを思い出した。

その彼女とは一度だけラブホテルに行ったことがある。そこは今にも崩れそうなほどヒビの入った古いホテルで、受付のおばさんは本当にイメージ通りのおばさんだった。そして僕は一番安い部屋を選んで、おばさんになけなしのお金を支払った。彼女は部屋に入るなり、すぐに小さな窓から見える夜景を眺めていた。その瞬間から僕よりも、都会の夜の方が魅力的だったことは自明だった。きっと彼女にとって僕は「誰か」に過ぎなかったのだと今の僕にはわかる。


あの頃、僕らは何も知らなかったけど、そこにいる時だけは全てを知れた気がした。

今思えば、ごく普通な学生が平凡なことをしていただけだったけれど、あの頃の僕はなぜだかすごく悪いことをしているような背徳感があって、それが僕の五臓六腑を刺激した。

あの頃の僕はきっと純粋な青色に輝いていたと思う。


「ねぇ、見て。みんな生きてるんだね。」

ベッドの上で膝立ちをした彼女はゆっくりと身を乗り出し、窓に写ったぼくの目を見ながらそう言った。


「そうだね。みんな生きているよ。」

僕は彼女の小さな後ろ姿を見ながらそう言った。それからベッドに腰を下ろして、天井の模様をぼんやりと眺めていた。


「私たち何してるんだろうね。そう思わない?」

「うーん。思わないかな。」

「そうなんだ。君強いんだね。」

彼女はそう言ったけど僕はただ何も知らなかっただけだった。


それから彼女は話を続けた。

「私ね、辛いことが待ってることをわかっていてそこに飛び込んでいく人って本当にすごいと思うの。

ほとんどの人はなんだかんだ飛び込んでいくんだろうけど、私には無理なのよ。

私は普通じゃないから普通の人みたいに振る舞えないの。だからこうして現実から逃げようとするんだけど、

現実からは逃げられないのね。こうゆうことを学生の君に話すことにも負い目を感じるのよ。だって、世間から見れば、学生の男の子をホテルに連れ込む時点で、私は正常じゃないもん。」


彼女が明るく自分を卑下する態度になんだか僕の存在までも否定されたような気がして少し苛立ちを覚えたけれど、

その時は何も言わなかった。


天井から目線を外して、彼女のほうを見ると彼女はまだ夜景を見ていたけれど、そのときの窓に反射した彼女の目には光がなかった。そのこと自体に僕は気づいていたけれど、当時の僕にはそれがなにを意味するのかわからなかったし、彼女のすべてにまで言及しようとは思わなかった。


その後、僕は黙って何かを考えていた気がする。

彼女は足を床に下ろして、また話を続けた。

「理屈ではわかるのよ。でもなんてゆうの。なんだか違うのよ。朝や昼は私には眩しすぎるの。

毎日、目が眩む思いをしてまで生きるくらいなら静かにこの美しい夜に沈むほうが私は幸せだと思う。」


「それはどういう意味?」

僕はわからなかった。フリをした。本当はなんとなくわかっていたけれど、僕には確かめる必要があった。


「分からなくていいよ。 君は分からなくていい。」彼女はそんなことを言った。

「だから、もうちょっとだけ私に付き合ってね。私はこの夜景をもう少しだけ味わいたいの。もういいって思えるくらい。」

そう言うと彼女は振り向いて、優しい笑顔を僕に向けた。それからシャワー先借りるね!と言って、空元気に洗面所に走っていった。


その日以降、彼女と会うことはなかった。

当時のラブホテルもずいぶん前に取り壊されて、今はよくわからない名前の会社のビルが建てられていた。


しかし、僕はある時、彼女をSNSで偶然見つけた。そこに映る女性はごく普通な主婦だった。


『やっぱり田舎は空気が美味しいし、人も優しくて心癒されます❗️』


『今日は息子の誕生日❗️嬉しいようで少し寂しいような複雑な心情です(笑)

あんなに小さかったのにこんなに早く成長するなんて聞いてないよ❗️』


『旦那が海外出張から帰ってきました❗️❗️

疲れているはずなのに、早速イクメン発動です❗️(笑)』


幸せそうな写真を眺めながら、僕は失望した。

僕の思い出の中の彼女はもうそこにはいなかった。


僕は未だに都会の夜景を眺めているというのに、

彼女は夜に沈むどころか、ギラギラと眩しすぎる光そのものになっていた。

耐えきれず、僕は静かにスマホの画面を消した。

向かいの古びたラブホテルには青々とした優しい光が輝いている。

それを確認すると僕はカーテンを静かに閉めた。


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