プラネタリウムの約束
夏休みの午後十一時。校舎の屋上に敷いたビニールシートの上で、わたし達二人は並んで寝転がっていました。
視界に入るのは月と星と、ジュースを飲みに起き上がった彼女の頭くらいです。
わたしが購入したミカン味のサイダーはペットボトルの下半分に結露した水滴がビニールシートを湿らせているのに、彼女がわたしとお揃いにすると言って選んだバナナ味のサイダーは早くも空になって乾いていました。
「あーあ。校則破っちゃったね、委員長」
隣で恵夏が無邪気に笑いかけてきます。
「いえ。夜間に屋上に侵入してはいけない、と校則に記されていませんので」
問題ありません。と笑顔のエイカに、わたしはできるだけ無表情で返しました。
しかし鍵が掛かっている建物内に入ったのは事実でもあります。
「じゃあ法律違反だ」
不法侵入にあたることを言いたいのでしょうか。
「……学生には忘れ物を取りに来たっていう大義名分がありますから」
屋上のある建築物が他にもある中で、敢えて学校を選んだことに、彼女からのわたしへ対する配慮を感じずにいられないのでした。
「ま、委員長の言い訳は信じて貰えるだろうけど、あたしは説教からは逃げられないからね。もし見つかりそうになったら委員長置いてあたしは逃げるからよろしくね」
「逃がしませんよ。……あ」
エイカを捕らえる素振りだけするつもりが、思いのほか近くにその手があり、わたしの指先が触れてしまいました。
これではわたしが手を握ろうとしたとエイカに勘違いされてしまうため、わたしはその少し上にある袖を摘まみ直しました。最初からそれが目的だったと言わんばかりに。
普段から生身の人間との接点がないわたしにとって、肌と肌の触れ合いというのは受動的であれ能動的であれ、とても恥ずかしく思えるものなのです。
更には袖を引っ張るだなんて。わたしが好意を抱いていると勘違いされてしまったらどうしましょう。
きっと今のわたしの顔面は見るからに火照っていることでしょう。
今が夜であり、お互いの顔がよく見えない状況にはひたすら感謝するしかありません。
いえ、そもそもこんな時間にわたしを連れ出したのがこの女なのでした。
エイカをちらりと伺ってみますと、手と手が触れ合ったことなどどうでもないと瞳に夜空の星をきらきらと映しておりました。
その様子にわたしは恥じる必要はないのだと安堵するとともに、どこか不満を感じているのでした。
どうしてエリカはわたしのようにドキドキしていないんでしょうか。
「あーもう暑いとすぐ喉かわくねー。委員長のちょっと貰うねー」
「えっあっ」
駄目ですと答える前にエイカはわたしのペットボトルに口を付けていました。
ゴクリ、と彼女の喉が鳴ります。本当に飲んでしまっているようです。
「レモン味もいいね!」
満足そうにそう言って中身がまだ少し残っているペットボトルを返してきました。
「かっかっ……」
間接ちゅー、
陽キャの方々の間ではこのくらい普通のことなんでしょうか?
いや、隠キャのわたし――いえ、陽キャでないわたしにとっては普通でもなんでもないし、平気でもなんでもないんですけど。
これをわたしが飲んでしまえばこれからわたしはエイカのことを間接ちゅーの相手として意識しながら学校生活を過ごすことになってしまいます。
勉学に身が入らずバカになってしまいます。
直接的な口付けを欲して、それを手にするために奮闘する毎日になることでしょう。
彼女がわたし以外の人と話しているだけでわたしはイライラモヤモヤして何事も手が付かなくなり、彼女がわたしに話し掛けて、わたしに微笑み掛けてくれるだけで、わたしは嬉しさのあまりやはり何事も手に付かなくなるのでしょう。
母と父に尽くしてもらった時間もお金も全て無駄にしてしまいます。
そうは言ってもわたしも先程から喉が渇いて仕方がないのでした。
「委員長はさ、親とか先生とか友達とか、なんかがんじがらめじゃん? あたしみたいのに連れ出されないと息抜きできなさそーだなーって思ったんだけどさ」
「……余計なお世話ですよ」
以前からエイカにはちょっかいを出されていました。当時は真面目なわたしが気に食わないための軽いいじめのようなものだと思い気にしていなかったのですが、どうやらそれは彼女なりの優しさだったようです。
誰かから優しくされたことなどほとんどありませんでしたから、今の言葉を聞くまでずっとエイカの優しさに気付けずにいました。
確かに、最近の彼女と過ごしている時間は何も考えないでいられて気分転換にもなりありがたいなあとは感じていました。
……今はこんなにも余計なことを考えさせられてしまっていますが。
まあそれは良しとします。
エイカがわたしのことを心配してくれていたのが、今はとてつもなく嬉しいのでした。
どうしましょう。この顔の熱さはきっと気温のせいだけではありません。
ただでさえ喉が渇いていたというのに、体が火照り始めて脱水症状になってしまいそうでした。
夜空から降り注ぐほどの星々の景色を二人きりで見ているという現状は、わたしの気持ちを高めるのに充分でした。
意を決して起き上がったわたしは、ペットボトルの飲み口に唇を伸ばします。
「ごめーん、やっぱ全部もらうわー」
わたしの片思いは掻っ攫われ、エイカに飲み干されてしまいました。
「……ばか」